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お風呂ん中で1発、さらにベットで2発もやっちゃいました(笑)泡まみれで洗いっこしてたら、おちりの穴に指入れられて、おうぅぅとか声出しちゃったよwwhttp://waoooon.net/kime/kvxuj11/
こんばんは、はじめて書き込みさせていただきます。現在20代半ばでこれから先の人生の道に悩んでおります。今の自分の症状ですが、一言で言うと無気力・無感動です。意志力もなく、何にも興味がわかないという状態です。大学3年ぐらいのときに極度の気分の落ち込みを経験し、以後、気持ちの波に翻弄されながらもなんとか大学を留年せずに卒業しました。それから就職したものの、ずっと今まで感情がわかない、何かをやり遂げたいという意志力がない、本当の強い気持ちで今の状況を変えたい思いがない、という状態が続いており、ついに仕事を今年の3月に辞め、アルバイトの生活です。とりあえず、以前から興味があった(はずの)教員という仕事をするための教員免許の取得を目指しています。もともと真面目・几帳面・完璧主義で、周りの評価が気になり、本当の自分の気持ちと向き合わずに、自分を押し殺して生きてきました。その結果の病だと確信しています。医者に診てもらい、意欲向上のための抗うつ薬など処方されて飲んでいますが効果がありません。この病にかかってから、この「なんとなく生きている」という状況を変えないと、もとより教員なんかなれるわけがないし、人生で使命を果たすことができないと考えています。なりたかったはずですが、本当になりたいのか今は分からなくなってしまいました。発症したのが大学の3年ですからかれこれ5年ほどになります。本質的には何も変わっていない事実を前に、本当に治るのか、これからずっとこの状態が続くのではないかと考え、時に眠れなくなったり、不安が続いたりします。正直、今は学会活動に対してもどう考えてよいのかちょっと迷っています。というのは、ものごとがうまくいかないのは自分のせいだという自責の念が強く、信心で治さなければいけないと思うのですが、時に折伏目標や決意発表など組織活動がプレッシャーになります。宿命転換には折伏しかないのかなと思うのですが、感情がわかないので相手の幸せを心から願っての折伏は今はできません。はっきり言って、人の人生に興味が持てません。この状態を自分でよいと思っているはずはなく、これではだめだ、といつも感じています。先生そして信心から離れない大切さは分かるのですが、どう活動していけばよいか悩みます。人のことを考えられない今は役職を引き受けたりなどしないほうがよいのでしょうか。
イーヨンさんと同年代くらいだろうと思い、書き込みをさせて頂きます。私の場合は、自分自身のルールをを守る。と言う方法で生きるべき道を確立しました。・・・多分、確立していると思います。この方法はルールを守る分だけ束縛されてしまい自由が一つ無くなってしまう。との欠点がある反面。自分自身の行動の基準となったり、あるいは自分自身のスタートライン、また目指すべきゴールを明確にできる利点があります。もちろん、これは私の方法であって必ずしもイーヨンさんが納得できる方法ではないかもしれません。あくまでも、選択肢の一つだと受け止めて頂ければ幸いです。大切なことは、あなた自身が納得することなのですから。ちなみに、ですが。もしルールを作ろうとするなら、最初は簡単なものから守っていくと良いかもしれません。私の場合は、コーラとポテトチップスを食べない・・・と、そんなところからはじめましたから。
イーヨンさんはじめまして<(_ _)>まずはじめに質問があります。イーヨンさんは「大人ですか?」「子供ですか?」年齢を知っていておかしな質問をすると思われるかもしれませんが、大人になり切らなければ?私は大人なのだ、などのプレッシャーから、常に大人でなければいけないと思っているのではないでしょうか?大人のイーヨンさんは「真面目・几帳面・完璧主義で、周りの評価が気になる」自分を子供の部分を大切にできないから「本当の自分の気持ちと向き合わずに、自分を押し殺して生きてきました」になっているように感じます。自分と向き合うことは、子供っぽい自分を認めてあげることだと思います。イーヨンさんにとって、子供のイメージはどんな感じでしょうか?考えてみてください。折伏、組織活動がイーヨンさんにはノルマになっていませんか?まずは、自分に興味を持つことです。子供の自分見つめてその部分を大切に育ててあげることです。今は、役職を引き受けても同志に真心で接することはできないでしょう?真心を温かいと感じ、真心からの対応ができるようになってから役職をさせていただけるのなら、その時までは一般会員でいる方がいいです。自分の人生の主役は自分自身です。他人の目ではないのです。自分の成長を知るには、自分と比べることです。
