朝鮮民主主義研究センター

野口孝行さんに不当判決(2004年6月28日)
宮塚利雄『最新内部文書150通を裏読む「がんばるぞ!北朝鮮」』(2004年6月27日)
今週の北朝鮮(2004/06/19-2004/6/25)(2004年6月26日)
スキャンダルは有害無益(2004年6月26日)
今週の北朝鮮(2004/06/12-2004/06/18)(2004年6月19日)
外務省の卑屈な外交姿勢(2004年6月18日)
北朝鮮医療支援レポート(2004年6月16日)
今週の北朝鮮(2004/06/05-2004/06/11)(2004年6月12日)
南北コリアと日本のともだち展(2004年6月 7日)
菅英輝編『朝鮮半島 危機から平和構築へ』(2004年6月 6日)
東北アジア人権ブログ(2004年6月 6日)
今週の北朝鮮(2004/05/29-2004/06/04)(2004年6月 5日)
飯塚繁雄『妹よ』(2004年6月 2日)

2004年6月28日

野口孝行さんに不当判決

北朝鮮難民救援基金の野口孝行さんに対し、中国の裁判所が有罪判決を下した。野口さんは、昨年12月、北朝鮮難民2名および中国人通訳1名とともに拘束され、今年4月に密出入国者移送罪で起訴されていた。判決は懲役8箇月、罰金2万元とのことだ。控訴しなければ8月に刑期が終わることになる。

既に何度も述べてきたように、北朝鮮難民やその支援者を犯罪者として扱うのは全く不当だ。北朝鮮難民は保護されるべきであって、逮捕されたり強制送還されたりすべきではない。判決は中国政府の難民切り捨て政策を改めて明らかにするものだ。

刑期を8月までにしたのは、逆転無罪を求めて控訴すると拘束期間がかえって長くなるようにしたのだろう。姑息なやり方だ。

裁判所がどのような判決を下そうと、北朝鮮難民の問題は厳然として存在している。難民たちが自由な陽の光の下で暮らせるようになるまで難民支援の必要性は消えない。中国政府は一刻も早く愚かな政策を改めるべきだ。

追記(2004/06/29):北朝鮮難民救援基金の声明

2004年6月27日

宮塚利雄『最新内部文書150通を裏読む「がんばるぞ!北朝鮮」』

著者が収集した北朝鮮の様々な内部文書を紹介する。

「軍官たちがいろいろな口実で軍人たちに農作物を盗んでくるよう組織する」事態を問題視する文書や、「国境哨兵たちは、革命の前哨線に立った自覚を持ち、酒を決して飲んではならない」と呼びかける文書からは、軍の規律が緩んでいることがわかる。国外から「異色的な録画物」すなわちポルノビデオが持ちこまれていることや、国境地域の住民が韓国などのテレビやラジオを楽しんでいることがわかる文書もある。北朝鮮にもごく普通の社会があるということだろう。ホッとさせられる。

「自分の民族よりも外勢におべっかをつかい、同族を害そうとする南朝鮮傀儡たちは、生意気にも『民族共助』について云々している」と書いている文書は公式の路線に反対しているようで興味深い。2002年9月の小泉訪朝は「今回の日本の総理野郎の平壌訪問は、日帝が1945年8月15日、偉大な首領様の前に膝を屈して座り、降伏書に調印したのと同じだ」と評価されている。

残念なのは著者の解説があまり冷静なものではないことだ。内部文書から少し引用し、著者が北朝鮮の体制や金正日に罵声を浴びせる、というスタイルが延々と続くのでやや閉口する。「民族共助」や小泉訪朝についての内部文書での評価は、朝鮮中央放送や労働新聞での評価と比較して検証してほしかった。個々の文書の真贋を判定する作業が行なわれた形跡もない。


出版:小学館、2004年7月
推薦度:★★★★

2004年6月26日

今週の北朝鮮(2004/06/19-2004/6/25)

朝鮮日報の「『北朝鮮の人権』対立する進歩と保守」という記事は興味深い。韓国で北朝鮮の人権問題をめぐって討論会が開かれ、進歩派と保守派が議論したという。人権問題の深刻さは誰もが認めたが、アメリカの介入には進歩派から批判的な声が出た、とのことだ。

中国で840名の脱北者が拘禁中、というニュースは、事実だとすれば重大なことだ。続報に注目していきたい。

スキャンダルは有害無益

救う会の幹事を務めている兵本達吉氏と小島晴則氏が会長の佐藤勝巳氏を刑事告発した。会への寄付金1000万を着服した、という。それに対し、佐藤氏、常任副会長の西岡力氏、事務局長の平田隆太郎氏は、「着服という事実は全くない」と反論している。寄付金は情報収集活動に使ったため使途を公開することはできない、とのことだ。

特定失踪者問題調査会代表、および増元照明選挙対策本部長である荒木和博氏は、「私共は情報収集の重要性を痛感しており、救う会がそのための活動を行っていることは当然と思いますが、このような形で問題化した以上、一刻も早く事実関係と責任の所在が明らかになり、適切な処置がとられるよう期待する」との声明を発表した。福岡救う会は佐藤氏らの声明を「政府答弁そのままの官僚的態度」「傲慢極まりない」と厳しい言葉で非難している

