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Re: 自分の霊名の聖人を嘲弄する男

 投稿者:彦左衛門  投稿日:2009年 8月29日(土)15時01分53秒
返信・引用
  --------------------------------------------------------------------------------
Re: 自分の霊名の聖人を嘲弄する男 ;

Star Blazerさんさんが非難している対象がおつるさんだとしても、何故そういう非難が出来るのかさっぱり分らぬ。

 どうもこの人は物の道理がわかっていないのではないかと言う懸念が大きい。

 いずれにしても、この非難はおつさんのブログの方で、徹底的に逆批判を受けるべきものだ。だからこれ以上ここで論じようとは思わない。
 

Re: 自分の霊名の聖人を嘲弄する男

 投稿者:おつる  投稿日:2009年 8月29日(土)11時54分13秒
返信・引用
  > No.3834[元記事へ]

Star Blazerさんへのお返事です。

>この掲示板の超有名人が自分のサイトの日記で、こともあろうに自身の霊名の由来となっ>た聖女を嘲弄しています。御参照下さい。

わたしのことですか??
わたし、女なんですけど・・・
わたしは、洗礼でいただいた名前の聖人につねに祈り、大切に思っています。

それと、御参照くださいと書くのであれば、ブログ名だとか
参照ページを示さないと、わからないです。
まあ個人攻撃には慣れていますが・・・

maggieさん kenitchieさん 有難うございます。

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/

 

Re: 自分の霊名の聖人を嘲弄する男

 投稿者:maggie  投稿日:2009年 8月29日(土)09時56分42秒
返信・引用
  > No.3834[元記事へ]

Star Blazerさんへのお返事です。

> この掲示板の超有名人が自分のサイトの日記で、こともあろうに自身の霊名の由来となった聖女を嘲弄しています。御参照下さい。

参照するのは、どこのサイトですか?
どのページか明記してください。意味不明です。

kenitchie さんが書かれたように、おつるさんのことですか?

でも、題名では「男」になってるし・・・
個人攻撃はいけませんけど、意味不明の書き込みでは反応のしようがないので、皆さんに分かるように書いてください。

http://blogs.yahoo.co.jp/st_cuore

 

Re: 自分の霊名の聖人を嘲弄する男

 投稿者:kenitchie  投稿日:2009年 8月29日(土)01時13分43秒
返信・引用
  > No.3834[元記事へ]

Star Blazerさんへのお返事です。

> この掲示板の超有名人が自分のサイトの日記で、こともあろうに自身の霊名の由来となった聖女を嘲弄しています。御参照下さい。

おつるさんのブログ、パラオの話のこと?
聖ジャンヌの話ではないから嘲弄してるとは特に思わなかったかったけど・・・

おつるさんかどうかは別として
あなたの書き方は、この掲示板の禁止事項である個人攻撃のように感じます。
ご本人(超有名人)のブログに直接コメントされてはいかがか。
 

Re: イオタ・ローさんへ

 投稿者:異邦人ヨハネ  投稿日:2009年 8月28日(金)23時51分55秒
返信・引用 編集済
  イオタ・ローさん

> いきなり聖人君子になれるかというとそうではないと思います。
> 少しずつですが、努力するしかなさそうですね。
> まず、自分に出来そうなのは、
>
> 「毎日の祈りの回数を増やしてみる」
> 「どっかのサイトで『緑のスカプラリオ』を入手して、身につけてみる」
> 「こっそり教会へ行き、ひっそりと祈ってみる」
> 「出来れば、ロザリオを入手して神父様に祝別してもらい、ロザリオの正式な祈りを教えてもらった後で祈る」
> ・・・

もうひとつ出来そうなことがあります。
「新約聖書のルカ福音書をゆっくりと読んでみる」

というのは、イオタ・ローさんが抱いておられるイメージは裁きの神に近いのではという気がするからです。
そのような面があるのは否定しませんが、
財産の分け前をもらって異邦人の地に行き、身を持ち崩して帰ってきた息子を走って行って抱きしめ、
何も聞かず、何も言わずに受け入れる父のイメージも強いのです。
このたとえ話はルカに載っています。
カトリックは頭で理解することも大切ですが、心で分かることも欠かせません。

いずれにしろ、時間はかかります。
斧で木を倒すみたいに、一朝一夕に自分のよくないところが消えてなくなることはありません。
イエズス様、マリア様に信頼して、祈ってください。
思いが煮詰まってきて、何か言いたくなったら、この掲示板に顔を見せてください。

> 少しずつでも前に一歩進んでみようと思います。

この気持ちがあれば、いつか港に辿り着くでしょう。
 

Re: イオタ・ローさんへ

 投稿者:イオタ・ロー  投稿日:2009年 8月28日(金)22時08分46秒
返信・引用
  > No.3836[元記事へ]

レスして頂きありがとうございます。

> 「神父さん、カテキズムの中に書かれているダメ出しのこと、
> すべて守らないと地獄に行きますか?僕はたとえ荒波の中にさまよう
> 船であっても羅針盤が神様に向いて、その方向にすすむ努力をしてい
> ればいいと思うのですが。」
>
> その神父さんの答えはこうでした。
>
> 「それでいいと思う。あそこに書かれていることは目標だから。機会が
> あるたびに告戒すればいい。」
>
> ということでした。
>
> お答えになったでしょうか?

