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今週の本棚:渡辺保・評 『二代目--聞き書き中村吉右衛門』=小玉祥子・著

 (毎日新聞社・1890円)

 ◇苦難の末に見いだした古典の中の現代性

 歌舞伎時代物の第一人者吉右衛門の聞き書きである。

 しかし吉右衛門の人生には多くの苦難があった。

 苦難の第一は生まれながらにして、祖父であり、昭和の名優であった初代吉右衛門の養子になって「二代目」を継がなければならない運命の重圧であった。ある日、吉右衛門は、祖母であり養母でもある初代吉右衛門夫人に面と向って「二代はたたずと言うからね」といわれた。むろん励ましの言葉だが、少年には大きなショックであった。芸界の厳しさ。しかも初代が死ぬや周囲は手のひらを返したように冷たくなる。

 第二の苦難は、長身〓躯(そうく)、顔が小さいことであった。門弟吉之丞(きちのじょう)によれば吉右衛門は小さい頃(ころ)から顔が大きくなりたいといっていた。歌舞伎役者には向かない容姿。さらに声変わりが長く続いて声が出なくなった。「法界坊」の、若き日の吉右衛門の野分姫(のわけひめ)からは、今日の吉右衛門の立派な容姿や声を想像もできなかった。

 苦難はさらに続く。実父白鸚(はくおう)、兄幸四郎とともに東宝へ移籍するや、兄幸四郎はミュージカルスターとして華々しい脚光を浴びるが、吉右衛門には思うような役が廻(まわ)ってこない。東宝の重役菊田一夫には「君は歌舞伎だけやっていればいいんだよ」といわれるが、その歌舞伎をやる場所がない。

 こういう苦悩の果てに転業、渡仏、死ぬことまで考えた。

 その中でついに古典歌舞伎に一筋の活路を見出(みいだ)していく青年の人生が描かれていて読者の胸を打つ。さながら小説を読むかの如(ごと)くである。

 そしてやがて役者こそ我が天職と思う日がやってくる。そのとき吉右衛門を導いたのは実に祖父初代の芸の研究だった。

 たとえば「熊谷(くまがい)陣屋」の熊谷の首実検。初代だと舞台の全員に対する芝居があって、だれに言っているせりふか言い回し一つでわかる。吉右衛門は初代の映画から、それを研究した。あるいは物語。熊谷のせりふでその場にいない人間、あたりの情景が浮かんでくる。どうやればそうなるのかを必死で研究している。芸談としてもここが一番面白いところであり、歌舞伎の面白さが誰にでもわかるところである。

 しかも吉右衛門は声量がない。はじめから大きな声ではつづかない。それを大きな声を出しているように聞かせる工夫がいる。そうしなければ肝腎(かんじん)なところで肺腑(はいふ)を抉(えぐ)るようなせりふ廻しにならない。

 今日でこそ吉右衛門はせりふがうまいといわれているが、そこへくるまでにはこれだけの工夫があった。

 こういうプロセスを経て吉右衛門は初代の芸を受け継ぎながら、初代とは違うドラマの現代性を発見していく。

 たとえば「俊寛」。初代の俊寛はあくまでお芝居の俊寛。しかし吉右衛門のそれは二十一世紀の現代人の胸を打つドラマになっている。そうなったのは吉右衛門が自分の命を捨ててまで若い成経や千鳥を救いたいという人間像に到達したからであり、古典のなかにシェイクスピアにも劣らぬ輝きを発見したからである。

 「新しい歌舞伎を創造するつもりはありません。創造には破壊を伴うからです。かといってただ修復して昔からの伝統を保存していくだけでよいとも思いません。僕はね、まだ歌舞伎は未完成だと思うんですよ。……我々のやっていることに終わりはありません。アントニオ・ガウディの教会が百年以上経過した今でも、建設途上であるように」

 この言葉を引き出したのは、この聞き書きをした本紙学芸部の小玉祥子のお手柄である。

毎日新聞 2009年10月11日 東京朝刊

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