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作品名:躁音 作者:ブリブリ仮面

最終回   1

月曜日・・・・会社から解雇通告の書き記された内容証明郵便を受け取った。


確かに休みがちで、無断欠勤も何度かした事がある。
でも仕事の速さと正確さだけは、誰にも引けを取らなかったのに。
仕事には自信とプライドを持っていたので、同僚や上司とぶつかる事も稀にあった。
しかし此処で一生働いて、骨を埋める気など毛頭なかったのも事実だ。
どうせ長い人生の繋ぎに過ぎない会社からの一方的な縁切り・・・・・・却って清々する。



火曜日・・・・貯金も残り少ないし、早く次の職を探さなければ・・・・・・・。


ほとんど全ての求人雑誌を買い込んで見つけようとしたが、条件の合う所はひとつもない。
年齢制限と高度な職能要求で狭い門は閉ざされている。
朝早くからこれだと思う募集広告にチェックを付け、9時を過ぎてから一体何回電話を入れたのだろうか。
今日一日で見つけようとしても、それは不可能なのか。
午後になり、ふとある事を思い出した。
以前買い物に行った商店街で、電柱や街灯に求人の張り紙がベタベタと貼ってあったのが印象に残っている。
大半は夜の仕事の女性募集だと思ったが、それ以外のものもあったと記憶していた。
取り敢えずは何でもいいから面談を受けて、話だけでも聞いてみなければ事は先に進まない。
早速必要な書類を揃え、その商店街へと向かった。

駅から降り立った時、最初に目にした求人広告が何故か気に掛かった。
正社員募集、高給優遇、内勤の簡単なお仕事、委細面談と書かれていただけだったが、
兎にも角にも勇気を奮って行ってみなければ何も始まらない。
条件さえ合えば、後は自分の持っている能力でなんとでもなる、と自分に言い聞かせた。

その会社は、駅から歩いて5分ほどの小さいビルの3階にあったが、その入り口のドアには
社名が在るだけで、社員募集については何も書かれていなかった。
しかしここまで来た以上は引き下がる訳にはいかない。
ドアを開け訪ねてみる以外に方法はない。

「すみません、募集広告を見まして・・・・・来たんですが。」
「あ、はい、バイトの応募ですか。じゃ、そちらでお待ち下さい。」
「あの・・・・・・正社員募集の張り紙を見まして・・・・・・・・・」
「あ、そうなんですか、所長と代わりますので、そちらでお待ち下さい。」

学生風のその男性は奥の方にある部屋の戸を開き、その旨を伝えているようだった。
数分後、その所長らしき男性が現れ、いきなり手を差し伸べてきた。

「ああ、どうもご苦労さんね・・・・・ま、お掛け下さい。」

年齢は50前後で恰幅の良い白髪混じりの男性であるが、とてもにこやかな表情を湛えているのが印象的だった。

「正社員を希望されてる訳か・・・・・今はいろいろと厳しいのは知ってるよね。まあ、うちとしてはどなたにでも大卒並みの高給を常に維持してるけどねえ、
まあしかしだ、ボーナスを考えるとだね会社の営業利益とかだねえ、後はね・・・・・・・・・・」

その饒舌な一方的会話は延々と続いたが、相槌を打つ意外に仕方がなかった。
いい加減飽き飽きとして来た頃、唐突に・・・・・・・・・・・

「まあ、貴方がね、やる気があるんだったら是非ともやって欲しいんだけどね。その辺どうなのかな。」
「あっ、あの、自分は仕事には自信を持ってますので、長い目・・・・・・・いいえ、必ず短期間で結果を出します。」
「ううん、そうかね。君ね、宜しく頼んだよ。私の目に狂いは無いと思って居るよ。
但し、決して諦めてはならない。それだけを約束出来るのであれば、即決で採用するからね。」
「はい、頑張りますので、お願いします。」

