子守の宮 挙母神社

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【挙母まつり】

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挙母まつりは寛永の頃(約三五〇車前)既に飾奉五台が曳かれたとあり、寛延三年(西暦一七五〇車)藩主内藤政苗の時、従来の獅子舞を廃し山奉を建造し始めています。
祭礼は毎年十月第三日曜日を奉楽、その前日を試楽といい、朝から山奉の町内曳きをし、樹奉区は、三町曳き、下町は五町曳きと、三台・五台がそれぞれの地区で揃い曳きをします。

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夜は七時前各町の青少車が笹提灯を手に法被姿で境内人口に猿まり、矢作川で禊ぎした後、定刻に一団づつ組み、鳥居と社殿の間を七回廻り、これを七度詣りといいます。
始めは奉遣りを唄い整然と、中ごろから各町ごとに高張り提灯を中心に背を向け、固まり揉み台い掛け声が弾みます。

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奉楽は、朝十時に八町の山奉(八台の山奉はすべて県・市の文化財)が境内に一斉に曳き込まれます。
そして午後四時まで拝殿前から鳥居まで山奉が一列に並べられ、花人の合や囃子が鳴り響き祭り気分が高まります。
このとき、豪奉絢爛の山奉をじっくり見ることができます。



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一方、神輿は御所奉に移し、猿田彦を先導に神官・氏子総代・白丁・供奉人が随行して、氏子町内約六粁を一巡、午後四時前に還御されます。
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午後四時、いよいよ山車の曳き出しです。花人が空に激しく響き、囃子が高鳴り、花車の最高責任者の合図で、掛け声勇ましく、山車が動きだし、花吹雪が舞い、境内から曳き出されます。
八台の山車が境内を出終わるまで約三十分間、祭りのクライマックスです。
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観衆は祭りに酔い、どよめきが続きます。
山車は、戻り囃子を鳴らし各町へ引きあげてゆきます。






[参考情報]山車マップ