>ミンチさんご返信ありがとうございます。自分自身のルールを作って守る、簡単なところから始める、ということですね。ルールを守って生きる道を確立…ちょっと難しそうですが。参考にさせていただきますね。>シリウスさんご返信ありがとうございます。「大人」と「子供」は両方自分の中にいる、ということでしょうか。そうですね、自分は完璧な「大人」になろうとばかりしていたのかもしれません。「子供」というと、遊ぶのが大好きで、時にわがままで、失敗もたくさんしながら生きている、という感じでしょうか。>自分と向き合うことは、子供っぽい自分を認めてあげることこれが大切なことなんですね。こうでなければいけない、と考えがちな自分ですが、シリウスさんの言うように子供っぽい自分を認めてあげたいと思います。こちらもすぐには上手くいかなそうですが、意識していきます。>役職を引き受けても同志に真心で接することはできないでしょう?その通りです。まごころで接することはちょっと今はできません。学会・同志のための役職ですよね。自分のことで精一杯な今は受けるのは一時的に考え直すようにします。
「大人の自分」と「子供の自分」は、オボ先生の最新著書、『病気が治りやすい人、治りにくい人』の第2章にあります。第一章は医学的な話がメインですので、前書きもすっ飛ばして、第二章から読むのをお勧めします^^ 気楽に読んでみてください^^
衆生所遊楽、何事も楽しめるようになるための修行です。子どもは遊びの天才、我が、ままに自分を表現し、失敗しても自分から成長しようとする力があり、どんどん学んで行こうとします。自分の子供の部分を見つめる方法。小さな子どもの頃の自分を思い浮かべて見てください。思い浮かばなければ、アルバムから子供の頃のあまり好きでない写真を選んでください。その子供の自分に「イーヨンちゃん大好き」と語りかけてみてください(語りかけ方に工夫しましょう)。そう言えないのなら「イーヨンちゃん、ごめんね」といってみてください。最初はびっくりしたりするかもしれません。後ろ向きだったり、泣きだしたり怒っていたりしますが、そのイメージの子は次第に元気になりははしゃぎまわるようになったりします。そうなるとかなり自分に感情が戻ってきてるのが実感できると思います。私は、この治療から5年以上経過し私の中のイメージのシリウスちゃんは私の頬にキスしてくれることもあります。可愛いですよ♪
三日坊主の私ですが、一つだけかかさない日課、と言うか月課・・・かな。と、言うのがありまして。それが、月に一度の墓参りです。既に書いたように、私の父は早世しまして。特に何かをしてあげることができませんでした。だから、せめて墓参りは。と、一ヶ月に一度墓参りをしているんです。親孝行が墓参りって言うのも、子供不幸な親だとは思いませんか?いや、もちろん。私の父は精一杯、生きた人でしたが・・・。皆様方も、私のようにはならないようにご注意くださいね。ちょっとことだとしても、何かをしてあげると良いかもしれません。・・・いやはや、少し偉そうでしたね。失礼しました。
Re: 無題 よく分からないが - 2009/10/05(Mon) 16:30 No.3089 学会活動に夢中になって家庭と子供をほったらかし。育児放棄に信心にかこつけた虐待。唱題していると過去に親にされた虐待行為がまざまざと甦ってきます。人を不幸にする広宣流布活動ってなんなんだろう。 -------------------------------------------------------------------------------- Re: 無題 シリウス - 2009/10/05(Mon) 22:43 No.3096 よく分からないさんへよく分からないさんの御両親は人のために信心すれば、幸せになれると信じたのでしょね。