高橋玄
 
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |oldest Next >>
2009-10-14 19:39:10

千秋楽

Theme: ブログ

予てから予告の通り、

今回を以てブログの終了とします。

もとより「ポチの告白」「GOTH」の公開宣伝に即した期間限定だったので。


スタッフには消去するように言ってあるんだけど

このブログは、残っていても更新はされません。


このブログは、1日平均300~400アクセスあった。

愛読してくれた方も少なくないようでメールを頂くけれども

私が次なる段階に進むためには

ブログはやるべきことではないので、ご理解下さい。


それにしても、「ポチの告白」「GOTH」の公開を通じて

あらためて判ったことだが、

日本の映画人というのは変わった連中ばかりだ。


この私の2作の公開でオファーがあるのは外国ばかりで

同国人からは、12月25「日に「CHARON」をDVD発売する1社のみ。


日本で映画で成功しようというのは、

ゴビ砂漠にスイカ畑を作るよりも困難だということだ。

同じテーマの最新記事
2009-10-11 20:34:05

福田君を殺して何になる-光市母子殺害事件の陥穽(かんせい)-

Theme: 社会

大手マスコミの「演出」による

著作者バッシングが増長し過ぎの感があるので

ここで著作者と版元の友人として、もう少し踏み込んで(あえて感情的に)意見を述べる。


第一に、実際に本を読まないで批判していると思しき者が少なくない。

映画でいえば、一昨年に話題を集めた

中国人ドキュメンタリー監督の「靖国-YASUKUNI-」の現象と似ている。

あのときも、是非を表明している者の多くが「実はまだ観てないのだが」と平然といってのけていた。

「読む気すらない」のは勝手だが、それでいて邪推で文句をつけているなら

批判ではなく野次かヒステリーかだ。


私は子の親でもあるから、

死刑制度廃止という観点とは別次元に、福田は死刑でも当然だという立場だ。

それは現在の日本での極刑が死刑であるからで

生き地獄を死ぬまで科する終身刑がないからだ。


それでも、私は同著の読後に

実名であることのスキャンダリズムや不必要性を感じなかった。

友人だからという理由ではない。

私などは友人であるほど偽善には厳しいほうだ。


「仮名でも書けたはずだ」という批判や指摘は

物書きとして、まったく的外れな見解である。

正しくは「自分が書くなら仮名にした」というだけのことで

それぞれの物書きは、それぞれのテーマや理念をもって書いているわけで

仮にもプロの文筆家が「仮名でも書けた」というなら、自分が同じテーマを著し反証すべきである。


もうひとついえば、「仮名でも書けたはず」派や「書く力」派の御仁の論は、

逆説的に「本当はできれば実名で書きたいけれども、誰もが直球ではない勝負をしているのに

おまえは、平然と直球なのかよ」という本音を反映させている。


どこのジャーナリストに「実名で書かないことが本懐だ」というやつがいるんだよ?

そんなやつがいるなら、ジャーナリストではなく、それこそフィクション作家か、売文家だ。

「事実」をそのまま書くということは

単純に思われながら、最も覚悟のいることで、増田美智子にも覚悟がある。


それを自身ではできない者たちが、年若い女がデビュー作として書いた本を

必死で村八分にしようとしているとしか思えない・・・というより、そうだろうがよ?


また本件をして「売名行為」だの「商業目的」だのというのも

見当違いである。

このようなアホな「批判」をする連中は、仮に増田がペンネームを使っていたら

「責任を回避するため筆名を使っている」などと言うのだ。


商業主義と生活権では意味が違う。

ルポライターだろうがドキュメンタリー作家であろうが、

それを職業化することは職業選択の自由で、

また、職種の如何を問わず成果に対する対価が生じることなど常識だ。


題名にも実名を表したことが売文目的というのは

作家のスタンスそれ自体を否定するものだ。


だいたい、裁判ってもの自体、すべて「カネ」で解決するってことなんだから

事実の評価や紛争が無償なわけがないだろうが。

わからない人は「懲役」という意味を調べてね。


先頃の酒井法子の逮捕劇を報じたメディアが、

公益性のために番組を組んだと思うのか?

