2009-10-08-Thu
■[生きる]「三銃士」はデュマ、三十四は人生の分かれ道
昔、NHKで「35歳」という番組があって、35歳は人生の転機だという話を印象深く聞いたが、世阿弥の『風姿花伝』は遠慮会釈なくグサリと肺腑(はいふ)を抉(えぐ)る。借りてきた『秘すれば花』によると
「年来稽古条々」の「三十四、五」の項は、中年の最も大事なときに達したときの心がまえについて、述べたものである。
ここではまず、三十四、五才という年頃について、心身ともに最も充実した時期であるとして、「盛りの極めなり」という言葉で表している。
「時分の花」は、多くの人がしかるべき若さの一時期、美しく咲き誇ることをいっているが、三十半ばの年代はそれより一歩すすんで、それなりに稽古を積み、努力をした結果の能力が表れてくるときである。
ここで観阿弥は、これまでの稽古第一を守り、一時の若さに驕らず、ひたすら努めてくれば、三十半ばごろには多くの人々に認められ、真の評価を得られることになる、と述べている。
だが、注意しなければならないのは、このあとの一節である。
もしこのころまでに、天下に認められることなく、名声もさほどでなければ、いかに達者に見えても、本当に才能が開花したとはいいきれない。
要するに、「真(まこと)の花を究(きわ)めぬ為手(して)と知るべし」というわけである。
そして、もしこの年齢までに、それなりの役者になっていなければ、このあと、四十代に入ってからは下がるだけになる。(中略)
かくして冒頭の言葉が示される。
上(あが)るは三十四、五までの頃、下(さが)るは四十来以来なり。
芸が伸びるのは三十半ばまでで、四十からは下り坂になる、と。
年齢に関しては『論語』の
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
がよく引用され、我が身に引き換えて、どうせ中国の偉い人の話でしょ、とひねくれることもできたが、世阿弥は容赦ない。もちろん、室町時代の能の世界と、平成の世に生きる自分とを同じテーブルに乗せることには無理があるが、どこか、言い逃れを許さないような厳しさがある。
mistearose
2009/10/09 21:05
「ためしてガッテン」見逃したので、助かりました。高級感のある肌ざわり目指して、明日から試してみます!
Hiromix2004
2009/10/09 21:20
どういたしまして。放送の次の日、日本中でパンパンいってる図を想像しました。
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