そうですね。
いきなり聖人君子になれるかというとそうではないと思います。
少しずつですが、努力するしかなさそうですね。
まず、自分に出来そうなのは、

「毎日の祈りの回数を増やしてみる」
「どっかのサイトで『緑のスカプラリオ』を入手して、身につけてみる」
「こっそり教会へ行き、ひっそりと祈ってみる」
「出来れば、ロザリオを入手して神父様に祝別してもらい、ロザリオの正式な祈りを教えてもらった後で祈る」
・・・

少しずつでも前に一歩進んでみようと思います。
 

わたしも

 投稿者:サンピエール  投稿日:2009年 8月28日(金)17時07分7秒
返信・引用
  わたしも使徒ヨハネさんのご健康のためにお祈りします。  

イオタ・ローさんへ

 投稿者:夢之介  投稿日:2009年 8月28日(金)09時30分15秒
返信・引用
  > No.3835[元記事へ]

書き込みありがとうございます。

あなたの書き込みの内容から慎重に考えさせられています。
ただ皆さんからの適切なアドバイスがあなたのプラスになって
いくことを祈ります。

カテキズムに書かれている内容について、僕もある神父さんに
相談したことがあります。

「神父さん、カテキズムの中に書かれているダメ出しのこと、
すべて守らないと地獄に行きますか?僕はたとえ荒波の中にさまよう
船であっても羅針盤が神様に向いて、その方向にすすむ努力をしてい
ればいいと思うのですが。」

その神父さんの答えはこうでした。

「それでいいと思う。あそこに書かれていることは目標だから。機会が
あるたびに告戒すればいい。」

ということでした。

お答えになったでしょうか?
 

遅くなりました。。。

 投稿者:イオタ・ロー  投稿日:2009年 8月28日(金)08時34分3秒
返信・引用
  レスをしていただいた皆さん。
私の書き込みを読んでいただいてありがとうございます。

今、私は悩んでいます。
同性愛者としての生活を楽しみたいという心が私の中には間違いなくあります。
ですが、それとは正反対に、クリスチャンとして貞潔を守って生活を送った方がいいのではないか、という気持ちもあるのです。

ただ、カトリックのカテキズムを買ってきて読んでみましたが、結婚していない男女間の性交渉がNGなだけではなく、マスターベーションはダメ、同性愛行為ダメ。。。と自分にとってはかなり厳しい教えのようです。

今、私は、聖アウグスティヌスのようにすべての肉欲を断ち切って生活していくのは難しいのではないのか、と考えています。

ただ、
「ファチマの聖母のメッセージは無視していいのか」
「地獄とは本当に実在しているのか」
というところで心が引っかかっています。

いずれにしても、結論を急いで出さないで考え中です。
それでは失礼します。
 

自分の霊名の聖人を嘲弄する男

 投稿者:Star Blazer  投稿日:2009年 8月28日(金)06時50分2秒
返信・引用
  この掲示板の超有名人が自分のサイトの日記で、こともあろうに自身の霊名の由来となった聖女を嘲弄しています。御参照下さい。  

Re: ご心配おかけしてすいません

 投稿者:異邦人ヨハネ  投稿日:2009年 8月27日(木)23時52分35秒
返信・引用
  使徒ヨハネさん

maggieさんが次のように書いています。
ご覧になったでしょうか。

>使徒ヨハネさんは体調が思わしくないと仰っているのですから、あまり追及なさらずに、ゆっくりと待ってあげてください。
>使徒ヨハネさんの体調が良くなるのを祈りながら待ってあげてくださいね。

体調がよくなるまで、ゆっくり休んでください。
 

Re: 使徒ヨハネさん

 投稿者:A  投稿日:2009年 8月27日(木)22時09分0秒
返信・引用 編集済
  Star Blazerさんへのお返事です。

> 問題のあなたの投稿を読む限り、あなたは自分自身を
> 神からの預言者と位置づけているとしか思えません。

わかるけれど、しかし、それはあなたのことです。
すべての人が、あれをそのように読むとは限りません。
(当り前だけれど。)

つまり・・・

> 言いっ放しでいいんですか。あなたの意図がよくわかりません。

言いっ放しでも「仕方がない」場合があるでしょう。
イオタ・ローさんも、その書き込みに複数の人が回答を寄せましたが、
特別のご事情でもあるのか、今のところ無反応です。

つまり・・・
今の世の中には、健康でない人が多いです。

そういう意味で、そのような人が「言いっ放し」になっても
ある程度「仕方がない」し、
また私達も、そのような人のそのような状態を
「責める」のは良くないと思います。

