ツクバダイガクタノシイデス。

2009年02月27日

外資系企業に勤めてたけど今日クビになった の続きを②

ニューヨーク編らしいです。
119 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 23:42:22.13 ID:gASop8bT0
再開します。。。


***

内定を貰った私は、すぐに親に報告をした。親の反応は今ひとつだった。

「なんば言いよる?田舎くさか名前の会社やねー」

親の反応も無理は無い。当時は外資系の証券会社は全くの無名。仕事の規模も野村證券や大和證券と比べると非常に小さかった。
それを象徴的に示しているのが、当時の各社の呼称である。
ゴールドマン・サックスは「ゴールド万作」とよく間違われ、
ソロモン・ブラザーズ(現在のシティ・グループ)は「なにもんブラザーズ」や「わるもんブラザーズ」などと呼ばれた。

友人らにも進路は言わなかった。
当時、邦銀は落ち目にあったとはいえ、東京三菱銀行や日本興業銀行の内定者の数はその人気に比して少なく、
民間就職先としての「格」で言えば、私は圧倒的な「負け組」だった。


(ま、仕方なか。東京におる私だって、知らん会社っちゃもん)

何となく素直に喜べない私の暗い気持ちは、翌日オファーレターを受け取りに行ったときに180度転換する。



126 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 23:50:52.92 ID:gASop8bT0
オフィスに行くと、昨日とは違う部屋に通された。昨日の部屋を上回る、馬鹿げて瀟洒な部屋だった。
すぐに人が来て、自分はヒューマン・リソースの人間で、これから入社までのあなたをサポートする、と告げた。
彼女は日本の会社で言えば、人事部のお姉さんだ。
ここで本来であれば、そのサポートの内容が何か、とかの話をしたりしてコミュニケーションを取るべきだが、
ベネロペ・クルスそっくりのお姉さんに拙い英語で会話を挑むほどの度胸はまだ私には無かった。

すると、彼女が電話をかけた。

べネ「Hi, Tom.1 san arrived」 (ハーイ、トム。1さん来たわよ)
トム「Will be right there」   (すぐに行く)

また外人が来た。名前の通り、トム・ハンクスに似てた。小脇に書類を抱えている。あれがなんとかレターなのだろうか。
すると、ぞろぞろ人が集まってきた。みな高そうなスーツにピカピカな靴を履いている。日本人もいる。
思わず私も立ち上がる。スーツはちょっとよれている。だって昨日のと同じスーツを着てたし。
何が起こるのかと思って見ていると、トムがおもむろに話始めた。



131 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 00:01:34.01 ID:ZJHTbWj30
トム「我々の産業にようこそ。
   ここは投資銀行。
   世界中の優秀な頭脳が集まって凌ぎを削り、経済の発展に寄与する職場だ。
   君についてはワインバーグ(仮名)が『面白い』と言ったので、採用する。
   君に言いたいことは1つだけだ。
   常に勤勉で、誠実で、公正であれ。
   もし君がそれらを犯すようなら、君は時間に殺され、金への欲望に溺れ、社内政治に道を塞がれるだろう。
   最後に、おめでとう。ともに働けることを嬉しく思う。」

Congratulationの声が響くやいなや、みなが一斉に拍手を始める。
こんなに拍手を独り占めにした経験は今まで無い。エヴァTV版の最終話を除いて。

トムが握手を求める。固い握手を交わす。痛ぇ。
それから順に偉そうな面々と独りずつ握手をしていく。10人ほどいたので、数分かかったが、拍手はずっと続いた。
私は感動していた。

