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共産主義の興亡
共産主義はユートピア思想としては古くからあったが、マルクスの思想は圧倒的に完成度が高く、多くのインテリを魅了した。しかし当の労働者には彼の思想は理解できず、西欧では共産主義運動は失敗した。ロシア革命は、第一次大戦のドサクサにまぎれたクーデタで、レーニンとトロツキーの革命政府は少数派による軍事政権だった。内戦でボルシェヴィキが貧しい民衆の支持を得たのは、党にすがれば今よりいい生活ができるという救済の約束だった。この点では、共産主義は「科学」よりキリスト教に近い。
都市化でコミュニティを失った貧しい人々が党に救いを求めるのは、現在の日本の共産党や創価学会とも共通で、亀井静香氏がチェ・ゲバラを気取ったり、雨宮某の『蟹工船』をめぐるアジテーションがニートの共感を得たりするのとも似ている。貧しい人々が多いのは事実だったが、その原因が資本主義だという認識は間違っており、社会主義は彼らを救うという目的とは逆の結果をもたらした。最近は資本主義を攻撃するのが恥ずかしいためか「市場原理主義」や「新自由主義」などを指弾するが、命令によって経済を統制しようとする人々の危険性は変わらない。
1930年代に行なわれた農業の集団化は壊滅的な失敗に終わったが、このころ世界恐慌によって資本主義の「無政府性」が批判されて共産主義が評価され、第2次大戦ではスターリンの戦時体制が結果的に機能した。しかしこうした恐怖政治は1960年代以降のイノベーションに適応できず、西側との格差が拡大した。実際に経済メカニズムとして機能していたのは社会主義経済ではなく、ソ連ではブラット(癒着)、中国ではクワンシー(関係)とよばれる属人的関係による「非公式の経済」だった。
では社会主義を崩壊させたのは何だったのだろうか。根本的な原因は経済の悪化だが、崩壊のきっかけは、教育の普及で識字率が上がるとともに通信手段が発達し、電波が国境を超えて、社会主義より劣っているはずの資本主義社会のほうがはるかに豊かだということを人々が知ったことだったと著者はみる。マルクスの予言とは逆に、社会主義はその発達によって必然的に崩壊したのである。
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労働者は新しい価値の創造においては主役ではない。かろうじて市場において、企業家が出現させた財を評価するという形で参加しているに過ぎない。労働者はもっぱら家計資産の形成を通じて、財を評価して需要の安定性を経済に与えるということが役割なのです。
政権政党が片翼飛行をはじめたときは危険です。それを阻止することに複数政党制の意義があるとすれば、自民党が政権を失うのもしょうがなかったのかもしれません。阿呆はそのことに気づいていなかったように思う。中川昭一さんが亡くなられましたが、彼も同じだったように思います。保守再生もいいですが、自民党に政権担当能力があったのか、というところまで内省しないといけない。
私が経済の専門家に言いたいのは、政党が資本主義と社会主義を両翼にすることは、おそらくできないということです。にもかかわらず、政権批判をする場合、資本主義はけしからんだとか、それは社会主義だからダメだとか、そういう言い方をする人がいますが、これはよくないと思う。シンプルに、右派だの左派だのといった言い方ができないのはわかりますが。
私なんかは、自民党左派ですが、思想的には新自由主義者のつもりでいます。総裁選で敗北した河野さんもそうです。阿呆なんかは右派ですが、国家社会主義者のように思えたw
政府による規制の副作用はなかなか見えないことに加えて、政府の間違いを正すのは
非常に時間がかかるということでしょう。
政府のパワー(権力)は強烈だから、政府の失敗を認めさせ修正させるのは物凄い時間がかかる。
現代の日本でも政策担当者に累が及ばないように問題を先送りしたり、国民が趣旨を理解していない、
当時の立場としては正しかったなどの言い逃れや責任転嫁をするのは日常茶飯事です。
一方、市場の失敗はすぐに損失と言う形で出てくる。だから修正も早い。
市場の方が政府より優れているのは、単にそれが(若干)賢明であるというだけではなく、
フリードマンの言うとおり「権力の集中の毒は善意では薄められない」ということなのでしょう。
厚労省、国交省、農水省のうちのどれかひとつが民主党に寝返れば自民党的共産主義は崩壊すると思いますが、農水省の寝返りはほぼ確定でしょうねえ、、、
東ドイツのトラバントが「世界まるごとHOWマッチ」で紹介された時に、ハイビームのスイッチが車外にあって外に出ないと切り替えられないのを見て、ビートたけしが「(切り替えで車外に出るなんて)向こうの人は随分足が速いな」と言って笑わせてましたが、よくもあんな物を何十年も作りつづけたもんだと、逆に感心しました。
計画経済は、どこか一つ間違えると全てが狂ってしまい、しかもノメンクラトゥーラの権威主義と実務を仕切る官僚の「無謬性」によって、チェック機能と自浄作用が働かない。システムに永続性がないんです。
人間のやる事に完璧はない。
間違える事を前提にしていない物は何であれ長続きはしません。
翻って日本は他人の失敗に厳しく、特にメディアは、不祥事があった時に「責任は追及するが、原因を追及しない」傾向があります。誰かが詰め腹を切って一丁上がり。しばらくすると同じ事を繰り返す。
