私事ですが
ラビリンス 魔王の迷宮 コレクターズ・エディション [DVD] 価格:¥ 1,980(税込) 発売日:2009-06-03 |
1975年4月創設。亜庭じゅん、原田央男、米澤嘉博が中心メンバー。漫画批評誌の発行、新たな形でのイベント創出を2本柱とした。山上たつひこの『喜劇新思想大系』に倣い、誌名は『漫画新批評大系』とした。と、ここには三人の名前が出ているわけなんだが、この迷宮が母体となってコミックマーケットが始まるわけだ。同じくWikipediaの記述なんだが、
初期は「迷宮」による運営で実質的には原田央男、亜庭じゅん、米澤嘉博、高宮成河の4人が中心となっていた。名称も「準備委員会」だったり「準備会」だったりと、一定しなかった(C1では「準備委員会」)。米澤は、準備会が現在の(独立した組織としての)原形を持つ(ようになった)のは自身が代表になってからとしている(コミックマーケット準備会『コミックマーケット30'sファイル』)。原田は1979年7月28~29日開催のC12を最後に、準備会の運営から離れた。コミケが迷宮から離れて独自組織を作るようになったのは、雑用が異状に多いからですね。米澤氏は大学6年生でヒマだったので、公務員だったり映画会社勤務だったりする他のメンバーには出来ない「コミケ代表」というのを引き受けたわけです。まぁ、分離してからも人間はダブっていて、古くからの仲間なので、往来はあった。ちなみに、コミケの初期から参加していたメンバーというと、大阪では「いしいひさいち」とか、東京では「さべあのま」「高野文子」とかです。
コミックマーケットというのは、当初は「自作の漫画を発表する場」として作られたんだが、やってみると少女漫画マニアの巣窟になってしまって、おいら、5、6回目くらいからしか知らないんだが、その頃からコスプレ少女がいました。何人もいました。自作のエプロンドレスで板橋区民会館占領してはしゃいでました。ちなみに米澤氏の奥さんは「ベル」と呼ばれるんだが、昔、萩尾望都の漫画の「メリーベル」のコスプレしてたからですね。ジングルベルとも呼ばれたがw
それが、大田区産業会館に移り、やがてアニメマニアに占領されるようになる。いずれにせよ、当初彼らが目指した創作漫画の発表の場とは違ったモノになって行くんだが、それは米澤氏がダボハゼみたいに貪欲に「漫画だったら何でもOK」という人物だったからですね。他のメンバーは、それぞれ「好きな漫画ジャンル」というのがあって、極端な話「漫画を読む前には手を洗おう、劇画を読んだら手を洗おう」という標語まであったほどなんだが、米澤氏には好き嫌いがなかったわけです。漫画に関する限り、すべてのジャンルに精通していて、関心を持って見ていた。コミケの発展は、そんな彼のテリトリーの広さゆえです。
ところで、おいらと米澤氏との接点というのは、大学在学中ではあるんだが、学校とは何の関係もありません。おいら、明治大学で漫画研究会に入っていたんだが、米澤氏はSF研究会だったと思う。しかも、彼は工学部、おいら文学部。場所が違います。しかも、おいらは明治を二年で中退して別の大学を出ている。卒業した年は同じなんだが、そんなわけで学校での接点は皆無です。それがどうして知り合う事になったのかというと、話はおいらが二つ目の大学で3年生やっていた頃です。
おいら、上板橋に住んでいたんだが、同じ上板橋在住で、迷宮の関係者がいたわけです。長谷川君といったか、少女漫画が好きな人で、コツコツと働きながら漫画を集めていた。どこで知り合ったか忘れたが、貸本屋だったかも知れない。その長谷川君から「迷宮」や「コミケ」の話を聞いて、渋谷井の頭線改札口の上にあった喫茶店の集会に行ってみたわけです。
