2009年10月15日

政治活動・暴力と非暴力の狭間で

政治活動・暴力と非暴力の狭間で

 思想戦争という一面も考えなければならない。
 
 ブログランキング ブログランキング応援クリックお願いします。


 先ずは新しいエントリーに入る前に、昨日のエントリーに200以上のコメントがありました。その多くがチャンネル桜とは争うことなく、出来れば左翼・反日勢力に対して、共に戦って欲しいという意見でした。

 我々は別にチャンネル桜側と争う考えなど毛頭ありません。相手側は我々から見れば大きな力を持っており、比較するほうが失礼というものでしょう。

 批判に対しては、沈黙することはないが、こちら側から敢えてこれ以上、意見を申し上げる必要はないと思うので、今回の件についてのこれ以上の意見の表明は致しません。

 ご心配を頂いた多くの皆様に、この場をお借りして感謝の意を申し上げると同時にお騒がせしたことに関してお詫びを申し上げておきます。

 さて、今朝のエントリーについて、又驚かれた方もいると思いますが、これは先に申し上げるなら暴力を是とするものではありません。

  これまで何度か書いてきたように、私自身は政治テロについては、これを今後一切容認しないという立場をこのブログで宣言しております。

 せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:極右「テロ絶縁・非暴力宣言」
 
 最近になってブログを読み始めた人には是非読んで頂きたいものです。この決意の表明はネットの力を信じ、ネットによる日本の政治変革への希望を抱いたからでした。この信念は今でも変わるものではありません。

 では、何故今回「政治活動・暴力と非暴力」というエントリーを敢えて書くかと言えば、それは我々の「行動する保守運動」について、暴力的でならず者という執拗な批判を浴びせてくるものがいるからです。

 我々は左翼のように自らの目的のためには手段を正当化するような大衆を巻き込んだ革命論を主張したことは一度もない。マルクスは暴力によって社会を変えることを何とも思っていなかった。

 そのような左翼が今でも実権を握る国家が支那・中国であり北朝鮮というならず者国家です。よってこのような国家においては国民は共産党の一党独裁の下で暴力的に支配され、その圧政に苦しんでいる。

 民主主義社会において発言の自由が守られているのに、その全体主義体制の国家を批判することなく、チベット・東トルキスタンなどの民族虐殺問題を内政干渉となるので、批判しないなどと述べることは、暴力を容認する発言として厳しく断罪されなければならない。

 支那・中国問題の本質はそこにあるのです。我々の池袋における支那・中国人に対する批判活動は、左翼共産主義との思想戦争でもあるわけです。

 我々の活動を支那人排斥の民族差別活動として批判する人達に言いたいことは、この戦いの本質は<自由か共産か>という人類社会に課せられてきた根本的な問題があるということです。

 我々の活動を暴力的であると批判する人達は、今支那大陸で行なわれている巨大な殺戮を伴った暴力に対して、何故沈黙するのかに答えなくてはならない。

 政治活動、特に大変革を求める革命や維新の場合、暴力との関連について常に問題とされてきた。革命などで暴力を肯定する考えは西欧社会において論議されてきたと思います。

君主論/マキャベリ著 ... そう感じてしまうのは仕方がないのかなぁとか思ったりする昨今ですが、政治家には少なくともこの君主論を何度でも読んで、しっかりと現実の政治にフィードバックさせて欲しいのですが、残念ながら曲解しそうですな。

 戦いには二つの方法があることを承知しておかねばならない。第一は法による。第二は暴力による。第一の方法だけでは十分でないとなれば、暫くの間は第二の方法に頼らねばならぬこともある。

 又次のよう考えを説いた人もいます。
... ジュスト. 200年前、天使と呼ばれた革命家がいた. 1794年7月28日、フランス革命の若き指導者、サン ... その美貌と廉潔さ、妥協を許さない峻厳な理論と行動によって、「死の大天使」と呼ばれ、恐れられた青年の短くも鮮烈な生涯の軌跡をたどってみたいという有志が集い、1999年「サン=ジュスト研究会」が発足した。 ...