視聴率が取れない題材は、どれほど社会性や公益性がある問題でも

簡単にはテレビ番組にはならない。

私自身、昔は報道番組の企画にも関わったので断言するが

テレビ局は「意義はわかったけど、数字は取れないよな」としか反応しない。


本件の著者を売名ライターというならば

世のほとんどすべての「メディア」とやらが商業目的ということになる・・・実際、そうだし。

独立資本の出版と違って、放送キー局は、スポンサーがつくから番組ができる。

画面に出ている司会者やコメンテーターも報酬を得ている。

光市母子殺害事件の報道番組で、無報酬の番組があったなら教えて欲しいね。


著者・増田美智子がおとなしそうな女性のフリーランス作家だから

好き放題に「批判めいたバッシング」をする風潮は、いかにも日本的なメンタリティだ。

特にメディアやプロたる作家たちは、本当は「叩きたい」だけだ。

自分が不安になるからな。


それら作家だの有識者だのが叩くわりには

本が売れている事実が、庶民感情を代弁している。

たとえば、グルメ評論家が「不味いよ」と採点した店には客は来ない。

大衆が訴求するものを書いて批判されるなら、プロの作家は売れてはいけないことになるな。


ついでに疑問があるのだが、

これまで誰か、犠牲者(私は被害者という言葉を使わない)や遺族の本村さんについて

仮名にすべきだと主張したかね?

それは当然だとでも言う気か?なんで?


法的には付言するまでもなく、道義的にも常識的にも

いったいどっちの「不利益」だった出来事だと思っているのか。

そのうえで増田は「福田君に死んで欲しくない」という立場で本を書いている。

私は間違っても死んで欲しくはないと思わないから、

本来なら同著を批判的に読む態度である。

それでも、本を読めば増田の「愚直」な試みは評価に値する。


圧巻は、犠牲者遺族たる本村さんの言葉を得ているところだ。

増田が「一方の当事者である本村さんのお話を聞かずには書けません」というインタビューの申し込みに

本村さんも直球を返す・・・「一方の当事者ではなく、当事者とはこちらのことなのだ」と。


これは、当該事件で誰も聞き出すことができなかった

まさに真実の叫びだ。

本村さんは増田の取材要請を断るのだが、実際には断る理由の中で

本音を語っている・・・しかも、電話で。

やや、オカルト的にいえば、電話で初めての相手に本音を語るなどというのは

本村さんが、増田に対して、

なにかしら「偽りがない」気配のようなものを感じ取ったからではないのか。


私は増田本人にも本の感想を送った。

確かに、作家としての筆力はまだ拙い。

実名うんぬん以前に表題も単純すぎるし(そのわりに「陥穽(かんせい)」なんて難しい言葉を使う。おれも読めなかったよ。落とし穴とかって意味なんだよな)。


だが、判例、慣例、前例に準じることで「職業物書き」でいようとするやつらよりも

根性は感じた。

「カネ」は、おまえらのほうじゃねえのか?