当時、毎週金曜日の夜になると集まっていて、そこで「迷宮」発行の「漫画新批評大系」の編集作業やったり、「コミックマーケット」の準備やったり、雑談したり、まぁ、当時は少なかった漫画愛好家の「場」となっていたわけですね。おいら、大学当時は「三流エロ劇画」にしか興味がない、という極端な人間だったので、他のメンバーとは話も出来ない状態なんだが、明治大学5年生の米澤氏だけは違う。どんなマイナーな作家でも知ってるし、エロ劇画ネタでも延々と蘊蓄を語れるわけだ。なので、つい、米澤氏の顔見たさにズルズルと毎週、集会に行くんだが、そんな中、漫画評論同人誌「漫画新批評大系」が三流エロ劇画の特集をやろう、という話が出てくるわけだ。となると、そんなモノを熱心に読んでいるのは多くないので、「迷宮メンバー」とは言えない立場のおいらにもお鉢がまわってくるわけです。しかも、その話が発展して、商業誌である「新評」の増刊という舞台で「三流劇画特集」というのが組まれる。かくして、おいらと米澤氏の大学卒業直前までは、そんなバタバタで過ぎたわけだ。二人とも大学卒業までに6年かかっているという劣等生ですw
そんな事やってりゃ、まともな就職なんか出来るわけもないんで、おいらは「取材」の過程でたまたま知り合ったみのり書房というところに誘われてそのまま編集者になり、他の迷宮・コミケ関係の人間でも出版社に就職した人がいたんだが、米澤氏だけは、在学中から原稿書きの仕事が多少あったので、それをアテにして就職しないまま、コミケの代表になる。
もっとも、コミケの代表なんてのは「食える」商売ではなかったわけで、原稿書きだけでは食えず、米澤氏は「編集」の仕事も請け負います。竹熊さんちで書かれている「亀和田武氏が劇画アリスの編集長をしていて、ここに米沢さんも関わられていた」というのは、そこら辺の事情です。おいら、みのり書房でpekeという漫画誌作って売れなくて辞めてアリス出版に移るんだが、それにも米澤氏が関わってます。つうか、みのり書房時代にもおいらと米澤氏はしょっちゅう会っていて、私生活でも仕事でも交流があった。で、アリス出版では、ずいぶん米澤氏の力を借りたわけです。劇画アリスは途中で亀和田氏が退職したために米澤氏が編集長になっているし、米澤氏の後輩にあたる「青葉伊賀丸」という男が手伝ったりしていた。
そんな事情があって、同人誌時代をよく知らない出版関係者の間では、おいらも米澤氏もいっしょくたに「迷宮関係者」と認識されているという部分はあるんだが、厳密に言うと若干違う部分もあるわけです。まぁ、どうでもいいような話ではあるんだか、当人が書いておかないと、誤解されたままになってしまうので、とりあえず書いておきました。
> 「迷宮の山田さん」
今ではエロスの迷宮の住人ですかwww
投稿 neuro | 2009/10/13 19:53
住人どころかエロの神様ですwww
投稿 ひろ | 2009/10/13 20:07
なるほど、話が深いですね。コミケの発祥とその歴史をNHKの「プロジェクトX」でぜひやってくれないかな。やるべきだと思う。
投稿 ゆ | 2009/10/13 20:31
なぬ、オヌシ明治大学か。
どうせ授業なんかろくに出ず、本館前を通り越して斜め右カ―ブ、パチンコ屋か雀荘の4年間おっと2年間か、1・2年は和泉校舎だったな。
「何にもしないで卒業し世に出て恥かく明大生」って唄われたもんだなぁ~
なに、今も恥かいてるって!