(私の使徒ヨハネさんに対する書き方も少しキツかったけれど、
あれは、使徒ヨハネさんが、ご自分の発言が一般にどのように
映るものであるか、それにさえ「気づいていない」のではないか、
ご自分の言葉をご自分で少しも振り返って検査することがないのか、
使徒ヨハネさんは「ご自分のために」それを振り返った方が良い、
等と思ったからです。)

(Star Blazerさんも「責めて」はいないのかも知れないけれど。)
 

使徒ヨハネさんの答えを待つ方々へ

 投稿者:maggie  投稿日:2009年 8月27日(木)21時59分1秒
返信・引用
  使徒ヨハネさんは体調が思わしくないと仰っているのですから、あまり追及なさらずに、ゆっくりと待ってあげてください。
自分の投稿には各々が責任を持って書き込まなくてはなりませんが、かといって、体調のすぐれない相手に説明や回答を迫るのも如何かと思います。

もともと使徒ヨハネさんは、長文の書き込みはなさいませんし、長文の書き込みは不得手だと仰ってましたよ。
気持ちをまとめて文章にするには、心身がある程度落ち着かないとできませんので、使徒ヨハネさんの体調が良くなるのを祈りながら待ってあげてくださいね。

http://blogs.yahoo.co.jp/st_cuore

 

使徒ヨハネさん

 投稿者:Star Blazer  投稿日:2009年 8月27日(木)21時02分4秒
返信・引用
  問題のあなたの投稿を読む限り、あなたは自分自身を神からの預言者と位置づけているとしか思えません。言いっ放しでいいんですか。あなたの意図がよくわかりません。  

グレゴリオさんへ

 投稿者:maggie  投稿日:2009年 8月27日(木)17時15分40秒
返信・引用
  長年の修道会司祭の司牧で慣らされていってるのでしょうか?
教会全体がプロテスタント化しているか、司祭絶対視から典礼に口出しできない?かでしょうね。

私の方の掲示板にも関連が載っています。もし、よければご覧ください。http://9222.teacup.com/immacolata/bbs

http://blogs.yahoo.co.jp/st_cuore

 

左翼の偽善的な平和運動

 投稿者:おつる  投稿日:2009年 8月27日(木)08時44分33秒
返信・引用
  「左翼の偽善的な平和運動」と題して、
せと弘幸「日本よ何処へ」という極右系の社会活動家のブログに
このようなコメントが書かれていると、友人に教えてもらいました。
(私がコメントを書いたのではないですよ〜)

100人以上が参加するとか騒ぎをおこすというのは、オーバーに書かれていると
思いますが、今回の高金素梅事件に対してかなり激怒している外部団体から
「正平協」への抗議運動がおこる可能性がありそうです。

*************************************

10月11日(日)高金素梅事件の悪夢がよみがえる!
クリスチャン左翼による靖国蹂躙。

以下、カトリック正義と平和協議会第35回大会案内書より引用
http://web.mac.com/jccjp/justice_and_peace/%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%BE%E5%A4%A7%E4%BC%9A.html

第4分科会
憲法20条と靖国神社〜解説と現地見学で考える〜 定員60名
解説者辻子(ずし)実さん(NCC靖国神社問題委員会委員長、著書『靖国の闇にようこそ』他)

 戦前、国家神道の中心であった靖国神社は、戦後64年経過する今も、国家護持、首相の公式参拝、遺族を無視した合祀など、問題・議論が続いています。国家神道への反省から確立されている憲法20条(信教の自由と政教分離)が憲法改正、形骸化の中で危機を迎えようとしています。その中心的存在、靖国神社について、研究者のお話を聞き、現地見学しながら考えましょう。

[ 会場] 麹町教会(聖イグナチオ教会)JR「四ツ谷駅」麹町口徒歩1分
ミサ9:00  講演10:30 昼食休憩11:30(各自ご用意ください)
教会出発12:30 靖国神社・遊就館見学13:00(ガイド辻子さん他2名) 分かち合い16:00 17:00 解散
※詳しいスケジュールなどは参加確定者に後ほど送付。
遊就館入館料+ガイド料として一人約1,200 円ご負担ください。


10月11日(日)高金素梅事件の悪夢がよみがえる!
クリスチャン左翼による靖国蹂躙。(続き)

当日こいつらは境内や遊就館内で英霊を冒涜することを計画。
主催者側でプラカード持込自粛等の呼びかけておらず(=黙認あるいは助長)、「分かち合い」と称して騒ぎを起こすことは必至。

参加勢力は申込み人数上限60名+生粋の反日極左の応援部隊=100名以上か?

当日の首謀者、辻子実は筋金入りの反日極左。
また、この英霊冒涜集会を煽動しているのは、
カトリック大阪大司教区   松浦 悟郎 補佐司教(日本カトリック正義と平和協議会会長)
カトリックさいたま司教区  谷 大二  司教
日本基督教団

新ジャンル、クリスチャン左翼の台頭を許すな!断固粉砕せよ!

