長嶋退団!森監督 | Baseball-sivulle |
1998/09/09 | ||
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渡辺オーナー要請へ巨人長嶋茂雄監督(62)の退団が決定した。すでに辞意を固めていた同監督は週明けにも渡辺恒雄オーナー(72=読売新聞社社長)と会談、辞意を伝える。同オーナーは8日、長嶋監督の意志が固いと判断、慰留を断念し、長嶋監督とのトップ会談を事前に公表すると公言した。これを受け読売サイドは、後任監督として、前西武監督の森祇晶氏(61=日刊スポーツ評論家)に就任を要請する。週明け会談ミスタージャイアンツが29年間のユニホーム生活に別れを告げる。すでに辞意を固めていた長嶋監督に対し渡辺恒雄オーナーは慰留が難しいと判断。8日、都内で事実上の慰留断念を示唆する発言を行った。「監督どうしたこうしたは今後一切しゃべらん。(長嶋監督に)会う時は事前に言うよ。その他の人間と会う時でも公然と会う。隠れてコソコソしていたら、糾弾してくれ」。慰留して翻意させる可能性があるなら、長嶋監督とのトップ会談を公にすることはない。週明けにも予定されているトップ会談は、長嶋監督退団のセレモニー的な意味合いが強まった。同時に「その他」を指す次期監督人事に着手したことをほのめかした。 長嶋監督は今季、自らの進退をかけて契約最終年の優勝にすべてをかけていた。V逸した昨年9月18日、都内の料亭で渡辺オーナーと会談し留任が決まったが、その席上で不退転の決意を示していた。「優勝できずに申し訳ありませんでした。来年は絶対に優勝しますから、もう1年やらせてください」。この一言から今季がスタートした。 開幕直後5連勝したが、その後は投手陣の整備の失敗や故障者続出で勝率5割前後を行ったり来たり。首位横浜に10ゲーム以上離された。 一方、渡辺オーナーは7月下旬に読売新聞社の幹部クラスを集め「今年だめなら監督を代えるかもしれない」と発言したという。長嶋退団に備え、販売部数への影響などデータ集めをひそかに行っていた。その結果、スーパールーキー高橋の入団などで、巨人人気は動かないことを確認。逆に経済界から、巨額資金で選手補強しながら優勝できない長嶋政権について批判めいた声も聞こえてきた。 慰留を断念それでも、長嶋監督の国民的人気や、巨人およびプロ野球界への多大な貢献度を考慮し、最終的には長嶋監督の意思を最優先せざるを得ないと判断。長嶋監督にゲタを預けることで、読売新聞社の総意を示した。が、長嶋監督は、昨年留任の席での発言や、自身の勝負哲学から自ら身を引くことを決意。この日も「今言えることは言うし、言えないことは言えない」と、決意の固さをにじませた。読売側は、正式な退団発表を長嶋監督の判断にゆだね、その期日を優勝がほぼ絶望になる「68敗」と予想。今月3日には、1週間後の10日を予定していた。が、ここに来てチームは4連勝。「ちょっとずれたよ。1週間が10日ずれた」(渡辺オーナー)と話し、週明けになることを示唆。 長嶋監督の退団決定を受け、読売側は正式に次期監督人事に着手する。渡辺オーナーは前西武監督の森祇晶氏の野球理論を高く評価しており、巨人OBの中から最優先で就任要請することは確実だ。森氏も4年間評論家でたっぷり充電し、ユニホームを着るタイミングとしては支障はない。来週中にも渡辺オーナー自ら就任を要請する。 ☆監督問題経過☆◆1月22日 スタッフ会議で、長嶋監督が「今年は言い訳は許されない」と背水の決意表明。◆3月17日 「燦燦(さんさん)会」の席上、渡辺オーナーが豊富な戦力を認めた上で「あとは長嶋監督のさい配でしょう」と発言。契約最終年を迎え、事実上、V奪回を厳命した。 ◆6月15日 読売新聞社で行われた渡辺―長嶋会談の席上、長嶋監督が「優勝間違いない」とV奪回を確約。 ◆9月2日 渡辺オーナーが「本人の意思が最優先」と発言。続投要請を明言せず、「まあ、かつてのようなこと(解任騒動)はないですよ」と話した。一方、長嶋監督が、親しい関係者に辞意を漏らしていることが明らかになった。 ◆9月3日 渡辺オーナーが、1週間をメドにトップ会談を行う考えを明かした。「あと1週間は何もない。今は流言飛語が流れる時期。まだ一生懸命やってる時期にディスターブ(邪魔)しない。1週間で有望か、絶望か、分かるだろう。そうしたら行動を起こす」。 ◆9月4日 長嶋監督が都内の自宅でインターホン越しにコメント。「オレは逃げない。逃げたりしない。その時になったらキチンとお話しします」と、V消滅後にケジメの進退表明を行う姿勢を表した。 ◆9月7日 渡辺オーナーが、優勝の可能性が消えない限り、監督問題に着手しないことを明言。既に辞意を固めている長嶋監督の任期切れに際し、慰留する意向を示した。 西武で日本一6度◆森祇晶(もり・まさあき) 1937年(昭12)1月9日生まれ、61歳。岐阜出身。岐阜高から55年、巨人入団。5年目から正捕手となり、その後、V9捕手として活躍。74年に現役を引退するまでベストナイン8度。67年には日本シリーズMVPにも輝いた。78年から2年間、ヤクルトコーチ、82年から西武コーチ。一度退団後、86年に広岡監督の後任として西武監督に就任。9年間の指揮で5連覇を含む8度リーグ優勝を果たす。日本一にも6度輝き、常勝西武を築いた。94年、長嶋巨人との日本シリーズに敗れ、勇退した。175センチ、85キロ。右投げ左打ち。 |