1966年に「ラブユー東京」を大ヒットさせ、60年代ムード歌謡ブームの一翼を担ったロス・プリモスの大黒柱が、天に召された。
サンケイスポーツの取材に応じたメンバーの上野旬也(60)や関係者よると、森さんは一昨年1月に心筋梗塞で倒れ、手術。その後も定期的に検査を受けていたが、体調がすぐれず、19日から入院予定だった。その矢先の17日、自宅で倒れ、東京・慶応大学病院に緊急入院。メンバーが駆けつけた時は意識がなく、翌18日午後1時、家族に看取られて亡くなった。
1961年結成された「黒沢明とロス・プリモス」に、森さんは65年に加入。66年に「涙とともに/ラブユー東京」でデビューし、同シングルを記念すべきオリコンチャート第1回発表で1位に輝かせた。
通院しながら音楽活動を続けていた森さんは、「具合が悪いことを一切表に出さない頑固な男だった」(上野)。今年7月31日の三重・長島温泉でのコンサートが生涯最後のステージとなった。
ロス・プリモスは、18日も埼玉・東松山市でディナーショーを予定していたが、急きょ森さんの代役に、良きライバルだった鶴岡雅義と東京ロマンチカのボーカル、三條正人(66)を迎えてステージをこなした。
8月に、メンバーらで森さんの70歳を祝う「古希」のパーティーが開かれた際、手術後は控えていた大好きなお酒を、森さんはうれしそうに口にしたという。上野は「どうしてそんなに早く逝ってしまうんだ。家族よりも一緒にいる時間が長くて、足音を聞いただけでわかるくらいみんな仲が良かった。もっと一緒に歌いたかったし、頑張っていてほしかった」と無念をにじませた。
近親者による密葬を行い、後日、お別れ会を開く。喪主は妻、富美子(とみこ)さん。