私は救う会の会員ではなく、支持者でもない。それどころか、経済制裁論を中心にした救う会の現在の路線は拉致問題の解決という本来の目標から逸脱しているものと考えている。しかし、拉致被害者の生還を願う一人として、救う会がカネがらみのスキャンダルで混乱することは望まない。スキャンダルには本来の政治的問題を覆い隠す作用しかない。

1000万円を寄付した人物を救う会に紹介したのは平沢勝栄氏だったようだ。現在の対立は単なるカネの問題ではなく、救う会の路線をめぐる対立が背景にあるのかもしれない。北朝鮮と交渉することが拉致被害者の救出に役立つと考える人たちと、交渉ではなく圧力だけが有効だと考える人たちの対立、ということになる。これこそが議論されるべき本来の問題ではないのか。

日朝外交のレベルでは、拉致問題は既に幕引きへと向かっている。今のままでは曽我ひとみさんの問題が片づけば終わりになってしまう。泥仕合を演じている余裕はないはずだ。

2004年6月19日

今週の北朝鮮(2004/06/12-2004/06/18)

今週は脱北者の逮捕や強制送還のニュースが相次いだ。とりわけ、3月にハンスト闘争で中国当局とたたかった脱北者が強制送還されてしまったのは痛い。国際的に問題になったケースでは強制送還は行なわれない、というのがこれまでのパターンだったのだが。

2004年6月18日

外務省の卑屈な外交姿勢

6/2の衆議院外務委員会で、民主党の中川正春議員が野口孝行さんの件について質問した。外務省アジア大洋州局の薮中三十二局長が答弁している。北朝鮮難民救援基金のサイトにその部分の抜粋が出た(衆議院のサイトに全体の議事録がある)。

野口さんは国際法の観点から難民と認められるべき人たちを支援していたのだが、中国政府は国内法によって野口さんを犯罪者として裁こうとしている。この点について問われた藪中局長は、「やはり基本としては、おのおのの国で行われる中でのおのおのの国の国内法の問題があるというのは、これは国際常識として当然あるところ」と答えている。北朝鮮難民問題は最初から視野に入っていない。

北朝鮮難民救援基金が裁判の傍聴を求めていることに対し、藪中局長は、領事館員の傍聴は要求して実現している、と答え、さらに「私どもは、御承知のとおり、御家族の方々と非常に緊密に連携をとりながらこの問題を取り扱っております」と基本姿勢を明らかにしている。NGOは無視するということだ。

難民問題についてもNGOの取り扱いについても何の理念もなく、ただ中国政府に懇願して野口さんだけを特別に助けてもらおうとするだけの外交。こんな卑屈な姿勢では野口さんを助けることすらできないだろう。

2004年6月16日

北朝鮮医療支援レポート

「北朝鮮・チベット・中国人権ウォッチ」のブログに「個人レベルでの朝鮮民主主義人民共和国との医療技術交流についての報告(コカンホ医師)」が掲載された。北朝鮮への医療支援を続けている高康浩さんが平壌で発表したレポート、とのことだ。北朝鮮では結核が蔓延しているため、わずかながら結核薬を支援したことや、WHOや赤十字が20万人分以上の結核薬を支援しているはずなのに結核患者は減っていないように見えることなどが語られている。また、高康浩さんたちが、(1) 医療現場を視察し意見交換した上、必要とするものを援助する、(2) 援助物資は、直接医療現場に届ける、(3) 使用状況と、効果については報告を受ける、という原則で活動していることも説明されている。

この報告は高康浩さんがアフガン・イラク・北朝鮮と日本 掲示板に掲載したのだが、削除されてしまったものだ。別のサイトに拾い出されたのは喜ばしい。

2004年6月12日

今週の北朝鮮(2004/06/05-2004/06/11)

家族会・救う会・拉致議連が「9月17日までに再調査結果が出なかったり、出ても前回同様でたらめだった場合『制裁発動』を求める」という運動方針を決めた。これを電脳補完録に掲載された論説が「原点に返る」ものと解説しているのは興味深い。拉致問題そのものを説明するより、その解決のために経済制裁を求めることに重点を置くのが昨年6月以降の運動方針だったが、今回元に戻ったという。第二回小泉訪朝後に起こった家族会バッシングが方針転換に影響したようだ。

拉致問題の排外主義的利用に反対するで書いた通り、経済制裁の要求が中心になってからの救う会は排外主義的傾向が目立ち、支持できるものではなくなっていた。拉致被害者の救出という原点に帰ってくれるのであれば歓迎できる。不当なバッシングに屈した形になっているのは残念だが。

「自由北韓放送と統一連帯が衝突」という韓国紙の報道には驚かされる。脱北者によるインターネット放送に対し、進歩派の市民団体「南北がひとつになろうとしてるところに、(自由北韓放送が)北朝鮮を刺激する放送をするなど、平和に逆行することをしている」と放送の即時中断を求めたという。平和のために自由を捨てろ、と言っているようなものだ。いったい何のための平和なのか。