その後、私は採用担当になったときにこの芝居の裏を覗くことになる。
これは一つの儀式で、トムは本国に帰るまで毎年同じことを繰り返していた。最近はやっていないそうだ。
そしてこうして驚かせることで、内定を断りにくくする意図がある。当時は邦銀の方が圧倒的に魅力的な就職先であったことは既に述べた。
また最後の事情は、金曜の午後は偉い面々も残る仕事は接待くらいで暇つぶしのために着飾って出てくるというものだ。
ただそれだけのことだが。これは十分に効果があったし、その後もそれを実感した。
外国の人々が好むこの手のパフォーマンスは、我々日本人には不慣れな分印象深いし、そうした余計なことをやれる気遣いこそが余裕の証であった。



134 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 00:09:05.15 ID:ZJHTbWj30
感無量で目頭が熱くなる私にトムが書類を手渡し、偉そうな人々は順に部屋を去る。

トム「これはオファーレター。説明はそこのべネがする。それではまた入社日に会おう」
1 「あ、はい!」

思わず日本語で答える私。でも外人に説明されて私わかると?
と逡巡している私にべネが話しかける。

ベネ「あ、大丈夫。日本語で説明するから。えーっと」

私は目を丸くした。目の前にいるスペイン系美女から聞こえてくる日本語は、紛れも無くネイティブのそれだ。
驚いていると、ベネがきょとんとした目でこちらを見て、微笑む。

ベネ「驚いた?私はもう日本で5年働いているから、日本語で大丈夫よ。
   トムも日本語は達者だから、入社したら色々と質問するといいわ」

仰天してしまった。5年ここで働いただけで、こんな日本語が身に付くというのか。しかもこの人は、ただの人事のお姉さんだ。
私は嫌な予感がした。

1 「あの、、、じゃあワインバーグ(仮名)さんも…」
ベネ「彼もペラペラよ。演歌が好きだからカラオケに行ったら歌ってあげてね」

私が必死に英語で喋っていたのは、必要だったのが、ある意味無駄な努力だったわけだ。



140 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 00:18:11.45 ID:ZJHTbWj30
ベネは雑談もそこそこに、何だか力が抜けた私に雇用契約の細則を説明する。
私はそこで示されていた契約内容にまた仰天した。概ね、以下のような内容であった。


~あなたを3年間のアナリスト・プログラムに招待します~
 基本給; 650万4千円

 また、これとは別途に、夏に行われるニューヨークでの2ヶ月間新人研修に参加してもらいます。
 ボーナスは毎年1月に支払われ、あなたの働き次第で額が決まります。


当時、それこそ邦銀の初任給は400万円に満たなかった中で、これは破格の待遇と言えた。
そして、ニューヨークでの研修。私は海外に行ったことが無かった。
そもそも、海外の大学院に行こうと思ったのも、キャリアはもちろんだが、海外に行きたかったからだ。
自分があくせくアルバイトに励む中、海外旅行に出かけていく同級生が羨ましかったのだ。
さらにベネが言うには、1年生のボーナスの相場は、年棒と同額程度だという。
つまり、ボーナスを合わせれば初任給にして1300万程度が支払われるという内容だった。それも海外での研修つきだ。

私は、自分の幸運に感謝し、生まれて初めて神の存在を感じた。



142 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 00:20:30.08 ID:ZJHTbWj30
>>138
現地民は英語だけ話せればいいけど、海外に行くなら現地の言語を話せることが大事。
喋れない人もいる。

ちなみに、現地民でも英語すら話せない人もいる。それは追々話したい。



138 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/19(木) 00:17:44.37 ID:Kt8JV+NTO
やっぱり外資系って何カ国語か話せるのが当然なのか



147 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 00:25:10.12 ID:ZJHTbWj30
さらにベネは続けた。

ベネ「ワインバーグ(仮名)が、あなたはもう少し英語をimproveした方が良いって言っていたから、英会話の学校に通ってもらうわ」
ベネ「それと、、、あなたの専攻を見ると、数学や経済は大丈夫みたいだけど、会計が抜けているわね。会計の塾にも行って」
ベネ「あと、これは任意だけど、社内で弁護士や会計士を招いてケース・スタディをやってるから、興味があるなら来ればいいわ。
   先生も凄いけど、生徒もバンカーだから質問も鋭いし、とても勉強になるわよ。同期の顔も覚えるしね。」
ベネ「最後に、家ね!あなたの働く部署はとても忙しいから、徒歩10分以内のところで家を探しなさい。
   だいたい1年生は月15万くらいのところに住んでいるみたいよ。」

