明治元年9月 |
武蔵ノ國豊島郡岩淵郷赤羽根村赤羽小学校殿
(このころのものは推定というよりも想像ですが)
≪江戸時代に赤羽は「江戸」の内だったか≫にあるようにこのころはまだ維新前の江戸時代の宛名で通っていたでしょう。
江戸府内も含めて広い範囲で武蔵ノ國(武州)という中にあり三名の武蔵知県事のうち元幕臣松村忠四郎長為の行政管区だったようです。
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明治2年1月 |
武州大宮県岩淵郷赤羽根村赤羽小学校殿
大宮県成立 編入
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明治2年9月 |
武州浦和県岩淵郷赤羽根村赤羽小学校殿
浦和県成立 石神井川以北の岩淵領と共に編入
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明治4年11月 |
東京府下第四大区十七小区岩淵郷赤羽根村△△番地(△△番屋敷)赤羽小学校殿
廃藩置県が行われ荒川以南を東京府とする
東京府の大区小区制が当地にも及ぶ
同時に埼玉県が成立 荒川以北を埼玉県とする
だんだん住所らしくなってきたが、残された史料の住所書きにはまだ武蔵ノ國第四大区や武州豊島郡岩淵郷や豊島郡赤羽村などあり統一できてない様子がうかがえる。
このころには早くも地番が現われる。屋敷番号というのもある。
新戸籍制度の確立途中のことであり村内で付番作業がされたのであろう
ちなみに、現代の日本人のほとんどがこの年代まで自分のルーツがたどりつける。途中に何らかのアクシデントがなかったらだが・・・。日本の戸籍制度は世界無比といわれている。
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明治7年3月 |
東京府管下第九大区六小区岩淵郷赤羽根村〇〇番地赤羽小学校殿
東京府は大区小区制を改定 朱引内を1〜6大区朱引外を7〜11大区に
つまり東京市内を6区画、東京市外府下を5区画に編成替え
大区ごとに区長 小区ごとに区務所と戸長と副戸長を置く
九大区長は稲葉光明
六小区戸長は小田切重路 もと岩淵本宿の名主
いずれも官選で東京府直属、副戸長には傘下各村の旧名主らを選任
第六小区とは王子村 豊島村 神谷村 下村
岩淵本宿町
稲付村 袋村 赤羽根村 上十条村 下十条村
小豆沢村
本蓮沼村
区務所(屯所)をはじめは飛鳥山下に設置
M9年に上十条村99番地西音寺内に移設
第九大区六小区 扱所 上十条村
戸長 小田切重路 |
副戸長 |
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岩淵本宿 |
佐野政右衛門 |
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赤羽村 |
田口権左衛門 高木友吉 |
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袋村 |
松沢利兵衛 松沢内蔵次郎 |
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稲付村 |
小川杢左衛門 |
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下村 |
富田佐兵衛 |
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神谷村 |
島村勘左衛門 島村膳之丞 |
と、今も残る旧家の名字が連ねている
戸長と副戸長の任務はおもに小区内の戸数と人口の調査
戸籍制度とそれに基づく徴税制度の確立を急ぐ
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明治11年11月 |
東京府北豊島郡赤羽村〇〇番地赤羽小学校殿
府下郡区町村編成法により大区小区制を廃止
府(県)>郡>村の3段階制となる
地租改正 地番規則改正
東京府が15区6郡制に
市内15区とは
麹町 神田 日本橋 京橋 芝 麻布 赤坂
四谷 牛込
小石川 本郷 下谷 浅草 本所 深川区
府下6郡とは
荏原郡 豊多摩郡 南豊島郡 北豊島郡 南足立郡
南葛飾郡
武蔵国を1府2県29郡とする
豊島葛飾足立埼玉を南北2郡
多摩郡を東西南北に分けた(M29.4東と南が合併して豊多摩郡)
上記の郡以外は埼玉県神奈川県に編入
北豊島郡に属す
北豊島郡は12町8村 連合町村制
岩淵町 王子町 滝野川町 日暮里町 南千住町
三河島町 尾久町 巣鴨町 西巣鴨町 板橋町
長崎町
高田町 上板橋村 志村 赤塚村 下練馬村
上練馬村
中新井村 石神井村 大泉村
下板橋宿に郡役所を設置
岩淵町の戸長単位 |
@岩淵本宿 袋 |
小田切重路 |
A赤羽 稲付 |
田口権左衛門 |
B神谷 下 |
岩井輿助 |
C稲付 上下十条 |
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21年改正 |
@岩淵本宿 赤羽 袋 |
松沢内蔵次郎 |
A神谷 下 |
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B稲付 上下十条 |
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このころはまだ「赤羽」と「赤羽根」の表記が並立していた。M9創立の赤羽小学校は最初から「赤羽」。M18の新聞広報には「赤羽根に赤羽駅ができた」と。≪地名の由来≫
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明治21年 |
