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二宮清純「BIZ-SPORTS」 : 第104回 川上野球のイノベーション(前編)
投稿日時: 2009-10-12 10:09:00
今年は巨人にとって球団創設75周年の節目の年にあたる。巨人の歴史はそのままプロ野球の歴史であったと言っても過言ではない。
長い球団の歴史の中でも、ひときわ眩しい輝きを放っているのが1965年から73年にかけて達成したV9である。
チームを指揮した川上哲治にインタビューしたのは、今から20年前のことだ。その頃は西武ライオンズの黄金期で、監督の森祇晶は川上ゆずりの「管理野球」をスローガンに掲げていた。
川上の眼鏡の奥の目がギロッと光ったのは私が「管理野球」について質した時だ。川上は「あれは私の発明品。もし私が今監督をしてユニホームを着ていたら、同じことは2度とやらんよ」と言い放ったのだ。名将の矜持が垣間見えた。
過去を振り返れば、川上ほど新しい戦略や戦術に挑戦した指揮官はいない。
たとえば65年に導入したクローザー制度。川上は先発投手だった宮田征典をリリーフの切り札として起用し、日本で初めて“投手分業制”に成功した。
「川上さんこそ日本一の監督」と言ってはばからない東北楽天の野村克也監督は自著『巨人軍論――組織とは、人間とは、伝統とは』(角川oneテーマ21)の中で、こう述べている。
「そのころの日本の野球は先発・完投があたりまえで、リリーフはいわば2線級投手の仕事。勝ち試合になれば、前日登板したエースが抑えの切り札として登場することもめずらしくなかった。そんな時代に川上さんは抑えの専門家を置くことにしたのである。
結果、宮田は『八時半の男』と呼ばれ、いまでいうクローザーという役割をまっとうした日本で最初の投手となった」
(後編へつづく)
<この原稿は「フィナンシャルジャパン」2009年10月号に掲載されました>