自分が幸せでなければ、本当の意味で人の幸せを願えるはずがないのです。人を幸せな気分にもできません。御両親のご両親も経済苦、人とのかかわり、親子関係で苦しんで心すさんだ結果で心がすさんで育児放棄してたかもしれない。御両親は信心にどっぷり浸かることで現実を見ないようにしたかったのかもしれない。過去の系図をたどって犯人探しをしても何の解決にもならない。私は、自分の子供たちは個人であると思っています。子どもは所有物ではないのですよね。広宣流布活動は、まずは自分が一番幸せになって、幸せな自分の心が人をも包み込めるようになって初めて、広宣流布ができるのだと思う。戸田先生の人間革命読むとそう言うことが書いてありますね(^^)
すいませんあなたの趣旨が良く分かりません。。。何を言いたいのでしょう。
>よく分からないが様背景も詳細もわかりませんが、貴女が本当に辛くて寂しい思いをされたのだと言うことは、伝わってきました。親御さんは親御さんのお考えがあったのかもしれないしそのあたりは分かりませんが、いつか、ご両親とお気持ちが通じ合えるようになればよいですね。ご両親はご両親なりの方法で貴女の幸せを真剣に考えられた結果なのだと、そんな風に思います。ただ、それが貴女にはすごく辛い記憶にしかならなかったのは確かに不幸な出来事かもしれませんね。それでも今、題目をあげていらっしゃる貴女を素晴らしいと思います。どうか、誰よりも幸せになっていただきたいと思います。お名前も知りませんが、貴女に題目を送らせて頂きます。
よく分からないさんへ「趣旨が分からない」との書き込みありがとうございます。実はジュリアさんの書き込みの最後の方に書き込まれていたものをコピーしてそのままはりつけました。よく分からないがさんが、書き込まれたものですか?
>かわしんさん会合から帰ってくるなり「ガキは広宣流布の敵だ!仏敵だ!御本尊は見ているんだ!」と叫んだり先生の指導を叫びながら殴ってくる両親は本当に驚異でした。首根っこを捕まえて仏壇の床に顔をこすりつけたり、なんだか今の若い子には聞かせられない話しばかりです。ただ単に狂信で暴力を振るわれた感じです。学校で使う教材も買ってもらえず、苦労をしました。>シリウスさん>よく分からないがさんが、書き込まれたものですか?ますます何がいいたいのか分かりません。。
>よく分からないがさんそんな事がおありでしたか・・・。お辛い思いをなさいましたね。ご両親もなにか大きな勘違いをなさったのですね。本来、学会指導では、子供は「未来部」と呼ぶ通り、我々の将来を託すべき大切な人材とされます。粗末にされていいはずがない。自分は地域のご老人から、「子供は、信心の大先輩が生まれ変わってきている姿なのだから、我々大人の大先輩なんだよ」と教えられました。貴女が味わって来た苦痛は自分には到底計り知れませんが、信心には無駄がありません。宿業に泣かされて翻弄されて終わるはずの人生が、輝きにみちた使命の道へと活かされていくのがこの信心です。貴女には大きな使命がおありになる。心の病と同じくらい、世間ではむごい児童虐待に苦しむ子供たちが犠牲になる事件が日常茶飯のようにあふれかえっています。殺される子供だって毎日のように報道されている。貴女が誰よりも幸せになられ、大勝利の姿を、実証を示されて、輝きに満ちた毎日を送る姿がそういった同じような思いをなさって生きてきた方々にとってどれだけ大きな希望となるか。貴女の使命の大きさを感じてなりません。よく分からないがさん、貴女は素晴らしい大人材です。我々、地湧の菩薩は、末法の悪世にこの仏法を広める為に、この仏法で幸せになれる事を実証する為に、あえて苦労する姿を世間に見せ、演じ、幸せになっていく姿を示していくことで民衆を救っていくんです。自分も、なかなか人に理解されないものを背負って生きています。理解されない孤独、居場所のなさ、いやという程味わってきました。どうしてこんな自分であるのかと悩んだ事も一度や二度ではありません。しかし、その姿をもってしないと救えない人を救う為に、自分がこうあるのだと、先輩から教わりました。背負っている荷物は違えど、戦い方は違えど、この信心から離れない、ご本尊を離さない限り、最後は大勝利出来ます。幸せになった大先輩方を何人も見てきました。間違いありません。大勝利の人生が待っています。まとまりがなくなってしまいましたが・・・貴女の幸せを祈ります。お互い、最後には大勝利しましょう。
