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加藤和彦さんが首つり自殺、うつ病で通院

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 「帰って来たヨッパライ」「あの素晴らしい愛をもう一度」などのヒット曲で知られるミュージシャンの加藤和彦(かとう・かずひこ、本名同じ)さんが17日、長野県軽井沢町のホテルで首をつって自殺しているのが見つかった。62歳だった。軽井沢署によると遺書があり、死亡推定時刻は16日午後9時30分ごろ。加藤さんは60年代のザ・フォーク・クルセダーズやサディスティック・ミカ・バンドなどの活動を皮切りに、長く日本の音楽界に影響を与えてきた。ここ数カ月はうつ病で通院し、体調不良で仕事を降板していた。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を行う。

 加藤さんの関係者は2日ほど前から加藤さんの行方が分からなくなり、方々を探していた。周囲に知らせぬまま加藤さんは16日に1人でホテルを訪れ、1泊の予定でチェックインした。17日午前8時15分ごろ、知人女性から加藤さんの宿泊を尋ねる電話があり、従業員が部屋に連絡したがつながらなかった。従業員は軽井沢署に通報、午前9時半前、駆け付けた署員らが部屋に入ると、加藤さんは浴室で首をつっていた。すでに冷たくなっており、死亡推定時刻は16日午後9時30分ごろとされた。同署で知人と関係者が加藤さんと確認した。

 軽井沢は何度も足を運ぶなじみの土地だった。また、行方が分からなくなる前日、故郷の京都でクルセダーズの初期のメンバーと会食し、昔話に花を咲かせていたという。

 加藤さんは上下きちんとそろった服を着て、パソコンで書いた遺書2通が見つかった。個人あてではなく、関係者に迷惑を掛けることをわびる内容だったという。また「もう、やりたいことがなくなった」と書かれた手紙が、複数の知人に送られていたことが分かった。加藤さんには関西地方に母親がいるが、体調不良で軽井沢まで来られず、遺体は知人が引き取り、この日夜、軽井沢署を出た。

 「あの素晴らしい-」「帰って来た-」「悲しくてやりきれない」などのユーモアを交ぜた喜怒哀楽、ミカ・バンド時代のヒット曲「タイムマシンにおねがい」は斬新な曲調のポップス。明るいイメージの加藤さんだが、うつ病で通院していた。加藤さん自身が、喜怒哀楽の感情が薄くなり、心に何も浮かんでこないという症状を説明したこともあった。1週間ほど前には、舞台「パッチギ!」の音楽監督を、体調不良を理由に、関係者に「引き受けられない」と申し出た。また、足元までおしゃれな加藤さんが、ここ最近は洋服も乱れ、顔色も悪く、体調がすぐれないことが見てとれたという。

 加藤さんは2度の離婚と1度の死別で、孤独な生活だった。数年前まで住んでいた豪華なマンションにはスタジオが併設され、坂本龍一ら多くのミュージシャンに貸し出すなどしていた。華やかな生活の一方、夜中にテレビ番組の感想をスタッフにメールで送ることもあった。常にそばにいる人がいなかったようだ。

 孤独さを埋めるように、年代物のギターなど高額な買い物をすることも多かった。六本木の外資系高級ホテルを頻繁に利用し、市川猿之助の歌舞伎音楽を手掛けた時には太鼓を買い集めた。借金がふくらんだが生活は変わらず、出演料の確認が、仕事先に対して頻繁になったこともあった。

 「帰って来た-」の歌詞は、死んじまったオラは天国に行くが、雲の階段を踏み外して地上に落ちて生き返る。加藤さんが生き返ることはないが、多くの愛すべき歌を残した。

 [2009年10月18日8時13分 紙面から]


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加藤和彦

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