村崎 今月は民主党鳩山内閣発足が大きなニュースなんだろうけど、まだ始まったばっかりでどうなるか分からんし、あんまり真面目に語る気がしないわ。 唐沢 私のほうは身近なところで、弟(唐沢なをき)とNHKがトラブったという事件(★1)がありましたが(笑)。 村崎 あー、なんかモメてたんだっけ、結局どうなったの? 唐沢 一応、NHKサイドが謝りに来て手打ちになったみたい。なをき本人は、当の問題のディレクターとはもう顔も合わせたくないそうだけど。 村崎 「コミックビーム」連載の『まんが極道』でネタにしていたのを読んで笑っちゃったけどさ、あのマンガの内容をそのまま信じるとすれば、件のディレクターは取材相手の反応を「いや、そうじゃなくてー」って否定して、最初っから最後まで取材側が想定していた都合のいい結論に誘導しようとしていたってことでしょ。そんなもんはドキュメンタリー番組でも何でもねえヤラセじゃん。NHKってとこはもともと、そういう編集癖でもあるわけ? 唐沢 あれだけ大きい組織になると、ピンキリでいろいろあらあな。某評論家が知ったかぶりの分析をしていたけど、オレに言わせりゃ葦の髄から覗いているだけのいいかげんな感想に過ぎなかった。まあ、ネットではこれにかこつけて、なをきの名前なんか聞いた事もないくせに“NHKはけしからん”と、『JAPANデビュー』の話に持って行くみたいなネトウヨのコメントが多くて(『JAPANデビュー』だって本当に見たのやらわからん奴も多かった)、ちとウンザリしたけどな。話を戻すと、そりゃNHKでも民放でも、テレビってのは基本的に“絵”を求めるから、やらせが必ず入る。ただ、それがある程度容認されているのは、やらせでもしないと実際のドキュメントは“絵”にならず、結局何も伝わらないことが多いからね。大雨が降っているところをいくら思い入れたっぷりに映しても、見る方にとってはそれで何を表現したいのかはわからん。そこで、そこにずぶぬれで寒そうに歩く子犬の絵を入れる、くらいはどんな良心的なドキュメンタリー作家でもやるよ。 村崎 まあ、そりゃそうだ。 唐沢 なをきだって大人で、それを否定しているわけじゃない。この取材に来たディレクターが、たまたまインタビュイーの感情を慮ることのできないバカで、相手との折衝能力に欠けていた、ってことがまず何よりの第一原因だろう。……ただ言うとね、 NHKに限らず、テレビ各局、不景気のせいで最近、制作体制がタイトになってきてね。普通、ドキュメンタリー番組を作る場合は、とにかくカメラを回して、 その撮りためた素材のフィルムなりテープなりの中からテーマを抽出して構成を考えるものなんだけど、それでは時間がかかりすぎるからって、最初から構成を決め打ちして作るやり方を上から要求されるようになってきたんだ。それが一番、手間と金の節約になるから。なんとなく、テレビ業界不況も今回のトラブルの原因のひとつのような気がする。NHKも国営放送ならではの、時間をかけた作りこみができなくなってきたんだ。これは不況によるシステムの変更の犠牲と言えると思う。 村崎 要するにコスト削減で、ちゃんと取材してからそれを誠実にまとめるというような手間のかかる余計なことに金も時間もかけるなってことか。本来、ドキュメンタリー番組ってのはそういう、意外で余計な部分に新しい発見があるから観てて面白いのにね。 唐沢 もうひとつ、この件が大ごとになったのは、今、地デジ化推進の流れでNHKも大規模な編成変えが進んできていて、アニメ・マンガ関係のオタク番組を減らしていこうという動きがあるらしい。今回の件についても、NHK内部の上の人間が「ほら見ろ、オタク番組はこういうトラブルがあるから排除すべきだ」と、現場からの要求を抑圧する大義名分を与えるためなんじゃないかって。 村崎 NHKだけでも地上波・BS合わせて五局もあるってのは多すぎるんだよ。そもそも公務員のくせに、このご時勢で局員の平均年収は一千万円以上だっていうじゃん。だったら、局員の給料減らして制作費に当てりゃいいって思うけど。 唐沢 NHK職員は公務員じゃないって(笑)。ただ、給料減らしたら、有能なスタッフがドドッと民放局に流れていってしまう可能性があるからね。