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赤羽の関東大震災
9月1日 関東大震災被災 職員室を含む1棟倒壊1棟半壊 赤羽地区は火災発生せず
都心部からの多くの避難民が流れ着いて校庭に仮泊
このときの赤羽の混乱した状況については室生犀星『杏っ子』の初めの部分に詳しく 描かれている。岩淵の小田切家も登場する。
10/1授業再開 震災避難児童の仮り入学183名
震災の影響
震災避難民のための避難施設、あるいは都心部の住居を失っての転入者の数は日を追って増加し、滝野川から王子と徐々に郊外へ向かって人口急増が進んできて、岩淵町も飽和状態となりました。加えて地元のおもだった工場が倒壊閉鎖したり、町の産業が停滞して失業も増えて町の税収が逼迫するなかで、学童数の急増は学校経費に危機的状況を生みました。岩淵町長藤崎正義は小学校の授業料徴収に踏切り許可を申請しますが、王子町も滝野川町も同様に申請しました。(尋常科30銭高等科1円20銭13年限り許可)この窮状は昭和10年頃まで続き、やがて昭和恐慌へ巻き込まれてゆきます。
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