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ガリガリだった死に顔

2009年10月13日 AERA
まだ56歳だった。自民党中枢で活躍してきた「保守派の旗手」が急死した。
何が「政界サラブレッド」を酒に走らせ、その命まで追いつめていったのか。
 亡くなった中川昭一氏と個人的に親しかった友人は、
「いつか破綻が来るような気がしていた」
 と言う。中川氏の内気な性格が自分を追い込むことになりはしないかと心配していた。
「愛すべき男だった。だが、綺麗事では済まない政界で生きるには優しすぎた。意外かもしれないが、彼は目の前の相手を非難、注意するのが苦手。不安や不満を内向させストレスを溜め込んでしまう。高じると、俺はダメな奴だと思いこむ。その鬱屈を酒で紛らわす」
 そして、
「酒をやめろと何度も言ったのに。でも政治家を続けていくためには酒を飲まないとやっていけなかった……」
 と、56歳という早すぎる死を惜しんだ。
 都内の自宅寝室で死亡している中川氏を家族が見つけたのは10月4日朝。死亡時刻は3日午後11時前後という。不眠で通院していた中川氏は睡眠薬を処方されており、寝室から睡眠薬らしき錠剤が見つかった。血液中からアルコール成分が検出され、酒と睡眠薬を飲んだ結果、急性心筋梗塞など循環器系の異変で亡くなった可能性がある。

一回り小さくなって

 死去数日前から体調を崩し、地元・北海道帯広市でのパーティーやプロテニス試合観戦を取りやめ、3日は午前中からベッドで横になっていたという。
 8月30日の総選挙で落選、自民党下野象徴の一人とされた中川氏。東大法学部卒業後、銀行に勤めていた1983年、大物政治家だった父親の中川一郎氏が57歳で自殺、その地盤を引き継ぎ同年末の衆院選で初当選を果たした。北海道11区(中選挙区時代は同5区)で8回連続当選を重ね、親子二代で当選15回、計46年という「中川王国」を守り続けた。
 それだけに落選は、中川氏にとって初の大きな挫折だった。政権奪取に成功した民主党は衆院で絶対多数を手にし、任期いっぱいの4年後まで総選挙を行わない公算が高い。初めて「無職」の立場で再起に臨む矢先での死だった。
 行政解剖を終えた遺体は5日、自宅に戻された。棺の中の中川氏は、生前とは別人のようにやつれていたという。
「昭ちゃん、顔が小さくなってたなあ……。ずいぶん、頬のあたりがげっそりした感じがしました。一回り小さくなって。ご遺体に対面した別の人間も同じ印象を口にしてた」
「僕の前で彼が泥酔したことはなかった。ただ腰が痛くて眠れないので痛み止めや睡眠薬を常用しているとは聞いたが」

真・保守政策研究会

 中川氏の自宅を弔問に訪れた平沼赳夫元経産相(70)は話す。当選10回。自民党保守派の重鎮として知られたが、小泉政権での郵政民営化法案に反対票を投じ、05年の「郵政選挙」で自民党公認を得られず無所属で当選、その後も無所属を通す。中川氏の最初の選挙に応援に駆けつけるなど長年の盟友関係だ。
 安倍晋三政権崩壊間もない2007年11月、中川氏は自民党の保守勢力結集を目指す政策グループ「真・保守政策研究会」を立ち上げ、平沼氏はその最高顧問に迎えられていた。
 この9月上旬、自民党本部に近い平沼氏の個人事務所を中川氏が訪れた。中川氏は疲れた様子だったが、
「正しい保守政治を作っていくために頑張っていきましょう。自分は落選したが、その行動には参画していく」
 と約束して別れた。それから1カ月後の突然の死。平沼氏は、
「落選がよほどショックだったのかなあ……。僕は76年、79年と最初に2度落選しているからまだあれだが……」
「政治家・中川昭一」に、父の一郎氏は大きな存在だったようだ。57歳で一郎氏が亡くなり、地盤を引き継いだ経緯もさることながら、政治的主張も父親のそれを継いでいる。

伝説化した父への思い

 1973年、当時の田中角栄内閣の「金権政治」に対抗するとの旗印のもと結成された自民党派閥横断の若手右派グループ「青嵐会」。一郎氏は石原慎太郎氏(現・東京都知事)、故・渡辺美智雄氏(元副総理。渡辺喜美「みんなの党」代表の父)らとグループの中核をなした。
「自主独立の憲法を制定する」
「物質万能の風潮を改め、教育の正常化を実現する」
「平和は自ら備えることによってのみ獲ち得られるとの自覚にのっとり、国民に国防と治安の必要性を訴える」
 などの青嵐会の主張は現在の「真・保守」とも重なる。
 人脈的にも、盟友・平沼氏は選挙区の岡山で「中川一郎秘書」の肩書で戦うなど初当選以前から一郎氏に私淑していた。やはり盟友の安倍元首相の父、故・晋太郎氏は一郎氏と、とても親しかった。
 絶えず父親と比較されるのは地元・北海道でとりわけそうだった。豪放磊落な外見から「北海道のヒグマ」と呼ばれた父親は82年11月の自民党総裁選に立候補し、敗れるが、「北海道から初の総理を」と期待する地元の熱気は大変なものだった。道産子の筆者はその空気を今でも覚えている。
 その一郎氏が総裁選落選間もない翌83年1月に突如、「急性心筋梗塞で死去」と発表され、数日後に「実は自殺だった」と明らかになる。あの事件を、いま40歳以上の道民で知らない人間はいないのではないか。それほどの衝撃だった。
 北海道で半ば伝説化した父親は、昭一氏には何物にも代え難い政治的資産であり、同時に、政治家としていつかは超えるべき相手だったかもしれない。

