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2009年10月11日 (日)

「司馬史観」 - <佐藤優現象>の向こうに見える "坂の上の雲"

 今秋からNHKのスペシャルドラマとして「坂の上の雲」が放映されると番宣で知ったのはだいぶ前だったが、小説はほとんど読まないし、ましてやヒーロー伝説の類の時代小説なんて、死ぬほど退屈でも読まない。ドラマも見ないし。まったく興味がなく気にもかけなかった。それが今とても気になる。

 以前、このブログで「週刊金曜日」の発行人佐高信の著書『福沢諭吉伝説』を批判する記事を書いた。安川寿之輔氏の福沢諭吉批判の記事が以前の週刊金曜日にも掲載されたにも関わらず、保守派論者のお粗末な福沢諭吉擁護論を下敷きに(完コピ(^_^;))にしたいい加減な「国家主義者福沢諭吉」賛美本を出したのかが不思議だった。しかもその前には同じような目的の『西郷隆盛伝説』なんて本も出している。
 さらに、同じく週刊金曜日の編集長北村の極右系TV番組での天皇制擁護発言。「天皇制が中心となり国家が成立する」、「天皇制は日本古来の伝統と文化」、「天皇を戴いた日本は四民平等」等々の皇国史観そのままを本音でカミングアウトしている。

 そこでこれは明治賛美の布石なのではないかと考えた。「明治賛美論」と言えば日本の近代史のスタンダードと言われる「司馬史観」だ。

 調べてみると佐高は以前に、『歴史と真実』(筑摩書房 1997)、『司馬遼太郎と藤沢周平』(光文社 1999)で司馬遼太郎批判をしている。さっと読んでみると、佐高の司馬遼太郎批判は、市井の人を書かず、英雄ばかりを主人公として書いていることを批判しているので、佐高らしい本質を外した間抜けな批判だが、これは「司馬史観」の歴史認識問題にはまったく触れていない。
「司馬史観」の本質的な問題は歴史事実を恣意的に選択し、日本帝国主義が行き着いた先であるアジア太平洋戦争での敗戦ー戦後処理という結果の原因を全て「昭和」という時代あるいは「参謀本部」に負わせることで「栄光の明治」という虚飾の国家像を作り上げたことではないのか。

あくまで小説なのだからそれもありなのだが、「司馬史観」は先に国家が作られた後で国民が規定された日本人にとってアイデンティティーの危機から逃れる方便として、まるでドキュメンタリーのように定着してきた。その結果として否定されるべき「皇国史観」そのままが現代にまで歴史認識のスタンダードとして受け継がれることになった。

 相変わらずの佐高のトンチンカンな批評には脱力したが、驚くことに、上記の2冊で佐高と共に「司馬史観」を批判している中村政則氏も「司馬史観」の本質的な欠陥について触れていないのだ。中村政則氏には『近現代史をどう見るかー司馬史観を問う』(岩波ブックレットNo.427)というそのものずばりのタイトルの著書があるのだが、そこで書かれているのは「司馬史観」を原典としたと言う藤岡信勝らの「自由主義史観」と「司馬史観」との違いを上げて、歴史修正主義批判の巻き添えから「司馬史観」を擁護している。基本的な歴史認識は「司馬史観」に同意しているのだ。

 中村氏は司馬が重視する日露戦争より日清戦争の方が歴史的意義が大きいと言うが、その理由は「もし日本が日清戦争に負けていれば、確かにフィリピンの二の舞になる可能性は絶無とは言えなかったのである。その意味で、日清戦争の勝利は日本の属国化の危機を回避させた最後の機会であった。」としている。さらに、司馬遼太郎からの引用「明治末年から日本は変質した。戦勝によってロシアの満州における権益を相続したのである。がらにもなく”植民地”をもつことによって、それに見合う規模の陸海軍を持たざるを得なくなった。”領土”と分不相応の大柄な軍隊を持ったために、政治までが変質していった。〜〜」(『ロシアについて』)と「日露戦争はロシアの側では弁解の余地もない侵略戦争であったが、日本の開戦前後の国民感情からすれば濃厚に明らかに祖国防衛戦争であった。〜〜。」(『世界の中の日本』)をあげ、中村氏は「私もロシアのバルチック艦隊が日本まで攻めてきたことを考えれば、日露戦争が「祖国防衛戦争」としての側面を持っていたと思う。もし、日本海海戦で東郷平八郎の連合艦隊が負けていれば司馬の言うとおり、日本はロシアの属邦になっていただろう。」と「司馬史観」に同意している。しかし、付け加えるように、「だが、この側面だけ見ただけでは日露戦争の全体像は見えてこない。 何より日露戦争は朝鮮・満州を舞台に戦われたのであって、日本本土で戦われたわけではない。-中略- 戦争を考える場合には、こういう「攻められた側、侵略された側」の視点を忘れると、とかく独善的な戦争観が成立することになる。」「司馬の『坂の上の雲』や日露戦争についての文章を読んで不満なのは、この戦争と朝鮮問題との不可分の関係を深刻に考えていないことにある。」と司馬に対して不満を述べているが、ここまで指摘していながら、彼もまたこれ以上つっこむのを止めている。これは多くの欠陥が指摘されながら、基本的に「司馬史観」に同意しているからだろう。

