ウィルタンクとキナックス「御朱印帳」トップ > お百度ットコム > 二十五踏み目 地禄神社(塩原)

二十五踏み目 地禄神社(塩原)

2007年08月07日
地禄神社のナゾ

siobaru1.jpg ボクが高校2年生まで住んでいたのは、博多区の那珂というところ。校区内の竹下にも、地禄神社があった。こっくりさんで、油揚げをお供えした神社である。
 塩原にもあるのだが、実は福岡市のいろんなところにあるらしい。地禄神社でググってみると、トップに福岡市立東光小学校 校区おもしろマップが躍り出た。



 ざっとグーグルのページを見てみると、出てくるのは福岡各地の地禄神社ばかり。はたして、地禄神社とは福岡特有の祀り方なのか?
 前述の東光小学校のページによると、貝原益軒が筑前国続風土記(宝永六年・1709年)にも「地禄天満宮」について記述しているから、昔から博多っ子にはおなじみの神様であらせられるようだ。

 境内の縁起によると、「御鎮座の起源は古いが、御由緒は審らかではない」とある。祭神は埴安比古大神(はにやすひこのおおかみ)、埴安比売大神(はにやすひめのおおかみ)で農耕の神様だという。ナゾばかりだが、塩原の地名は、ずっと昔はこの辺りまで海で、シヲをつくっていたことが由来であることは分かった。
 区画整理で現在地に、周辺の神様が集結したようで、さまざまな神様が鎮座されている。
 あ、試みでお百度っとマップを作りました。

拝殿に入ると…

siobaru3.jpg ここの拝殿はコンクリの三和土になっていて、中に入ることができた。参拝を済ませて、中に入ると。本殿の前に、ニャンコが昼寝中だった。写真を撮ろうが鈴をならそうがどこ吹く風。邪魔して悪かったな。相手をしてもらえず、ちょっとすねる。

 拝殿の中にはいろんな絵馬が奉納してある。ボクはこの絵馬が大好きで、しばし眺めていると、面白い絵馬があった。siobaru4.jpg
 剣道大会の味わい深い絵馬、ではなく昭和58年に奉納された、明治36年ごろの塩原村の絵地図。右の写真をクリックすると拡大されるが、一つの村にたくさんの神社やお堂があったことが分かる。これだけ神様に囲まれて暮らしていたんだぁ、と感動した。村全体に結界を張って、安心して暮らしていたんだろうな。
 数年前話題になった「神の国発言」。「神頼みの国」だととらえると、あながち間違えじゃない気がする。
神様いろいろ

siobaru6.jpg 境内には、貴船神社や猿田彦大神、稲荷社、天満神社などの摂社がずらり。絵馬にあったお社が集まってきたというのがよく分かる。

貴船神社は、京都のそれが本宮で、気の生まれる場所だという。おまけに本宮は「丑の刻詣り」が盛んということで、ぜひ丑三つ時に参ってみたい。

siobaru7.jpgsiobaru8.jpg 境内には立派な楠木がある。まだまだ「森」(巨大な楠木は、それだけで森と呼ばれる)までには及ばないものの、この枝振りをみているとホッとする。絵地図にあった「忠魂碑」も移築されている。しかし「忠魂」という言葉、なんだかググッと迫ってくるものがあるなぁ。「身捨つるほどの祖国ありや」という寺山修司の言葉も思い出した。 

 いろいろなことを考えながら、地禄神社の前にある公園で休憩していると、パトカーが目の前に止まった。「何してるんですか?」とショクシツされ、ボクは現実に引き戻された。

執筆者: 高野龍也
 1  |  2  |  3  | 全文表示
高野龍也 1971年福岡市生まれ。
印刷会社営業から、地元出版社勤務、フリーペー パー発行などを経てフリーライターに。2001年から3年間、某紙 企画で九州各地を取材して放浪。市町村単位で150市町村を踏破。 2005年10月よりペーパーカンパニーに参画。現在も紙面、企業広報紙、ホームページなどにて執筆。趣味は、写真を撮ること。パイプおよび喫煙。散歩。
コメントを投稿





トラックバック

このエントリーのトラックバックURL