こう言う国が、なぜ長いこと経済大国でいられたのか?こちらも結構ナゾですか。
結局のところ共産主義そのものが宗教だったということだ。
で、今日、多くのロシア人は東方正統教会を信仰している。それが現実だ。
反乱があれば軍でつぶす。政治的な不穏分子は強制収容所にたたきこむ。これでは、誰も逆らえません。
ソ連が崩壊したのに何をやってるのかと思いましたが、それから10年後に行ったら、南の方のゴアとかは、どんどん発展しているのですが、コルカタは相変わらず共産党が強く、どうしようもなく貧しく汚いです。
1つの国家の中にアジア最貧国と経済成長を遂げる国が同居しているようで興味深かった。なんで南から北へ影響しないのか、よくわかりませんが。
さらに凄いのがネパールで、先日行ってきましたが、90年代より共産主義者が浸透してきて、彼らは「マオイスト」(毛沢東主義者)を名乗り、武装闘争やゼネストなどを繰り返して国家秩序、経済を混乱に落としいれ、ついに今年には政権まで取ってしまいました。王室も廃止しました。もうどうしようもない。
インドよりさらに貧しいのがネパールですが、さらに共産主義が駄目だしをしているかのようです。コルカタやネパールが成長路線に転じるのはいつか…興味はあるのですが、ネパールは多分最低10年は停滞すると見ました。
日本のNGOやJAICAなどはいろいろとネパールに援助しているようですが、無駄のような気がします。左翼的な考えの影響があり、さらに国民は外国の援助に頼る乞食根性が染み付いてます。さらにカーストなどの因習が抜けません。
ネパールで人間の愚かさをつくづくと感じ入ってしまいました
西欧が宗教支配を克服した手法は、批判的思考に基づく科学の知見に拠ってではないかと考えていますが、日本には批判的思考の文化が無い。そのためにもう100年もマルクス主義支配が続いてしまっている。
特に、マスメディアに信じている人々が多いので、情報の歪みが物凄い状態になってしまっている。
現在民主党が政権についていますが、彼らは、国民が考えている以上に現実対応力が無いと私は考えています。
おそらく現在の共産主義もキリスト教も、その提唱者であるマルクスやナザレのイエスが想定していた物とは全くの別物でしょう。彼等は人間が思想に隷属するのではなく、思想を糧に人間が向上することを望んでいたはずです。しかし大審問官がイエス相手に罵ったように、人間はそんなに強くはなかった。多くの人間は向上するよう努力し、より自由で強い存在となることを目指すのではなく、「価値を生み出す力」を持つ超人たちの足にも自分たちが繋がれているのと同じ鎖を繋ぎ、超人たちの自由を奪うことを選んだのです。奴隷たちは自分たちが自由になることではなく、自由な人々が自分と同様の奴隷になることを望んだのです。それが現在の共産主義の姿です。
というのは、欧米人は、自由や平等の観念を生み出す過程で支配や介入をめぐる葛藤を経験しているために、どうしたら人を支配できるかということの経験が豊富だと思うからです。
我々、非欧米人は、それらの過程無しに自由や平等の観念を受け入れている。
また、私は、自由や平等というものについては、消極的に肯定的なのは、
「人間が非常に複雑化した経済社会に適応するには、需要が一部の金持ちの気まぐれに左右されるよりは、比較的所得分配が平等になされて多くの人間の気まぐれに左右されたほうが、変動が少なく穏やかで、互いに適応がしやすいだろう」
と考えるです。人間は、適応がうまくいっていれば、自由や平等は放棄するだろうとも思います。しかし、それは稀であり、相対的に自由や平等が認められ、所得分配が平準化して居る方が、人間には住みやすい社会環境だろうと思います。
ついさっきヒストリー・チャンネルの特集で毛沢東の半生、戦後から文革の直前までを見ていました。これはことはマネジメントだったのかもと。ドラッカーではないですが、「ワイルド・スワン」にもあるように能吏は共産主義の下にもいたのだと思います。大躍進のようなばかなことをしないで、マネジメントの向上という考え方で国を運営していれば結果は変わっていたのかもしれないと思いながら見ていました。
それでも、共産主義は一党独裁、もっといえば全体主義と独裁者を必ず産み、マネジメントを必ず破壊するものだととらえるべきなのでしょう。
必要条件と十分条件ではないですが、だからといって、資本主義が成熟すれば必ずマネジメントも進歩するものではないというのは銘記すべきことなのでしょうね。マネジメントの知識と技能がゆきわたったために、国土も、人も変わらない中国がいまのような姿になったのだと考えると、日本の将来が非常に思いやられます。いま中国では、稲盛京セラ名誉会長の経営本が大人気だとか。
相手が共産国家でもうまく付き合うのがリアルポリティクスというものでしょう。経済屋や経営屋にもそこへんのことがぜんぜん分からない人がいますね。私が、「農産物を輸入自由化すればロシアから小麦が入ってベトナムから米が入る、キューバから砂糖が入る、アメリカから入る農産物はそんなにないと思うけどそれでもいいのか」と言うと、「えっ!」となるようなバカ経済屋やバカ経営屋では困る。私は、ロシアの小麦やベトナムの米を日本に入れるのはぜんぜんかまわないと思ってますけどねw
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