2009年 09月
再び「併合無効宣言」と在日朝鮮人の「日本国籍」について――kokogiko氏の批判に応える  [2009-09-28 00:10 by kscykscy]
亀井静香のアパルトヘイト宣言 [2009-09-23 05:43 by kscykscy]
「併合無効宣言」と在日朝鮮人の「日本国籍」 [2009-09-20 05:08 by kscykscy]
再び天皇訪韓と和田春樹、そして「鳩山談話」について [2009-09-17 07:58 by kscykscy]
再び「併合無効宣言」と在日朝鮮人の「日本国籍」について――kokogiko氏の批判に応える 
 前々回の記事に対し、kokogiko氏より「「併合無効宣言」と在日朝鮮人の「日本国籍」に関して」と題した批判を頂いた。拙文を読んでいただいたことにお礼申上げつつ、この場を借りて批判に応えることにしたい。

 kokogiko氏は色々と書いているが、論点を拡散させないためにも、差当り私の議論に直接触れているものに限定して反論しよう。
 まず、kokogiko氏は次のように記している。

 間違った手順によって行われた施策が無効だったことを認めるのと、しかしその間違った施策が実効的に行われたことについて、それに翻弄された結果としての現実を生きている生身の一個人に対し、筋を通した便宜を図ることは、別に考えるべきことじゃないんですかね。

 その通りである、と書きたいところだが、一点だけ違う。両者は「別に考えるべきこと」ではない。むしろ、併合が無効だからこそ「それに翻弄された結果としての現実を生きている生身の一個人に対し、筋を通した便宜」はより図られることになる。併合が無効ならば、その併合が有効であることを前提に行われた諸施策は法的正当性を失い、再審に付される。例えば、併合=無効なのであれば、治安維持法による朝鮮独立運動者の逮捕や、独立運動への「国体変革」条項の適用はその前提となる「朝鮮=日本領、日本領からの朝鮮分離=国体変革」という前提を失うことになる。よって、これらの逮捕、拘禁、刑の宣告、収監、あるいは殺傷は全て違法な国家の行為であり、謝罪と賠償、名誉回復、関連史料の公開の責任を日本国家は負うことになる(もちろん、これは一例に過ぎない)。

 逆にいえばこれらの効果を生まない「併合無効宣言」には政治的儀式以外の何の意味もない。以前記したように、私が和田春樹の「併合無効宣言」を警戒するのは、併合無効宣言を「和解」のセレモニーとすることを危惧しているからである。

再び天皇訪韓と和田春樹、そして「鳩山談話」について
和田春樹の天皇訪韓提案と「東アジア共同体」

 何より、確立協をはじめとする「権利としての日本国籍」論は初めからこうした理論構成を取ろうとはしていない。確立協にしても、大沼保昭の議論にしても、併合条約が有効であったことが立論の根拠になっおり、「間違った手順によって行われた施策が無効だった」と認めているわけではない。よって、私は「権利としての日本国籍」論は併合無効宣言に反対するのが筋であるし、反対せざるを得ないであろう、と記したのである。

 kokogiko氏の批判に戻ろう。氏は続けて以下のように記している。

 そもそもその理屈だと、日本国民として合法的に日本領内に移住したはずの多くの現在日朝鮮人の祖先たちは、その時点に遡って日本国籍が無効だった、という話になるのであれば、不法入国者として罪人扱いになると思うのですが、それでOKなんでしょうか。

 なぜこういう「理屈」になるのか私には全く理解できない。kokogiko氏の脳内ではそうなるのかもしれないが、私の結論は全く逆である。前述したように、併合条約が不法・無効ということになれば、日本による朝鮮植民地支配そのものの再審が始まる。当然植民地支配に伴って生じた様々な国家暴力の被害に対する謝罪、補償をしなければならない。kokogiko氏は、私の理屈だと、併合が無効となれば在日朝鮮人は「不法入国者として罪人扱いになる」、と記しているが、これは私の議論の悪質な曲解というほかない。私の立論からは、日本による不法な植民地支配により生じた朝鮮人渡日者を日本の官憲が取締ったことに対する再審、植民地期の渡航管理や強制送還措置に対する謝罪、という結論が出てくることはあっても、朝鮮人の渡航の再不法化という結論が導き出される余地は無い。

