朝鮮民主主義研究センター

今週の北朝鮮(2004/07/24-2004/07/30)(2004年7月31日)
日本国際ボランティアセンター(JVC)編『北朝鮮の人びとと人道支援』(2004年7月25日)
今週の北朝鮮(2004/07/17-2004/07/23)(2004年7月24日)
若宮清『真相』(2004年7月23日)
脱北者・支援者の解放を訴えるデモと集会(2004年7月19日)
藤本健二『金正日の私生活』(2004年7月19日)
NHK報道局「よど号と拉致」取材班『よど号と拉致』(2004年7月17日)
今週の北朝鮮(2004/07/10-2004/07/16)(2004年7月17日)
北朝鮮による拉致被害者の救出にとりくむ法律家の会編『拉致と強制収容所』(2004年7月10日)
今週の北朝鮮(2004/07/03-2004/07/09)(2004年7月10日)
私は増元照明さんを支持できない(2004年7月 4日)
今週の北朝鮮(2004/06/26-2004/07/02)(2004年7月 3日)

2004年7月31日

今週の北朝鮮(2004/07/24-2004/07/30)

東南アジアの国から468人の脱北者が韓国入りした。どの国からなのかは公式には発表されていないが、Free North Korea!に転載された記事はベトナムだと指摘している。同じ記事には韓国のドゥリハナ宣教会のチョン氏(おそらくチョン・ギウォン氏)のコメントも出ている。今後脱北者はベトナムに殺到し、ベトナム政府は政策を転換するかもしれない、とのことだ。

2004年7月25日

日本国際ボランティアセンター(JVC)編『北朝鮮の人びとと人道支援』

北朝鮮への人道支援に携わるNGOの観点から、人道支援に関する様々な問題を論じる。「北東アジアの平和的共生−DPRK(北朝鮮)をめぐる市民社会の役割」というテーマの調査研究活動の成果。

筒井由紀子氏は、まず「北朝鮮では自由に写真が撮れない、行きたいところへ行けない」という先入観に異義を唱える。汚い部分を撮られたくないのは自然だし、反日感情も強い。朝鮮戦争以来「準戦時体制」であるがゆえの制限もあるという。「KOREA子どもキャンペーン」の活動では、最初は支援物資を現地の責任者に渡すだけだったが、何度も訪問し、信頼関係ができてくると、子どもたちに直接渡せるようになった。筒井氏は対話を重ねて信頼関係をつくることが不可欠だと強調する。

寺西澄子氏は「南北コリアと日本のともだち展」の経緯を記す。初めて北朝鮮の小学校や幼稚園に絵の提供を要請したときは「何のために子どもの絵を持ち帰るのか」というのが相手の反応だった。持ち帰った絵を見た人たちの反応も「上手すぎる」「似通ったものが多い」というものだった。日本で絵を集めるのも容易ではなかった。しかし数年続けると集まる絵は増えた。日韓のあいだで子どもたちが行き来し、交流するようになった。絵を描いてくれた北朝鮮の子どもたちに対しては、日本の会場で絵が展示されている写真を貼りつけた感謝状を渡した。筒井氏と同様に、寺西氏も「辛抱強く閉ざされた扉を叩きつづけることで、見えてくる顔は確かにある」という認識を示す。

金敬黙氏は、北朝鮮国内での援助と中国の脱北者への援助を「どちらも人道主義に基づく重要な活動」とし、前者に携わるNGOと後者に携わるNGOの間に対話がないことを問題とする。韓国では異なる団体名で同じメンバーが二つの問題に取り組んでいる例が少なくないという。

調査研究の成果という性格のためか、JVCのこれまでの活動についての具体的な記述が少ないのは残念だ。実務を担っている筒井氏や寺西氏には相手の「顔」が見えているのだろうが、あまり伝わってこない。どうせなら北朝鮮の子どもたちの絵とメッセージだけで本を作ってほしいものだ。しかしそれでも、人道支援をすすめる観点からの発言があまりに少ない中では貴重な書である。

