<コンサートや講演では、平和のありがたさを訴えることが多い。原点は、生まれ育った環境にあるようだ>
少女時代の香港はイギリス領だったので、学校では「中国は怖いよ、誘拐されるよ」と教育されました。中国は心の中では一番遠く、怖い国でした。でもテレビのロケで81年に初めて中国に入って北京や桂林を訪れると、私たちと同じ包丁とまな板で同じ料理を食べているんですね。とても生活は厳しいんですけど、顔もそっくりでした。
<自らのルーツを確かめようと、85年には母の故郷である貴州を訪問した>
山奥に住む親類の子供たちが、私の歌で歓迎してくれました。台湾で録音した「帰ってきたツバメ」という歌です。当時は台湾の歌は聞くことも許されなかったはずですが、母が親類に古着を送った時に忍ばせたテープで練習してくれていたんです。国境を超える歌の力を実感しました。
一緒に行った母は、死に目にあえなかった親族の墓参りをして号泣していました。家族が会えなくてバラバラなのは戦争のせいでしょ。平和を願う気持ちを少しでも歌に乗せ、人々の心を結びたいと思いました。イラクなどを訪れ、その気持ちは強くなりました。
<社会への発言は時にバッシングも受ける。6月26日には衆院法務委員会で、児童ポルノ禁止法の強化を求めて世界の児童買春の実態を証言したが、直後にはインターネットなどで「バカ女」といった非難を浴びた>
児童買春は、日本ユニセフ協会大使に就任した98年にタイで現実を見て以来ずっと関心があります。日本は加害者でした。国会では、どうやって少女がレイプされるかということまで話しました。国会議員会館も足にマメができるぐらい回りました。解散・総選挙で廃案になってしまいましたが、運動は続けます。
何らかのスタンスに対して反対する人がいるのは当たり前だと思っています。芸能人なので、本当はスタンスを明確にしないほうが誰にでも好かれるんでしょうが、それでは何も意見を言えないし、子供を守れないから。
<9月には新曲を発表するなど、常に第一線での活動を続ける。今後はどんなメッセージを発信し続けるのだろう>
平和活動と世界の子供たちの支援、がん征圧運動を3本柱にしたい。自分にしかできないことがあるとかは思わないけど、特に病気を経験した後は、生きている間に気づいたことはしないといけないと思っています。仲間を増やしたいですね。
そのためにも、第一線で働かないと振り向いてもらえない。売れない時期もあったから分かるんです。大きなヒットやコンサートを開くことも目指しますが、「アグネスを見ると元気になれる」という人物になれるように、いつも新しいものを提供したいですね。
<平和活動への手ごたえはつかみにくいが、地道な活動の大切さを自らに言い聞かせている>
「活動は自己満足じゃないの?」と言われると、返す言葉はなかなか見つかりません。でも今は50年前と比べると平和だと思うし、それは小さな声の積み重ねではないですか。「一人に優しくすれば、その人が次の人に優しくして平和が広がる」と言うと、男の人には「女・子供の論理だ」と笑われます。けれど、まいた種はどこかで花が咲くと信じています。欲張らずに一歩ずつ一歩ずつ。オバマ大統領だって核兵器廃絶を目指すという時代なんですから。あきらめません。=アグネスさんの項おわり
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聞き手・長谷川豊/「時代を駆ける」は19日から落語家・林家正蔵さんのシリーズを掲載します。
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■人物略歴
歌手、タレント。香港出身。日本ユニセフ協会大使。児童ポルノ撲滅運動や、自らが乳がんになったことをきっかけにがんの早期検診を呼びかける活動にも取り組む。米スタンフォード大学で教育学博士号。54歳。
毎日新聞 2009年10月14日 東京朝刊