「人間の心は自然から暴力へ、暴力からモラルへ進む」

 自らが断頭台の上に上らなければならなかった彼は、革命と暴力について、この言葉を未来への希望として語った。

 これに対して、徹底的に暴力を否定したのはインドのマハトマ・ガンジーでした。「悪の手中の武器を善と愛と慈悲によってのみ無効とする。」

 我々はこの二つのことを常に考えておかねばならないと思います。暴力はいけないが、人間の本質はまた暴力的でもあるのです。これは人間的であるということでもあります。我々を暴力的だと批判する人達が、では自分達がガンジーと同様の立場であるのかと私は問いたい。

 又、暴力とは何も手を出す、足を出す、口汚く罵るという物理的なものだけではない。巨額な資金力・組織力を背景に行なわれる為政者の政治も時には暴力的であると批判されることもある。

 巨大なマスメディアの暴力だって、時には許しがたいものがある。そこから比べたら我々の行為などささやかなものに過ぎない。巨大な暴力に立ち向かう「覚悟や勇気」について語ることはあっても、それを組織的に振るったことなどない。

 最後になります。私は我々が採ってきた映像戦略そのものは素晴らしいと思うし、この映像を広めることがなかったら、我々「行動する運動」のこれほどの短期間における成長はなかったと思う一人です。

 しかし、ここに我々が注意をしなければならない問題もまたありました。それは映像がセンセーショナルなものとしてだけ捉えられ、基礎となるべき事実が隠れてしまっていることです。

 何故、そのような状況が作り出されてしまったのか?そのことをよりこれまで以上に言わなければならない。そうしないと我々が暴力的な存在でしかないという批判を跳ね返せないからです。

 いずれにしても今回の問題は敵対的な間における戦いよりも、より深い内面的な関係においても批判が起きることを知っただけでも十分でした。最初にしっかりと説明をしておかねばならないということも知りました。

 互いに一種の緊張状態・関係を維持しながら切磋琢磨して進むことも又大切なことかもしれません。又互いに理解し合えるときがいずれくるかも知れません。


 ブログランキング

↑↑ブログランキング応援クリックお願いします。 
 



Posted by the_radical_right at 08:24│Comments(4)TrackBack(0)この記事をクリップ!現代維新講座 

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/the_radical_right/52354353
この記事へのコメント
【ガンジーは暴力を選べと言っていた!】
 卑怯か暴力かのどちらかを選ぶ以外に道がないならば、わたしは暴力をすすめるだろうと信じている。だからこそ、1908年にわたしが瀕死の暴行をうけたときに、もしわたしの長男がその場に居合わせたとしたら、彼はどうすべきであったか――逃げ出してわたしを見殺しにするべきか、それとも、彼の用いることのできる、また用いようと思う腕力に訴えてわたしを護るべきであったかと訪ねたとき、わたしは息子に、暴力に訴えてもわたしを護るのが彼の義務であると語ったのである。
(『ヤング・インディア』1920年8月11日号)


『ヤング・インディア』はガンジーが刊行した週刊新聞。訳文はみすず書房『わたしの非暴力』森本達雄訳による。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/21467/21109/6756824
Posted by 通りすがりの草莽人 at 2009年10月15日 08:29
【ガンジーは暴力を選べと言っていた!】

 弱い者にかぎって、自分が臆病であるために、自分自身の名誉や配下の者の名誉を護ることができなくなったときに、会議派の信条とかわたしの助言を隠れ蓑にしてきたことは、わたしもしばしば指摘してきたところである。非協力運動が最高潮に達したときに、ペディア付近で起こった事件のことを思い出す。村人が何人か略奪に遭った。彼らは、妻も子も所持品も略奪者のなすがままにして逃亡したのである。わたしがこのように責任を顧みなかった彼らの卑劣さを非難すると、彼らは臆面もなく、非暴力を言い訳にした。わたしは公然と彼らの行為を非難して言った――わたしの非暴力主義は、非暴力のことは考えるいとまもなく、ただ女や子供達の名誉を守った者たちのふるった暴力と完全に調和する、と。非暴力は臆病をごまかす隠れ蓑ではなく、勇者の最高の美徳である。非暴力を行うには、剣士よりはるかに大きな勇気が要る。臆病は全く非暴力と相容れない。
(『ヤング・インディア』1926年8月12日号)

『ヤング・インディア』はガンジーが刊行した週刊新聞。訳文はみすず書房『わたしの非暴力』森本達雄訳による。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/21467/21109/6756824
Posted by 通りすがりの草莽人 at 2009年10月15日 08:30
タイトル下

思想闘争のいう→思想闘争という
Posted by 訂正してね at 2009年10月15日 08:38
よろ
Posted by 上とこれ消してね at 2009年10月15日 08:38

コメントする

名前
URL
 
  絵文字