少しでも公共放送としてのステイタスをキープしたいのであったら、お金も潤沢にあってスポンサーの圧力なく、好きに番組が作れる魅力的な放送局、というイメージを常に与えておかないといけないから。 村崎 そっか、オレは郵政省なんかよりも先に民営化しちまえばよかったと思ってたけどな、NHK(笑)。CMスポンサー取ってこないといけなくなれば、もうちょっと真剣に番組作りに精を出すような気がするんだわ。教育テレビでワケわかんないアニメやってたりとか、あまりにもいい加減すぎるのもの。 唐沢 NHKのアニメ枠が迷走しているのは、そのまま国のアニメに対する姿勢の迷走だな。日本製アニメの評価が世界的に高くなってきたことで、国が国策としてアニメ制作を支援すべきだ、という方針が立つと、すぐそれに合わせてアニメーション室という部門を置いたりね。ところが、そこの初代室長ってのが戦国大名の浅野家の子孫とかいうおばちゃんでね、アニメのアの字も知らなかったという。ここらへんがいかにもNHKらしい体質だな。 村崎 それに今度の政権交代で民主党が“国営マンガ喫茶”(国立メディア芸術総合センター)作るのを中止するって言ってるじゃない(★2)。そのことについて、いろんなアニメ作家や漫画家がニュースの取材でコメントしてたんだけど、『ガンダム』のキャラデザインやっていた安彦良和さんが「国の助成は何の役にも立たない。アニメは “雑草”のたくましさで育ってきたんだから、放っておいてほしい」的なことを言っていて感心したよ。 唐沢 ホント、その通りなんだよ。我々の世代も「いい年してくだらないものを」って周囲から散々白い目で見られながら、意地になってこっそりと『ヤマト』とか見てきたからこそ、本当に濃密な思春期を過ごしてきたわけで。 村崎 漫画やアニメみたいなサブカルチャーが国家の庇護を受けるようになったら終わりだろ。「コミケは文科省が管轄する」なんて話になって誰が喜ぶよ? 猛反発食らうに決まってるよな。文化なんてもんは国家や社会から多少白い目で見られるくらいが丁度いいというか、国の世話なんかになったら、たちまち堅苦しくて退屈な伝統芸能みたいになって、そのうち誰も見向きもしなくなるぞ。 唐沢 ただ、中国や香港のアニメはいままで日本から学んできたものを土台に急成長してきて、今度は向こうから日本の優秀なアニメーターを引き抜いたりしているわけでしょう。70年代から80年代にかけての、何でもアリの、それこそ雑草のような制作時期はもう終わって、いまアニメで視聴率がとれるものと言ったら、萌え系やオタクの自己パロディものなどくらいしかない。受けるパターンが全てデータとして出てしまっていて、それを順繰りに出しているだけなんだな。バイタリティはあきらかに失われていて、もう日本のアニメの黄金期ってのは過ぎてしまったと見ていい。そろそろ博物館入りを考えなきゃいけない時期なのかもしれない。そうなったら、誰かが記録として残さなきゃいけないのは確かなんだよ。 村崎 話戻すけど、今回、なをきさんはこういう件を自作のネタにできる場があったからまだマシなほうで、自分のメディアを持っていない人は、取材されて番組側に勝手に“いい話”に改変されても泣き寝入りするしかない、ってケースがほとんどだったんだろうな。そのディレクターが作った 「えせドキュメンタリー番組」はどうせ今回だけじゃないし、そいつ一人だけがやってたって話でもないんだろ? オレも今後NHKのドキュメンタリー番組は 全部真実じゃなくて話半分くらいだと思って、割り引いて観ることにするよ。 唐沢 知り合いにドキュメント映像で賞まで撮った監督がいるんだけど、「台本なしで取材に入るなんてありえない」なんて言っていた。それじゃドキュメンタリーとは言えないんじゃないかって返したら「無作為に撮って来て、いい作品ができると思ったら大間違い。偶然に頼っちゃいけない」だって。 村崎 活字の分野でも、その昔、沢木耕太郎のルポルタージュが出はじめたとき、「客観性に欠けていて主観でばかり書いていて、あんなものはルポルタージュでもノンフィクションでもない」って否定的な声もあったし、読むと確かにウソくさいくらい話が出来すぎてる部分も目についたけど、それまでの客観性重視の無味乾燥なノンフィクションよりはるかにドラマチックで、読んでて面白かっ たのは事実だよな。