出版:明石書店、2004年7月
推薦度:★★★

2004年7月24日

今週の北朝鮮(2004/07/17-2004/07/23)

米国下院で北朝鮮人権法案が可決された。北朝鮮の人権状況の改善、脱北難民の保護、人道援助の透明性の確保、自由な情報流通の促進、民主的南北統一の促進を目的としたものだ。具体的には人権NGOへの資金援助や北朝鮮向けラジオ放送の強化が規定されている。THOMASでBill Numberとして"H.R.4011"を入力して検索すれば条文を読むことができる。

上院にはほぼ同じ内容の北朝鮮自由化法案が上程されている。北朝鮮難民救援基金のサイトに条文の翻訳がある。原文はTHOMASで"H.R.3573"と入力。

2004年7月23日

若宮清『真相』

昨年12月、平沢勝栄は北朝鮮の外交当局者と北京で会談した。さらに平沢は山崎拓とともに今年4月の大連会談に臨み、5月の小泉訪朝へのつなぎ役を果たした。膠着状態だった日朝交渉が再開され、蓮池さん夫妻と地村さん夫妻の子どもたちは日本へ来ることができた。

本書は北京会談を仕掛けた自称ジャーナリストによるものだ。日朝関係の打開を目指し、拉致議連事務局長の平沢に北朝鮮の当局者と会談させることを思いついた。渋る平沢を説得する一方、帰化した在日商工人の吉田猛を引きこみ、北朝鮮側への窓口とした。その後、やっと腹を決めた平沢が救う会の西岡力と民主党の松原仁に参加を依頼。こうして決まった布陣で行われたのが北京会談だという。北朝鮮からは日朝交渉担当大使の鄭泰和、外務省副局長の宋日昊らが出席した。

一日目は「一時帰国した拉致被害者を北朝鮮に戻せ」「拉致被害者の家族を日本に帰せ」という原則論の応酬に終始した。しかしその中で鄭泰和が「出迎え案」を提示した。「拉致被害者の家族が共和国に存在していることに、我々は困惑している。家族を日本に送る意思はある。五人が共和国まで迎えに来て、家族たちが『日本に行きたい』と言うのなら、帰す。抑留するつもりはない。」

その晩、宋日昊が「明日の午前中の会談から鄭泰和大使を外す、原則論はやめよう」と提案してきた。さらに、会談前に鄭泰和と西岡力を外して5分話そう、と持ちかけてきた。翌朝の5分で、宋日昊は、メンツさえ立ててくれれば3/20頃に家族を帰す、と発言した。午前中の会談では、平沢が「官房長官なり外務大臣なりが『約束したと誤解を与える言動があったのなら遺憾である』と発言するよう、提案することはできる」と述べた。

北京会談が明らかになると、会談の出席者に批判が殺到した。家族会は出迎え案を「論評に値しない」と切り捨てた。しかし著者は二次会談のセッティングに走った。安倍晋三が二月上旬に拉致被害者を訪問し、出迎え案を打診。同意が得られたらマニラでの二次会談を準備することになっていた。しかし拉致被害者と会った安倍は平沢に「中山参与とマスコミが始終同行し、家族に出迎え案のことを話す機会が得られなかった。また、近く政府間協議が始まるので、二次会談計画は中止してほしい」と連絡した。直後に外務省の官僚が訪朝したが、なんの成果もなく終わった。

著者は山崎拓に二次会談への出席をもちかけた。山崎は2/23に小泉首相と話し、「政府間交渉が進まなくて困っている。是非やってくれ」と言われたという。さらに3/1には小泉首相に公明党の冬柴幹事長も交えて会談し、了解を得た。著者を交えた打ち合わせの中で、山崎は「私が出向くとなれば何かしらの"お土産"が必要だろう」「経済支援は無理だが、人道援助という方法がある」と語っていた。

その後、著者は会談から外されることになった。北京会談に関し、著者や吉田猛のような「ブローカー」が入っていることに批判が出たためだ。二次会談は4/2に大連で行われ、5月の小泉訪朝につながっていく。