こんなに簡単に就職出来るとは思ってもいなかった。
混乱し切った頭で礼を言い、明日からの出勤を約束してその会社を後にしたが、
なぜなのだろうか、嬉しさと同時に言い知れぬ感動がこみ上げてきた。
それは今まで一度も味わった事の無い体験だったのかも知れない。

そういえば、朝から何も口にしていなかったので、この商店街で食事をとってから帰ろうと思った。
確かこの辺りに、午後遅くまでランチをやっている洋食屋があったので探して見る事にすると、
その洋食屋は会社から出て、左側の横道を何軒か行った建物の2階にあった。
看板にはランチメニューが午後4時までと書かれており、その店に入るとテーブル席の無いカウンターのみの小さな洋食屋なのだと初めて知った。
ランチを注文した後、明日の初出勤の事を考え、何やかやと思いを膨らませていると、この店の女性が親しげに話し掛けて来て、

「お客さんは、この辺の方なんですか。なんか今日はとても良い事があったような気がするけど。」

ああ、そうなのかなあ、この人にも分るのかなあと思い、会社をクビになってから再就職をする為にこの商店街に立ち寄り、
そして正社員として採用されたとの話しをした。
恐らく自分はその様な事を聞いてくれる人を待ち望んでいたのかもしれない。
でもその女性は終始涙を浮かべ、時折カウンターの中で涙を流していたようだ。
そして食事の後、帰るときに会計をしたシェフも自分の目を見つめつつ、涙を抑え切れなかったみたいだ。
自分自身の事とはいえ、貰い泣きしてしまいその店を出たが、何か釈然としない気持ちが残った。
なぜ赤の他人の事なのに、彼らは涙を流しているのか。
自分は今の今までその様な・・・・・・・・・他人から親身になって思われた事など一度も無いのに。

ああ、そうだ。そんな事はどうでもいいから、常備薬の胃薬が切れているので買ってから帰らなくてはいけない。
ちょうど直ぐそばに大きなドラッグストアーがあったので立ち寄ってみた。
そして目当ての胃薬を探していたところ、二十歳前後と思われる可愛らしい女性店員に声を掛けられた。

「何か、お探しですか。」
「ええ、あのう、胃がスーとする胃薬を何時も・・・・・」
「お客様、あいすみません。そのお薬は本日売り切れとなっておりまして・・・申し訳御座いません。」
「あっ、いいんですよ、他のでもいいし・・・・・・・・・・・」
「お客様のご指定のお薬を私のミスで品切れにしてしまいました・・・・・・・・・」

でも、何でこの店員が薬が品切れになっているくらいで、そんなに俯いたりするのかよく解からない。

「申し訳ありません・・・・・・・・・・私が至らないばかりに、お客様の大事なお薬を切らしてしまいました。」

すると、更にその女性はその場に泣き崩れてしまい、自分は突然降って湧いた出来事に為す術もない。
周囲には、自分が泣かせてしまった訳ではない、彼女が勝手に泣き始めたのだと訴えたかった。
そして更に店長と称する女性も出て来たが、一緒になって号泣した為、尚更収拾がつかなくなってしまった。
自分は逃げ出すようにしてその店から去ることで急場を凌いだのだが、
こんなつまらない事に関わっていられない、明日からは忙しくなる。



水曜日・・・・初出勤の日、明け方から空はどんよりと曇っていた。


初日という事もあり、準備のため出勤時間の30分前に来ると、
入り口のドアは開いており、所長が一人で忙しそうに動き回っていた。

「おはようございます、よろしくお願いします。」
「ああ、おはよう。随分と早く来たんだね。じゃあ、早速仕事に取り掛かってもらおうか。」

この会社の業務内容は日用品の製造販売で、飛び込みの訪問販売を主な販売形態としている。
自分にはセールスを円滑に進める為の下準備と、経理等の事務が任されているらしい。
9時前になると狭い事務所に続々と営業社員が出勤してきた。
朝礼で簡単な自己紹介をしたのだが、全く彼らは自分に対して関心がなかったようだ。
幾つかのグループ別にミーティングをした後、外回りの仕事に出掛け、残ったのは自分と所長だけだった。

