「死刑制度は多くの問題を抱えている」
01年7月、米テキサス州サンアントニオで開かれた法律家の年次集会。州第18地区裁判所のC・C・クック上級判事(62)が演説で死刑制度への疑問を口にすると、会場に驚きが広がった。
判事になったのは32年前。死刑制度を強く支持し、過去に12件の死刑判決を言い渡した。だが、90年代後半に疑問がわき上がる。死刑を維持する州と廃止した州があり、同じ州でも地区によって死刑判決の出やすさが違う。そして、白人より黒人、富裕層より貧困層に死刑が多い。
死刑への世論の圧倒的支持が、心の支えだった。だが、98年に執行された女性死刑囚(当時38歳)のケースで、それが揺らいだ。キリスト教に目覚めた死刑囚が被害者への謝罪を繰り返したことが報じられ、死刑支持率が86%から68%と急落した。「世論はこんなにも変わるのか」
00年8月、悩みは決定的になる。薬物注射で死刑を執行するためにベッドに縛られたリチャード・ジョーンズ死刑囚(当時40歳)が、最期の言葉を促され言った。「私はやっていない。あなたたちは無実の者を死刑にした」
86年の誘拐殺人事件で逮捕・起訴され、捜査段階で自供。だが、公判では一貫して否認し「警察に脅された」と主張した。陪審員の有罪評決を受け、死刑判決を出したのがクックさんだった。「本当にやっていなかったのかもしれない」。自供だけが有罪の決め手だった。疑問と不安が1年後の演説になる。
今も、裁判官席に座るクックさんは自問する。「すべての死刑を廃止すべきだとは思わないが、我々はあまりに簡単に死刑判決を出していないか」
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日本では、最高裁が83年に示した「永山基準」が死刑適用の基準とされてきた。項目の一つに「結果の重大性ことに殺害された被害者の数」があり、日本の司法が死者1人の殺人で極刑選択に慎重な理由になっている。
だが、山梨学院大法科大学院の高橋省吾教授(66)は「被害者が複数でないと死刑選択が許されないわけではない」と強調する。東京高裁の裁判長として2度、死者1人で無期懲役の1審を破棄し、死刑を言い渡した。
「犯罪行為に見合う刑罰を量ること」を貫いてきた。被告の反省の態度や更生の可能性も考慮するが「死刑と無期懲役とを分ける、決定的なものではない」と言い切る。
それでも、事件を悔いる被告に揺れたことがある。12人の死者を出したオウム真理教の地下鉄サリン事件で殺人罪などに問われた実行役の豊田亨(41)、広瀬健一(45)両被告の控訴審だった。
「反省の塊だった」。教祖の呪縛が解けた2人に、更生の可能性を感じた。しかし、猛毒を散布した結果の重大さは見逃せず、1審に続き死刑を言い渡した。最高裁は年度内にも判決を言い渡す。
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「究極の刑」を前に、プロの裁判官たちも苦悩する。日本の1審では06年に13人、07年に15人、08年に5人の死刑が言い渡された。国民から選ばれた裁判員が重い決断を迫られるときが近付いている。【松本光央、クリーバーン(米テキサス州)で小倉孝保】=つづく
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■ことば
陪審裁判の規定は州ごとに異なるが、12人の陪審員が有罪か無罪かを評決し、裁判官が量刑を言い渡すケースがほとんど。評決は全会一致が原則。連邦最高裁が03年、死刑判決には陪審の評決が必要と判断したため、死刑維持州(35州)では、死刑か終身刑かについても陪審が評決するが、最終的には裁判官が判決を出す。
毎日新聞 2009年10月12日 東京朝刊