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西邑 由記子さん

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 私のものだけにはしたくない…  父の最期が教えてくれたこと。


様々な専門家の方に
支えてもらったからこそ
私の“今”があるのです。

 「私の場合、介護しながら家庭もあってという状況にはなかったので、『介護をした』なんて言えません」。そう話すのは、タレントを休業後、現在は横浜・中華街でアメリカやヨーロッパの輸入雑貨店を経営している山口美江さん。仕入れはもちろん、時には扱う商品のデザインも行い、掃除から包装紙の買い揃えまで全てご自身で行っているとのこと。小規模店舗経営のノウハウを書いた成功術の著書は、夢を抱く女性たちの間で支持されている。才女と呼ぶにふさわしいその実力で「店舗を持ちたい」という夢を叶え、現実を見据えつつ楽しんでいる様子が伝わってきた。
 そんな充実した日々を過ごす山口さん。他界された実父様の話を伺うと、「父の最期は、大変な勉強をさせてもらった一年」だったと語る。

アルツハイマーという病気

 16歳で実母様が他界し、父と娘の二人暮らしとなった彼女に、最愛の実父様との別離が訪れたのは平成18年のこと。

 「父がアルツハイマーという診断を受けたのは4〜5年前。実際の発病はもっと以前からになるのかもしれません。貿易商としてバリバリ働いていましたが、68歳で引退して家に居るようになってから変わっていったように思います。お医者様には、ハッキリと『アルツハイマーです』と言われました。『人によってどんな症状が出てくるか予測できないけれども、最初はゆっくりあとは一気に進んで、やがてはあなたの知っているお父さんではなくなると思うけれど…』と宣告されたので、それほどショックは受けませんでした」。しかし、日々の変容に驚かれたそうだ。
 “一気に進む“と言われた状況の訪れは、山口さんの店舗のあるビルの改修工事による休業期間中のことだった。
 「症状の悪化は徐々に始まってはいたんです。記憶が子どもの頃にさかのぼっていくのを目の当たりにしました。あんなにハッキリとわかりやすい病気だとは思いませんでしたね。ある日突然味覚がわからなくなって、酢の物にケチャップをかけたり。私のことを自分の母親だと思うようにもなっていましたから。それでも母が亡くなってから、私と父の間には30年という歴史があるのだから、何とかなる。私一人でも大丈夫だと思っていました。ところが、記憶の飛び方も凄まじくなってしまって…。お店の休業から1カ月が過ぎた頃には、もう無理かなと思ってしまうほどに進行してしまったんです」。
 症状悪化の早さは1カ月で介護レベル1から介護レベル4と診断されるほど。「入院する日にはシャツも着られなくなっていました。危機一髪で入院したという感じです」。徘徊も頻繁になり、かかっていた精神科専門の病院への入院を決めたそうだ。
 親の激変ぶりを受け止めるのは辛くなかったか尋ねると、「驚きはありましたけど、これは病気のせいだと思うしかないんですよね。悔しい反面、“これは病気が言わせているんだから”と。それに5分もすると全て忘れてしまうんですよ(笑)」と、印象的な笑顔で話してくれた。
 「都度言い争っても怒っても仕方がないので、話を合わせてしまう。そうしたほうが私はラクでした。ただ、父の人間の部分を神様が奪っていくといった残酷さを感じていました。でも、本人にとっては、自分の一番良き時代に戻っていくわけですから幸せだったんだと思います」。


“相談できる”心強さ

 実父様のケアに際し、当初は戸惑ったという山口さん。「たまたま父が通っていたクリニックに相談申し上げたのがきっかけで、その方からケアマネジャーさんを紹介して頂き、区役所の方々にも大変お世話になりました。“相談できる”ということは、やはり心強いですね。一人で抱え込んでいたらどうにもなりませんでしたから。相談にのっていただく以外にも、入院にも付き添っていただけましたし、お医者様との話にも立ち会ってくださいました」。冷静な判断、助言をくれたケアマネジャーに、今でも感謝していると言う。
 また、担当医の力も彼女にとって大きな支えだったようだ。
 「プライドの高い父だったので心配でしたが、上手に対応してくれるんです。お医者様はいろんな患者さんを相手にされて様々なケースをご存知ですから。父には上からものを言うのではなくて、冗談交じりに言うのが効果的のようでした。例えば、私のことが分からないと言い出したことを先生に言うと、『ダメじゃないですか、女性の名前は覚えていなくちゃ、お父さん』なんて言ってね(笑)。あ〜、うまいなと思いました。冗談でやわらかくオブラートに包んで言えるというのは」。病院に任せて良かった。そう心から思ったそうだ。


 「お薬にしても、言葉にしても、さじ加減ひとつで穏やかな父に戻りますから。やはり、プロの方々に早いうちから協力してもらうということは、必要なことだと思いますよ。専門家とチームを組んでいかなければ、私と親戚だけだったら収拾がつかなくなっていたと思います」。

