朝鮮民主主義研究センター

2009年10月19日

サハリン在住朝鮮人の帰属をめぐる戦後史

アンドレイ・ランコフ氏がサハリン在住朝鮮人について書いている。在日コリアンの場合とよく似た問題がサハリン在住朝鮮人にも起こっていたことが分かるので、要点を簡単にまとめて紹介したい。

サハリン在住朝鮮人の歴史は1905年に日露戦争の結果として南樺太が日本領になったときに始まる。1930年代、日本の当局が朝鮮人労働者を募集し、南樺太に送り込んだ。1940年からは徴用も始まった。1945年の終戦時に南樺太には25000人の朝鮮人がいた。その多くは南朝鮮(現在の韓国)の出身者だった。

ソ連政府は南樺太に住んでいた日本人を全員日本へ送還したが、朝鮮人の帰還は認めなかった。その後朝鮮半島の分断が決定的なものとなると、ソ連政府が朝鮮人たちを韓国に帰すことは政治的に不可能となった。1952年に日本政府は在日朝鮮人が持っていた日本国籍を剥奪した。朝鮮人たちは無国籍となった。1953年にソ連政府はソ連国籍の取得を認めたが、大半の朝鮮人はソ連国籍を取得しなかった。帰国の可能性を信じていたためである。

1940年代後半にはソ連当局が北朝鮮で労働者を募集してサハリンに送り込んだ。漁業における労働力不足を解消するためである。ロシア語を話さない北朝鮮労働者とロシア人との間の通訳として、また北朝鮮労働者をイデオロギー的に教育するため、中央アジアに住む朝鮮人も送り込まれた。1956年の時点で1945年以前から住む無国籍の朝鮮人は21251人、北朝鮮からきた朝鮮人は8748人となっていた。

1950年代後半には日本における帰国事業と並行する形で北朝鮮当局がサハリン在住朝鮮人への働きかけを強め、北朝鮮国籍を取得するよう宣伝した。1958年の調査では、無国籍の朝鮮人のうち9836人が無国籍の継続を希望し、6346人が北朝鮮国籍の取得を希望し、1008人がソ連国籍の取得を希望した。1950年代後半から1960年代初頭にかけて約4000人の朝鮮人が北朝鮮への「送還」を申請した。

しかし送還された朝鮮人たちはすぐに自分たちの選択が大きな間違いだったことに気づいた。サハリンに残った朝鮮人の間で北朝鮮の評判はガタ落ちとなった。しかしいったん取得した北朝鮮国籍を放棄してソ連国籍を取得するのは困難だった。北朝鮮当局が認めなかったためである。そこでソ連当局は北朝鮮当局の承認がなくてもソ連国籍の取得手続きができるようにした。

今週の北朝鮮(2009/10/10-2009/10/16)
投稿者 kazhik : 2009年10月19日 11:00
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