Posted by 愛国特務機関

正平協はローマ教皇庁が認めている靖国参拝を否定するのだから、カトリックを辞めれと思う。
それから、仮にも宗教者ならば、高金素梅が行ってみせた死者を冒涜するような行為は止めてくれ。
宗教者の、クリスチャンの恥さらしだ。
英霊に敬意と感謝の念を表す為にきちんと靖国参拝をしている信者からすれば、迷惑以外の何物でもない。
Posted by フェンリル

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/999/

 

Re: ご心配おかけしてすいません

 投稿者:A  投稿日:2009年 8月27日(木)01時44分6秒
返信・引用 編集済
  使徒ヨハネさん。

> 異邦人ヨハネさん、サンピエールさん。
> 二つの病気がなかなかよくならなくて
> あまり掲示板も詳しくは見ていないんです。


しかし、使徒ヨハネさん、これは、
少しも「詳しく見る」必要のあることではありません。

サンピエールさん
http://6019.teacup.com/sdyosefu/bbs/3779
も、

異邦人ヨハネさん
http://6019.teacup.com/sdyosefu/bbs/3814
も、

あなたの以前の書き込み
http://6019.teacup.com/sdyosefu/bbs/3651

のことを心配しています。


使徒ヨハネさん、これはあなた自身が体験したことですか?
 

ご心配おかけしてすいません

 投稿者:使徒ヨハネ  投稿日:2009年 8月26日(水)23時21分24秒
返信・引用
  異邦人ヨハネさん、サンピエールさん。
二つの病気がなかなかよくならなくてあまり掲示板も詳しくは見ていないんです。また、改めて感じている事を投稿させて頂きますので、その時は読んでやって下さい。
 

Re: カトリック信仰に関する私の悩み

 投稿者:異邦人ヨハネ  投稿日:2009年 8月26日(水)00時05分28秒
返信・引用 編集済
  イオタ・ローさん

ひとつ書き忘れました。

聖堂は、誰が入ってもよいのですから、まわりのことは気にしないで、
入ってください。

もし、どうしても近くの教会が入りにくいのであれば、
イグナチオのザビエル聖堂がお薦めです。
主聖堂の右隣にある小さな聖堂で、いつもシ〜ンとしています。
水の流れる音はしていますが。そして、採光が少ないので、やや暗いです。
そこなら、誰にも気を使わずに長時間座っていることができます。

イエズス様は罪人を招くために、この世に来られたのですから、
心配しないで、御聖体のイエズス様とひと時を過ごしてください。
 

わが小教区では

 投稿者:グレゴリオ  投稿日:2009年 8月25日(火)23時41分8秒
返信・引用
  セルフ・インティンクションの継続について、わが小教区では異論がないそうです。ローマに公然と反旗を翻す行為に対して、異論がないとは驚きです。主よ、私の傲慢をお赦しください。そして、私の歩む道を教え、照らして下さい。  

イオタ・ローさんへ

 投稿者:maggie  投稿日:2009年 8月25日(火)08時02分43秒
返信・引用 編集済
  > 「聖母マリアからのメッセージ」
> 菊谷泰明著、出版社:PHP研究所

私はこの本について、知識がないので、ご出現に関心の高い友人に尋ねました。
友人によると、以前、友人も尋ねられたことがあり、読んで、詳しい司祭に尋ねたそうです。その結果、この本は玉石混合のような本で、旅行のガイド書を引用しただけのようなところもあり、あまり信頼できないとのことでした。

イオタ・ローさんが、主の導きを感じておられるとのことですので、どうぞ、勇気をもって福音を受け入れてください。

他の方々がアドバイスされましたので、私は感じたことを少し書きたいと思います。

愛の表現として肉体関係に求められるのは、結婚の秘跡を受け、神様から祝福された後のことで、それ以外に肉体関係を持つことは姦淫行為となります。

最近、教会で信者に倫理観を高めるようなことがほとんどなくなりましたが、先のアフリカ訪問の際、教皇様は、HIV予防を避妊具だけに求めるべきではないと仰いました。
薬害を除いて、ここまでHIVが社会に蔓延したのは、倫理観が廃れたことが大きいと思います。

この倫理観を維持するためには、自分を律して生きていくことが必要ですが、これも自分の力のみに頼ると、人間とは弱いもので、何かと言い訳を見つけては崩れてしまいます。
こんな時こそ、神の助けが必要なのだと思います。神と繋がって生きること、それは人の目には困難なことであっても、神の愛に支えられて、不可能を可能とされると思います。

そして愛について考えていただきたいと思います。
愛は、現世的に一時の感情の表現、情欲とは異なり、もっと崇高なものではないでしょうか。
神の愛に倣って、私たちの愛も高められるべきものではないでしょうか。
愛とは互いに思いやることだと思います。
相手が傷つくことのないように、罪の状態に落とすことないようにと、相手を大切に思うなら、行動もおのずと決まってくるのではないでしょうか。

