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きょうのコラム「時鐘」 2009年10月18日
「雨ニモマケズ風ニモマケズ」の詩を残した宮沢賢治には新聞配達の知人がいたという。ポケットにあめ玉を入れ、子どもに出会うとそれを与え、病気の人がいれば慰めの言葉を掛けて配達の歩を進める人だった
「東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ」。この感動的な詩は17年間新聞を配り続けた知人の影響が強かったという(「デクノボーになりたい・私の宮沢賢治」山折哲雄著) 先の台風18号の折、和歌山で、風で倒れた木にバイクがぶつかり新聞配達中の男性が亡くなった。「雨ニモマケズ」の詩をこれほど厳粛な気持ちで思い浮かべたことはなかった きょうは「新聞配達の日」。日本新聞協会が募集したエッセーに「新聞配達をしていたお父さんが、届きたての新聞を読み聞かせてくれるのが好き」との小学生の話があった。宅配制度が特徴の日本の新聞はこうした配達員と家族に支えられている 身内話が続いて恐縮だが、雨の日も風の日も文字通り命をかけて新聞を届ける人々の苦労と喜びの一端をこの日に紹介させていただいた。 |