2009-10-08 08:54:52

新宿インシデント+インシデンツ

Theme: 映画

今月、DVD発売&レンタルされるジャッキー・チェン主演最新作

「新宿インシデント」(原題:新宿事件)は傑作である。


劇場で見逃したので、DVDを一足先に関係者から貰って観たのだが、

ジャッキー映画というより、イー・トンシンの映画だ。

イー・トンシンという香港の映画監督は、

日本でもヒット作「つきせぬ想い」が知られているところだが

いわゆる、香港映画の主流とは違った内向的なドラマを得意とする演出家だ。


「新宿インシデント」は、

90年代初期、新宿に集まった不法入国の中国人たちが

日本のヤクザや警察と関係しながら、

生き抜くために抗争を繰り広げた実話をモデルにした

一種のハードボイルドな物語だが、

まっとうだった大陸の中国人が、日本のカネにまみれて自滅する悲劇でもある。


イー・トンシン監督では「ワン・ナイト・イン・モンコック」という傑作がある。

「新宿インシデント」でも主演のダニエル・ウーが中国大陸の貧村の青年で

村を食わせるために香港で殺し屋になる話だ。

夜間撮影や、セットではない実際のロケーション撮影がものすごく巧い監督で

「新宿インシデント」も、「ワン・ナイト・イン・モンコック」東京版として観ることができる。


90年代の新宿の裏側といえば

私自身も立ち入った社会なので、よくわかるのだけれども

まずは、この映画の脚本のリアルさに感心した。

リサーチだけでは、ここまで書けないはずだと思っていたら

脚本指導のクレジットに李小牧の名があって納得。

そういえば、以前に李氏が

「監督のイー・トンシンと打ち合わせを重ねている」と話していた。

私がジャッキーを訪問しに行った池袋の撮影現場でも

李氏と顔を会わせていた。


池袋は、新宿界隈の路地として撮影されている。

いまは都市開発でなくなった池袋の人世横町のエリア全体を板塀で囲って

オープン・セットのようにしてロケをやっていた。

誰もこんな場所に香港映画のスターたちが集結しているとは知らないなか

淡々と進行する撮影現場を思い出した。


映画には、主演のひとりダニエル・ウーをはじめ、

加藤雅也、宮本大誠、永倉大輔、速水今日子など私の映画に出演歴のある

友人知人の俳優が勢揃いで、

スタッフもうちでやった人が少なくない。


パチンコ屋店長の役で中田圭が出演しているが(田中圭じゃないよ。うちの監督のほう)

ダニエルやジャッキーとの共演だった。

昔、香港にいた頃は、ダニエルと中田と3人でよく遊んでいたので

時が経ったことを実感する。


中田を知っている俳優たちが、中田が大きな扱いだったので意外に思ったそうだが

中田圭は香港では何本もの映画にいずれも大きな役で出演歴があり

香港映画界ではよく知られた男だ。

ダニエルとも親友だし、監督のイー・トンシンも東京で撮る映画だからと

中田に気を使って、わざわざ役を用意したのである。


この映画の日本側主演の加藤さんも竹中直人氏も中田とは親しい。

彼らは有名芸能人である一方で、

マスコミ的知名度と、映画的な価値観の違いをわかっていて、

だからこそ、こういう企画が巡ってくるのだろう。


ジャッキー自身にとっても「新宿インシデント」は大きな成果だろう。

これまで観た日本を舞台にした外国映画のなかでも指折りの傑作だと思う。

海外では、すでに英語版DVDなども出ているはずだが、お薦めです。


で、インシデントといえば

「ポチの告白」のムック本を出版した寺澤有の出版社も「インシデンツ」(事件、の意味ですね)というのだが、

同社が、光市母子殺害事件の被告である「元少年」について書いたノンフィクション

「福田君を殺して何になる?」を昨日出版してニュースになっていた。


著者は、増田美智子。

やはり「ポチの告白」を完成時期にいち早くインターネット・マガジンで紹介してくれた才女で

私も直接つきあいがある。

その本が、「上告中の元少年」の許諾を得ずに彼の実名を公開していることを理由に

「元少年」弁護士から出版差し止めの仮処分申請を出されている。


私の意見では、この本に限らず

事実を記録、報道するものでは実名で著して当然だと考える。


「被害者よりも加害者の人権が偏重されている」うんぬんを言われることがあるけれども

その議論や少年法の解釈とはべつに、

日本では建前上の習慣として仮名が定着していることで

実名報道が問題視される場合が多いような気がする。


第一、著者・増田美智子は

加害者の人権の側に立って今度の本を書いているはずで、

そのへんは私とは見解が違うのだが、

実名報道については、なにも不当でも疑問でもない。


少年法で定められているのだ、という人もいるが

現に「少年」の概念と実質が変容しているいまの時代に

少年法の解釈のみで実名報道を違法というのは本末転倒である。


少年法を守るだとか、死刑廃止を推進するだとかの材料として

母子が不条理に殺されたのではない。

私は「自分の手で殺す」とテレビで宣言した本村氏を圧倒的に支持する。

有名な「手紙」の内容を知っている者なら、

誰でもそう思うような気がする。

「手紙」は、「元少年」こと福田が拘置所から友人に送ったものだが、

ここで内容を説明するのも気分が悪くなるので、知らない人は自分で調べてください(ネットでも出てきます)。

みんな、自分の身には起きないと信じているから、呑気なことがいえるのではないだろうか。


しかし、増田美智子は、ある種ヒステリックになりがちな、こうした議論の単純化をやめて

まず社会が事実を共有するべきだというジン・テーゼとして本にしたのだと思う。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |oldest Next >>
powered by Ameba by CyberAgent