昔の仲間がみんな離れていくのはなぜでしょう?
検定外理科教科書がベストセラーになった
科学教育の有名人で、
かつて藤岡信勝先生とたくさん共著を出した
左巻健男先生の藤岡信勝評です。
http://home.att.ne.jp/iota/aloysius/tamanoir/mdata/monk25.htmより転載させていただきます。
転載開始
左巻健男@東京大学教育学部附属高等学校(化学)の書込:
>Takashi TOKITAさんは書きました:
>>『「マルクス主義者」時代の藤岡』というのは、進歩的知
>>識人を装うことが出世につながることを敏感に感じていた
>>人ということでは。逆にいえば、そういう計算の上手な人
>>が陣営に加わるほど左翼も強かった。
>~
>>藤岡氏は湾岸戦争のとき渡米し、むこうで米語でも進歩的
>>知識人を装うことが出来なかったので、転向したと言われ
>>ているけど、僕には転向というより、商売換えして、商売
>>繁盛という感じです。
(註=ここから左巻健男先生の文章です)
> この「商売換え」という指摘には同感です。
> ぼくは、かなり一緒に仕事をしました(共編著書をまとめ
>たのは、その一部)が、マルクス主義者とは思いませんでし
>た。「マルクス主義者だった」というのは、本人が言ってい
>るだけです。
> 結局、「進歩的教育学者」(ぼくと仕事をしているときは、
>「無色透明教育学者」を標榜していました。それでも、儲か
>らなかったんですね。「左巻さんは、印税がいっぱい入るで
>しょう」とうらやましそうだったです。
> 今や、彼は、いろいろと講演によばれ、ぼくのようにタダ
>から数万円と違ってウン十万円の講演料です。最近、高級マ
>ンションを購入したという話です。ホント、商売繁盛ですね。
> 東大教育学部(今は大学院大学だから、東大大学院教育学
>研究科)では、彼には院生がつかず、ついていた院生も学さ
>んのほうに替わったりしています。学部長には「あんな教授
>を何で首にしない!」という抗議の手紙がどっさりと来てい
>るという話も聞きます。まあ、「教授会自治」に守られて地
>位を保っているんでしょうね。
> 『世界』誌97年5月号に、”対話の回路を閉ざした「自
>由主義史観」という座談会”がありました。
> そこで、佐藤学さんは、「戦後日本の挫折を演じる藤岡信
>勝氏」と言います。
(註=ここからは左巻先生が「世界」から引用した佐藤学さんの文章です)
>・・・・頭の中を組み換えてしまえばすべてがくつがえると
>いう気分の蔓延です。「自由主義史観」がやっている操作は、
>歴史の書き換えというよりも史観の転換で、頭の中の史観さ
>え転換すれば侵略の事実もぶっ飛んでしまう。そこには内部
>があって外部がない。内部に突入することによってエキセン
>トリックでエゴセントリックなナショナリズムが露呈してい
>ます。
>・・・・そして、その後の彼の研究は、歴史研究は一つもな
>くて、教育の方も学術研究ではなくて、実践の分析と評論が
>中心です。彼は科学技術万能、システム万能志向で、いわば
>教育プログラムのディベロッパーだったんです。(注:つぎ
>に藤岡さんが仮説実験授業、社会科の授業をつくる会、「法
>則化運動」、教育科学研究会を母体に授業づくりのネットワー
>ク、というように転換していく様を紹介)・・・・いつも母
>体があって、そこに参加しながら運動を立ち上げていくとい
>う形です。
> 九〇年前後からは、社会科のディベートを提唱し、九五年
>に右翼的教師とも連帯して「自由主義史観研究会」を組織す
>るわけですが、この時期はソビエトの社会主義の挫折がオー
>バーラップしていますし、彼自身も研究の転換を迫られまし
>た。というのは、東大が大学院を重点化して、アカデミック
>な研究が求められたからです。そこで彼は一大決心をして、
>僕らも励ましたんですが、アメリカに渡った。そしてアメリ
>カの教室におけるナショナリズムを、文化人類学の手法で研
>究して一年で学位論文を書くと言っていましたが、挫折して
>帰国するわけです。・・・・自虐的な日本人ということが語
>られるのはその頃からです。けれども、僕から見ると、彼の
>ほうがよっぽど自虐的です。・・・・(引用以上)
(註=ここまでが佐藤学さんからの引用。左巻先生は最後にこう言います)
> これに対して藤岡さんは、学さんのことを「日本共産党東
>大教育学部支部長」と攻撃しています(^^)。
転載終了
by ureeruhiroshi
藤岡信勝先生は共産党員歴を隠…