何から何まで衝撃だった。入社前に私にかけるお金だけで、大学の1年分の学費以上がかかっていそうな雰囲気である。


151 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 00:30:47.51 ID:ZJHTbWj30
それから入社までの2ヶ月、私は英会話学校と会計の塾、不動産業者と会社の4点生活を続けた。
3月には住む家も決まったが、ある日ベネに呼び出されて彼女が言うには

ベネ「言い忘れてたけど、入社までに証券外務員の2種と1種、それに米国証券外務員資格であるSeries7を取得してもらうわ。
   これを持っていないと、仕事が出来ないから必ず取ってね」
1 「(そういうことは早く言うもんやが)
   あの、落ちた場合はいつ取るんですか?」
ベネ「いつなのかしらねー、知らないわ」
1 「え?なんでですか?」
ベネ「落ちた人は、クビだから」
1 「・・・」

その日から私は寝る間を惜しんで勉強することになった。何としてもクビになるわけにはいかない。後が無いのだ。
そして私は無事資格を取得し、4月1日を迎えた。



161 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 00:45:03.85 ID:ZJHTbWj30
入社初日、初めて私は同期と顔を合わせた。彼らについては追々語っていきたいと思う。
彼らは内定を貰ってから何度も交流していたようで、大分仲が良いように見えた。
それが私の勘違いだと気づくのは大分後のことになるのだが、そのときはただ、自分のぼっちっぷりを嘆くばかりだった。

研修中は、外部講師を読んでのお辞儀などのマナー講座から、敬語の演習、自己啓発セミナー的なものに加え、
現役社員による、証券会社のビジネス、デリバティブなどの金融派生商品に関するレクチャー、
IT所属のインド人によるコンピュータ言語の授業から、社内アプリケーションやデータベースの使い方と、
知らないことばかりを学んだ。

後に日系の他の会社に行った同期の話を聞くと、我々が受けた研修は大分特殊かつヘビーであり、
そのあたりに必死に日本のビジネスに食い込もうと努力していた会社首脳陣の気遣いが伺われる。
考えてみて欲しい、日本人にマナー研修や敬語の演習をするのだ。しかも生徒は、国内外の名だたる大学を卒業している。
そこをあえて基本から仕込む。そのような方針は育成の全てに通低しており、日本企業以上に日本的な「何か」を身に着けるように教育される。

一つ例を挙げよう。
あるとき、証券会社対抗の運動会が開催された際に、肉離れを起こして1ヶ月療養したバンカーがいた。
通常、外資系なら1ヶ月も休めば理由の如何を問わずクビになりそうなものだが、実際は、彼の復帰は賞賛を持って迎えられたのだ。
それもそのはず。
日系他社に比べて遥かに脆弱な基盤で勝負しなくてはならない我々は、彼ら以上に浪花節の接待やら営業をしなくてはならない。
そのこともあってか、初期の外資系証券の社員の多くは、鬼の営業で知られる野村證券と旧山一証券の人々だった。
野村證券の猛烈ぶりについては、下記サイト始め色々なところで紹介されているので、興味のある人は調べてみて欲しい。

http://ameblo.jp/hkteleos/



162 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 00:51:41.85 ID:ZJHTbWj30
話を戻そう。

研修の最中も、非常にシビアな生活になる。
大量の宿題に加え、私が所属していた部署は、研修が終わった後も戻って、だいたい深夜3時頃まで働いていた。
当時は非常に体育会系なカルチャーにオフィスが支配されており、少しでも年次が上の先輩が残っていると、先には帰れなかった。
当然、先輩たちはいくつもの案件を抱えて激務なわけで、帰りも遅い。したがって我々の帰りはもっと遅かった。
あるとき、先輩と話していたときのこと。

