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石原慎太郎エッセイ「日本よ」

2006年4月3日発売の産経新聞より転載 
産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/

「失われようとしている子供たちのために」

 生徒の死亡事故の責任を問われ服役していた戸塚宏氏がこの四月に刑期を終えて出所してくる。戸塚氏は服役中保釈を申請することなく、あくまで刑期を満了した上で悪びれることなく以前と全く同じ所信で、歪んでしまった子供たちの救済再生のためのヨットスクールを再開運営していくつもりでいるという。
  私は彼の支援の会の会長をしているが、事件への冷静な分析と反省も踏まえて彼が再開するヨットスクールで、多くの子供たちを救い蘇らせていくことを期待している。

 かつて戸塚ヨットスクールにおいて救済再生させられた子供たちの確率は瞠目すべきものだった。スクールに送りこまれてくる子供たちの急速な再生を見取ってきた地元の警察の認識は、署長が関わり深い有力者から頼みこまれて密かに入校の順番繰り上げの便宜を図った例が多々あったほどだった。事件発生当時の署長の痛恨の談話もそれを証していた。

 戸塚ヨットスクールの子供救済再生の原理は極めて端的なものだった。それは動物行動学の権威コンラッド・ローレンツの唱えた脳幹論にのっとったものだ。つまり子供たちのひ弱な脳幹を鍛えなおすことで子供のこらえ性を培う。演習のために特別にデザインされた、極めて乗りにくい小型のヨットに子供を一人で乗せて、こらえきれずに転覆した船を自力で元に戻し船にはい上がってはまた帆走させる作業の反復だ。それによって自力での努力の末の達成感を味わわせ、その満足が不思議なほど早く子供たちに自ら一人前としての充実感を与え彼等をタフな人間に変えてしまう。

 ローレンツは『幼い時期になんらかの肉体的苦痛を味わうことのなかった子供は成長しても不幸な人間になりやすい』といっているが、それは人間が他者との摩擦に晒される社会の中で生き抜いていくために不可欠な健全な脳幹の必要性を意味している。脳幹はその名のごとく脳の中で致命的に重要な部分であって、人は大脳の一部を失っても生き続けることは出来るが、脳幹が少しでも損なわれると生きることは出来ない。人間の喜怒哀楽の感情、寒さ暑さへの反応、発奮、意欲、我慢といった内的な反応を伴った行動はすべて脳幹から発信して示される。

 現代の特性として子供たちの脳幹そのものがひ弱なものになってしまっているのだ。原因は現代社会の豊穣さと平和がもたらした安逸であって、貧困と欠乏は人間に我慢を、強い不安は緊張をもたらすが、それが淘汰されてしまうと、人間は安逸の内に自堕落となりこらえ性を失い安易な衝動に容易に身をまかせてしまう。

 暑いといえば冷房、寒いといえば暖房、お腹が空いたと訴えれば容易に間食をあてがわれる子育てでは子供の脳幹は安易に放置されるまま動物としての耐性を備えることが出来はしない。それは同じような環境で育てられてきて耐性を欠いた当節の大人、若い親たちにしても同じことだ。

 私が勾留中の戸塚氏を激励に訪れた折、集まったかつてのヨットスクールの生徒とその親たちを眺めてその対照的な印象に驚かされたものだった。救済再生された少年たちのタフでしゃんとした態度に比べて彼等にただまとわりついているだけの母親、父親たちの様子はどちらが親でどちらが子供なのか見間違うほどのものだった。ああした親たちには子供以上の脳幹の衰弱欠陥があるのではないかと思わされたものだ。

 脳幹が健全に育たぬ子供にはその一方テレビやパソコンによって過剰に刺激的な情報を供給され、大脳だけが肥大化しいわば頭でっかちとなり、肝心の脳幹は細く、例えていえば実がなり過ぎた幹の細いリンゴの木のようなもので、いったん強い風が吹きつけると実の重さを支えきれず幹が折れ木そのものが倒れてしまう。防波堤の低い港に逃げ込んだ船にも似て外側の海が時化て波が高くなると、容易に波が壁を越えて打ち込み船は破損される。つまり厳しい世の中には通用しない人間にしかならぬということだ。

 現代日本の子供たちは大方そうした豊穣のもたらす毒に冒されているといえそうだ。いつかある外国の雑誌に渋谷近辺にたむろする若者たちの写真が載せられ、そのキャプションに『世界で一番豊かで、一番哀れな子供たち』とあった。

 今日子供たちに関する不祥な出来事がさまざまに多いが、彼等が被害者にせよ加害者にせよ、その責任は彼等にこらえ性をしつけずにきた我々大人のいたずらな物神性にあることに間違いない。私自身は以前からこの今にこそ新しいストイシズムが必要なはずだと唱えてはきたが、それが木霊として返ってきたこともなかった。この豊穣な時代に貧乏の魅力を説き、貧困への憧れを唱えることはただの安易なノスタルジーかも知れないが、ならば他に手を講じて、子供たちにせめて人生における我慢の効用についてくらいは心して伝えたいものだ。

 畏友戸塚宏の社会復帰は子供たちに関する今日の風潮の是正に必ずや強く確かな指針を啓示してくれるものと思っている。我々は我々の責任で、人間としての絶対必要条件である我慢について今こそ教え強いなくてはならぬ。失われつつある子供たちの数は戸塚氏を襲った事件の時よりもはるかに増えているのだ。

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