ウィルタンクとキナックス「御朱印帳」トップ > お百度ットコム > 十一踏み目 神様との別れ方

十一踏み目 神様との別れ方

2007年07月21日
ookusu1.jpg
>●廃社
所在地 福岡県福岡市南区大楠1丁目
●祭神
 大黒様だった? 
●ご利益
 ご利益はあるのかどうか…。むしろ祟られるかも!
この記事を書いたのは約1年前ですが、この祠は今も同じように、いや若干整理された形でたたずんでいます。

悲しい光景だ

 夏風邪が抜けたようで、昼過ぎに目が覚めた。いい具合の曇り空だったので、リハビリがてら散歩に出た。フラフラッと歩いていると、なんたること。打ち捨てられた祠があるではないか。

 土地はいかにも「管理物件」らしく囲まれていたがカニ歩きで不法侵入。あぁ、悲しい風景だこと。

 この祠、もともとこの土地の屋敷神だったのか? 祠の土台となっているコンクリはむき出し。酒桶やら狛犬やらいろんなものが乱雑に並べられている。
 こんな立派な祠を建てるぐらいだから、ここに住んでいた人は信心深くて、そこそこの分限者だったのだろう。その人がどんな変転でこうなったかは知らないが、祠を打ち捨てるも同然の有様にしてしまったのだから、何となく想像がつく。ookusu2.jpg
 お供えのワンカップが日に焼けていた。
笑みが痛々しい

ookusu3.jpg
 祠の中に鎮座ますますのは、二柱の福々しい面相の神様だ。陶器製で合体しているところを見ると、恵比寿さまと大黒さまなのだろうか。
 表面には黒い塗料がぶっかけられている。もともと黒かった像の、塗料がはげたのか? とも思ったが、そうではないようだ。黒い塗料に、悪意が感じられる。

 まじまじと見ているうちに、いい加減コワくなった。ここでぢっくり眺めていても、何が分かるわけでもない。ookusu4.jpg

 いくらボクが、祟りなんてない。神罰を下すコワい神様なんていない。と常日ごろ考えていたとしても、こういう光景はさすがにこたえる。
 うぅ。何だか視線を感じるな、と思っていたら、金色の般若の面が、ニラミを利かせているではないか。もともとお祀りをしていた方は、なかなのセンスだったようで。

 滞在時間十分足らずで、すたこらさっさ。再びかに歩きをして、この場所を離脱した。


神様のお取り扱い

 気になったので、神様を宿す祠の処理の仕方をインターネットで調べてみた。が、神棚の処分の仕方はあっても、祠の処分情報には、今現在出会えていない。

 神棚は、神社でお焚き上げ(焼却処分)してもらえばよく、その時にはいくらか供養料をお納めするのが大人のルール。ちなみに自治体によっては明確に受け付けないとうたっているところもあるようだが、福岡市の場合は、受け付けない品目に明確に記載されていないし、分別に迷うゴミ一覧にも、神棚・仏壇ともに記載がない。「常識やろ!」ということだな。きっと。

 神様を神棚にお祀りすることを「たなまつり」、祠などを建ててお祀りすることを「ぢまつり」という。
 日本の神様は、分祀、分霊、御霊分けといった形で、どんどん増えて行く。全国に天神社が一万社以上! などというのも、総本宮から御霊分けされたから。神社には、神様が神宿りする依り代となるご神体があるだけなので(こういう書き方をすると、いかにも無礼な感じだな)、神様は実際にはお一人なのかもしれないが、感覚的には「たくさんおられる」という方がしっくり。
 分祀、分霊しても、御本体のパワーは全く減らない。

 ちなみに、神棚や祠で篤く祀る場合ばかりではなく、お札をいただいたりお守りをいただいたりした場合も、神の寄り代をいただくという意味では、御霊分けをしたことと同じだそう。
 お金持ちはお金持ちなりにゴージャスに、貧しくとも出来る範囲のやり方で「マイ神様」を近くにお祀りすることはできるのだ。


 神様は、信じる人によって現れる。ボクは、不敬と思われるかもしれないが、そう考える。となると、放置されたあの祠にはもう、神様は宿らないのだ。
 私情の廃屋。そんな風景ではあるが、それ以上に怪奇や恐怖の念を抱く必要はない。畏怖の気持ちは忘れては行けないと思うが。love%3Barigatominimini.jpg

執筆者: 高野龍也
 1  |  2  |  3  | 全文表示
高野龍也 1971年福岡市生まれ。
印刷会社営業から、地元出版社勤務、フリーペー パー発行などを経てフリーライターに。2001年から3年間、某紙 企画で九州各地を取材して放浪。市町村単位で150市町村を踏破。 2005年10月よりペーパーカンパニーに参画。現在も紙面、企業広報紙、ホームページなどにて執筆。趣味は、写真を撮ること。パイプおよび喫煙。散歩。
コメントを投稿





トラックバック

このエントリーのトラックバックURL