先輩「おう、頑張ってるか?」
1 「はい!」
先輩「そうだな、若いうちは寝なくても大丈夫。
   僕らのときは3時間ルールっていうのがあってね」
1 「何ですか、それ?」
先輩「いや、一日24時間のうち、3時間だけオフィスを出ていい、とかいう決まり」
1 「・・・」

さすがに今はもっとリーズナブルな労働環境になっているが、今でも労働時間の長さで自慢をするような風潮は残っている。
肝心なのは、収益の貢献度のはずなのに、労働時間という手段が目的になっていたあたりに、投資銀行の産業としての疲弊度を窺うことができよう。



166 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 00:58:14.21 ID:ZJHTbWj30
研修では、上記のことに加え、社訓のようなものを仕込まれる。
その中で最もよく知られているものを紹介したい。

「我々にはヒーローは要らない」

分かりやすく言えば、「一人はみんなのために。みんなは一人のために」というわけである。
確かに古き良き時代の重役達は、質素堅実を旨とし、ウォール・ストリート・ジャーナルでは「ドブネズミ色のスーツの男達」という代名詞で呼ばれていた。
しかし、ここはその支店であり、そのカルチャーは失われていた。
私はその片鱗を、ニューヨークに研修に向かうまでの3ヶ月間で思い知ることになる。



175 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 01:08:07.94 ID:ZJHTbWj30
同期に、柔道部出身のタフガイがいた。アゴが特徴だったので、ここでは彼をアゴと呼ぼう。
彼はとても優秀だった。しかし同時に、同期の中で最も自己顕示欲に満ちた男でもあった。

入社して研修も終わった5月、私は彼と一緒にある案件のチームに配属(assign)された。
その仕事では海外のオフィスが作成した資料を使って、日本の顧客に対し提案を行った。
そのため、海外オフィスが作成した無数の資料から役に立ちそうなものを選び出し、数字などをいじり、使えるものに修正する必要があった。
仕事としては非常に単純である。だからこそ、一年生二人をつけて、勉強させようと思ったのだろうか。

1 「アゴくん、これ、どうしようか」
アゴ「んー、俺忙しいから、とりあえず始めておいてくれる?」
1 「うん!分かった!」

そんなやり取りから作業を開始して数日。一向にアゴは手伝おうとはしてくれないので、作業は完了してしまった。

1 「アゴくん、これ、終わったよ」
アゴ「マジで?悪いねー、じゃあ俺チェックするから、ファイル送っておいて」
1 「オッケー!」

ファイルはすぐに送ったが、アゴは何も言ってこないまままた数日が過ぎたところで、私は上司に呼び出された。

上司「・・・おまえ、やる気あるの?」
1 「どういうことですか?」
上司「おまえ、あの案件、アゴに全部やらせたんだって?一人は全部やったら、二人つけた意味無いだろ。
   おまえはあの案件から外す。もう少し雑用やって仕事への姿勢勉強しろ」

ファイルは、私がアゴに送ってすぐ、彼が上司に提出していた。



183 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 01:21:02.02 ID:ZJHTbWj30
私は、何が起こったのか分からなかった。釈明は聞き入れられなかった。
私は、アゴを恨んだ。同時に、私の釈明に耳を貸さなかった上司の意図が分からなかった。
アゴを問い詰めると、アゴは、上司には私が殆どやったと報告したと言う。何が起こったのか。
残ったのは、私は初めての案件から訳も分からず外された、という事実だけだった。

全容が明らかになるのは、少し先のことになる。
このエピソードは投資銀行の雰囲気を理解するのに有効なエピソードなので、時間軸は前後するがことの顛末を紹介したいと思う。