 私は以上の立場から、「併合=有効」認識を前提にした「権利としての日本国籍」論に基く帰化要件緩和ではなく、「併合=不法」認識を前提とした在日朝鮮人の諸権利(例えば在留権/帰還権(*1))承認とその保護こそが、日本国家のなすべきことであると考えている。帰化要件緩和の議論は植民地支配とは無関係に国籍法一般の議論としてやれば充分である。帰化要件緩和云々を植民地支配とリンクさせ、特別永住者に限定してしまうと、どうしても「併合=有効」を前提にせざるを得ない。だが、国籍法一般の議論ならば、例えば「居住」要件を重視するなどすれば、昔「日本臣民だったから」という理由を用いなくても充分に緩和が可能である。参政権問題についても同様の形で議論するべきだと思う。(ただ、もし上述の諸権利承認と、「居住」を要件とした外国人参政権が実現すれば、日本国籍取得すること自体の意味が減少するだろう。)

 以上である。率直に言って、kokogiko氏は私の書いていることを理解した上で批判しているというよりも、氏の誤解に基いて作りだされた虚像を揶揄している過ぎないが、kokogiko氏の解釈が私の見解であるかのように流布されることは避けたいので、この場を借りて反批判の記事を書かせていただいた。
 
 ただ、kokogiko氏の併合無効宣言と「権利としての日本国籍」は、「別に考えるべきこと」との一語はなかなかに興味深い。両者を「別に考え」ることは、植民地支配責任は取りたくないが、日本が反省しているというポーズを取りたい人々にとっては、ぜひとも採用したい立場だろう。この点において和田春樹的「併合無効宣言」は確立協的「権利としての日本国籍」論と手を携える可能性が、全くないわけではない。前者は所詮「和解」のセレモニーに過ぎない(つまり何ら実質的効果を生まない)のであるから、後者と野合するのはそう難しくないだろう。kokogiko氏のような方を納得させることもできる。なかなか「現実」的な代案ではないか(もちろん皮肉である)。


*1 「在留権/帰還権」とセットで書いたことには理由がある。「帰還権」というと、在日朝鮮人が帰国すれば「問題」が解決すると思っているんだろう、と邪推されることが多いが、そうではない。私は帰還を援助してくれ、といっているのではなく「帰還の権利」を承認せよ、といっているのである。帰還が「権利」たりうるためには、当然「帰らないでもいい権利」が保障されていなくてはならない。このため、常に「帰還権」と「在留権」は一体でしかありえないのである。
# by kscykscy | 2009-09-28 00:10
亀井静香のアパルトヘイト宣言
 さて、永住外国人地方参政権のほうもモゾモゾと動きが起っているようだ。個人的には、今国会上程の案がどういうかたちで「永住外国人」の範囲に制限をかけるのかに注視したいところである(これについては以下の記事を参照のこと)。
    「多民族社会」日本の構想

 ところで、これと関連して与党・国民新党の亀井静香が以下の発言をしたとのことである。

 「地域によって在日外国人比率が高い地域がある。日本人が少数民族で、自分たちの意志が地方政治に反映されないという心配、不満が出てきても困る」

 一読してわかるように、亀井はここで日本人が「少数民族」であるような地方自治体が存在し、そこで在日外国人が選挙権を握った場合に日本人の意思(意志ではないだろう)が地方政治に反映されないことを危惧している。逆に言えば、ここで亀井は日本人が「少数民族」でありつつも政治的権利を掌握している地方自治体が存在していることを認めているのである。この発言を聞いて頭に浮かぶのは、南アフリカ共和国で1991年まで続いていたアパルトヘイト(人種隔離)政策である。

 そもそも日本人が「少数民族」(というからには49%以下なのだろう)であるような地域が存在するのかどうか疑問だし、実際には「永住外国人」に限っているうえ、これまで上程された法案と同様なら朝鮮籍はさらにここから排除されるわけだから、大した数にはならないだろう。ただそれは大した問題ではない。別にそういう地域があったっていい。

 むしろ日本国民が当該自治体内人口の50%未満であろうがなかろうが、外国人を「住民」として捉えるのが外国人参政権の基本的発想なはずなのだから、当該外国人住民がどこの国籍であろうが(もちろん、朝鮮民主主義共和国の国民であっても)、どんなに数が多かろうが、特に関係は無いはずである。