自分は総務課や経理事務の経験もあり、さほど難しい仕事でもなさそうに思われる。
実際、時間に追われるような事務ではなく、お茶を飲んだりしながらのんびりと仕事をこなす事が出来た。
所長は、新人の自分には任せられない品物の発注や、出入りの激しい営業社員を補充する為の募集広告依頼と面接で忙しいらしい。

昼休みになったが軽い緊張の為か少し胃が痛むので、ハンバーガーショップで軽い昼食をとることにした。
ハンバーガーひとつとコーヒーを注文したのだが、従業員は全く無言のまま品物を用意して自分の目の前に出した。
そういえば、会計が幾らになるとかも言わないので、レジに示された金額を見て払ったのだが、その従業員は
視線を一切合わせようとせず、いらっしゃいませとも、ありがとうございましたとも言わなかった。
何故か非常に気分が悪くなり、オーダーした物はゴミ箱へ捨ててしまったのだが。
もう何も咽を通りそうもないので、仕方なく近くの本屋で立ち読みをしながら時間を潰すことにした。
何冊かの雑誌をパラパラめくりながら漠然と眺めていたところ、奥から店主らしき中年男性が自分の近くに来て喋り始めた。

「あの、お客さんねえ、毎日立ち読みしてるでしょ。買わないんだったら本が汚れるから止めて貰いたいんだけどね。」
「えっ、他の人と勘違いしているんじゃないですか。自分は今日初めてこの書店に入ったんですけど。」
「いや確かにあんたなんだよ、毎日昼間に来て立ち読みだけして帰るのは。」
「自分は今日からこの商店街にある会社で働き始めたんですよ。」
「飽くまでも白を切るつもりだったら出ていってくれないか。」
「何て失礼な言い方をするんだ。そんな考えだから余計に客が寄り付かなくなるんじゃないのか。」
「いいから出て行きなさい、二度と来るんじゃないよ。」
「なんて馬鹿なオヤジだ、吐き気がする!!。」

苛立ったまま会社へ戻ったが、午後は余りする事もなく、お茶を飲みながらタバコをふかして時を過ごした。
きっと時間に追われるような忙しい仕事だったら、ミスが多くなって大変な事になっていただろう、などと考えながら。
しかしあの中年店主は一体何のつもりだったのだろう、単なる勘違いなのかそれとも因縁を付けるために喧嘩を売ってきたのか。
それにあのハンバーガーショップの従業員の横柄な態度は何だったのだろう。

不愉快な気持ちを引きずったまま午後5時になり、一日目の仕事はなんとか無事に終える事が出来た。



木曜日・・・・昨夜から降り始めた雨が、朝になっても止まずに降り続いていた。


営業社員が外回りに出る前に、傘を何本か買ってくるよう所長から頼まれたので、早朝から開いている雑貨店へと急いだ。
こんな雨の日に傘をさして来ない者などいるのだろうかと、なんとなく不思議に思いながら。
数本とは言われたが5本くらいあれば足りるのだろうか。
お目当ての使い捨て傘を探していると、傘のコーナーがあったのだが使い捨ての安物は置いてないようだった。
別の場所に在庫があるかもしれないので、店の人に尋ねてみると。