よく分からないがさんIPアドレスが違っていたので「なりすまし」なのではないかと思ったので聞いてみました。疑ってごめんなさい<(_ _)>酷い親ですね。でもその御両親も何らかのことから人間が壊れてしまった被害者ということを頭に入れておいてください。よく分からないさんは幸せになってほしいと思う人はいますか?助けてあげられたらいいなと思う人はいますか?周りにいなければテレビの番組に出てくる人でも、ここに集う人でもいいです。その人たちのために題目を上げましょう。邪魔や雑念が入ったらきっぱりと辞める。それを繰り返していくと不思議なことに、御両親が哀れに思えてきます。その繰り返しをしていくと、数時間後か何年後か先には何故か憎くてしかたなかったご両親に感謝できたりしまします。
>よく分からないが様貴女のご両親が貴女にそのようにした理由を、いろいろと考えてみました。どういった背景があったのだろうかと。先に書いておきます。これはあくまでも推測。そして、貴女には全く責任のない話です。幼かった貴女に、家の中と会場でのTPOなど到底わかるはずもなく、たくさんの人がいる場所でそれが楽しくて、きっと幼い貴女は無邪気にはしゃがれたのでしょう。もしくは、逆に、大勢の人に驚いてか、お腹がすいてか、眠くてか、泣いたのかもしれない。幼い子どもであれば、当然すぎるほど当然の事です。子供は元気よく遊んだり泣いたりするのが仕事ですから。会合中に、さわぐ我が子にご両親は焦ったのでしょう。少し言葉が足らず、厳しい幹部に、「子供が騒ぐのは親の信心がなっていないからだ」とでも言われたかもしれない。本来ならば、「会合の前に、我が子がおとなしくしていてくれるよう、しっかり祈るのも闘いですよ」と、教えなければいけなかったのに、言葉が足らなかった。そして、叱られた、と受け取ったご両親はどうしていいかわからず、躾のつもりで貴女に厳しく叱ったのかもしれない。勤行唱題をしている際に、元気よく遊ぶ貴女にも勤行をさせないといけないと思い、ここに座りなさいと、強引に貴女をつかまえたのかもしれない。必死さのあまり、いきすぎて。そのような事の繰り返しが、幼い貴女に理解できるような言葉もないままに行われた事は貴女にとってはただただ恐い事でしかなかった。しかし、ご両親の必死さが100%無駄だったわけではなく、貴女の生命に信心は入っていた。題目をあげるという行為も生命に入っていた。かわしんは一体何を書きたいのかと怪訝に思われる事でしょう。自分は、非常に余計なおせっかいではあるのですが、貴女には全く非はないが、ご両親にもなにかしらそういう行為にいたった理由があったのかもしれないと、そんな風に考える事で少しでも貴女のお気持ちが楽になるようであれば、と思いました。だからといって、早急にその事を許せなどという乱暴な事は一切言うつもりはありません。しかし我が子が大事でない親はいない、そして、どんなひどい親でも親を心底から憎む子供はいない、自分はそう思っています。むしろ、虐待を受けた子ほど、親からの愛情を求めるものだと思います。激しく間違った方法ではあったが、決して貴女のご両親は、貴女を憎くてそうしたのではないと。そんな風にもし思えるようならば、貴女のお気持ちが少しでも楽になれないかと。貴女の中で泣いている小さな子供の貴女が安らげないかと。それを願って実に勝手な推測を書かせていただきました。貴女の中で泣いている小さな貴女が求めたご両親は決して、ひどい親などではありません。きっと。もし、貴女のお気持ちになんの助けにもならないならば、どうか、勝手な想像とお読み捨て下さい。
>シリウスさんありがとうございます。他人の幸福を祈る題目をあげてみます。>かわしんさんコメントありがとうございます。残念ですが下の方のコメントでの当て推量は外れています。父は男子部の会合で生命が躍動して帰ってきて暴力を振るうのです。例えば会合で三類の強敵の話や妻子眷属を顧みるなという御書を学んで来て、それで気持ちが高ぶって暴力です。つまり元々暴力が好きだったのです。母は父に半ば強姦され(同じ地区の女子部だった)、私ができてしまって結婚するはめになったので、父も母も私のことを憎んでいました。何か有るたびに「お前のせいであいつと結婚するはめになったんだ!」と言われて育ちました。とにかく暗く、暴力にまみれた家庭でした。