現石垣市長の犯罪ー反響の大きさ
皆様、ありがとうございます。反響がどんどん大きく広がっています。メディアへも皆様のアドバイスより、出ていってもいいと覚悟もしているところです。
起訴についても知識がないので、調べてみます。
当時、仲里オーナーが事件後半年、亡くなりました。46歳という若さでした。夫婦で、謝るために私の実家の母の所へ通っていると聞いていました。発病する前のこと。
9月15日の事件発生
10月1日より、仲里夫婦の長男が私の部下として勤務。
1月4日、仲里夫婦から助けて欲しい、許して欲しい、すぐ病院へ来て欲しいと電話があった。
二人の息子が部下として置かれて、まずスタッフからは、この人が一声かければ市長は誰でも採用するというバッシングが始まった。部課長に、
「仲里さんを辞めさせるか、私を辞めさせるか、どちらかで決断下さい」 と私は訴えている。
同時期、看護学校へ復職しようと、私の長男を沖縄本島へ転校させた。石垣市役所を辞職する覚悟を決めている。進学クラスに籍を置いていた長男は、理数系から文系へという変更しか方法がなく、県立でしたので、彼には痛いこと。
しかし、事件を知っている部課長クラス、不当人事、
この不穏な空気は、組合からの圧力として、日々、私が受けている。
体重が落ち始めた。
要因となった相手から突然の電話。
病院で末期癌の告知を受けてパニックを奥さんのほうが起こしている。
卑怯だと今なら思う。私は看護師、すぐに琉球大学病院へ搬送の手配を始めた。
翌年、2月27日、亡くなられた。私も、残された娘さん、息子さんを見て胸が潰れる思いだった。
彼女は小学校の同級生、集団就職で沖縄を出て仲里さんと出会い、頑張って一代で店を出した。葬式は立てない彼女を支える側に置かれた。
事件を起訴する気持ちが萎えた。自分がここを出ればいい。
息子が、文系の発展クラスの一つ分の空きに受かったと電話が入る。
仲里さんのご遺体と息子が帰ってくる便が同じだった。
状況を知らず、理不尽な転校にも不平を言わない、生きていくのは大変なこと、走り回っている母さんに言えなかったよ、かわいそうでと、文系に移ることがいかに不利になるか。
過去を書くのはきつい作業。
生活者は、政治家とは違うところで繋がりがある。
仲里さんの娘さんと私の長女は3月1日に高校を卒業した。29日は葬式だった。
気持ちが落ちた。
| 固定リンク
コメント