190 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 01:27:24.02 ID:ZJHTbWj30
この案件は、紆余曲折を経て、4年後、大型の案件になった。
アゴは引き続き同案件を担当しており、例の上司と二人でこれに当たっていた。
その間、何人もの人間がこの案件に加わっては抜け、アゴは人の成果を奪う人間だという評価が定着していたと思う。
しかし、誰も口には出さない。投資銀行では人の悪口を言っていると思われると政治的な致命傷を負う。特に若手の間は。
ただし、上司も上司で部下に丸投げしていたので、終盤はアゴが孤軍奮闘していた。

案件が大詰めになった頃、あるメールが世界中に配信された。

「本案件は、みなさまのおかげで成功裏にクローズし・・・
 担当者;上司」

アゴの名前は無かった。
先にこのようなメールが回ってしまった上に、社内ではみながアゴに対しては心中穏やかならないものがある。
アゴは自身の関与を必死にアピールしたが、みな関わりたくないようだった。
アゴは勤務時間の殆どを費やしていた案件の成果を完全に奪われていたために、
その年末の人事査定を生き残れず、失意のうちに会社を去った。



197 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 01:32:30.81 ID:ZJHTbWj30
彼が去った後、みなで話をすると、みな同じような経験をしていたことが分かった。
これはどういうことだったのか?
話を横で聞いていた秘書さんが言った。

「それが上司くんのやり方。
 いっつも手柄を横取りするんだけど、案件たくさんやってるように外からは見えるから、本国からの評価も高くてね。
 クビにできないうちに偉くなっちゃったから、しょうがないわね。
 アゴくんは優秀だったから、自分の手の中で飼い殺すつもりだったんでしょ。」

私は、4年前のあの日の、アゴのきょとんとした顔を思い出した。
あいつ、本当はちゃんと上司に報告してたんじゃないだろうか。



200 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 01:37:40.64 ID:ZJHTbWj30
出る杭は打たれる。当然だ。自分と同じ系統にいる優秀な後輩とは、ライバルに他ならない。
後進は親身に育てる、そんな甘い期待は抱いてはいけないのだ。

それでは会社が成長しないではないか、と思われた人がいるだろう。ご明察。
その通り、成長しないのである。
なぜなら、給料がべらぼうに高いために、稼いだ人間は辞めてしまう。ボーナスは最大で、年間数億にもなる。当然勤続年数は短い。
すると、みな自分の在籍期間において収益が最大化できるようなビジネスを展開する。自分がいなくなった後は野となれ山となれ。

したがって、人が辞めた後のその人の担当部分は常に焼け野原である。
思い出して欲しい。
アジア通貨危機、テックバブル、サブプライム・・・
全てその時々で異常な利益を追求しようとリスクを看過した体質に問題の根幹がある。
5年~10年のサイクルで、同じ過ちを繰り返しているのである。新たな危機が起こるとき、以前の危機を知る人は極わずか。
「投資銀行に智恵は残らない」と言われる所以である。



201 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/19(木) 01:38:21.29 ID://rK1Pvp0
昨日のログからおまえらが質問してるやつはっといてやる

年収
2006年度は3000万くらい。2007年度は2500万くらい。2008年度はたぶん1200万くらい
資格
証券外務員1種と証券アナリストと米国公認会計士(uncertificate)



205 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 01:43:26.35 ID:ZJHTbWj30
話を入社直後に戻そう。

私はアゴの仕打ちにショックを受けたが、その程度で評価を下げられるようではいけないと思い、
証券アナリストと米国公認会計士を取得することにした。
どちらも、日本で投資銀行業務に従事する上ではそれほど重要では無いのだが、何か資格という、自分の価値を担保させるものが欲しかった。

5月から通信添削の講座を受け、毎日2時には仕事を中断し、会社の会議室で1時間勉強するようにした。
添削の課題は休日出勤の合間にこなし、残った時間は先輩に質問をしながら金融関係のモデルの演習に費やした。
日本の会社に行った友達が、ゴールデン・ウィークで友達が旅行に行っているときも、
初夏が訪れてみなが海に行っている間も、私はオフィスにいた。
ただひたすら、生き残るのに必死だった。その底には、
「私はアウトローだからそれくらいしないと人並みになれない」
という強烈なコンプレックスがあった。



207 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/19(木) 01:46:40.03 ID:zN7TEBfdO
>>1
メリ○○○チだろ?



