“相談できる”心強さ
実父様のケアに際し、当初は戸惑ったという山口さん。「たまたま父が通っていたクリニックに相談申し上げたのがきっかけで、その方からケアマネジャーさんを紹介して頂き、区役所の方々にも大変お世話になりました。“相談できる”ということは、やはり心強いですね。一人で抱え込んでいたらどうにもなりませんでしたから。相談にのっていただく以外にも、入院にも付き添っていただけましたし、お医者様との話にも立ち会ってくださいました」。冷静な判断、助言をくれたケアマネジャーに、今でも感謝していると言う。
また、担当医の力も彼女にとって大きな支えだったようだ。
「プライドの高い父だったので心配でしたが、上手に対応してくれるんです。お医者様はいろんな患者さんを相手にされて様々なケースをご存知ですから。父には上からものを言うのではなくて、冗談交じりに言うのが効果的のようでした。例えば、私のことが分からないと言い出したことを先生に言うと、『ダメじゃないですか、女性の名前は覚えていなくちゃ、お父さん』なんて言ってね(笑)。あ〜、うまいなと思いました。冗談でやわらかくオブラートに包んで言えるというのは」。病院に任せて良かった。そう心から思ったそうだ。
|
 |
「お薬にしても、言葉にしても、さじ加減ひとつで穏やかな父に戻りますから。やはり、プロの方々に早いうちから協力してもらうということは、必要なことだと思いますよ。専門家とチームを組んでいかなければ、私と親戚だけだったら収拾がつかなくなっていたと思います」。
必要なケアを見極める
「私にとっては選択の余地のない入院でしたから納得していますけれど、父の兄弟にとっては、病院にいることは受け入れ難いことのようでした。高級なホームに行き、『檜風呂のあるホームが気に入ったから』と話をつけてしまったこともありました。でも、徘徊も頻繁だった当時の父に必要だったのは、快適な環境よりも、身の回りのことをしてくれて、安全を確保してくれる環境でした。ケースバイケースで、その人に必要な環境をきちんと見極めることが大切。お金を出せば良いところで生活ができるでしょうけれども、そこでのサービスが患者さんには全く不要かもしれないですから。父の場合は、もともと病院好きで気に入っていたんですよ(笑)」と当時を振り返る言葉の節々からは、実父様への深い愛情が垣間見えた。
「父は、自分がいる場所を病院ではなく外国船だと思っていて、普通の日本人のおじいちゃん、おばあちゃんなのに、『これはロルフ、これはロバート、彼がコック長で…』なんて私に紹介するんですよ。まわりは哀しく捉えますけど、本人は幸せなことなんですね。私は調子を合わせて『あら、そう』なんて言えるんですけれど、無茶苦茶なこと言い出す病気の現実に、伯父は悔しさを露わにしていました。肩を揺さぶって『しっかりしろ!』ってね」。
実父様の様子も徐々に安定し、「お見舞いに行けない日も信頼して病院に全て任せられた」と言う山口さん。最期は腸捻転(ねんてん)という病気が命取りになったそうだ。
「普通、我々が腸捻転になったら立っていられない程の痛みのはずですが、父にはそれを表現する能力が無くなっていたんです。気づいた時には病院から『処置できないから別の病院に移していいか』と言われるまでに悪化していました」。
転院先では、入院手続きを行う前に即手術に。ところが、以前から軽い糖尿病だったのが災いしてか、傷口が完治せず、3カ月後にご逝去された。
「腸捻転で亡くなる人なんていないと思うけれど、“ここが痛い”と正確な意思表示ができなかったばかりに死期を早めたのは、可哀想でした。アルツハイマーの怖さは、そこにあると思います」。
|