朝鮮民主主義研究センター

2004年11月 7日

野村旗守編『日朝交渉「敗因」の研究』

今年5月の第二回日朝首脳会談で日本の対北朝鮮外交は敗北した、という観点に立ち、敗因を探る。

荒木和博氏の「小泉ジャパン"無法国家"にヤラれっ放しの致命的な理由」は、1960年に成立した自民党と社会党の「擬似連立政権」=「1960年体制」に問題の根源を求める。自民党は憲法改正による再軍備を放棄し、社会党は現実的政策をとらない「なんでも反対」の政党になった。拉致被害者は力によって取り返す以外ないのに、「1960年体制」ではそれができない、という。三浦小太郎氏の「自民党タカ派政治家は、なぜ強硬路線を貫けないのか?」は、対北朝鮮強硬派だった平沢勝栄の「転向」を追跡する。平沢は、武力行使や経済制裁によって金正日体制を崩壊に導くことができればよいが、それは現状では難しい、という認識から、対話路線へと変わっていったという。そして、荒木氏と同様に、強硬路線を貫く手段、つまり軍事力が日本にはないことを問題として指摘する。しかし、二回の首脳会談により、金正日に拉致を認めさせ、5人の拉致被害者とその家族を救い出したことは、救う会関係者の荒木氏や三浦氏にとっても誇るべき成果のはずだ。小泉政権に対する批判に気をとられすぎているように見える。三浦氏は日本に人権外交がないことを嘆いているが、拉致問題に関して小泉政権がやってきたことは人権外交そのものではないのか。

北野邦夫氏の「小泉・官邸も踊った『嘘』と『はったり』の研究」は、第二回日朝首脳会談に至る過程において北朝鮮から首相官邸に二つのルートで工作が行われたことを指摘する。若宮清と吉田猛のルートと、飯島勲と許宗萬のルートだ。吉田猛は北朝鮮の工作員、飯島勲と許宗萬を引き合わせたのは尹義重という工作員。いずれにしても工作員のルートで、首相官邸がこれに乗ってしまい、拉致被害者の家族と引き換えに経済制裁の放棄と人道援助の再開を約束することになったという。この論文は日本外交の敗因の研究という課題にもっともよく答えているように思える。

残念なのは米朝関係や南北関係をテーマにした論文がひとつもないことだ。六ヶ国協議の分析もない。これらの要素を無視して日本の外交を語れるはずはないのだが。


出版:宝島社、2004年12月
推薦度:★★★

投稿者 kazhik : 2004年11月 7日 13:43
コメント&トラックバック

小泉内閣が5人とその家族を日本に奪還できた事は、それまでの内閣に比べれば評価できる事と思いますが、それは『人権外交』とは私の感覚では正直見做せません。まあ卑近な喩ですが、誘拐犯から被害者を取り返したとして、それは別に『人権擁護』ではないと思います。また被害者全員と事件の全貌を明らかにし、犯人を罰しても、国家としては国民の生命と安全の保護という『当たり前』のことを当たり前にやっただけで、誇るべきでも人権外交を行ったわけでもなんでもないと思います。

日本人拉致被害者を助け出す、というのは人権外交以前の当然の責務。その上で、国家主権、内政不干渉の原則は、あのような収容所国家に対しては通用しない事を認識し、国益とテロ防止、平和構築の面からも、また世界人権宣言の精神からもありえないことを国家意志として示し、隣国の難民救援と独裁政権の民主化に尽力する事が『人権外交』でしょうね。日本にその姿勢が全くなく、拉致問題も未解決のまま独裁政権との国交回復交渉になだれ込んでいるのは全然誇れないと思いますし、その事態を止められない運動の側も何ら誇りはもてないと思います。

三浦小太郎のコメント(2004年11月 8日 09:09)

自国民の保護を追求するだけでは人権外交とは言えない、と言われれば確かにそうですけど、拉致問題は立派な人権問題なので、あちこちの国際会議で拉致問題の解決を訴えたことは人権外交と見なしてもいいと思います。国連人権委員会の北朝鮮非難決議に賛成したのも画期的なことと言えます。

荒木さんや三浦さんにはもともと旧来型の右翼を越えようとする姿勢があると思いますが、『「敗因」の研究』ではその部分が後退してしまっているように見えます。「なぜ強硬路線を貫けないのか?」というのは適切な問題設定とは思えません。私からみると、救う会が世論の支持を獲得できたのは「無法国家北朝鮮打倒」ではなく「拉致被害者救出」を目標に掲げたからです。前者でやっていたら旧来の右翼の枠を越えて支持を広げることはできなかったでしょう。そして、平沢勝栄が強硬派から柔軟派に「転向」したのも「無法国家北朝鮮打倒」より「拉致被害者救出」(正確には拉致被害者家族の救出)を優先させたからだと理解できます。家族会や救う会を裏切る形にはなりましたが、そんなにひどい選択をしたとは考えられません。平沢勝栄が変わったと言うなら、救う会だって変わりました。平沢勝栄とは逆の、旧来型の右翼の方向に。私は変質した救う会より「転向」した平沢勝栄のほうがマシだと思っています。

kazhikのコメント(2004年11月10日 06:35)

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