2009年10月12日

東北から維新の旗を!

 東北から維新の旗を!

 中央での叛乱と地方からの進撃

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行動右翼を名乗っていた若い頃は「東北から第二の維新を!」というスローガンを叫んでいた。東北出身者で右翼・民族派の運動に関わる者にはどうしてもわだかまりと言うか、考えさせられることがあります。

 それは民族運動を行なう上で避けて通れない問題でした。明治維新こそは日本の右翼運動に取っては、その原点ともなるべきもので、明治維新を成功に導いた勤皇の志士こそが、最も尊ばれる存在でした。

 これは右翼に限らず保守派と呼ばれてきた人たちの考えも一緒であり、日本の近代の歴史の中には明治維新こそがその始まりであり、それを推進した志士達こそが尊敬される人間であるという教えがあった訳です。

 薩摩・長州藩を主体とした明治維新の勢力は錦の御旗を掲げたことにより、それに抗した東北の諸藩は「反天皇」という逆賊の汚名を着せられました。

 しかし、これは歴史の真実ではない。確かに東北の諸藩は反薩摩や反長州の旗を掲げたが、決して「反天皇」などではなかった。東北の諸藩は徳川幕府が掲げた公武合体を支持し、薩長の横暴を討とうとしたに過ぎません。

 薩長軍による会津若松城攻めは日本の近代史においても、最も凄惨極まりない戦争として有名です。1500人以上の会津人が犠牲となりました。

 中でも有名なのが会津少年白虎隊の存在です。当時16歳と17歳であった少年37名は薩長軍に戦いを挑み、10人以上は戦死、残りの全員が飯盛山に逃れたが、そこで砲煙があがる鶴ヶ城を望み「もはやこれまで」と主君を追って自刃したのです。

 (一人だけは近くの人に助けられて蘇生しました。)

 又、会津の白虎隊ほど知られてはいませんが、福島県の二本松市の二本松少年隊も同様に悲劇に見舞われました。こちらは12歳から17歳までの少年が出陣、20名からの若者が戦死しました。

 会津では男の若い藩士だけではなく、22歳から16歳までの若い女性20数名も戦いに参加、隊長の中野武子(22歳)は敵の銃弾に倒れたので妹・中野優子(16歳)に介錯を頼み、妹は姉の首を切り落として近くの法界寺に葬った。

 私はほぼ毎年どちらかへの供養の墓参りをしてきました。今年は3年ぶりになりますが、飯盛山に行きたいと思っております。 

 これらの若者は先ほど述べたように逆賊の汚名を着せられはしましたが、反天皇などではなく、天皇陛下を中心とした日本の維新を望んでいた一人でもあったのです。

 前置きはこのくらいで本日は止めますが、私は再度昔の自分を取り戻し、「東北から維新を!」の旗を掲げ、東北各地で「現代維新講座」を開催するつもりです。

 これからの首都圏や大都市圏における「行動する保守」の運動とは、戦後民主主義への総叛乱を目指すものとなるでしょう。特に首都東京における我々の権力機構への決起と叛乱は、地方からの出撃があって初めて大規模なものへとなるのです。

 人材であれ食料であれ大都市の供給原となってきたのは地方でした。地方からの反撃と出撃なくして、中央での闘いの勝利などあり得ないのです。

 東京での活動に参加すると必ず東北の方から声をかけて頂きました。三鷹市での闘いでは山形・岩手から参加した人に握手を求められました。秋葉原のデモにおいては会津からの参加者に「お体大丈夫ですか」と温かい声も頂きました。

 現代における 草莽崛起には東北のチカラは必要です。東北に草莽の群れが出現し、首都東京を目指すときに「第二の維新」は成功するでしょう。

 尚、昨日の「新風福島の会」への参加者は私を含めて8名でした。ご参加頂いた皆さん感謝申し上げます。懇親会でのお話もとても楽しいものでした。ありがとう御座います。

 東北地方における「現代維新講座」の開催は、維新政党・新風の東北での組織体制固めと兼ねて行なっていく考えです。早ければ11月初旬には宮城県仙台市において、「現代維新講座」を開催したいと思います。又、その時はよろしくお願い申し上げます。


