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第149回 ─ クラブを通じて世界一のコネを拡大する(!?)話題の新人バンド、ビッグ・ピンク


掲載: 2009/10/14

 ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、世界一コネのある(!?)ネオ・シューゲイザー〜ポスト・ロック・バンド、ビッグ・ピンクについて。

文/久保 憲司



ザ・バンドの68年作『Music From Big Pink』(Capitol)

 いまイギリスでいちばん話題のネオ・シューゲイザー〜ポスト・ロック・バンド、ビッグ・ピンク。〈ビッグ・ピンクって、もしや……〉と思ったら、やっぱりザ・バンドの名盤『Music From Big Pink』から名前をいただいていました。〈ゴスやシューゲイザーに影響されたバンドが、なぜザ・バンド?〉って思われるかもしれませんが、スージー&ザ・バンシーズもザ・バンドの名曲“This Wheel's On Fire”(『Music From Big Pink』やザ・バンドが参加したボブ・ディランのアルバム『The Basement Tapes』に入ってます)をカヴァーしていたり、ゴス〜ポジパン時代のスーパー・バンド(いろんな人が参加しているって意味ね)、ディス・モータル・コイルもティム・バックリーの名曲“Song To The Siren”を原曲以上に美しくカヴァーしていました。このヴァージョンは必聴ですよ。
“Everything's Gone Green”を収録した、ニュー・オーダーの81年作のコレクターズ・エディション『Movement : Collector's Edition』(Factory/London)

 後にシスターズ・オブ・マーシーもニール・ヤングやレナード・コーエンをカヴァーしていました。パンクだ、ポジパンだと言いながら、家ではこういうジーンとする曲を聴いてたんだと思うとなんだかぼくは嬉しくなります。パンクからゴス、ポジパンへと移行したリスナーのぼくも、こういう先輩から、こういう暗くて(失礼)ヒッピーな曲を教えてもらっていったのです。カート・コバーンやダイナソーJrのJ・マスシスも僕と同じような流れで、ニール・ヤングとかレナード・コーエンとかを好きになっていったんだろうなと思います。Jの初期の頃の髪型なんかもろバースデイ・パーティーのニック・ケイヴと同じで、一度モヒカンにして、それが伸びたような髪型をしていましたからね。はじめはヘロインとかやっているからこんな暗い曲が好きなんだよと思ってましたけど、でもスジバンを筆頭にみんなサイケな方向に流れていったのがおもしろかったなと思います。この頃の彼らは12インチの長いダンス・ヴァージョンをどんどん出していて、ぼくは〈やっぱりクラブ・マーケットのことを考えないといけないんだろうな〉と思っていたんですけど、いまから考えるとあれはサイケだったんだろうなと思います。当時はエクスタシー前夜で、元ニュー・オーダー/現バッド・ルーテナントのバーナード・サムナーも「アシッド・ペーパーをカミソリで1/4ずつくらいに細かく切って、それを小分けにして飲んでいたんだ。そうするとゆるやかなトビを楽しめるからね」って言っているように、あの頃はみんなアシッドでした。そうやって出来た曲が〈君の目が緑に見える。赤に見える〉と歌う“Everything's Gone Green”です。何の歌なんだろうと思っていたら、アシッドやっていた時の歌でびっくりしました。そりゃ、あんたそういうふうに見えるだろう。
スペシメンの2009年作『Alive At The Batcave』(Metropolis)

 ぼくもその頃、バーナードのようにアシッドを1/4とスピードを1錠飲んで、ピルズというアルコール分が強いビールをチビチビ飲んで楽しんでいました。女の子はそれをストローで吸っていたのが可愛かったです。多分総額1,000円もしなかったと思います。あの頃はみんなお金なかったな。で、どこに居たかというと、いろんなところにいたのですが、ヴィサージのスティーヴ・ストレンジとリッチ・キッズのラスティー・イーガンがやっていたカムデン・パレスの木曜日もいいんですが、やはりゴスと言えばスペシメンがやっていたバットケイヴです。ビッグ・ピンクの感じは昔だともろバットケイヴでしょう。
ボーイ・ジョージが在籍していた、カルチャー・クラブの82年作『Kissing To Be Clever』(Virgin)

 ぼくは残念ながら、ボーイ・ジョージがドアマンをやっていたニュー・ロマンティックの総本山、ブリッツは行っていない。ぼくがロンドンに行った頃には、そういう人たちはカムデン・パレスの木曜日に移ってしまっていた。ドアマンって何する人かわからない人がいると思うので書くと、クラブの前にいて、「お前入っていい」とか、「あんたダサイから入っちゃだめ」とか言っていた人。いまから考えると想像つかないでしょうけど、昔のクラブは格式があったのだ。ダサい観光客が「何で入れないのよ」と揉めている横をスッーと入っていくのが、本当に気持ち良かったのです。僕の当時の自慢はどんなクラブでも並ばずに入ることでした。いまも使える簡単なテクニックなんですけど、まずゲスト・リストのところに行くんですよ。ここは大体5人くらいしか並んでいない。そして、ゲストを管理している人に名前を言って、何々DJのゲスト・リストだけどと言う。もちろん名前なんて載っていないので、「ないな」と言われるんですけど、そうしたら困った顔をして、「じゃ、仕方がないお金を払うよ」と言うんです。そうすると入れてくれるんですよ。これを何回かやっていると向こうもなんか顔見知りになったような気がするのか、お金を払わなくても入れてもらえるようになります。いまだとレコードをたくさん買って、レコード屋で働いている人と友達になるのが、いちばんいいですね。そして、その人にゲストをお願いするんです。すべてのクラブはフライヤーを置いてもらっているので、クラブにとってはDJよりレコード屋さんの方が大事なのです。DJの人すいません。こっちの方がDJに頼むより、確実にVIPパスがもらえます。いまはレコード屋がないけど、どうするんですかね。服屋さんかな。悲しい時代です。
このたび日本盤がリリースされたばかりの、ビッグ・ピンクのファースト・アルバム『A Brief History Of Love』(4AD)

 おっと話が変な方向に行ってしまいました。ビッグ・ピンクですが、ビッグ・ピンクのかっこよさって、当時では絶対相容れなかったジーザス&ザ・メリー・チェインとコクトー・ツインズを見事に同居させているところですね。この感じがいまっぽいなと思います。そして、クラブの話をしたのもビッグ・ピンクのマイロ・コーデルがクラクソンズやクリスタル・キャッスルズ、ホラーズを輩出したレーベル、メロックをやっていたなど、世界一コネのあるバンドと言われているからです。そして、そういうネットワークって、いまも昔もクラブで行われているんだなと思うと凄く懐かしい感じがしたのです。あー、これからはもっと仕事して、お金貯めて、定期的にロンドンに行こう。


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