もっと話すことあった

「確かに理念とか主義主張では中川昭一さんは親父さんと似ていました。ただ一方で、昭一さんは親父さんとは違う政治家としての存在、生き方を絶えず考えていたのではないか。赤坂の酒席で、故・一郎先生を『いい人でした』と誉める人がいると、ご本人はとても不機嫌になったと聞きます。親父は親父、俺は俺、という対抗心が強かったのでは」
 鈴木宗男衆院議員(61)は6日、衆院議員会館の事務所で筆者に語った。
 一郎氏の実力秘書で知られた鈴木氏は、一郎氏の死後、後継に名乗りを上げた。だが一郎氏の妻や一部後援者は長男の昭一氏を擁立、両陣営はいまも語り草の熾烈な選挙戦を演じた。当時は中選挙区制で、同情票を一身に受けた昭一氏はトップ当選。一方、「一郎氏を死に追いやった人殺し」とまで非難された鈴木氏は4位と辛うじて初当選を果たした。
 中選挙区で4度競った二人は、小選挙区制となった96年から選挙区を別にする。02年にあっせん収賄容疑で東京地検に逮捕された鈴木氏は有罪判決を受けたが「国策捜査だ」と批判し現在、最高裁に上告中。05年に地域政党「新党大地」を結成、8月の総選挙では民主党と選挙協力し、中川氏の北海道11区を含む小選挙区で民主党を支援、比例区で自身の当選を果たした。
「でも私は、昭一さんを、お仕えした人の息子さんだと思い、接してきました。(昭一氏を)私は中学、高校の頃から知ってる男だから。この思いを忘れたことはない」
 二人の複雑な関係について何度も鈴木氏は強調する。
「だからこそ、小選挙区制になるとき、生まれ育った十勝の選挙区を昭一さんに譲ったんです。私も残りたかった。先祖の墓もある。でも昭一さんがそういう希望なら……。いつも私は、一歩も二歩も下がった思いで接してきましたよ……」
 涙が浮かび、声がかすれる。
「世間で言われるほどギスギスしたものはなかった。私は自然体でした。むしろ昭一さんの方が神経質だったかもしれません。でもこういう別れ方になるなら、もっと話すことがあった。私は天国と地獄を見た。一度の落選ぐらい大した話ではない、そんな話をしたかった」
 父親の存在を超えようともがく息子。だが昭一氏にはこんな面もあった。数年前に酒席を共にした年長者に、彼は、
「俺は、あれだよね。こうやって一緒に酒飲んでると、親父と一緒に飲んでる感じがする」
 といい、涙を流した。

理解不能なつぶやき

 中川氏が「父親超え」を果たしたのは北朝鮮による日本人拉致事件での活躍だったろう。小泉政権下で拉致問題が日本中を揺るがす中、被害者家族の信頼を得た彼は拉致議連の会長を務め、経済産業相、農水相も歴任、政権中枢に身を置く。安倍政権では党政調会長を務め「新たな保守派の旗手」の地歩を固めた。
 だが一方で、酒に飲まれる姿が目撃されるようにもなっていく。数年前、拉致被害者家族や支援団体の集まりで、酒に酔った中川氏が拉致被害者・横田めぐみさんの母親、早紀江さんの手を握りしめ、「救出できなくて、すみません!」と何度も泣き叫んだ。その思いは真実だろう。だがそれは、酒で自分をコントロールできなくなりつつある兆しではと危惧した関係者もいたのだ。自民党本部での会議に酒気を漂わせて遅刻、理解不能な言葉をつぶやくことも一度ではなかった。
 麻生太郎政権樹立に貢献し、財務兼金融相に就任。だが今年2月、酒と薬が仇となり、あのローマでの「もうろう会見」で批判を浴び辞任した。それでも選挙区で批判はやまず、「中川王国」は落城した。
「十勝の総意として、私は否定された。敗因は逆風もあったが、やはり私自身の報道問題と、私が訴え続けたこのままでは『十勝が危ない』『日本が危ない』が有権者に受け入れられなかったことだろう」
 9月14日、自身の公式サイトに彼はこう書き記した。以降、そのコラムは更新されていない。
「もうろう会見」が麻生政権の足を引っ張り自民党惨敗に至ったとの思いは、繊細な彼には大変な負担だったろう、と何人かの知人が語る。
「真・保守政策研究会」は会長の中川氏を失った。最高顧問の平沼氏はメンバーの何人かに「近いうちに集まろう」と声を掛けているという。
 冬の時代に入ったといわれる「真・保守」が再興する日はまた来るだろうか。
編集部 小北清人
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。

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