「いやあ、お客さん済みませんねえ。ビニール傘は夕べから外に出して置いたんですけど、売り切れになっちゃったんですよ。」
「ああ・・・・・・そうなんですか。他のは皆3000円前後しますよね。」
「ビニール傘は何回か使うと直ぐに壊れちゃいますからね。それに比べて折り畳み傘は丈夫ですから何年も使えるんですよ。
しかもうちでは国産品しか扱ってないので信頼性も充分だし、輸入品と違って頑丈に作ってあるから耐久性抜群なんですよ。」
「会社で使うものなので、高い物は必要ないんですけど・・・・・・・・・」
「いやいや、会社で使うものだからこそ尚更の事長持ちするものでなけりゃ逆に損するんですよ。
背広にしても作業着にしても然り、自動車だってアフターサービスの行き届いた国産車をどこの会社も使ってるでしょ。」
「ええ・・・・・・でも、あんまり高いものだと上司が何と言うか・・・・・・・・・」
「何本くらい御要り様なんですか。」
「5本もあれば充分なんですけど。」
「う〜ん、そうですねえ。今日は雨の中にも関わらず折角いらして頂いたんですから、なんとかしましょう。
そうですねえ、まとめて5本という事ですから、特別に折り畳み傘全品3割引にしますよ。」
「う〜ん、でも・・・・・困ったなあ・・・・・・・・・・」
「まあ、これから先の長いお付き合いの事も考えて・・・・・・全品4割引でどうですか。これ以上はちょっと無理。」
「ああ、そうですか、貴方の熱意に負けましたよ。それじゃあ、いいやつ選んでください。」
「毎度ありがとうございます。今後とも御贔屓にお願いしますね。」

高い買い物になってしまったが、総務と経理は自分に任されている訳だし、怒られる事もないだろう。
少し調子の良すぎる店員だったけど、相当な額を割り引いてくれたのだし悪い気はしない。
会社に戻って買った物を所長に手渡したが、別段変わった素振りも見せなかった。

その日の午後、本社から幹部クラスの人が視察に来るのだという。
一体何の為に来るのだろう、定期的なルートなのだろうか。
自分は綺麗好きな方なのだが、今日は特に午前中から手洗いの掃除をしたり机の上を整理したりと、本社幹部の到着を準備万端整えた。
午後2時頃、秘書らしい女性を伴って来たその本社幹部は、所長と同年齢くらいと思われ、銀縁の眼鏡が似合う背の高い人だった。
所長室に入って何か大事な打ち合わせをしているのだろうか。
1時間ほど経った頃、自分に代わってお茶酌みをしてくれた秘書らしき女性が、自分のデスクの傍らに立ち話し掛けてきた。

「席を外すよう言われたものですから、お忙しくなければちょっと宜しいですか。」
「あ、はい、今日はそんなに忙しくないですから。」
「ここの営業所に新しく入った事務の方がいらっしゃると聞いていたんですけど、貴方だったんですね。」
「ええ、昨日からですから多分そうだと思います。」
「実は私、今日ここに入った瞬間にびっくりしたんですよ。」
「は・・・・・何が・・・・・・・・・・」
「以前と違って、机の上が全部綺麗に整理整頓されているのに驚いたんですけど、おトイレをお借りして更にびっくりしてしまいました。」
「はあ・・・・・別に何もしてないんですけど、当たり前の事しか出来ませんので。」
「いいえ、それはご謙遜ですよね。一事が万事ですから、きっとお仕事の能力も高い方だというのは見なくても解かりますよ。」
「そんな、とんでもないですよ。」
「この会社は努力をすれば必ず報われるんですよ。」
「ふ〜ん、そうなんですか。」
「頑張れば本社勤務も夢ではないんですよ。この私がそうでしたから。」
「ああ、それは貴女が並外れた高い能力をお持ちだったからですよ。」
「いいえ〜、私なんかまだまだ・・・・・・・・それから本社に帰ったらこの事はよく伝えておきますね。」
「あ、そうですか、お気遣い頂いてありがたいです。」

直後に携帯電話の着信音が鳴ったので、女性は外へ出て行ったきりだったが、今日の自分はとても満足感で充たされたような思いがした。
自分のやっている事は当たり前で、謙遜でも何でもないのだが。
4時過ぎに二人が帰った後も、心は充足感で一杯だった。
そしてこの会社に来て善かったと感じるような一日でもあった。