218 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 01:56:06.10 ID:ZJHTbWj30
そしてニューヨーク研修に行く日が訪れた。

初めての海外である。
パスポートを取ることからチケットの手配まで、全部秘書さんにやってもらい

「あんたホントに世間知らずねー」

と言われたのは正直悲しかった。

ニューヨークまでのフライトはビジネスクラスだったので、私は飛行機とはなんて凄いものなんだと驚いた覚えがある。
ちなみに、飛行機に乗るのもこれが初めてだった。
ところが味わう間も無く、疲れから就寝。起きると、搭乗機はJFK空港へと到着していた。
どうやってターミナルに出ればいいか分からず、トイレを探していたら迷子になり、
機転を利かせた同期が空港で呼び出しをして何とかタクシー乗り場にたどりついた、というのは内緒だ。

ホテルはタイムズスクウェアの裏にあり、私の実家より広い部屋だった。
それでも弊社は質素な方だった。
当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったソロモン・ブラザーズの宿泊先は、グランド・セントラル直上のフィッツ・パトリックだった。



233 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 02:10:00.72 ID:ZJHTbWj30
研修では、ニューヨーク大学を始め、企業金融(Corporate Finance)の分野で世界的に有名な教授陣による講義と演習が行われた。
併せて、会社の長老達が出てきて、会社の歴史や逸話を語るパネル・ディスカッションも行われた。
欧米の学生にとって、投資銀行とは虚栄の篝火であるとともに、富と成功の象徴でもある。
彼らにとって、この長老たちは言わば本でしか読んだことの無い伝説の人物、というわけだ。
畢竟、彼らが長老たちに注ぐ視線は熱がこもっており、半ば宗教じみていた。

そんな大学の入学ガイダンスのような授業を午後3時~4時まで受けたあとは、それぞれ遊びに繰り出す。
東京での過酷な生活から一転、享楽の2ヶ月間が待っている。それがニューヨーク研修の慣わしだった。

ご多分に漏れず、私も初めての海外を満喫すべく、昼間は色々なところを観光してまわった。
休日の昼に、セントラル・パークでチーズケーキを食べながら洋書の専門書を読むと、なんだか海外の大学院に無事来れたかのような錯覚に陥った。

夜は夜で、会社主催のパーティが週に3回程度の頻度で開催される。
クルージング・パーティ、クラブを貸し切ったダンス・パーティ、高級レストランでの会食。
何から何まで初めての経験ばかりだった。



251 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 02:25:38.04 ID:ZJHTbWj30
ここで、私は色々なことを学んだ。そしてそのたびに高い勉強料を支払いもした。
その全てを紹介したいところだが、ここではそのうちの一つを紹介したい。

ボブという韓国人がいた。
彼は研修の時に隣の席だったので、よく話していた。私は拙いながらも、英語の練習にもなると思い、彼とよく昼食を取った。
中学に上がるときに渡米したボブは、既に米国籍を取得しており、名門ペンシルバニア州立大学を出ていた。
金融界では、ペンシルバニア州立大のウォートン校と言えば、ハーバードやスタンフォードとは比べ物にならないエリートである。
私が英語が不慣れなこともあり、彼は積極的に話題を提供してくれた。
故郷のこと、アメリカに来た理由、人種差別、米国の政策、金融の行く末、将来の夢。
多くの場合、私は感想を二言三言述べるだけだったが、彼は実に楽しそうに話すのだ。
それが嬉しくて、私は彼に対して非常に親しい気持ちを抱いた。