 逆に、もし実在するならの話だが、こういう事実(相当多数の住民に政治的権利が存在しない事実)というのは地方参政権推進派が挙げるべき事実だろう。だが、そこは愚鈍な抵抗勢力・亀井である。仮に日本人が「少数民族」になったとしても政治的権利は渡さないぞ、というアパルトヘイト宣言を先取りして公表することになった。

 ただ、一概にこれを「愚鈍」といえないところに、日本の現状の不気味さがある。外国人参政権法案が上程されない、という可能性を一応脇におくならば、連立政権内で亀井のようなアパルトヘイト派を説得する必要があるわけで、その際に法案がどういう形のものになるか、興味深い。外国人住民が全住民中何%を越える地方自治体では施行しない、という条項でも作るのだろうか。
# by kscykscy | 2009-09-23 05:43
「併合無効宣言」と在日朝鮮人の「日本国籍」
 前回の記事で、和田春樹が2010年を期に「鳩山談話」で韓国併合の「無効宣言」を出せと提案していることに触れた。併合無効については前回記さなかったので、私の立場を書いておこうと思う。

 私は併合条約の前提となる1905年条約は君主に対する脅迫があったため成立していない、という説は説得的なものであると考えるので、日本政府は併合無効を承認するべきだと思う。ただ、和田のいう「鳩山談話」は、無効宣言とバーターで日韓間の「歴史問題の完全解決」を図る、つまり一種の「終結」のセレモニーとなる可能性が非常に高い。私は、無効宣言は一つの「始まり」であると考えており、そうした観点から和田の提言に危惧しているのである。「併合無効」なんか宣言したら次は何を要求されるかわからないという右翼の危惧に、「いやいやそんなことありませんよ」と宥めるのが、和田流である。だが私は右翼が恐れるとおりにしなければいけないと思う。あんなことも、こんなことも、真相究明をさせ、責任追及を続けるべきなのである。

 さて、この「併合無効宣言」と関連して前々から気になっていたのが、在日朝鮮人の国籍、具体的には「権利としての日本国籍取得論」と「併合無効宣言」の関係である。

 「権利としての日本国籍取得論」とは現行の帰化制度を特別永住者に限定して緩和せよ、という主張である。「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」(確立協)が代表的な運動団体で、自民党の国籍問題プロジェクトチーム(河野太郎座長)が「特別永住者等の国籍取得特例法案」というものも作成している。

 最近は、運動としてはあまり見る影が無いが、この主張は、確立協以外の在日朝鮮人や日本人にも支持者がそれなりに多いと思う。少なくとも特別永住者の日本国籍取得要件を緩和すべきだ、という主張に限定するならば、これを否定する人は実は非常に少ないのではないだろうか。民団をはじめ地方参政権獲得論が批判するのも、国籍取得特例法案は参政権法案つぶしだ、という一種の戦術論的(陰謀論的?)批判なのであって、原理的にこれに反対しているわけではない。今後それなりに盛り返してくる可能性は高いだろう。

 この議論の骨格は次のようなものだ。日本の植民地支配により在日朝鮮人は日本国籍に編入されたが、サンフランシスコ講和条約発効直前の1952年4月19日に「平和条約に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」(通達438号)という法務省通達によって、在日朝鮮人は「日本の国籍を喪失」することになった。だがこの措置は不当であり、在日朝鮮人には日本国籍を認めるべきだ、というものである。

 実はなぜこの措置が不当なのか、という点については意見が分かれるところであって、例えば大沼保昭の場合はこの通達自体が違憲無効だということになるので、立法論ではなく解釈論として在日朝鮮人は自らの日本国籍を争えることになる(大沼保昭『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』東信堂、2004年)。つまり厳密にいえば大沼説の場合は、「特別永住者等の国籍取得特例法案」自体がいらないということになるのだが、差当りここでは踏み込まないことにしよう。重要なのは「権利としての日本国籍論」が、植民地期の朝鮮人の日本国籍を前提にしているということである。

 さて、ここで考えてみたいのは、植民地期の在日朝鮮人の「日本国籍」の根拠法は何か、という問題である。日本人の日本国籍の根拠法は、国籍法である(ただし1899年以前は国籍法が無いので戸籍ということになるだろう)。だが、よく知られているように朝鮮には植民地期に国籍法が施行されなかった。これは中国東北部に移住した朝鮮人に日本国籍を離脱させず、「帝国臣民」の「保護」の名の下に同地域に影響力を行使しようとしたためであった。「関東州」(後の「満洲国」)や南洋群島も施行されていない。