教会は、強い人間ばかりが集う場ではなく、弱い人間だから集うと言っても過言ではないと思います。
人間としての弱さ、罪への傾きを知っているからこそ、神を必要とし、神の愛に強められて、その弱さと向き合いながら生きていくのだと思います。

http://blogs.yahoo.co.jp/st_cuore    

 

Re: カトリック信仰に関する私の悩み

 投稿者:異邦人ヨハネ  投稿日:2009年 8月25日(火)00時35分16秒
返信・引用 編集済
  イオタ・ローさん

> 「聖母マリアからのメッセージ」
> 菊谷泰明著、出版社:PHP研究所

この本、昼休みに書店の棚を見て歩いているとき、私も手に取りました。
時間もなかったので、パラパラとページをめくって、棚に戻したのですが、
イオタ・ローさんの書き込みを読んで内容を知ることが出来ました。
ありがとうございます。

イオタ・ローさんが、「聖母マリアやイエズス・キリストに『呼ばれている』ような感じがする」のであれば、
その感じを大切にされたらよいと思います。

きっと、それはお恵みなのでしょう。神のはからいの中を歩き始めているのではないでしょうか。

イオタ・ローさんの抱えている問題について、いま、ここで、何か参考になることを申し上げる力はありませんが、カトリックは2000年の歴史があるので、同じような問題で苦しんだ人は何人もいただろうし、その人たちのことを知れば、いくらか参考になるのではないでしょうか。

聖アウグスティヌスの名前はご存知と思います。大神学者で、ローマ末期の、アフリカの人です。若いころは放蕩に溺れた肉欲の強い人でした。同棲し、子供ももうけました。マニ教にも傾倒しました。でも、主に呼ばれて回心し、キリスト教の大聖人になりました。神に不可能なことは何もありません。

もし、カトリックになったら、いまの性癖をどうしたらよいのかとお悩みなのは、よくわかります。でも、イエズス様に向かって歩き始めると、見える景色が違ってきます。心を向ける対象が違ってきます。いま、乗り越えられない大きな問題と思っていることも、そんなにたいしたことはないと思えるようになってきます。

どこの教会でもいいのですが、聖堂に入って御聖体の前(赤いランプが付いてるところ)に座って、心の中でイエズス様に自分の思いを打ち明けてください。きっと、イエズス様は応えてくださるでしょう。何も言わなくていいのです。静かに座っているだけで。イオタ・ローさんが向う相手は神ですから、イオタ・ローさんが話す前に、すべて分かっておられます。
 

イオタ・ローさんへ

 投稿者:ルーク  投稿日:2009年 8月25日(火)00時05分36秒
返信・引用
  同性愛については信徒はもとよりおそらく司祭も答えを用意していないと思います。
なぜカトリックの教義もご存知なようなのにあえてここにご相談なさるのか
理解できませんが。
 

Re: カトリック信仰に関する私の悩み(1)

 投稿者:三太郎  投稿日:2009年 8月24日(月)19時41分36秒
返信・引用 編集済
  > No.3815[元記事へ]

イオタ・ローさん。

>「自分は地獄に堕ちるために生まれてきたのだろうか。。。」

同性愛だけを殊更そのように考えるのなら、
あまりに同性愛を特別扱いし過ぎというものであります。
私達は誰でも、自分では如何ともし難いような
「内催し」の傾向・衝動を持っています。
 

Re: カトリック信仰に関する私の悩み(1)

 投稿者:三太郎  投稿日:2009年 8月24日(月)19時27分26秒
返信・引用 編集済
  > No.3815[元記事へ]

イオタ・ローさん。

深いお悩みを抱えておられるようで、お察し致します。

> 仮に、カトリックへ改宗したら、司祭や修道士たち
> のような禁欲的な生活をしなくてはならないのだろうか?

イオタ・ローさんは、二回も、「司祭や修道士たちのような」
という言葉を出しておられます。
しかし、イオタ・ローさん、ここは明らかに、
「司祭や修道士たち」を「カトリックの独身者たち」と言い換える
べきだろうと思います。何故なら、カトリック信者は独身者である限り、
誰とも性的関係は持たないのですから。------「禁欲的」ですか?
そして、カトリックにも独身者はたくさん居ます。
カトリックの独身者は自分の肉欲と戦う必要があります。

まず、「同性愛の行為」が真実「罪の行為」であるのかどうか、
そして「同性愛の傾向」が真実「罪の傾向」であるのかどうか、
それをお確かめになるのが先決であるだろうと思います。
何故なら、今、イオタ・ローさんは、この点でも、
まだご自分の中で確定しておられないでしょうから。
たぶん「揺れて」おられるでしょうから。
カトリック教会のカテキズム等、カトリック文献の中の信頼できる
ものを(おそらく信頼できない文献も存在するでしょうから)
少しお読みになったら良いと思います。