一連の過程での著者の役割はまさにブローカーである。1990年の金丸訪朝にも関与していたようだ。うさんくさい人物だと言うしかない。本書は日朝国交正常化へ向けて暗躍したブローカーの手記として読むことができる。

ともあれ、本書は様々な事実を明らかにしている。2月の安倍晋三による拉致被害者めぐりは失敗に終わったこと。大連会談は小泉首相の了解を得て行われたものだったこと。5月の小泉訪朝時に発表された人道援助はやはり「お土産」で、つきつめれば拉致被害者の家族の身代金だったこと。貴重な証言である。


出版:飛鳥新社、2004年7月
推薦度:★★★★★

2004年7月19日

脱北者・支援者の解放を訴えるデモと集会

demo20040719a.jpg北朝鮮難民救援基金の主催で、19日、中国で拘束されている脱北者や支援者の救出を訴えるデモと集会が行われた。北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会、RENK、韓国のドゥリハナ宣教会なども参加した。

デモには脱北者も参加し、中国の警備員の制服を着て脱北者を模したぬいぐるみを引きずるというパフォーマンスを行った。

集会では、2001年12月に中国当局に拘束され、翌年8月に釈放されたチョン・ギウォンさん、2002年10月に7日間拘束された加藤博さん、2003年8月に21日間拘束された山田文明さん、2003年1月に拘束され、5年の実刑判決を受けて現在も服役中のチェ・ヨンフンさんの妻、キム・ボンスンさんをパネリストとしてシンポジウムが行われた。

demo20040719b.jpg4人はいずれも脱北者の支援に携わっていて捕まったが、結果は大きく異なっている。この点に関してチョン・ギウォンさんは、NGOやメディアが釈放を求めて大きく声をあげるかどうかが影響する、と指摘した。2002年4月に拘束され、2年6ヶ月の実刑判決を受けて服役中のチェ・ボンイルさんのケースでは、家族の要請もあって救援運動を行っておらず、まだ釈放が実現していない。昨年3月に拘束され、今月10日に無罪判決を受けて釈放されたオー・ヨンピルさんのケースでは、韓国外務省からの要請で表だった救援運動はずっと行わないできた。しかし今年5月に救援運動を開始し、デモや署名を行ったことが無罪判決につながったのではないかという。

今後の取り組みとして、山田さんは、日本政府に脱北者の受け入れを求めていくべきだ、と提案。加藤さんは中国に対して人道・人権の立場から圧力を加えていくべきだと訴えた。

北朝鮮の人権問題に関する集会は多いが、今までは北朝鮮の実情を伝えることを中心とした脱北者の証言集会が多く、また悲惨な話か、といささか食傷気味のところもあった。今回の集会は脱北者支援で捕まった人たちの解放に焦点をあてており、実践的で非常によい内容だった。事実を「知る」だけではダメだ。「変える」ために何をするのか、具体的に話し合っていく必要があると思う。

藤本健二『金正日の私生活』

昨年出版された『金正日の料理人』の続篇。著者は寿司職人で、1982年から2001年にかけて、中断をはさんで合計13年間北朝鮮で働いた。その大半を金正日の側近として過ごし、料理人としてだけでなく、遊び相手としても金正日に仕えた。

本書は北朝鮮の各地にある金正日の私邸を一つ一つ解説し、そこで金正日がどんな生活をしていたかを描いている。ジェットスキー、オートバイ、乗馬を楽しみ、幹部たちとともに酔いつぶれるまで酒をのむ生活である。

もっぱら私生活に焦点をあてているので、北朝鮮の政治体制を理解する役には立たない。側近といえども金正日の機嫌を損ねないよう細心の注意を払わなければならないことがわかる程度だ。高英姫夫人との仲睦まじい生活を描いている点は、後継者が誰になるのかを予想する上で重要かもしれない。

著者はジェットスキーの勝負で金正日に勝ったり、金正日からベンツをもらったりしたことを楽しく回想している。しかしそれでも「あまりの窮屈さに耐え切れず、脱北せざるを得なかった」という。あとがきで「親愛なる金正日将軍様」にメッセージを送り、「拉致家族を全員日本の親御さんのもとへ帰してあげてください」と訴えている。

