2009年10月17日 2時30分 更新:10月17日 2時30分
栃木県足利市で保育園に通う女児(当時4歳)が殺害された足利事件で、17年半ぶりに釈放された菅家利和さん(63)が16日、東京都内で毎日新聞の単独インタビューに応じた。宇都宮地裁で21日に始まる再審公判を控え「裁判では『菅家さん』と呼んでほしい。単に『無罪』では困る。何十、何百といる中から、どうして自分が犯人として選ばれたのか知りたい」と冤罪(えんざい)の原因究明を求めた。【吉村周平、立上修】
菅家さんは6月4日に無期懲役の刑が執行停止され、再審開始決定を待たずに釈放された。異例のケースだが、再審で無罪判決が出るまで「被告」の立場が続く。
「今は自由ですよ。でも半分被告、半分自由。(刑務所から)出てますから、被告人と言われてもピンとこない。裁判では『菅家さん』と言ってもらいたい。『菅家氏』でもいい」と話す。弁護団も提出した上申書の中で「(被告と呼ぶのは)起訴状朗読の際以外には認めない。事件の呼び上げなどの際にもくれぐれも注意されたい」と求めている。
10月に入り、足利事件に関する供述が含まれる取り調べ録音テープを聞いた。検事に君は人間性がないと迫られ、泣きながら「自白」した。菅家さんは「反省して泣いたんじゃない。悔しかったんです。いくら『やってない』と言っても分かってくれなかった。どうして自分を犯人と決めつけたんだ。自分の立場と検事の立場を逆にすれば絶対、苦しみが分かる」と強い口調で話した。
現在の栃木県警本部長や宇都宮地検検事正らの謝罪に理解を示しながらも「代理では嫌だ。(取り調べをした捜査員や判決を出した裁判官ら)本人が謝ってくれなきゃ勘弁しない」と険しい表情を見せた。再審に向けて「すぐの無罪判決は求めない。17年半も苦しめておいて。裁判で解明してもらわなきゃ困る」として、当時の捜査関係者らが出廷したうえでの原因究明を求めた。
故郷の足利市を訪ねたのは、まだ一度だけ。被害者の松田真実ちゃんが遺棄された河川敷で、花を手向けて手を合わせた。「『おじさんはね、犯人じゃないよ』と報告しに行ったんです。『真実ちゃんのおかげでDNA鑑定ができて助かったよ』とお礼を言ったんです。真実ちゃんのお母さんも『菅家さんが犯人じゃなければ刑務所から出してほしい』と(テレビで)言ってました。四つの子供を殺して逃げるなんて許されない。犯人に時効なんかないです。捕まらない限り、真実ちゃんとご両親が浮かばれないですよ」
【ことば】▽足利事件▽ 90年5月、栃木県足利市のパチンコ店駐車場で行方不明になった女児の遺体は、渡良瀬川河川敷で見つかった。警察庁科学警察研究所による初期のDNA型鑑定で、着衣に付いた体液と菅家さんのものが一致。菅家さんも殺害を認めたとして、栃木県警は91年12月、殺人容疑などで逮捕した。1審途中から否認に転じたが1、2審は無期懲役の判決。最高裁は00年7月、DNA型鑑定の証拠能力を初めて認め、上告を棄却。菅家さんは千葉刑務所に服役した。08年、宇都宮地裁は再審請求を棄却したが、東京高裁がDNA型再鑑定を決定。2人の鑑定医が遺留体液と菅家さんのDNA型は一致しないとする鑑定書を提出し、09年6月、菅家さんは逮捕から17年半ぶりに釈放された。