 では何が朝鮮人が「日本臣民」である根拠になるかというと、「韓国併合ニ関スル条約」である、というのが教科書的見解である。「日本国と韓国との双方の意思にもとづき、韓国が、その対人主権、すなわち韓国民に対する統治権を日本国に譲与し、したがって韓国民が日本国民となることを認めたものということができる」のだそうだ(江川英文・山田鐐一『法律学全集59 国籍法』有斐閣、1973年、98頁)。もちろん、その前提には「韓国の併合は条約によるものであって、平和的手段による併合ということができる」という理解がある(同上)。

 だがもしこの条約が無効だということになると、形式的には「権利としての日本国籍取得論」が前提にしている植民地期の日本国籍自体の法的根拠が失われることになる。なので私がとても気になっているのは、「権利としての日本国籍取得論」の人々が、この「併合無効宣言」という提案に対し、どういう立場を採るのかということである。

 論理的にいえば、「無効宣言」に反対するのが筋だと思う。少なくとも、特別永住者に限定した国籍取得要件緩和論を主張するならば、絶対に「併合無効」など宣言させてはならない。もちろん、帰化要件一般の緩和を目指す国籍法改正論ならば別である。だが、特別永住者に限った緩和論は、その「歴史的経緯」なるものを論拠にしているのであり、突き詰めて云えばその「歴史的経緯」なるものは植民地期の朝鮮人の「日本国籍」の存在と、当事者の意思を無視したその「喪失」措置という一点に集約されざるを得ない。繰返すが、外国人一般の帰化要件緩和論ならば話は別である。

 「無効宣言」に反対するのが筋だ、と書いたが、私はおそらく反対せざるを得なくなってくると思う。「無効宣言」と「権利としての日本国籍取得論」は両立しえないのである。よって、私の立場は併合無効、「権利としての日本国籍取得論」反対である。ただ「歴史的経緯」を語ればいいというわけではない。確立協の母体である「高槻むくげの会」だって、「帝国主義」という言葉を用いて日本の植民地支配を批判していたが、「権利としての日本国籍取得論」を維持している限り、この批判は必然的に退潮していくだろう。確立協が極めて同化主義的な傾向を見せているのも特段不思議ではない(*1)。

 逆に言えば、和田春樹はちゃんと「権利としての日本国籍取得論」を批判すべきだということだ。

(*1) 確立協系の人々は、日本国籍取得は同化であると批判されることをとても喜ぶのであまり言いたくないのだが、やはりあなたがたは同化論者である。なぜか。確立協の常套句の一つに、「民族と国籍は別」というのがある。既存の日本国籍取得反対論者は「民族=国籍」に囚われている、という例のアレである。
 だが、実際には「民族=国籍」という図式を強く持っているのは確立協系の論客に多い。例えば李敬宰の次の文章。

 例えば、すぐ「同化」だと言う人たちが、家に帰れば朝鮮の伝統的な家屋に住んでいるのかと言えば、絶対にそうではないと思います。そんな家屋は日本にほとんどないと思います。普通の日本式の家に住んでいるでしょうし、生活様式もほとんど日本式でしょう。日常的に出てくる民族的なものと言えば食卓にキムチがあったり、朝鮮料理があるという程度じゃないかなと思います。こうした生活様式は「同化」していないのだろうか。教育についても、日本語で教育を受けたら「同化」でした。今はもう一世を除いては、韓国語で教育を受けている人というのはほとんどいないのではないですか。ここでも、「同化」しています。ところで、総連系の民族学校を出た若い人たちが使う朝鮮語は、はっきり言って本当に朝鮮語なのかと思ってしまいます。日本訛り、日本語混じりの朝鮮語ですね。昔、在日一世の人が日本語を話すときは朝鮮訛りの日本語だったのですけれども、今総連系の若い人たちがしゃべっている朝鮮語は日本訛り、日本語混じりの「朝鮮語」(?)なんです。これは「同化」の極みになるのではないかと思います。(「在日韓国・朝鮮人と国籍」、佐々木てる編『在日コリアンに権利としての日本国籍を』明石書店、2006年、58-59頁。)

 その狭隘な民族文化観にはため息が出るが、この後李は、だから「同化」してるかどうかは「民族的素養」があるかどうかではなくて、民族差別を告発していけるかどうかにあるんだ、という話を続ける。だが、結局落としどころは、