そして、もしそのような真実が自分の中で「確定」されたら
(カトリックの教えを自分の中で受容できたら)、
私達は、次にこう考えるべきではないでしょうか。
もし、ある「行為」が真実「罪の行為」であり、
ある「傾向」が真実「罪の傾向」であるということであれば、
それが確定されれば、それ「さえ」確定されれば、
その「原因」が「先天的」なものであるか「後天的」なものであるか
に一切関わりなく、私達はそれと戦わなければならない、と。
私には、この図式は、なにも同性愛問題には限らないと思われます。

ご自分をあまりお責めにならない方がいいと思います(もし、そうなら)。
私達の「罪の傾向」は、自分だけで作ったものではないだろうからです。
アダムとイブから継承された全般的な罪の傾向があります。
遺伝があります。遺伝でなくてもDNAレベルでの偶発的なもの(?)が
あるのかも知れません。
環境から来るものもあると思います。心理的と物質的の両方において。
生育環境があるのかも知れません。地球の環境破壊もあるのかも知れません。
病院が処方する薬にも何かがあるのかも知れません。
そういう意味では、私達一人ひとりは「結果」なのかも知れません。

けれど、それでも、もしある「行為」が真実「罪の行為」であり、
ある「傾向」が真実「罪の傾向」であるということであれば、
その発生の「原因」とは一切関わりなく、私達はあくまでその「結果」と
戦わなければならない、ということになるのだろうと思います。

そして、イオタ・ローさんは「自分は戦う必要があるのだろうか?」
と問うておられますが、カトリック信者は自分だけで戦うのではありません。
霊的なあらゆる助けがあります。天主から、聖母から、守護の天使から、
保護の聖人から、ミサ聖祭を通して、聖体拝領を通して、告解を通して、
礼拝を通して、祈りを通して、殊にロザリオを通して、多くの助けを頂けます。
誰も「自分だけで戦う」ことは出来ない(「不可能」)だろうと思います。

イオタ・ローさんにも、今から出来ることがあります。天主への祈り、
聖母への祈り(殊にロザリオ)、ミサ聖祭への参加、聖体の礼拝、
これらは今直ぐから出来、今直ぐからそれらから多くの助けを頂くことが出来ます。
(もちろん強制ではありません。)

特に聖母が、私達が私達のしつっこい罪の傾向から抜け出すにおいて、
非常に助けて下さると思います。

長くなりましたので、このへんで。
イオタ・ローさんに主の御祝福がありますように。
聖母の御助けがありますように。
 

嬉しいコメント

 投稿者:おつる  投稿日:2009年 8月24日(月)16時06分14秒
返信・引用
  私事で恐縮ですが、私のブログに頂いたコメントが嬉しかったので
全文、転載させていただきます↓

***************************************************

はじめまして ペンネーム 北の旅人です。
私は一日本人として、キリスト教イコール反日思想、及び靖国反対というイメージしかありませんでしたが、「最後の日本兵”小野田少尉”(小野田寛郎 氏)」の講演会で知ったことですが、カトリックは靖国神社への対応は極めて友好的に対応していたとうかがいました、その反対に同じキリスト教でも”プロテスタント”は私の街でも頻繁にプラカードを持って靖国反対等の反戦デモ行進を行っております、自分は以前からそのような行動に不信感を持っておりましたが、おつる様のブログに出会うことが出来、キリスト教に対する見方も180度変わりました。同じキリスト教でも「自分達が絶対正しくて、他は間違っている」というような教えのキリスト教界があるりますが、カトリック教会は ””カトリック信徒は如何なる異教の儀礼をも尊重すべきであり、戦没者への敬意は国民の儀礼である」という
靖国神社に関するバチカンの公式指針・・・””
 とのことですね。

自分は、バチカンの公式指針に 賛同し、又感謝の念でいっぱいでございます。

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/999/

 

2ちゃんねる

 投稿者:サルベ・レジナ  投稿日:2009年 8月24日(月)12時54分35秒
返信・引用
  こちらのスレにも奮って御参加ください。
皆様の投稿をお待ちしております。


カトリックの信者の『オススメ』紹介スレ2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1227016089/
 

カトリック信仰に関する私の悩み(2)