そうだろ、そうだろ、死んでも恥かくなぁ~
俺も同類。
御茶ノ水カルチェラタン、覚えてるか懐かしいなぁ~
投稿 アストン | 2009/10/13 20:59
貴重なお話をありがとうございました。「迷宮」と聞いて、反射的に「地球ロマン」とか「武邑」とか「武田」とかいうキーワードが浮かんでビビリました。面白い時代だったと、今では思えますが、当時は目が回りそうでした。
投稿 aw | 2009/10/13 22:20
コミケ自体はあまり知らないんですが、みのり書房のアニメ雑誌OUTを少しHな雑誌だと思いながら面白いので読んでましたw
SFマガジンで読んだ亀和田武さんの「まだ地上的な天使」はつよーく印象に残ってます。
「ラビリンスー魔王の迷宮」の魔王役デビッドボウイが歌う「アンダーグラウンド」は渋い歌でしたw
投稿 迷宮じゃなくてもどこでも迷子 | 2009/10/13 23:59
新評というと、今は本棚に無い、黄色い表紙の新評別冊「石井隆の世界」を、なつかしく思い出す。当時、石井隆の細密な描写に夢中になって、漫画大快楽だったか、増刊号が出るたびに買いためて、自分のお宝にしていた。その頃、本屋で見つけて買ったのが、「石井隆の世界」。意外だったのは、敬愛する作家野呂邦暢が、「名美さん」に関するエッセイを寄稿していた事で、あの作家も石井隆のファンなのだと思うと、えらく身近に感じられたものだ。しかし、後年文藝春秋から出た、野呂邦暢の作品集巻末の年譜、作品年譜には、何故かこのエッセイが未記載。(昭和54年頃に載っていなければならないのだが、さすがに女性研究者は、この手の雑誌まではカヴァーしないのか) 確かに読んだ記憶があるので、幻ではないと思うのだが、社会人になって家を出ている間に、本棚を整理されて、活字だけの本のみ残され、劇画類は全部処分されてしまったので、今は手元に無く、確認できないのが残念。 前にも、新評に関する記事読ませてもらって、なるほどそういう背景の雑誌だったのかと、色々教えられました。感謝。
投稿 awasho | 2009/10/14 00:05
題字ネットゲリラ\(^o^)/ハジマッタ
キ
タ
ァ
ァ
ァ
ァ
ァ
ァ
ァ
ァ
ァ
ァ
ァ
ヽ\ //
,、_,、 。
゚ (゚jコ゚)っ ゚
(っノ
`J
投稿 一八八 | 2009/10/14 00:14
しかし、明治の人は面白いひとが多いですね。
それに引き換え、上智やICU出身の人って
全然、社会で見たことない聞いたことないですけど、元気ですか?
(芸能人と政治家のエセ上智はさておき)
投稿 とり | 2009/10/14 00:31
亀和田武ってワイドショーのコメンテーターとしてしか知らないので、エロ本出身とは意外だった。
投稿 月刊毎日新聞 | 2009/10/14 01:37
以前から感じる所ですがネットゲリラさんって活字の世界に戻りたいんでしょ
社会的地位として今の会社を見なければならない責任感、、しかし本当の自分は活字の世界で生きたかったという気持ちが随所に見られます。
活字、表現の世界でいき続けた人からしたらネットゲリラさんはどうみえるんだろうとか、、どこでもいるよなぁ先輩面した鬱陶しい奴お前もう引退したんだろ、クチダスナヤ、、お前なんて親の事業をついで楽な道にいったじゃないか、金もってるからスポンサーになってくれるかも、ネットの時代だやる気があるなら一緒にまたやってみようぜ、などなどどうなんでしょうね 誰かから声かかりました?
それにしても漫画研究会って暗いなぁw
学生時代の階級で言えば最底辺じゃん=無線グラブとためはれそーだな 今で言う抱き枕に腰を振るキモオタと同等でしょw
ネトウヨ叩きって言ってみれば同類相憐れむって奴ですかねw
昔の俺を見てるようでいらつくとか?w
とはいえ尊敬するネトゲリさん人生は一度っきりだし今の仕事を部下なりに譲ってどーんと活字の世界に戻ってみてはいかがでしょ?応援したいです
投稿 鳥++ | 2009/10/14 03:48
やっぱり、じゃず屋さんとの音楽談義が忘れられません。ありがとうございました。
投稿 阿井卯栄男 | 2009/10/14 05:22
久々のコミケネタ興奮熟読。
70、80年代のオタクを取り巻く空気がたまらんです。
今より圧倒的に媒体も作品も無い時代に、今より熱くオタライフで盛り上がれてたのはすげーなーって感心します。
亀和田氏って以前テレビ出てた頃ちょいわるオヤジ風のすげーいい男だったけど、若い頃からイケメンだったんですかね。
投稿 垢 | 2009/10/14 05:35
元アウシタンとしては、みのり書房の名前が懐かしいですな・・・
PEKEにしろアランにしろ、はたまた、漫画ブリッコにしろ
40代以上でなければ直接の関わりは無いでしょう。
どろどろしたカオスでしたが、裏道で駄べる楽しさがあったような気がします。
懐かしいネタでした
投稿 TOR | 2009/10/14 06:23
亀和田さん。。よく競馬場でお見かけしました。。。
有名な方は上の階の貴賓室とか記者席にいらっしゃるのに。。。
一般の人々に交じって観戦していらっしゃったのが。。。印象的でした。。。
みのり書房。。懐かしい。。。中学校時代「OUT」愛読者でした。。。
投稿 currypanda | 2009/10/14 09:49