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赤羽大火

<東京日日新聞 明治36.6.6>の要約

朝から西北の強風に見舞われた6月4日午後2時30分ごろ、府下北豊島郡岩淵町大字袋119番地(現真頂院と線路のあいだ)、平民農平山倉次郎さん方より出火し、たちまち全焼211戸(内物置41)半焼4戸を焼失し、同日午後6時30分に鎮火した。
郵便局、福寿院、町役場、岩淵小学校(赤小)、巡査派出所、電柱5本等も焼失したことは昨日の報道の通りだが、その後の調べによると、出火の原因はまだ明らかではないが、上野発前橋行午後2侍15分発の汽車が通過すると間もなく出火した模様。火元の平山さん方は線路の東側に約10メートル離れた茅葺屋根で、汽車の噴煙が強風に煽られてその屋根に引火したものとみられる。

岩淵町ではかつて10軒以上延焼した火災の経験がなく、慣れない避難活動に町民は狼狽してただ右方左方に走り回るだけ。そのうち猛火は烈風にあおられて黒煙を吹き上げて火の手は八方に広がった。はじめは本宿方面に向って延びたが本宿に達すると風向きが変わって南方向赤羽に進路を変えた。このためせっかく運び出した荷物がまた焼失してしまったのも多いという。

岩淵町組(消防員33名)のほか袋赤羽の消防夫が消火にあたったが100人にも充たず、合わせて放水筒3本ポンプ5台を所有するだけで消防力は極めて未整備であった。加へて取水井戸があっても用水が流れていても水量が絶対的に不足していて充分な消火ができなかった。消防夫のなかには職務を投げ出して自分の家に立ち戻るなど、大火災のなかでのパニック状態が収まらず、ただ猛火の焼きつくすに任せるだけの状況が鎮火するまで続いた。

幸いなことに赤羽には近衛工兵一大隊と工兵第一大隊の営地があって、緊急出動して大木工兵大佐の指揮のもとに消防活動にあたり、また翌日の焼跡の片付けにも多大な尽力を尽くした。もし両隊の協力がなければ災害はさらに広がり三字(袋岩淵赤羽)はほとんど焼き尽くされてしまったかもしれない。

▲被災状況
赤羽(総戸数215戸のうち)全焼161戸半焼2戸
本宿(総戸数144戸のうち)全焼 5戸半焼1戸
袋 (総戸数142戸のうち)全焼 45戸半焼1戸
三字のうちで被害が最も大きかったのは赤羽だった。(4分の3を焼失した計算になる)

町は、板橋署の佐野警部、岩淵町長園部岩次郎氏、ほか役場職員と協議し、赤羽の宝幢院と袋の真頂院の二寺を災害避難所として、宝幢院には罹災者260人、真頂院には220人を収容し、28名の救護員でもって炊出しを行うことを決めた。現在、10歳未満には一合のにぎり飯を一食あたり一箇、10歳以上は二箇づつと副食物を給与している。
また焼失した町役場、郵便局などを赤羽小学校内に仮設して昨日より緊急事務を取扱っている。警官出張所も同校内に設置した。

赤羽停車場は安否を気遣う見舞人の到着で混雑を極めている。
東京府の千家尊福府知事も5日午前10時50分新橋発の列車で罹災地視察に訪れた。

義援金 5日12時までの申込み分
(金五円)北豊島郡岩淵町大字本宿小山新七
≪以下省略≫
(清酒一樽、弁当百本)日本鉄道会社員
(五百円、白米三十俵、潰物五樽、梅干一樽)日本鉄道会社
              〔東京日日新間、明治三十六年六月六日〕

兼テ御賢慮ヲ相煩ハシ候本郡岩淵町火災ニ関シ日本鉄道会社へ交渉ノ結果見舞金トシテ罹災者へ金弐万円、学校建築費ニ対シ金五千円ヲ差出スコトニ相成候顛末ハ去二十二日親シク及具申置候通リ一同深ク感佩罷在候処其後右配当方ニ付テハ委員ニ於テ慎重ニ評議ヲ悉クシタル上建物ノ構造ニ依り五等ニ区別シ各等級金額ノ内家主へ七分五厘借家人へ弐分五痩ノ歩合ヲ以テ無事ニ配当ヲ結了致シ候間、此段及御内報候也
  明治三十六年七月一日
              東京府北豊島郡長 田中端 印
    東京府知事男爵千家尊福殿

≪東京都公文書館所蔵 北区史より≫

古峰神社代参講

明治36年に赤羽に大火が起こった。6月4日昼すぎ、線路ぎわの袋村の民家の藁屋根に汽車の吐く火の粉が乗り移り、その火の手は折からの強風に煽られてたちまちのうちに岩淵から赤羽方面に広がった。町役場や火の見やぐらを焼き、当時唯一の繁華街だった本町通りのひしめく街並みや新築後わずか半年の赤羽小学校を焼き尽くし、線路の東側を総なめにして現西口広場あたりまで達した。被害家屋は全焼200戸以上、焼け出された犠牲者の数は400名を超えて、赤羽のほぼ4分の3を焼失した。
それをきっかけに赤羽町民のあいだに、栃木県の火防せの神である古峰神社にお参りする講をつくる機運が生れた。やがて氏子の賛同によって八幡神社が古峰神社を上社と仰ぐかたちをとり、毎年6月に大挙して参詣に出かける古峰神社講が始まった。犠牲者の鎮魂と町の安寧を祈願するこの講は現在も『古峰神社赤羽代参講』として連綿として続いている。毎年5月の新緑の季節にバスを仕立てて行く一泊旅行は氏子たちの楽しみでもある。<写真は八幡神社内の古峯神社>




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