金曜日・・・・一昨日からの雨はまだ止まず、頻りに地面へと降り注いだ。


電話は毎日営業社員から50本以上掛かって来るのだが、その殆どは午後になってからのものだった。
珍しく午前10時頃電話が鳴ったので出てみると、昨日の女性秘書らしい事が分かった。

『お忙しいところ済みません、お時間のほう宜しいですか。』
「はい、構いませんけど。」
『土日はお休みですよね。』
「え〜と、まだ何も聞いていないので決まっていないんですが。」
『ああ、そうなんですか、てっきり土日がお休みだと思っていたものですから。』
「何かご用だったんですか。」
『用事ではないんですが、明日封切りの映画のチケットが手に入ったものですから、もしお休みだったらと思って・・・・・・』
「はあ・・・・・・・・・」
『本社は土日がお休みですので、早合点してしまったんです。』
「そうですか・・・・・・」
『映画は余りお好きじゃないとか・・・・・・・』
「いいえ、そんな事はないんですけど。」
『あとクラシック・コンサートのチケットも買ってあるんですけど、来週水曜日の7時開演なんですが、
お仕事が引けてから如何かなと思いまして・・・・・・・』
「ああ、クラシックですか・・・・・・何か難しそうですね。」
『そうですよね、人それぞれ好き嫌いもありますから・・・・・・・・』
「嫌いというよりは、食わず嫌いなのかも知れませんね。」
『そうですか・・・・・とても残念です。』
「所長に聞いて休みを決めて貰いますよ、それから退社後は暇を持てあま・・・・・・・・・・・」
『ごめんなさい、無理ばかり言ってしまって・・・・・私のわがままで・・・・・・』
「そんな事ないですよ、また機会があったら是非と・・・・・・・・・もしもし・・・・」

突然不通になったのか、それとも彼女の方から切ってしまったのか。
自分が何か気に障るような事でも言ったのだろうか。
確かに休日を決めていなかったのは自分の落度かもしれない。
しかし冷たく断った訳でもないのに、何か怒る理由があるのだろうか。
昨日逢ったばかりなのに、そんな急に約束を迫られても答え様がない。
どう受け取られたかは分からないが、相手に不快感を与えたとしても、それは自分の所為ではない。

午後3時頃、所長に買い置きの薬を補充するよう頼まれた。
この辺りには例の薬局しかないそうなので、余り気が進まなかったが仕方なく行くことにした。
そこにはやはりあの時の若い女性が店頭に立ち、一生懸命に接客をしている姿があった。
二度と関わりたくはなかったのだが、メモを見ながら聞いたことがない銘柄の薬を探していると、
再びその若い女性が声を掛けてきたのだった。

「いらっしゃいませ。お客様、先日は取り乱してしまい大変失礼致しました。」
「よく自分の顔を覚えてましたね。別に何も気にしてませんので。」
「はい、ありがとうございます。今日は何をお探しですか。」
「このメモに書いてある物を揃えて欲しいんですけど。」

するとその若い女性は、あっという間に店内から品物を見つけ出し包んで自分に手渡した。
そして先日の件で、折り入って話をしたいと言うので、一緒に店の外へ出てから話しを始めた。