 実のところ、子どもになぜ自分は韓国人なのかと問われたときに、私は答えられないのです。日本人の子が「なぜ私は日本人なの?」と聞いたときに、仮に「日本で生まれたから」と答えたとして、今度は在日韓国・朝鮮人の子に「なぜ私は日本人じゃないの?」と聞かれたら、どう答えたらいいのでしょうか。まさか、韓国人の血と日本人の血を識別する方法なんてないのですから、血の話では説明できません。子どもにちゃんと答えられない理屈なんて、どこか間違っていると思いませんか。〔中略〕もはや、こうした状況を、いつまでも放置しておけないのではないかなと思って、私は最近積極的に日本国籍の議論を進めているのです。(同上、71,72頁)

ということになる。つまり、在日朝鮮人のほとんどは「民族的素養」の点で「同化」している。そうではない「(反)同化」論に取り組んでみたけど、「民族的素養」の点で「同化」している子どもに説明できない、やっぱりこれは「どこか間違っている」、だから「日本国籍の議論を進めている」という論法である。

 つまり、李敬宰は在日朝鮮人は「民族」が日本に「同化」しているから日本国籍を取得すべしといっているのである。「民族=国籍」という等式に囚われているのは李の方だ。
# by kscykscy | 2009-09-20 05:08
再び天皇訪韓と和田春樹、そして「鳩山談話」について
 ここにきて、李明博大統領が再び天皇訪韓を口にしだした。韓国併合百年を期に、天皇訪韓によって「歴史問題の完全解決」を図ろう、ということらしい。韓国メディアも保守系は概ね好意的だ。進歩系も明日には社説やオピニオンが出るだろう。

  まず確認しておくが、私はいかなる条件・いかなる時期であろうとも、天皇が「天皇」として朝鮮半島に行くのには反対である。理由についてはここを読んでいただきたい。
     和田春樹の天皇訪韓提案と「東アジア共同体」

 早速「中央日報」のコメント欄あたりにたむろする天皇主義者たち(ネット右翼、という呼び名は生ぬるいと思う)は騒ぎ始めており、なかには「日本の皇室外交に政治を持ち込むな」という珍妙な批判もあって笑えるのだが、とりあえずはどうでもいい(皇室外交は政治ではない、というのはなかなか天皇制っぽくて味わい深い)。

 ただ、安重根のような人間に暗殺されるから天皇を韓国に行かしてはならない、という類の意見は、天皇がただ朝鮮に上陸しただけで殺されるかもしれないような存在であるということが前提になっていて逆に「不敬」なんじゃないかとすら思うのだが、その理解についてだけは私も同感である(もちろん、それは朝鮮人の頭がおかしいせいになっているのだが)。

 しかし、あれを「反日カード」だと呼ぶのは間違いである。大して「反日」ではないものをことさらに「反日」だと名指して、逆に「反日」の価値暴落を引き起こそうとする高等戦術なのかもしれないが、最大限好意的に解釈して天皇訪韓要請の思想的意味は、もはや日本が絶対に天皇制を無くすことはないし、日本人が変化することもない、という諦念に基いた政治的リアリズム(ニヒリズム?)に過ぎない。普通に考えたら、李明博の訪韓要請は単なる「親日」行為である。安重根が生きていたらまずは李明博を射殺するだろう。

 それはさておき本題は和田春樹である。この件(といっても併合100年の方だが)に関連して『ハンギョレ』で再び和田春樹が発言している。とりあえず引用しよう。

 8・30総選挙の結果は『ハンギョレ』が書いたように選挙革命に近かった。今までの自民党政治とは異なる政治を示さねばという日本国民の願いの結果である。特に、去る95年には村山談話があったが充分ではない面があったので、果敢に新たに書き直すことを期待する。来年の韓日強制併合100年という絶好の機会を活かし、声明を出さねばならない。まさしく「鳩山総理談話」である。韓国人の心を掴むためには村山談話では解決されていない、併合は当初より無効という韓国の主張に対し応えなければならない。そうした余地があると思う。このために日本で努力したい。

 「鳩山談話」が出るそうだ。いや、出すそうだ。もういい加減にして欲しいのだが、この記事には続きがある。

 鳩山総理は客観的に直面することになる100周年問題に対し、何らかのかたちで応えるだろうと思う。それは韓国のみならず北朝鮮に関連する問題だ。北朝鮮側では100周年問題について鳩山政権が言及するならば、日本側との関係改善に積極的になるだろう。北朝鮮を動かすためにはまずは過去に対する反省が必要である。このためには日韓条約のような日北〔ママ〕条約が必要である。それは北朝鮮には大きな魅力である。