一方、私は研修中にニューヨーク州の米国公認会計士試験を受けることになっていたので、
ボブや同期の飲みの誘いを断って、一人でホテルで勉強していることが多かった。
クラブという場所が慣れなかったこともあるが、心のどこかで、それが仕事とはいえ、
こんな贅沢をしながらクラブと洒落込む、というのは気が引けていたのだった。

しかし、試験を終えた後、飲みの誘いを受けて、私はグリニッチ通りの会員制バーに行った。
そこで私は非常に怖い思いをすることになる。



287 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 02:49:27.75 ID:ZJHTbWj30
バーは高級感溢れる感じで、半裸の女性がたくさんいた。ストリップ・バーだった。
まずそこで逃げ出しくなったのだが、めかしこんで来た上に同期もいる手前、拒否は出来なかった。
そこかしこでポールに抱きついた女性が踊っており、
ソファに座っている男性にまたがる形で、裸の女性が官能的な眼差しを振りまいていた。
彼女達の美しさに感心したのも、束の間。ボブがおかしいことに気づく。

私は女の人達をぼーっと見ている。ボブはこちらを見ている。私は気づかない振りをする。ボブは視線を逸らさない。
そのうち、周りの同僚が囃し始めた。そして話しかけてきた。

男「1、ボブの気持ちは知ってるだろ?」
1「何のこと?」
男「何って…、君らは仲良いじゃないか」
1「うん。それで?」
男「…」

それで収まるかと思っていたが、男性陣はテキーラショットを煽るように何周もやっている。
ボブはさらに酔う。髪を触ってくる。
やめてくれ…と思いながらも、出かける前にシャンプーとリンスしてきたあたしGJ!とひとりごちる。
そのうちベロベロになった男性陣が一人、また一人と嬢を連れて個室へ消えていった。何をしていたのかは知らない。
そろそろ帰ろうかと思った頃、ボブが囁く。

ボブ「僕らも行かない?」



295 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 02:58:08.23 ID:ZJHTbWj30
背筋が寒くなるのを感じて、席を立つ。

1 「私、勉強しなくちゃ!」
ボブ「試験はもう終わっただろう?課題だって、さっき僕に教えてくれてたじゃないか。君が終わってないはずがない」

まずいまずいまずいと思いながら頼みの女性陣に視線をやると、

女 「ハーイ、私と遊ばない?」

女は女でジンをガンガンいっており、ストリップ・バーで逆ナンするという荒業を展開していて役に立たない。
東京の同期に至っては、ゆでた餅みたいになった顔を白人の男に嘗め回されていた。彼らのキスは相手を食ってるみたいに見える。

そのままボブに強引に手を引かれ、私は個室に入ってしまった。
入ってから私はドアにもたれながら逃げようとする。ノブはボブが握っていて、ドアは開かない。

1 「ボブ!なんでこんなことをするの!?」
ボブ「僕の気持ちは知ってるだろ。君だって、僕といて楽しかったろう?」
1 「それとこれとは話が…」

キスで口を塞がれた。ファースト・キスだった。



303 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 03:04:29.84 ID:ZJHTbWj30
ここで軽くキング・クリムゾンして結論を言うと、
>>290も言っているように、恋愛の作法というのは各国で違いがある。ということが言いたかった。
例えば、中国人は婚前交渉についてかなり嫌悪感を持っているし、韓国人の男は凄い強引
フランス人の男も女も食事がただの食事で済まないし、アメリカ人は「付き合いましょう」的なプロポーズが一切無い。

かくして、いい思い半分嫌な思い半分、色々なことを学んで私は帰国した。
その後のボブのとのやり取りはそれはそれで修羅場ったのだが、それはまた別の物語ということにしたい。



306 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 03:05:57.74 ID:ZJHTbWj30
あ、忘れてた。


ニューヨーク編    糸冬


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