出版:扶桑社、2004年7月
推薦度:★★★

2004年7月17日

NHK報道局「よど号と拉致」取材班『よど号と拉致』

2003年5月31日、6月1日に放送されたNHKスペシャルの取材過程を記す。

よど号グループによる拉致事件に関しては、有本恵子さんを拉致した八尾恵の『謝罪します』やグループのメンバーと親しかった高沢皓司の『宿命』がある。前者は当事者による発言なので事実を歪めているおそれがあり、後者は情報源がはっきりしないので信憑性に欠ける面があった。しかし本書は当事者性のないジャーナリストによるもので、取材の成果を取材過程の成功談や失敗談とともに書いており、信頼性が高い。

興味深い事実がいくつか明らかにされている。1980年代後半、八尾恵は海上自衛隊の横須賀基地の近くでスナックを経営し、海上自衛隊員の獲得を目的とする工作活動を行っていた。店に来た隊員から横須賀基地の弾薬庫について聞きだそうとしたという。弾薬庫の情報を得ようとするのは通常の左翼の発想ではない。よど号グループの活動が北朝鮮の国家機関の指示に基づくものだったことを強く示唆する事実だ。

1975年、北朝鮮は旧ユーゴスラビアのザグレブに総領事館を開設した。取材班はその際の朝鮮労働党とユーゴ共産党の秘密交渉の記録を発見した。北朝鮮側は「南北朝鮮統一に賛同する北朝鮮シンパの韓国人をユーゴ国内に送り込み、南北統一に向けたプロパガンダを行いたい。これらの韓国人は、韓国在住の者であれ、外国在住の者であれ非合法の形でユーゴに来るので、ユーゴへの出入国に際して、パスポートに何らの証印も押さないようにしてほしい」と要請している。ユーゴ側は要請を大筋で受け入れた。その後、1977年にザグレブで韓国人ピアニストのペク・コンウさん対する拉致未遂事件が起こり、ユーゴ共産党幹部は北朝鮮大使に強く抗議した。北朝鮮大使は「拉致を企てたのは、ピョンヤンから来た特殊グループだ。グループの人間はすでに処罰されていて、その職を解任されている。今後このような事件が繰り返されることはない」と応えた。しかし実際には、1983年にザグレブを拠点として有本恵子さんの拉致が実行された。一部の不心得者がやったこと、で済むものではまったくない。

気になる事実も紹介されている。よど号グループの魚本民子が1980年の3月から8月にかけて名古屋の会社で働いていて、退職直後にその会社に「私の息子が、魚本さんと一緒に海外旅行に行ったらしいが、未だに帰ってこない」という興奮した電話があったというのだ。まだ知られていない拉致事件があるのかもしれない。

2002年9月の日朝首脳会談以後、日本のメディアが拉致被害者ばかり追いかけていることに私は不満だった。被害者のプライバシーを侵害するのではなく、加害者を徹底追及すべきだと考えてきた。本書はまさに私の不満を解消してくれるものだ。取材班に拍手を送りたい。

出版:NHK出版、2004年6月
推薦度:★★★★★

今週の北朝鮮(2004/07/10-2004/07/16)

北京のドイツ人学校に駈け込んだ脱北者は韓国行き、脱北者支援の韓国人に中国の裁判所が無罪判決、というのはいいニュースだ。難民支援をめぐる状況は厳しくなっているが、今週は薄日がさした感がある。

増元照明さんは残念な結果になった。私個人は増元さんを支持できなかったが、拉致問題が争点にならない状況には危機感を覚える。拉致問題が注目されなくなれば、北朝鮮の人権問題も道連れで注目されなくなるかもしれないからだ。