「あの日は、すごく忙しかったり、発注ミスをしたりして混乱してました。本当にすみませんでした。」
「もういいんですよ。忘れてください。」
「何故だか分からないんですが、忘れようとしても忘れられないんです。」
「そんなに気にするほどの事でもないんだし、早く忘れた方がいいですよ。」
「でもあの時からずっと、今度お客様がいらしたら、お詫びをしたいと考えていたんです。」
「ええ、もう充分に・・・・・・」
「あの、そのお詫びというのは言葉の上だけじゃなくって、誠意を尽くしたいという意味なんです。」
「はあ・・・・・・・・・」
「私こう見えても、お料理がすごく得意なんですよ。美味しいかどうかは食べた人に聞いてみないと分からないんですけど・・・・・・・
それでお客様へのお詫びの印も兼ねてなんですが、お家にお招きして私の手料理を味わってもらいたいと考えたんです。
本当に自分勝手なお願いなんですけど、両親もそうするのが一番良いって言ってますし・・・・・・・」
「はあ・・・・・・・・・」
「何時でもいいんです、今日でも明日でも来週でも、お客様の退社後でもお休みの日でも・・・・・・・」
「ああ、そうですね・・・・・・」
「駄目ですか・・・・・・・」
「そんなことはないんですけど。」
「あの、私って思い込みが激しくて、わがままで・・・・・・・」
「いや、決してそんな・・・・・・」
「ごめんなさい、勝手な事ばかり言って・・・・ごめんなさい・・・・・」

そう言い終わるか終わらないかの内に、若い女性は突然駆け出して、どこかへ消えるように去って行ってしまった。
自分は何か傷つけるような事でも言ったのだろうか。
別に嫌だと言ったり、非難した訳でもないのに。
食事くらいならご馳走になったとしても全く迷惑でもなんでもない。
何でそんな、いきなり走り出して何処かへ行ってしまうのか理解できない。
仮令相手を傷つけたとしても、ただの思い込みに過ぎないのだ、決して自分の所為ではない。



土曜日・・・・先日から降り続く雨の止む気配は全くなかった。


朝食はいつもパンとコーヒーで済ませているのだが、今朝は何故か全く食欲がなかったので、そのまま何も口にせず出勤した。
昼になっても相変わらず食欲がわかない。しかし空腹からなのか胃がキリキリ痛むので、軽いものでも摂らなければなおりそうにない。
会社から少し離れた所にある大衆食堂なら、お粥のようなものがあるかもしれない。
お粥がなければ麺類でも頼もうと思い、その食堂へ初めて入った。
比較的広い店内には、幾つかのテーブル席と10名くらいが座れるカウンターが有ったが、4人掛けのテーブル席しか空いていなかった。
座ってから壁に書かれたメニューを探しながら前方を見ると、斜め向かい側の席にあの厭味な本屋のオヤジが一人で座っているのに気付いた。
勿論目を合わせないように、無視を極め込むつもりでメニューを見ていると、突然中年の女店員が自分に向かって暴言を吐き掛けてきた。

「あんたねえ、一人なんでしょ。そこは4人席だって事くらい馬鹿でも分かるでしょうよ。」
「あっ、あの、他に空いてなかったから・・・・・・」
「何処に目付けてんのよっ、あんたは!。今カウンターが空いたでしょ!!。早くそっち移んなよっ!!。」
「あ・・・・・・・・・・」

息が止まり声も出ないほどびっくりした。回りの客は辟易としていたようで、一瞬店内の雰囲気が凍り付いたが、
本屋のオヤジだけはしたり顔でニヤ付いているのがはっきりと見えた。
しかしこの中年女は一体何様のつもりでいるのだろう。
頭に血が上りそうになりこのまま外へ出ようかとも考えたが、心とは逆に足はカウンターの方向へ向かい、空いた席へ座ってしまった。
そして性懲りもなく、尚もその癇癪持ちの中年女は自分に向かって捲し立てて来た。

「注文は!!こっちだって暇じゃないんだからね!!!。」
「定食・・・・・・・」
「聞こえないんだよっ!!はっきり言わなきゃ分かんないでしょうよ!!。あんた・・・・・・・・・」