 日韓条約のような日朝条約が必要なのだそうだ。まだまだ続く。

 日本国民も過去とは異なり新たな方向へと進むことを期待しているため、日本のナショナリズムは大きな問題ではない。この問題を解決しようとする日本知識人たちも多いと思う。年末までには歴史問題に関連する声明が出るだろう。

 日本のナショナリズムもさしたる問題ではないとのことである。根拠は不明であるが。そして最後、

 『朝日新聞』による去る19日の民主党出馬者に対する調査結果を見ると、憲法改正、防衛力増強、集団的自衛権行使問題などに対しは穏健派が圧倒的に多い。自民党候補のなかでは95%が平和憲法改正に対して賛成だが、民主党候補者のなかでは40%だった。4年前の民主党候補者調査では70%に達した項目である。こうした人物たちを選択したのが小沢一郎民主党幹事長だということに注目する必要がある。小沢に対しては様々な評価があるが「自民党と異なる政治」をするために当分の間は穏健派を公薦した。彼は戦略的な思考を持っている。対北政策と関連する問題は、鳩山総理にかかっている。歴史問題・補償問題については積極的な考えである。彼は軍隊慰安婦問題解決法案を提出した議員のうちの一人だ。ただ、鳩山総理が北朝鮮問題と関連して、就任したらすぐ船舶調査法案を通過させると言って来たが、これは中止した方がいいと思う。はじめから北朝鮮との関係を悪化させてはいけない。

 以上である。とりあえず「鳩山談話」と知識人らの「歴史問題に関連する声明」を出そうと画策しているようなので、最大限警戒しよう、と呼びかけておきたい。ただ、私が心底腹立たしく思うのは、最後に引用した部分である。

 少なくとも民主党選挙勝利後の韓国メディアの大勢は、当分は日本の外交に大きな変化は無いだろう、というものだったと記憶している。私も正しい判断だと思う。そこにわざわざ改憲派は40%しかいないだの、それは小沢の「戦略的思考」だの、鳩山が「歴史問題・補償問題については積極的」だのといって、民主党外交に変化の兆しがあるかのように韓国世論を誘導するのはどういうことか。何より、それを掲載する(依頼もしたのだろう)『ハンギョレ』は一体どうなっているのだろうか。大体、改憲派が40%しかいないから安心しろ、というのは人を馬鹿にするにもほどがあるのではないか。民主党と自民党を足したら容易に改憲できるから警戒すべし、となるのが普通の判断だろう。仮にも「歴史問題・補償問題」の「解決」を望むならば、周辺諸国の厳しい監視は絶対に必要である。それを緩和させてどうしようというのか。

 ここでは天皇訪韓については言及は無かったが、おそらく李明博とは若干違うラインで和田は主張することになると思う。流石に李明博と同一のレトリックではやらないだろうし、そういうところにより根深い問題があるとも思うのだが、韓国に対しては「警戒せよ」と声を大にして言いたい。

 しかし困ったことに web版9月16日付の『ハンギョレ』の社説を見ると、ほとんど和田春樹そのままのことが書いてある。憂鬱だが引用しよう。

 鳩山政権は以前の自民党政権とは異なり、過去事問題に前進的な姿勢を見せている。名実相伴う韓日友好を実現するにあたり、極めて肯定的な部分である。鳩山総理は靖国神社参拝をしないと明確にした。また民主党は韓国人軍隊慰安婦補償と在日同胞地方参政権付与問題にも積極性を見せている。事案の性格上根本的に解決するのが難しい独島問題を除けば、過去事問題には最も好意的な政権が誕生したことになる。小沢一郎民主党幹事長と岡田克也外相など党政の核心に韓国・中国など隣国との友好関係を重視する人物が布陣されている事実も注目される。

 『ハンギョレ』もまた、和田春樹と、そして村山社会党と同じ道を歩むのだろうか。もう歩んでいるのかもしれない。もう手遅れかもしれないが、声を大にして「そっちは行き止まりだ!!」と呼びかけたい。
# by kscykscy | 2009-09-17 07:58
< 前のページ 次のページ >