中川昭一先生の想い出
石破 茂 です。
去る10月4日に56歳の若さで急逝された中川昭一先生のご葬儀に参列してまいりました。
先生の初当選は私より一期早い昭和58年、30歳でした。
まだ当選一・二回の頃、中川自民党青年局長の下で次長を務め、タイ・ベトナムなど諸外国を廻った時のことや、細川政権時代、ウルグアイ・ラウンド交渉を巡って夜を徹して議論した時のことなど、23年間の様々な思い出が去来いたします。
小泉内閣で防衛庁長官を務めていた8年前、当時組織本部長であった先生から、「拉致被害者の家族の方々を支援するためのチャリティオークションを開くので、お前も何か出品しろ」とお声が掛かり、「では鳥取名産の二十世紀梨にしましょうか」と申し上げたら「何を言っている、石破といえばプラモデルしかないだろう、何が何でもお前の作ったプラモデルを出せ!」のご厳命。仕方が無いので一晩徹夜して72分の1の航空自衛隊の往時の戦闘機F-86を組み立て・塗装し出品したところ、これがなんと中川先生の出品された「北海道の名産品お届けカタログ」よりも高値で落札。先生は「なんで石破のプラモデルが俺の出したものより高いんだ!」と随分と憤慨しておられましたが、それだけ郷土に愛着と誇りをお持ちであったのでしょう。
当選期数も、年齢も、農林水産政務次官・農林水産大臣・拉致議連会長・自民党政調会長と、辿ってきた経歴も似通っており、私の一方的な思いかもしれませんが随分と親近感を感じてきただけに、類稀な才能を持たれた中川先生のご逝去は残念でなりません。
保守政治とは何か、民主党との対抗軸をめぐって議論が行われています。「真性保守の再生」が叫ばれる中、中川先生はその先頭に立って議論をリードされたかったことでしょう。
「保守とはイデオロギーではなく感覚である」との江藤淳氏の議論に賛同する私は、先生から見れば現実主義の唾棄すべき存在に映っていたのかも知れません。でも、エドモント・バークの著作などをきちんと読んだ上で、もっと多くのことを胸襟を開いて語りたかった。
それにしても、政治家とはとても悲しい仕事だな、とご遺影を見ながら改めてしみじみと思ったことでした。
理想と誇り高き愛すべき政治家、中川昭一先生のご冥福と、ご家族のご平安を心よりお祈り申し上げます。
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コメント
「国防」拝読しました。
難しいことを非常にわかりやすく書いておられてとても興味深く読むことができました。
中川昭一氏は拉致問題に関して、対話の大切さを理解していた数少ない政治家だったと報道されていました。
とても残念でなりませんが、中川氏の分も石破さんをはじめとする自民の皆さんに日本を良くしていって頂きたいと願っております。
投稿: 女性 | 2009年10月 9日 (金) 15時30分
この中川先生の死を機に学んだことが多々あります。
本当に日本にとって大切な方を亡くしたとショックで涙が止まりませんが、私自身もっと勉強し、これからの日本の在り方について考えなければならないと思いました
中川先生のご冥福をお祈りします。
投稿: もとこ | 2009年10月 9日 (金) 15時54分
昨日も通夜で感慨無量でしたが56歳で何とも残念です 東の中川 西の石破の両論客で自民党を盛り上げて貰いたかっただけに こころから中川昭一先生のご冥福を御祈り申し上げます さて 昨日のBS11政調会長の柔和なそれでいて弁舌さわやかな野党としての先生の考え たいへん頼もしく思いました
どうかタバコを控えて身体をしぼり末永く国政をたばねてください
投稿: 西村宏之 | 2009年10月 9日 (金) 16時03分
★涙涙の通夜に葬儀★
中川氏、さぞかし悔しい思いでお亡くなりに。
今でも、いろいろなサイトの掲示板に中川氏に対して批判も多く……
とても腹ただしい!
中川氏の分も石破先生よろしくお頼みします。
健康に気を付けて(T_T)
投稿: 自民支持者 | 2009年10月 9日 (金) 16時47分
幾つまで生きれば良いというラインはありませんが、同年代で逝ってしまわれると辛いです。石破さん、どうか体調管理だけはしっかりお願いします。取り返しのつかぬ事にだけはならないで下さい。
投稿: りさ | 2009年10月 9日 (金) 18時06分