2004年7月10日

北朝鮮による拉致被害者の救出にとりくむ法律家の会編『拉致と強制収容所』

昨年10月に法律家の会が姜哲煥さんを招いて開いたシンポジウムの記録、特定失踪者のうち十数名についてのレポート、北朝鮮の人権問題についての論文、という三部構成。

シンポジウムでは、姜哲煥さんがかつて収容されていた耀徳収容所の衛星写真を解説し、「私はこの写真を初めて見たときに一晩眠ることができませんでした。この写真には、私が北朝鮮に渡っていった在日朝鮮人たちや日本人妻と10年間一緒に暮らした村が写っておりますし、私が実際に住んでいた家も写っております」と語っている。収容所の中には帰国者が集団収容されていた村があるという。

松本京子さん、斉藤裕さん、山本美保さんなど、拉致された可能性が高い特定失踪者のケースを個々に整理しているほか、特定失踪者問題調査会代表の荒木和博氏による解説が収められている。荒木氏は、韓国の漁船員の拉致、レバノン人の拉致、中国での難民支援者の拉致などといった様々な事例の中に特定失踪者の問題を位置づけ、北朝鮮が「今、拉致をやめていると判断できる理由はまったく存在しない」とする。また、100人を超える拉致被害者を取り返すという課題は北朝鮮の人権問題一般と絶対にリンクせざるを得ない、とも指摘している。

出版:朝日新聞社、2004年6月
推薦度:★★★★★

今週の北朝鮮(2004/07/03-2004/07/09)

曽我ひとみさんがインドネシアで家族と再会したのは嬉しいニュースだ。ジェンキンスさんの訴追問題はまだ残っているが、日米間で適切な妥協が図られるだろう。ただ、これで拉致問題は決着したかのような雰囲気がつくられてしまうおそれもあり、警戒しなければならないと思う。

その意味でも、韓国の国家情報院が金賢姫をマスコミに公開する姿勢を示したことは注目される。彼女は田口八重子さんと思われる拉致された日本人に教育を受けた人物であり、マスコミが問いかければ新しい証言が出てくる可能性がある。

2004年7月 4日

私は増元照明さんを支持できない

朝日新聞が東京選挙区の候補者に対して行なった政策アンケートの結果が電脳補完録に掲載されている。14の項目について5段階で賛否を問う形式だ。注目の増元照明さんは公式サイトでは拉致問題の解決を訴えているだけで、政策はなにも書いていないのだが、これでようやくどういう見解をもった候補者なのかがわかった。

「日本の防衛力はもっと強化すべきだ」「北朝鮮には対話より圧力を優先すべきだ」については、9候補のなかで唯一賛成。「日米安保体制は現在より強化すべきだ」については、賛成を選んだ候補者はいない中で唯一「どちらかと言えば賛成」を選択。

「憲法を改正するか解釈変更して政府は集団的自衛権を行使すべきだ」「日本は核兵器をもつべきだ」については、他の8候補が反対で一致しているのに対し、前者には「どちらかと言えば賛成」、後者には「どちらとも言えない」と回答。

「他国からの攻撃が予想される場合には先制攻撃もためらうべきではない」については、中川雅治氏とともに賛成。「永住外国人の地方参政権を認めるべきだ」には同じく中川雅治氏とともに反対。「首相は靖国神社を参拝すべきだ」については、7候補が反対を選び、中川雅治氏が「どちらとも言えない」を選んだ中で「どちらかと言えば賛成」。

財政や福祉に関しては、とくに際だった回答はしていない。

ひとことで言えば、増元さんはもっとも右翼的な候補者だ。先制攻撃論に賛成し、核武装にも含みを残した候補者ということになる。残念ながら私は増元さんを支持できそうにない。

2004年7月 3日

今週の北朝鮮(2004/06/26-2004/07/02)

野口さんに対する有罪判決に関し、人民日報は野口さんが「経費として50万円を受け取ったことも分かっている」と書いている。脱北者支援はカネ目当てであるかのような記事だ。中国語の記事はもっとひどく、「運送朝鮮人愉越国境 日本“蛇頭”在广西被判刑 」と北朝鮮難民救援基金を蛇頭呼ばわり。

北京のドイツ人学校への駈け込む際、脱北者が警備員に対して刃物を振り回した件には戸惑いを感じる。いくらなんでも刃物はまずい。しかし、謝れば済む程度の問題でもあると思う。過大な懲罰を受けないことを願う。