 投稿者:イオタ・ロー  投稿日:2009年 8月24日(月)00時31分7秒
返信・引用
  連続投稿お許し下さい。(1)のつづきです。

それと、私にはもう一つの悩みがあります。
 1997年頃、当時私は群馬県某市の小型モータメーカーにてエンジニアとして働いていましたが、激務のせいか強度のストレスのために「うつ状態」になり、県内のとある精神病院に1ヶ月ほど入院しました。
病名は「抑うつ神経症」です。そして、退院後、2週間に一度その病院に定期通院して抗うつ剤や精神安定剤を服用していました。群馬県のその病院には、私が会社を退職する2004年9月まで通っていました。
 正直言って、その病気との闘いはつらいもので、
「何故オレだけがこんなにつらい目に遭わなくてはならないのか!」
という思いに駆られることもしばしばでした。
 そして、埼玉県にある実家に住み始めて、2005年11月から別のメーカーに勤務し始めてから約半年後、度々うつ状態に苦しめられて出社が困難になってから、
今度は埼玉県のS精神病院へ約3ヶ月入院することになりました。
退院後、病院の勧めで、某市にあるデイケア施設を紹介され、仕事ができるようになるまでほとんど毎日、リハビリを受けるようになりました。
また、今でも埼玉県のS病院には月に1度定期通院をして再び抗うつ剤や軽めの精神安定剤を服用しており、デイケアのスタッフの協力の下、
「精神障害者雇用」の枠組みで、2008年2月からさいたま市の某企業にてパソコンを使った事務職に就いています。
今でもさいたま市の実家から、週4日6時間勤務で通勤し、平日の休日や土曜日にはデイケアに通っています。

自分は、先ほど述べたことに関する悩みがあり、カトリックへ改宗したら、聖職者や修道士のような生活を送らなければならないかもしれません。
ちなみに、デイケアスタッフには、私の同性愛傾向のことは話していません。また、

「自分は『抑うつ神経症』という持病を抱えているが、自分の精神がそのような禁欲的な生活に耐えられるのだろうか?」

という疑問が湧いてきています。それに、心理的な圧迫感が一因となって、ここ数ヶ月は月に2〜3日くらい体調を崩してしまい、精神的な不調の為に会社を休んでしまったこともあります。
いったい、私はこれからどうすればいいのでしょうか?
お忙しいと思われますが、もしお考えがございましたら、何とぞご返答下さい。
よろしくお願い申し上げます。
 

カトリック信仰に関する私の悩み(1)

 投稿者:イオタ・ロー  投稿日:2009年 8月24日(月)00時26分20秒
返信・引用
  みなさんこんばんは。イオタ・ローです。
まだ、教会とのコンタクトは取っていません。
実は、信仰に関する個人的な悩みがありまして、神父さんへ相談する前に皆さんに考えていただきたいのです。

私は読書が趣味なので、今年の6月頃、とある本屋へ行ってみましたところ、以下のような本に出会いました。

「聖母マリアからのメッセージ」
菊谷泰明著、出版社:PHP研究所
http://www.amazon.co.jp/dp/456970834X/

著者は、ポルトガルのリスボンから旅を始めて、偶然、「ファチマでの聖母マリア御出現」の生き証人である修道女ルチアがいらっしゃったコインブラの修道院を訪ねるようになり、
その後、巡礼地であるサンチアゴ・コンポステーラへ行き、通常の巡礼の逆方向へ進んで行くにつれ、著者本人の身に不思議な出来事が起こるようになります。
そして、フランスのルルドでは不思議な人に出会ったり、その後、フランスの聖母御出現に関わる名所(ヌヴェール、リュ・ド・バック、ラ・サレット等)を訪れるようになり、
その後、イタリアへ入国し、そこでも聖母マリア御出現に関わるの名所(サン・ダミアノ、ローマのトレ・フォンターネ等)を訪ね、ピオ神父がいらっしゃったサン・ジョバンニ・ロトンドにも訪れます。
そして、その地で出会った人々から「今でも、聖母の御出現があるメジュゴリエへ行ってみたらどうか?」と勧められ、著者は、ボスニア・ヘルツェゴビナのメジュゴリエへ到着して、
そこで今でも聖母マリアの御出現を受けている(らしい)人々に出会います。

私は、軽い気持ちで読み始めましたが、そのうちどんどん引き込まれるように読んでいき、何とも言えない気持ちになってその本を読み終えました。
その後、インターネットにて聖母マリアの御出現に関わることを調べてみましたところ、メジュゴリエでの聖母御出現は賛否両論でした(どちらかと言うと否定論が多い)。ですが、

「少なくとも、ルルドやファチマでの聖母御出現やカトリック教会が公認している聖母御出現や、ピオ神父に関連する事柄を無視することは出来ないのではないか。」

と私は思うようになりました。
一般的な日本人であれば、「そういう不思議な事もあるものだ」という感慨を持つにとどまるでしょうが、私の場合、聖母マリアやイエズス・キリストに「呼ばれている」ような感じがするのです。

約20年前、私が大学生の頃、私はニューヨーク・ベイサイドでの聖母マリアの御出現(?)や、所謂「リトルペブル」に関わることに傾倒していました。
特にリトルペブルは「日本の富士山が爆発する」「日本が大津波に飲み込まれる」等という予言をしていまして、私は、「そういうことが本当に実現したらどうすればいいのか」という気持ちでいっぱいでした。
そして、当時、京都にいたレオ・スタインバック神父様にも手紙を書き、神父様から「ひもロザリオ」や「緑のスカプラリオ」を頂きまして、普段から身につけていました。
しかし、ベイサイドでの聖母(?)からのメッセージやリトルペブルの言動に疑問を持ち始め、そして、私自身、