学校教材はほとんど買ってもらえず、学校ではそのことで虐めの対象でした。「ガキにそんなの必要ねえ!」という理由で、本当になにもしてくれないんです。母の財布からお金を盗んで文房具を買ったこともあります。虐待の理由に信心を持ってこられると、あちらは絶対正義の地涌の菩薩気取りですからこちらは悪になります。両親が興奮しながら暴力を振るうんです。食事もないときもありました。会合へ行ってしまうんです。私がかなりおおきくなってから父はぼそっと言いました。「ガキがかわいいなんて思ったことなんかねえよ。でも姉さんのとこの子どもは可愛いなぁ、本当に可愛い。何でもしてやりたい」父はもらった給料は女遊びや風俗や遊びや親戚づきあいで使ってしまい、ほとんど家に入れてくれません(従姉妹にお小遣いまであげてました)。そして母はそのことで大変苦労しました。そのストレスは私にぶつけました。「てめぇはあいつのガキだ!汚い!」。そういってやはり暴力。仏壇の前に強引に引きづりだし、勤行をやらせながら叫んだり叩いたりするのです。とにかく仏壇を中心に暴力が発生していました。両親とも、今はさっぱりそのことを忘れており、「育児は立派に済んだ。勝手にキチガイになって生活保護になりやがって家の面汚しになった」と言っています。学会の役職も職場の給料もあがり、とても悠々自適な毎日らしいです。
>よくわからないが様勝手な当て推量をしてしまい、申し訳ありませんでした。自分には想像もつかないような苦しみを背負われて来たのですね。背景もわからないのに一番ありそうな事と推量した浅はかな言葉、謝罪させて下さい。現在はご両親が悠々自適との事。貴女にしてみれば、その姿は苦々しいものにしか映らないのは、上のお話を拝見すれば当たり前の事でしょう。人生の勝負というのは最後の最後までわからないものです。人生の勝負とは、そのまま死に様にこそ如実に表れるもの。まだ定年前のお若いご両親が現時点でいかに悠々自適であろうとも、そうして未来の大事な人材である貴女を粗末に扱ってきた結果は必ず厳然と顕れます。信心にはおまけもおつりもありません。良くも悪くも全てが最後に顕れるのです。顕罰と妙罰、顕益と妙益 という言葉をご存じですか?顕とはその場ですぐに軽い結果が出るもの。妙とは長い時間をかけて大きな結果がでるものを指します。妙法の行者を誹謗した罪は妙罰として顕れます。すぐにはでない分、蓄積されてそれは重いのです。ご両親はかわいそうな方々です。せっかく正法に縁しながら、その生涯の最後に安穏は待ってはいないのだから。今すぐにはそれは顕れては来ないでしょうが、間違いなく結果は顕れるのです。今の姿だけを見れば何故?と思うかもしれませんが、五年後十年後、二十年後をしっかり見据えてください。結果は必ずはっきりと出ます。今の姿だけを見てお気持ちをゆがめられることのないよう、しっかりご本尊を抱きしめて生きてゆかれますよう。少しでもお心安らかに過ごされますよう、願ってやみません。
大丈夫ですか?フラッシュバックしていませんか?もし、フラッシュバックしていたとしたなら、真白な画用紙を思い浮かべてみてください。
私の父が早世したと申し上げましたが、正確には小学三年生の頃でした。その時は人の死というものを知識では理解していたように思いますが、今から考えてみれば私自身の心の中ではそうでは無かったと思います。父が他界した後、私は父の話題を口にすることができませんでした。・・・できなかった、と言うわけではないとですね。ただ、無意識に避けていたのは事実でした。考えてみれば、それがようやくできるようになったのはつい最近のことなのかもしれません。受け止める・・・というものとも違うような。なんでしょう。何がきっかけでそれができるようになったのか。どうにも、その辺りはよくわかりません。ともかく、できるようになりました。それまでほとんど疎遠の状態だった創価学会と関わろうとしたのも、この辺りの時期からです。ケリがついた、と言う事なんでしょうか。ともかく、創価学会には関わってはいます。必ずしも創価学会の味方なのではない、との立場をとるのは、いまさらながら、父に対して反抗期のようなものをしているのかもしれません。いやはや、子供っぽいとは私自身のことでしたね。
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