捨て猫ヨタの物語

                             最終回

     ヨタは今でも元気である、このことがあった直後に私は持病が再発し、札幌医大に行くついでに

    北海道の日高地方に移住した。別にリハビリをしようと思った訳ではなく、都会に住み病に虫食ま

    れていく自分が嫌だったからである。ただうまいものをたらふく食べて、体の使えるところは何でも

    使って、標識なんか無い平原でノーヘルでバイク乗って・・・。しかし、人間というのはなかなかそう

    思っても実行は出来ないものである。自分はその点、このヨタという猫を拾って、育てて、苦労して

    本当に良かったと思う。このことがあったからいろいろなことが出来た、自分を見つめ直すことも、

    優しくなれることもわかった。ただ、この猫の育てる過程はそんなキレイ事の世界ではなく、まさに

    使命感であった、4匹が全部大きくて手間のかからないのを拾ってきたのであれば、一匹残らず

    誰かにあげていたかもしれない。いや、拾いもしなかったかもしれない・・・。

      空気はうまいだでよ〜!北海道新冠の牧場

     よく動物愛護などと、取り上げられるが、このコラムで書いた内容とはあまり接点が無いような

    気がする。「生まれたばかりの子猫を捨てる」という行為が先に突出してしまうが、何のことはな

    い、その人間が歪んでるのである。私も今は病気も原因がわかり、完治したが、当時は凄まじく

    歪んでいた、しかもマゾ的にだ。「タバコを吸うな」とか、「歌を歌うな」、とかはたいてい逆らった、

    心弱き人間ほどそういう命の窮地に立たされると強がりながら、無様にもがき抗うのである。

    そういう人間の十八番の言葉は「自分の命だ、好きにさせろ」とか言って周りの人達を苦しめ、

    悲しませてしまうのが人間にしかない特徴でもある、この出来事における軸とは何のことはない、

    「歪んだ人間の産物に、歪んだ人間が救われた。」という、皮肉な内容なのである・・・。

    
     今もヨタは元気である、もし、私の人生にまた同じ出来事があったとしたら、やはり同じことを

    するであろう。それが自分であり、命の出会いなのだから、ヨタはいつでも私の腕枕で寝る。

    外に出そうものなら恐怖で失禁するほどの、完全な家猫である。恐らく一生を家の中で過ごし、

    青空の下も、春の恋も知らずにその一生を終えるであろう。猫のくせに芸を三つも出来るのは

    もはや猫としての本能すら退化している、それは可哀想なことではあるが、カワイイのだから

    仕方がない♪最後は私の親バカならず猫バカでこの物語の幕を閉じようと思う。




        

おしまい



ヨタは2005年慢性腎不全により昇天しました。


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