『テロルの決算』とか『人の砂漠』の中の「不敬列伝」は今でも大好きだよ。 唐沢 なをきもコメントで、「別にやらせを否定してはいないし、普通に撮るよりやらせのほうが面白くなるなら、大いに結構。ただ、それがこちらの意向をまったく受け入れず、創作意図まで勝手に捻じ曲げられてしまうようなものであるのなら、こっちも無理して付き合う義理はない」って言っていた。 村崎 要するに取材相手に相互理解を得る前に、“アンタはこうであってほしい”という脳内イメージを取材相手に一方的に押し付けるだけのディレクターが、いろんな意味で「説得能力の低いバカ」だったってことだろ。 唐沢 ディレクターもバカだけど、プロデューサーもバカだと思うよ。「納期を守れ」「完成したものをもってこい」って命じるだけで、現場でどんなことをして いたかまったく把握せずに、野放しにしていたってことだから。この場合、現場がまず考えるのは、「泣ける話」みたいなフォーマットに番組内容を落とし込んで、手堅くまとめようっていう安易なプランになっちゃうからね。 村崎 つーか、最初から台本ありき。これはこうなんだろ?……では、とてもドキュメンタリーとは呼べないと思うんだよ。撮ってるうちに意外な事実が現場で見つかったりした方が、絶対面白いって。 唐沢 ところがお茶の間というのは、そこまで求めてないんだよ。取材される側にしても、大御所のベテラン漫画家ってのはだいたい、取材相手が乗ってくるような“いい話”を振ったりするぐらい小慣れていたりするからね。なをきみたいなカルト的体質の漫画家は、そこまで相手にサービスするような気持ちはハナから持ち合わせていないわけで。まあ、これはNHKに限らず、どこのテレビ局でも同じようなケースは増えていると思う。 村崎 そういえばオレも以前、 似たような経験があるんだよ。もう10年以上前にオレがゴミ漁りの変態ライターとして売り出したときに、夕方のニュース番組が取材に来たんだけど、オレ自身は“女の顔の美醜は一切問わない。誰でもいいから近所の普通の姉ちゃんの下着を漁ってそれに欲情する変態”なのに、先方は“アイドルや若い美女のゴミを 集めている変態”として取材したがって来たんでちょっと困った。 唐沢 どっちにしろ“変態”かい(笑)。 村崎 どっちにしろ下着フェチの変態に違いはないんだけど、オレにも多少のこだわりはあってね(笑)。要するに彼らのイメージする変態っていうのは、若くてキレイな女にだけ欲情する変態らしいんだけど、生憎オレは根本で女の顔なんて本当にどうでも良くて、アイドルに一切の幻想を持たず、20代から50代くらいまでのフツーの女性ならいく らでも欲情できるストライクゾーンの広大な変態なもんで、近所のオバちゃんや姐ちゃんで充分なのよ(笑)。だから「アイドルや美人じゃないと興味ないのでは?」って質問に「アイドルなんか憧れたことも無いし、女の顔の美醜にも興味は無いよ。だって顔の皮一枚はがしたらその下は一緒でしょ? オレが欲情するのは女の中の最も深い“女性性”であって、美人だのブスだのってのは正直どうでもいいし、ホントいうと深い意味で“女なら誰でもいい”のよ」っていう欲情論を語ったんだけどそこは全カット(笑)。どうも奴らのイメージする「大衆が求めるステロタイプの変態」として描きたかったらしいのね。 唐沢 あー、オレもそういうステロタイプの雑学マニア、として何遍描かれたことか。ステロタイプっていうのが、いちばん視聴者に伝わりやすいイメージだからね。エロ業界人はいつもエロいことばっかりやってる、みたいな。 村崎 ウチの女房もレディコミ漫画家ってことでインタビューされると、いつも決まって真っ先に「私生活でも漫画で描くようなセックスばっかりやってるんですか?」って聞かれてるぞ〜(笑)。そんなのは、漫画家の忙しさを知らない奴じゃないとできねえ類いの質問なんだけど、営業上は「そうです、やりまくりよ!」ってウソ言っといた方がウケがいいのかもなあ……。 唐沢 官能作家の開田あやさんにテレビ局が取材にきたとき、渡された台本を読んでみたら、「性感を高めるために全裸になって執筆する」とか書かれていたらしい。いねえよ、そんなヤツ(笑)。 |