2004年6月 7日

南北コリアと日本のともだち展

tomodachi2003.jpg7月7日から14日にかけて、都内で「南北コリアと日本のともだち展」が開催される。韓国、北朝鮮、日本の子どもたちから募集した絵を展示するイベントだ。今年が四回目になる。

飢餓、強制収容所、拉致、植民地支配。北朝鮮をめぐる話題はこの上なく暗いものばかりなのだが、この「ともだち展」だけは違う。子どもたちの自由な想像力を見ることができる。といっても北朝鮮の子どもたちの絵はちょっと元気がないのだが。(写真は昨年の第三回のもの。)

「ともだち展」は現在賛同人を募集している。3000円以上の賛同金を下記の口座に振り込んでください、とのことだ。

郵便振替:
口座名:「南北コリアと日本のともだち展」
口座番号:00100-4-540884

銀行口座:
東京三菱銀行 上野支店(店番065)
口座名:「南北コリアと日本のともだち展」
普通1492754

2004年6月 6日

菅英輝編『朝鮮半島 危機から平和構築へ』

韓国・アメリカ・中国・ロシア・日本の北朝鮮政策をそれぞれ一章を割いて分析。

李弘杓氏は、金大中政権以来の太陽政策にもかかわらず軍事にかかわる南北対話がほとんど進んでいないことを指摘する。核をカードにして日米韓から経済援助や体制保障を得るのが北朝鮮の基本戦略だという。

菅英輝氏は、米朝対立の背景には冷戦終結後のアメリカによる新たな「敵」探しがあったとする。米朝枠組み合意は「制裁と報奨の組み合わせ」として評価。

スコット・スナイダー氏は、中国は北朝鮮から韓国へと外交の軸を移しつつある、という認識に立ち、米中は核も戦争も体制崩壊も望んでいないという点で利害が一致している、と整理する。

文首彦氏は、ロシアが進める多国間協力の枠組みについて、アメリカの影響力を減らすという肯定的な側面と朝鮮半島の自主的な統一を遠ざけるという否定的な側面を指摘。

奥薗秀樹氏は、金大中政権による南北和解やクリントン政権による米朝和解によって日本は取り残されつつあったが、ブッシュ政権の登場で日本は対話路線の韓国と強硬路線のアメリカの中間というポジションを得た、と解説。その結果が日朝首脳会談で、日本は外交交渉としては異例なほどの成果を挙げたという。そして、アメリカとともに「圧力」を加えるばかりでなく、韓国と協調しつつ北朝鮮との「対話」を重ね、北朝鮮を国際社会の責任ある一員へと変えていくべきだ、と主張する。

出版:社会評論社、2004年4月
推薦度:★★★

東北アジア人権ブログ

北朝鮮関係のいくつかの掲示板でよく投稿しているMさんがウェブログを始めたようだ。「東北アジア圏を中心にした世界の人権情報などを掲載していく予定」とのこと。歓迎したい。もう掲示板の時代は終わり、これからはブログだと思う。

ついでに極東非公式条約機構というブログも紹介しておく。朝鮮総連第20回大会に関するニュースをわざわざ特別カテゴリを作って紹介しており、総連の支持者と見られる。北朝鮮評論家リストでは李英和さんについて「RENKの集会では朝鮮総連に叩きのめされた」などと書いている。コワイね。

2004年6月 5日

今週の北朝鮮(2004/05/29-2004/06/04)

私は韓国のニュースは中央日報朝鮮日報で確認しているのだが、最近の中央日報には北朝鮮の人権問題はほとんど出なくなっている。朝鮮日報は北朝鮮の人権問題に熱心なのに対し、中央日報はときどきブレる。現在は宥和主義になっているようだ。5/25のコラムでは、植民地支配の歴史をもちだしながら日本国内の北朝鮮バッシングを批判。6/1のコラムでは、ロサンゼルスで「一部保守団体」が北朝鮮の外交官に対して反対デモを繰り広げたことを非難している。

朝鮮総連の第20回大会に関しては総聯の再生を願うネットフォーラム21の掲示板で出席者が感想を書いている。負け犬の遠吠えあり、誹謗中傷あり。新しい動きが出てきそうな感じはあまりない。

2004年6月 2日

飯塚繁雄『妹よ』

1978年に拉致された田口八重子さんの兄による手記。

拉致された当時、田口さんには二人の幼い子どもがいた。著者はそのうちの一人、耕一郎さんを引き取り、養子として育てる。1987年に大韓航空機事件が起こり、田口さんが犯人の教育係だったことが明らかになると、著者の家族はマスコミの取材攻勢にさらされた。興味本位でプライバシーを暴きたてるマスコミを著者は「すべてが敵でした」と振り返る。しかし2002年9月の日朝首脳会談をみて家族会の一員として活動することを決意した。2004年2月には耕一郎さんも参加。

大韓航空機事件の報道に関してマスコミから謝罪があった、という記述は、残念ながらない。

出版:2004年5月、日本テレビ放送網
推薦度:★★★★★