必要なケアを見極める

 「私にとっては選択の余地のない入院でしたから納得していますけれど、父の兄弟にとっては、病院にいることは受け入れ難いことのようでした。高級なホームに行き、『檜風呂のあるホームが気に入ったから』と話をつけてしまったこともありました。でも、徘徊も頻繁だった当時の父に必要だったのは、快適な環境よりも、身の回りのことをしてくれて、安全を確保してくれる環境でした。ケースバイケースで、その人に必要な環境をきちんと見極めることが大切。お金を出せば良いところで生活ができるでしょうけれども、そこでのサービスが患者さんには全く不要かもしれないですから。父の場合は、もともと病院好きで気に入っていたんですよ(笑)」と当時を振り返る言葉の節々からは、実父様への深い愛情が垣間見えた。
 「父は、自分がいる場所を病院ではなく外国船だと思っていて、普通の日本人のおじいちゃん、おばあちゃんなのに、『これはロルフ、これはロバート、彼がコック長で…』なんて私に紹介するんですよ。まわりは哀しく捉えますけど、本人は幸せなことなんですね。私は調子を合わせて『あら、そう』なんて言えるんですけれど、無茶苦茶なこと言い出す病気の現実に、伯父は悔しさを露わにしていました。肩を揺さぶって『しっかりしろ!』ってね」。
 実父様の様子も徐々に安定し、「お見舞いに行けない日も信頼して病院に全て任せられた」と言う山口さん。最期は腸捻転(ねんてん)という病気が命取りになったそうだ。
 「普通、我々が腸捻転になったら立っていられない程の痛みのはずですが、父にはそれを表現する能力が無くなっていたんです。気づいた時には病院から『処置できないから別の病院に移していいか』と言われるまでに悪化していました」。
 転院先では、入院手続きを行う前に即手術に。ところが、以前から軽い糖尿病だったのが災いしてか、傷口が完治せず、3カ月後にご逝去された。
 「腸捻転で亡くなる人なんていないと思うけれど、“ここが痛い”と正確な意思表示ができなかったばかりに死期を早めたのは、可哀想でした。アルツハイマーの怖さは、そこにあると思います」。


独身親子の介護生活のため

 「話している内容はデタラメだけれど、何を尋ねても即答なんです。それも嘘八百で(笑)。頭が良いのか悪いのか…、と従兄弟にもよく話しました。もともと面白くて明るい人だったので、思わず笑ってしまうことばかりが浮かんできます」とおっしゃる通り、取材中に明かして頂いたエピソードは、驚きつつも笑ってしまう逸話ばかり。ここでは伝えきれず残念だが、詳しくはこのほど発行されることになった著書『女ひとりで親を看取る』に綴られている。
 「これから、私のようなケースの方が増えてくると思うんですね。独身でそれなりの年齢の両親がいて、自分が仕事をしながら介護をしなくちゃいけない、変わっていく親を看なくてはいけない、という方が。私自身、ハッと気付くと親の傍には自分しかいないという状況でした。それからは、初めて体験することばかり。まさか親の後見人になるなんて思ってもいませんでしたし、区役所ともそれまでは縁遠かったですし、アルツハイマーの方が30人もいるところなんて行くこともないでしょ? 父の病気を通じて、人間として勉強になりました。マイナス面だけじゃなかったな、と。これから、他の方が同じようなことを経験するにあたって、ちょっとでも参考になればと思い、本を出すことにしたんです」。

 新刊を出すことで、どんなことが始まっていくのかは分からない。何かを大きく仕掛けていこうとも考えていない。それは今まで「希望とか夢を抱いても、なかなか自分の我は通せない」という体験から、ある程度流れに乗ることが必要で、あまり先まで夢を見ないというポリシーを持つ山口美江さんならでは。その時々の状況で、やってみたいと思うものが見つかれば手を伸ばすという感じなのだそう。
 「私なりに最善を尽くしましたから、次に何が来るのか、何を夢見るのかが今のテーマです」。柔らかい眼差しの中からは、確かな自信が伝わってきた。


山口美江(やまぐちみえ)

profile
1960年 神奈川県生まれ。
 小学校から高校まで、横浜のサンモール・インターナショナルスクールに通い、上智大学外国語学部を卒業。エスティローダー(美容メーカー)でマーケティング、ワーナー・ブラザーズで社長秘書を経験。その後、通訳を経て、テレビ朝日のCNNキャスターでタレントデビュー。主なテレビ番組に、「天才たけしの元気が出るテレビ」「世界まるごと2001年」など。1989年には映画「あ・うん」に出演。1996年にタレントを休業。
 現在、横浜にある輸入雑貨店「グリーンハウス」を経営。著書に『山口美江がそっと教える小さなお店を成功させる15のヒント』『山口美江という私』。

 
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