 もう一つ、面白いことに気がついた。
 中村氏や佐高なども含めて、司馬史観批判の中心的な論点は、「明るい明治」と「暗い昭和」という歴史を単純な「二項対立」で語ることなのだが、司馬は「国家像や人間像を悪玉か善玉かという、その両極端でしかとらえられないというのは、いまの歴史科学のぬきさしならぬ不自由さであり、その点のみからいえば、歴史科学は近代精神をより少なくしかもっていないか、もとうにも持ちえない重要な欠陥があるようにもおもえる。」と言い放っているのだが、司馬こそが国家像や人間像を「善玉」と「悪玉」に分けて歴史を語っている張本人ではないかという当然の突っ込みがある。「それにしても、司馬が「人間像」を悪玉・善玉にわけていることに「多少の引っかかり」を感じた島田が、司馬氏が「国家像」を悪玉・善玉にわけていることに何の「ひっかりも」感じていないのは不思議なことです。〜〜 なぜなら、『坂の上の雲』を愛読し、司馬遼太郎の「史観」を支持している読者の多くは、善玉の日本が悪玉のロシアを打ち負かしたという「物語」を愛している人々だからです。」『攘夷と皇国』(備仲臣道、礫川全次 批評社、255p)
言いたいのは、突っ込みではなくて、<佐藤優現象>を推し進めた理由は、たしか”硬直した左右の二項対立の図式」の打破”ではなかったか。そう思うと、ますます「司馬史観」と<佐藤優現象>とは、相似形に見えてくる。

 朝日新聞や多くのリベラルメディアが司馬遼太郎の歴史観を絶賛しているのは知られているが、姜尚中氏が著書『愛国の作法』の中で司馬史観を肯定的に引用しているのには驚いた。
 「司馬とほぼ同じように丸山眞男も、黎明期の近代日本という国家に宿っていた「健全さ」がどのように食い荒らされ、目を覆うばかりの「体制のデカダンス」に転げ落ちていったのか、その痛ましい歴史に光を当てました。」

 ただし、ここでの引用は「とはいえ、司馬と丸山が、ともに明治前期の日本という国家に見いだした「政治的リアリズム」の認識だけは、しっかりと確認しておくべです。〜〜」というように「ナショナリズム」と「政治的リアリズム」との関係において触れているだけなので、ここで明治の覇権主義をあげつらうのはお門違いだとしても、明治を「健全」などと言い、伏線として「もっとも、太陽に向かって飛ぶイカロスのような明治国家の輝きによってあたかも目が眩んだ近代朝鮮の荊棘の歩み(ブルース・カミングス)を思うと、複雑な気持ちになります。」と弁解しているが、まっとうな在日だったら「複雑な気持ち」で済むものなのか?

 金光翔氏が論文「<佐藤優現象>批判」の中で、佐藤が提唱する「人民戦線」=(国民戦線)について書いているが、この「国益」を中心として再編された「国民戦線」が向かおうとしているのは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』をバイブルとした、偉大なる日本人の偉大なる大国の復活ではないのだろうか。

『司馬遼太郎の歴史観 その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』 中塚明 (2009 高文研)、『司馬遼太郎と朝鮮』 備仲臣道 (2007 批評社)

※ まだ書いている途中です。(^^;)

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コメント

お久しぶりです。
私も連休中にちょうど『司馬遼太郎の歴史観』を読んでいたところでした。

>「司馬史観」と<佐藤優現象>とは、相似形に見えてくる

確かにそうですね。おっしゃる通りだと思います。
「司馬史観」が、主に「国益」の立場から明治を肯定することで、植民地主義の被害者である朝鮮民族の主体性と、加害者である日本民族の退廃ぶりに、日本人が向き合わずに済む構造を作り上げたように、<佐藤優現象>では、「戦後社会」を日本人同士で肯定し合うことで、左派までもが、在日朝鮮人を含むアジアからの問題提起と、日本の戦後責任を回避しようとしていますからね。

二元論の(薄っぺらな)克服を標榜する「司馬史観」の国民的浸透が、<佐藤優現象>をお膳立てした面も大きいのではないかと思います。

個人的には、司馬も佐藤も、著作がつまらないところまでそっくりだと思いますが。まあ、どちらもあまり読んでいませんが。

投稿: m_debugger | 2009年10月12日 (月) 21時19分

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