翌年の町村制改正(町村合併制)を控えて、本宿赤羽下神谷袋上下十条稲付を合わせて
「赤羽村」とする構想
理事会で協議したが結局否決 「岩淵町」と決定
赤羽駅と本町通りを中心とした陸軍町としての赤羽の隆盛と岩淵の宿場町としての衰退が背景にあっての紛糾
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明治22年5月 |
東京府北豊島郡岩淵町大字赤羽字長島178番地赤羽小学校殿
(まだ赤羽小はこの地にないが)
岩淵町王子村滝野川村の1町2村制
本来3村制とするところ、岩淵はかつて村であったことがないため
1日岩淵は町に昇格 王子村はM41滝野川村はT2に昇格
のちに3町制と呼ぶ
傘下に本宿 大宇赤羽 袋 稲付 下 神谷 6ヶ村合併
(のちに浮間も含むT15)
初代町長に小田切重路 町会議員16名
岩淵町役場 本宿682に開設 現小山酒造地
同時に南千住町巣鴨町板橋町など成立
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明治23年7月 |
岩淵町役場 赤羽293番地に移転 本町通り旧赤羽駅前
現黒部美容室あたりか
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明治29年 |
東京府を東京都(市部15区)と武蔵野県(郡部)に分ける法案が提出されるが否決
東京府知事が東京市長をも兼任していたことの不都合から
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明治31年10月 |
東京市(区部)が府から独立行政 市長選出 東京市役所開庁
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大正12年3月 |
岩淵町役場 赤羽483に新築 本町通り 現竹之内クリーニング店あたり
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大正15年4月 |
北豊島郡役所廃止 東京府直轄に
10月埼玉県の横曽根村大字浮間が分離して岩淵町に編入
戦国時代の「小田原衆所領役帳」に、太田新六郎の所領「岩淵五カ村」のうちには袋村のあとに横曽根村もあったとか
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昭和7年 |
東京市王子区赤羽町178番地赤羽小学校殿
10月1日市郡併合 北豊島郡は東京市に併合
東京市は隣接5郡82町村を併合して20区を新設
既存15区と合わせて35区制
人口497万世界第2の都市となる 以後「大東京」と呼ばれる
王子町と岩淵町で東京市王子区成立 名称については岩淵が譲歩する形で
八幡神社参道の鳥居の裏に一双の巨大な燈篭があって「合併記念」と刻まれているのはこのこと
滝野川区成立 都心部との併合を望み王子区との併合を拒否した結果
滝野川区は荏原区とともに1町で1区を持つ 面積最小
巣鴨区が後見役との条件付で承認される
下村がその小字名の志茂をもって志茂町と改称
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昭和12年 |
王子区役所完成 事務開始 下十条522
住所表示に丁目が付いたにはこのころか?
赤羽町に1〜5丁目ができた
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昭和18年 |
東京都王子区赤羽町1丁目210番地赤羽小学校殿
7月1日東京都成立 東京府(三多摩含む)と東京市35区をひとつにしたもの
戦時下政策のひとつとして
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昭和22年3月 |
東京都北区赤羽町1丁目210番地赤羽小学校殿
3月行政区画の整理統合 35区を22区に再編成
8月板橋区から練馬区が分離独立して23区に
「東京都長官」を「東京都知事」と改称
公選制とする
3月15日北区誕生 4月15日区長公選 決選投票の末赤羽の田口安蔵初代区長
5月初区議会
21年12月に王子区と滝野川区の統合が決定 滝野川町はなおも豊島区か文京区への編入を希望したが
22年2月に新区名決定 東京新聞紙上で懸賞投票の結果
候補に飛鳥区 飛鳥山区 赤羽区 東北区
城北区などがあった
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これ以降については未完成。次回まで待ってください。
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昭和26年 |
住居表示に関する法律 岩淵町名存廃の危機〜46年
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昭和37年 |
住居表示に関する法律
町名町界の整理事業開始 岩淵町名が存廃の危機〜46年
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昭和39年 |
北区住居表示改正
桐ヶ丘誕生
昭和27年に三岩小の分校を建てたとき校舎の周囲に桐が多かったために桐ヶ丘小学校と名づけた。翌年から建築を開始した都営団地名にまで採用されやがて地名になった
赤羽北誕生
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昭和40年 |
赤羽西誕生
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昭和46年 |
赤羽南誕生
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