目の前が真っ暗になった事だけ覚えている。
カウンターに座ったまま、周囲のものは一切何も目に入らず、何も聞こえず、茫然とそこに座り続けていたようだ。
こんな奴、生きていても他人の迷惑にしかならない虫けらだ。
自分達同様に生きて、同じ空気を吸う必要などまったくない。
断じて同じ人間ではない、生きている価値など無に等しい害虫に過ぎない。
きっと自分の無様な姿を見て、本屋のオヤジは悦に入っているに違いない。
それどころか腹を抱えて大笑いしているのかもしれない。
この癇癪持ちのババア同様に、生きていては世の為人の為にならない鬼畜だ。
こいつらの身に如何なる災厄が降り掛かろうと自分には関係ないし、助けを乞うても見て見ぬ振りをするだろう。
こいつらがどうなろうと自分の罪に因るものではないし、どんな最期を遂げようが断じて自分の所為ではない。





退社する直前に所長から、明日大事な話があるから8時前に出社する様に言われた。



日曜日・・・・この光景は以前目にした事がある、今にも天が落ちて来そうな土砂降りだ。


所長との約束を果たすため早起きし、7時半頃会社に着いてしまった。
既に所長も出社しているらしいので、早速話を聞こうと思い所長室のドアを叩いた。

「おはようございます。」
「ああ、おはよう。朝早くすまんね、まあそこに掛けたまえ。」
「どんなご用件でしょうか。」
「うん、他でもないんだがね、本社から辞令が届いたんだが、今日から君は営業社員として働いて欲しいんだが。」
「えっ、営業といいますとセールスの事ですか。」
「その通りだよ。勿論この営業所勤務での営業活動だ。」
「全く経験がない職種なんですけど・・・・・・」
「経験は全く必要ないんだよ。」
「あの、不慣れで自信もありませんし・・・・・・」
「新入社員の殆どが、ずぶの素人から始めて幹部にまで成長しているんだから、心配しなくても良いんだ。」
「といいますか、内勤という条件で入社したものですから。」
「君は子供じゃないんだから、会社というものがどの様なものかはよく知っているよね。」
「はい、よく解かっているつもりではいますが、営業職への配転という条件はなかったと思いますが。」
「はっきり言えば、やる気がないという事か。」
「やる気云々ではなくて、お約束が違いますので。」
「君は自分に都合の悪い事は忘れてしまう性質なのかね。」
「どういうことでしょうか。」
「私は決して諦めない事を条件に、君を即決で採用したのは覚えていないのかね。」
「重々承知しておりますが、無理なものは無理ですから。」
「君は私との約束を反故にして、もう既に最初から諦めているではないか。」
「内勤でという約束が、条件で有ったと記憶しております。」
「君はなかなかの詭弁家みたいだな。」
「いいえ、会社組織そのものが詭弁の産物で、社会構造とは虚構に過ぎないものだと常々考えております。」

「いや、君は総てを諦めたのだ。諦める前から既に、総てを諦めていたのだよ。
君は恐らく前の会社でも同様に、総てを諦めたであろう事を私は知っている。
君は胃薬が必要なのに困難に直面し、諦めてしまい買いそびれた事を私は知っている。
君は従業員の態度の悪さに激昂し、昼食をとるのを諦めてしまった事を私は知っている。
君は咽から手が出るほど女性との交際を望んでいるのに、二度とも簡単に諦めてしまった事を私は知っている。
君は・・・・・・・・・・・・・」

「いい加減にしてくれ、一体何のつもりなんだ。探偵でも雇って自分を監視していたのか。
もううんざりだ。自分の事はもう一切構わないでくれ。」

「君はその様にしてこの会社を諦めるつもりなのかね。そうではないのは君自身が一番よく知っている筈だ。


君は総て諦めていた、諦める前から総てを諦めていた。」




月曜日・・・・会社から解雇通告の書き記された内容証明郵便を受け取った。


確かに休みがちで、無断欠勤も何度かした事がある。
でも仕事の速さと正確さだけは、誰にも引けを取らなかったのに。
仕事には自信とプライドを持っていたので、同僚や上司とぶつかる事も稀にあった。
しかし此処で一生働いて、骨を埋める気など毛頭なかったのも事実だ。
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