日本・トルコ協会

 Icindekiler
「トルコから見た日本」
トルコから見た日本 2000年4月27日更新

セルカン・アニラル君第1回目は日本に留学中のセルカン・アニラル君です。


「僕の見た日本」


新しい家に引っ越してきたばかりの頃のこと。建築の勉強のために来たイスタンブールの町中を毎日わくわくしながら歩きまわったものだった。新しい環境に早く慣れようと必死だった。引越してから1週間位たった頃、暇を見つけては家の引越しの片づけをし、退屈すると家の外へ出て煙草を吸った。

いつものように一服しながら行き交う人々をぼんやり見ていると、突然僕のアパートから小さな3人の女の子が飛び出してきた。僕を見ると一瞬立ち止まり、まるで合わせたかのように同時にくるっと背を向けアパートへ戻ろうとした。しかしドアはオートロックだったので入ることができなかった。この時のことを決して忘れることができない・・・。今度は集まって無言で僕のことをじっと見て観察を始めたのだ。僕は僕で心底から「ひげを剃っておけばよかった、あの子達を怖がらせてしまった」と考えていた。

一目で姉と思われる一番背の高い子が静けさを破った。妹達に何か言った。でも僕には全く分からなかった。きっと暗号か何かで話しているんだろう、と思った。子供によくあるように。しかしその暗号が、単語ではなく文章であること、そして笑いさえも引き起こすれっきとした会話であることが分かると、今度は僕の方が慌てて彼女たちを観察する番になった。5歳から9歳くらいの3人の子供が僕の全く知らない言葉でコミュニケーションしている。おまけにちっとも外国人のようには見えないのだ。

ほどなくしてアパートから子供達の母親と父親が出てきた。日本で学生時代に知り合ったトルコ人のご主人と日本人の奥さんという夫婦で、上の階の住人であることが後で分かった。彼らこそが、僕に日本の文化を教え、日本を好きになるきっかけを作ってくれた最初の人たちだ。初めて食べた日本料理、初めて見た日本のテレビ番組、初めて習った日本語の文「私はセルカンです」、全てこの時にさかのぼる。彼らと過ごした2年間は、僕が日本人と親しくなり、日本に対して本格的に興味をもつきっかけとなった。特に日本の建築に対して関心を強く持ちはじめたのもこの時で、今、僕が日本にいることの土台になっている。

トルコでその辺に歩いている人に「日本語の言葉でどんな言葉が思い浮かびますか。」と聞いたらきっと「将軍、サムライ、あんじんさん、とらなが、忍者」という答えが返ってくるだろう。これらは、以前トルコのテレビで放送された、シリーズ番組のヒーロー達の影響だ。最近では不幸な地震の後の日本の方々による多大な援助、2国間の技術者と学者の交流があったことも加えたい。両国民の距離を更に縮めたこの協力関係の鎖は、トルコの人々へ日本人の博愛の精神、悲惨な自然災害に対する思いやりを示したことが大きな要因のひとつだ。この機会に日本の皆様のご厚意に感謝申し上げたい。

私達在日トルコ人留学生は、一人一人が文化の使者として自覚している。皆日本で大変素晴らしい友情を築き、良い思い出作りをしている。留学生活が終わり帰国してもトルコと日本の間の架け橋としての務めがある。私達の共通の願いは両国民がもっと理解しあい、お互いの関係がより発展していくことである。今日、アタチュルクの築いた土台に建てられたトルコで兄弟国日本の人々への関心と好意がますます高まっている。毎日ヨーロッパへ一歩ずつ近づいている現代のトルコ共和国は、自分達のようにアジア大陸の反対側の端にある日本との関係をますます深め、2つの異なった文化の共通のルーツも見いだしていくだろう。

セルカン・アヌラル
東京大学工学部建築学科
博士課程在学



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