博多情緒めぐりスポット一覧
天平宝字元年(757年)の創建。博多祇園山笠のフィナーレである追山も櫛田入りからスタートします。
全国に二千数百ある住吉神社の最初の神社で、御本殿は国の重要文化財、能楽殿は福岡市文化財に指定されています。
大同元年(806年)に唐から帰国した空海(弘法大師)が日本で最初に開いた真言密教のお寺。
仁治三年(1242年)に宋人貿易商・謝国明が建立し、聖一国師が開いた禅宗寺院。
神屋宗湛や伊藤小左衛門など博多豪商の墓があることで有名。「ういろう」伝来の地とも言われています。
那珂川から今の福岡一帯が入海であった頃、漁師の網に人魚が掛かり、それを手厚く埋葬したとされる伝説で有名なお寺。
慶長五年(1600年)に黒田長政により現在の地に再建され、黒田家の菩提寺となりました。
明治期の高僧である七里恒順和上は境内に龍華孤児院を作るなど社会貢献に尽くした寺としても有名です。
建暦二年(1212年)に開山。室町時代の木造善導大師立像、朝鮮高麗時代の地蔵菩薩像など多くの文化財を所蔵しています。
中には観音堂と閻魔堂があり、閻魔大王の像などがあります。また「こんにゃく婆さん」と親しまれる「奪衣婆」の像も。
寺院内に博多人形の創始者から四代目にあたる正木宗七作の延命地蔵を本尊とした人形堂や、大心和尚の寿像があります。
太閤町割りの博多七堂の一つ。普賢堂のある通りは、昔は「芸能横丁」と呼ばれるほど多くの芸能人が住んでいたと言われています。
渡唐口とは太閤町割りの七口の一つで、当時はここから遣唐使が大陸へ向かったと言われており、石碑が鏡天満宮の脇にあります。
下町の風情が残る富士見坂にある2つの地蔵尊は、疫病退散のご利益や町内の不思議な出来事に因み祀られるようになったとのこと。
「無実の罪を負わされる」という意味の「濡れ衣」の語源で有名な碑。
博多小学校に併設されている石塁遺構展示室で、元寇防塁の遺跡を見学することができます。
戦国時代、焦土と化した博多の町の復興の際、焼け跡に残る石や瓦を埋め込んで作られた土塀。櫛田神社などで見られます。
豊臣秀吉が千利休に切腹を命じた事件で、京都の大徳寺を配流になった古渓和尚を迎えるために造られた住居の跡。
密貿易の罪で一族郎党ともに処刑された博多の豪商・伊藤小左衛門の子、小四郎(当時五歳)と萬之助(当時三歳)を祀る神社。
享保十七年(1732年)に起きた大飢饉の約6000人ともいわれる犠牲者の霊を弔うために祀られている地蔵尊。
沖濱稲荷神社に建てられており、博多座に出演する俳優がお参りする姿も見られます。
東京駅を設計した辰野金吾が設計し、明治四十二年に竣工した建築物。昭和四十四年に国の重要文化財指定を受けています。
明治時代のフレンチルネッサンスを基調とする数少ない木造公共建築物として、国の重要文化財の指定を受けています。
住吉神社の北側に位置する日本庭園。季節の花木を配置し、博多塀を再現。茶室棟なども整備され情緒ある雰囲気を作っています。
大正~昭和初期の優れた数寄屋建築の意匠が残る建物で、福岡市としては初めて国の有形文化財に登録されました。
川端商店街にある、日本一甘いと評判の「川端ぜんざい」が食べられることで有名。博多祇園山笠の飾り山笠が常設されています。
明治二十一年の博多駅開業当時、駅のあったこの場に開業90年を祝う石碑が建てられました。
福岡を代表するウォーターフロント。市営渡船や博多湾クルーズ船などの旅客ターミナルがあります。
明治中期の博多織の織元「三浦家」の町家(住居兼工房)を平成七年に移築復元し、当時の博多の暮らしを再現しています。
「芸どころ博多」を象徴する劇場で歌舞伎やミュージカルなどを興行しています。