「一般的な人なら信じられないこんな話を真に受けてどうするんだ。聖母のメッセージにはうんざりだ!」
「オレはこれらのことを忘れて、自分の生きたいように生きていけばいいのではないか!」

と決心し、これらに関する信心(?)をやめて、「ひもロザリオ」や「緑のスカプラリオ」も捨ててしまいました。

 その後、約20年経過して、改めてインターネットにて調べてみましたら、ベイサイドでの聖母出現はカトリック教会から否認されていて、
リトルペブルは教会の教えからかなり逸脱した教えを説いていて、ついには配偶者と離婚(カトリック教会では禁止されています)したり、今では児童虐待の罪で服役中だということが分かりました。
ある意味、「あの時」ベイサイドやリトルペブルとの縁を切っていたのが幸いしたのでした。
ですが、今では、

「ベイサイドやリトルペブルが間違いだとしても、だからといってルルドやファチマでの聖母御出現やメッセージが間違いだという理由にはならない。」
「ルルドやファチマでの聖母御出現は自分にとって無視できない出来事だ。」

と思っています。

その後、私が大学を卒業して就職する前の1995年に、私は、本屋にて同性愛専門雑誌を軽い気持ちで読んでみて、その本にあった男のヌードグラビア(筋骨隆々とした逞しい青年の裸)に性的な興奮を覚えました。
それ以前、私は同性愛感情を持ったことはなく、むしろ「気持ち悪い」と忌避していました。
ですが、そのときの私は、その雑誌を買って帰宅後に思う存分読みふけり、
「自分には同性愛傾向が確かに存在するんだ。」
という自覚が強くなりました。そして、
「一度、男とセックスしてみてみよう。」
と思い、東京にある某所にて、実際にある男性とセックスをしました。
感想は「いまいち気持ちよくない」というものでしたが、その男性は「数をこなしていけば気持ちよくなる」と言い、私は半信半疑で帰路につきました。
そして、その数ヶ月後には別の男性と、またその数ヶ月後にまた別の男性と性体験をしました。
しかし、私は「ひょっとしたらHIVに感染しているかもしれない」という重大なことに気づき、最後の性体験をしてから約8週間後(もし感染していたらそのときに検査で陽性反応が出る、という話を聞きました)、保健所にてHIV検査を受けました。
幸い、検査は陰性でありHIVには感染していないことがわかり、正直ほっとしました。
その後、私は、自分が同性愛者であることを自分の親兄弟にも、友人・知人にも会社の同僚にも隠しています。

そして、「自分は親不孝者なのではないか」という思いに時々苛まれます。
それに、上記以降、男性との性交渉はいっさいしていません。何故だか知りませんが、自分の心の中で「これ以上深入りして、同性愛者との交際をするようになったらやばい」という心理的なブレーキがかかっているような気がするのです。

ですが、「基本的に同性愛は悪ではないだろう」と約10数年間思っていました。また、同性愛についてインターネットにて調べていたところ、この同性愛感情は精神異常でも精神疾患でもなく、「生まれつき」のものであることも分かりました。

(参考)
同性愛(Wikipediaより):
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B

以上のような状況のもと、私は再び聖母御出現に関することでインターネットにて調べてみたり、カトリック関係の書物を読んだりするようになりました。
そして、同性愛に関するカトリック教会の基本的な姿勢「同性愛行為は大罪であり、絶対に同性同士で性行為をしてはならない」という文言を目にすることになりました。
正直言って、死刑判決を受けたかのようにショックでした。

「神様が私たちをお作りになったとしたら、何故、同性愛者たちをお作りになったのか?」
「自分は地獄に堕ちるために生まれてきたのだろうか。。。」
「仮に、カトリックへ改宗したとしたら、自分の同性愛傾向と戦う必要があるのだろうか?そのときには、司祭や修道士たちのような禁欲的な生活をしなくてはならないのだろうか?」

いったい、私はどうすればいいのでしょうか。途方に暮れています。
※(2)へ続きます。
 

Re: 聖体について

 投稿者:異邦人ヨハネ  投稿日:2009年 8月23日(日)23時32分31秒
返信・引用 編集済
  使徒ヨハネさん

> 使徒ヨハネさん、私はこの件に関して、というよりあなたに関して、非常に気がかりです。
> もう一度繰り返しますが、あなたの教会の神父様には相談なさいましたでしょうか?

サンピエールさんが心配しておられます。
私も気がかりです。
幻視とか幻聴は所属教会の神父様にすべて話して指示を仰いでください。
御出現は本物の可能性も否定できませんが、サタンの偽りの可能性もあります。
大聖テレジア(御出現多数あり)は、悪魔を追い払うには聖水をふりかけるのが効果的だったと書いています。
とりあえず、聖水で試すのもいいかもしれません。

「サンピエール」はフランス語で「聖ペトロ」です。
使徒ヨハネの仲間です。
お仲間の親身のアドバイスですから、大切にしてください。

異邦人ヨハネ(使徒ヨハネさんと同じヨハネです)
 

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