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Posted by the_radical_right at 09:37│Comments(8)TrackBack(0)この記事をクリップ!現代維新講座 

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この記事へのコメント
瀬戸さんのお言葉、いつも勉強になり、大変励みになります。本当にありがとうございます。
Posted by 日本国民 at 2009年10月12日 10:38
山口二矢烈士 義挙

 昭和35年10月12日、山口二矢烈士は時期首相と目されていた社会党・浅沼稲次郎党首を屠った。その年11月2日、山口烈士は東京鑑別所の壁に「天皇陛下万歳」「七生報国」と書き残し自決した。弱冠17歳という若さで、日本の赤化を防ぐという神業を成し遂げた烈士は、正に神であった。
http://acpress.exblog.jp/9556208/

「やったことは自分ひとりのことです。責任を回避しようと思いません」

「大東亜戦争で国のため子孫のため、富や権力を求めず黙って死んで行った特攻隊の若い青年に対し、尊敬しております」

(『テロルの決算』より)

山口二矢烈士辞世

大君ニ 仕エマツレル若人ハ
  今モ昔モ心変ラジ

国ノ為 神州男子晴レヤカニ
  ホホエミ行カン 死出ノ旅路ヘ


Posted by 義挙 at 2009年10月12日 10:38
>戦後民主主義への総叛乱を目指すものとなるでしょう。特に首都東京における我々の権力機構への決起と叛乱は、地方からの出撃があって初めて大規模なものへとなるのです。

 地方から中央を撃破する平成維新に決起せよ!!

 スメラミコトイヤサカ!!天皇弥栄!
Posted by けんぶつ at 2009年10月12日 10:47
せと先生。
昨日も大変お疲れ様でした!また参加させていただきます!!
Posted by じゅん at 2009年10月12日 10:58
大阪のおっさんさんへ

詐欺行為云々のコメントは削除させて頂きました。
当方は同じ志を表明する保守・右派ブログへの批判は
余りエントリーでもやったことがありません。申し訳ないが他の場所でおやりください。
Posted by 管理人 at 2009年10月12日 12:01
東北からの維新は現代において、非常に大きな意義があります。
真性右翼というか、真性保守は、東北から出現しなければ成りません。
なぜなら、長州による維新は、伝統の破壊をもたらし、ただひたすら欧州に追随しようとしたからです。太陰暦の廃止とグレゴリオ暦の導入、廃刀令、断髪、神社の統廃合、イギリス指導による貨幣経済の導入。伝統を守ろうとした熊本の新風連の乱、萩の乱はことごとく鎮圧されました。西郷さん途中でそのことに気づき反旗を翻しましたが、時すでに遅しでした。
その後明治政府は半島、大陸へ利権拡大を進め、一方では佐幕派だった東北地方は干されてしまいました。幕府の水戸学による正当な保守思想は東北地方と共に復活せねばなりません。
真の保守再来を東北から期待いたします。
Posted by 匿名希望 at 2009年10月12日 12:09
承知しました。
コメント欄を勝手に使い申し訳ありませんでした。
この行為に沈黙している保守ブロガーへの批判の気持ちもありましたので、つい許可無く長文を書き込んでしまいました。
全部削除してください。

ひとつだけお答え下さい。
管理人さんとは瀬戸さんでしょうか?
これは瀬戸さんの意見表明と考えてよろしいのですか。
それとも名乗らなくて結構ですので、誰か他の方でしょうか?
Posted by 大阪のおっさん at 2009年10月12日 12:10
http://d.hatena.ne.jp/killtheassholes/

http://d.hatena.ne.jp/killtheassholes/20091006

日本ユニセフが新法で漫画、ゲームの規制を画策
Posted by 匿名 at 2009年10月12日 12:18

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