南極はどこの国のものでもない。南極を探検した国や南極の近隣国が、南極の領土権を主張したが、1959年に南極条約が結ばれ、領土権は凍結され、南極はどの国にも属さないものとなった。現在、南極は平和目的のために利用されている。ちなみに日本の基地は『南極物語』の舞台として有名な昭和基地のほかに、あすか基地、みずほ基地、ドームふじ基地がある。今年は南極条約署名50周年。
南極観測隊は気象学者、雪氷学者などの研究者だけで構成されるわけではない。基地の生活や野外活動を支える医療、通信、車両などの専門家が参加する。閉鎖された空間で生活していくために様々なプロフェッショナルが必要なのだ。国立極地研究所や大学の職員の他、民間企業から派遣されている人もいる。詳細な健康診断で隊員が選ばれ、南極に行く前に合宿訓練を行い、南極での計画や安全チェックなどの知識を得るとともに、お互いのコミュニケーションを深める。
日本の南極観測は1957年に始まり、昭和基地をベースに、気象、オーロラ、地質、地震、観測衛星、動植物の観測や調査、南極大陸奥地では氷床の掘削、隕石の採取などを行っている。観測隊には、夏の間3ヶ月間南極に滞在する夏隊と、1年を通して南極に滞在する越冬隊がいる。越冬隊は11月に日本を出てから、翌年2月上旬まで南極に滞在し、3月下旬に日本に帰着する。今年11月、4代目の南極観測船「しらせ」が、第51次隊を乗せて南極に向け初出航する。
日本との時差6時間、南緯77度19分、東経39度42分、標高3,810m、年平均気温-54℃、昭和基地から1,000kmも内陸へ入った、富士山よりも標高の高い基地。その気温ゆえにそこはペンギンもアザラシも、ウィルスさえ存在しない。その標高ゆえに水は100℃に達さず85℃で沸騰してしまう。そのため、麺類は普通に茹でると芯が残る。2007年氷床掘削作業が終了し、現在は常駐している隊員はいない。
▲ドームふじ基地への行き方
11月、約1年半に渡る越冬生活を支える物資を搭載した南極観測船が日本を出発。隊員たちは飛行機でオーストラリアに渡り、そこで船に乗り込む。その際に新鮮な野菜や肉などの食料を追加補充。このタイミング以外では一切の物資調達はできない。12月、南極・昭和基地に到着。そこからは雪上車で1,000kmの距離を約20日かけて移動。なんといっても凸凹な雪面なのでスピードを出すことはできない。キャタピラ車で時速5〜7kmでゆっくりゆっくり進むのだ。食事も雪上車内で作り、眠るのも雪上車の中。
基本的に凍ってはいけないものは持ち込まない。持ち込むとしたら冷蔵庫(南極の温度からしたら温蔵庫)に入れて持っていくことになる。そのため、冷凍食品、乾物などが食材の中心となり、水耕栽培でほんの少しのかいわれ大根などを作るが、生野菜や果物はなかなか食べられない。南極での滞在時間が長くなればなるほど、「コンビニ的なもの」が恋しくなるのが人情。ときには「カップ焼きそば」ひとつをめぐって、労働の貸し借りが生まれることも。
水は雪を発電機エンジンの冷却熱を利用して溶かして造る。材料は無限にあるが、大量の雪を水槽に入れるのは大変な大仕事。なので、水は自然と極力使わない生活になる。電気はジーゼル発電機を利用。ゴミ回収も来ないので、とにかくゴミを出さないよう生活をする。当然、下水設備もない。国際条約で南極で発生したゴミは全て持ち帰って処理することが決められており、越冬が終わると大量のゴミを雪上車で輸送して「しらせ」に積んで持ち帰らなければならない。 ドームふじ基地は日本国内の約4,000mの高度の気圧に相当し、酸素は通常の6割程しかなく、雪運びなどの労働を30分もすると息が切れてしまう。
当然テレビは見られないので、ビデオが主流だった。各次隊員たちが置いていったレアなビデオが数多くある。麻雀、卓球、酒…といったインドアなお楽しみから、イチゴシロップで描いた線を頼りに野球大会を催してみたりする。自分たちで行わないと単調な毎日なので、お誕生会、ミッドウィンターなど祝えるものはとことん祝う。
公衆電話はあるが1分740円(1997年当時)。現在はインターネットの設備が整い、メールでのやり取りが可能。昭和基地では現在はインテルサット衛星回線により、快適なインターネット環境にある。ドームふじ基地はインマルサット衛星回線があり、家族と電話やメールできるが、インターネットはできない。
一日中太陽が出てこない日が極夜、一日中太陽が出ている日を白夜という。南極点に近ければ近いほど、その日数は長い(北極も同様)。ドームふじ基地では極夜・白夜ともに4ヶ月間ほどつづく。
南半球の冬至。各国の観測隊がミッドウィンターを祝い、お祭りを行う。ドームふじ基地では正装してフレンチのフルコースをいただくのが慣習。各国の基地からもグリーティングレターが届く。映画の舞台である1997年当時はFAX、現在はメールが主流。
昭和基地周辺に生息するペンギンはアデリーペンギンとコウテイペンギンのみ。南極にはほかにも2種類のペンギンが生息する。全て沿岸部で暮らしており、ドームふじ基地など大陸内部に生息するものはいない。南極海には、アザラシやクジラ、イルカなど23種の哺乳類も生息している。地球上の約60%のアザラシが南極に生息しているという。いわゆるシロクマは北極にはいるが、南極にはいない。-2℃以下にならない海中には多くの生物がいる。昭和基地の前の海にはウニ、ヒトデ、魚、二枚貝、ホヤなど色とりどりだ。
協力:情報・システム研究機構 国立極地研究所
頭のミソをソースに生かした伊勢えびフライ、大きな肉塊を切り分けたローストビーフなど、つい食欲をそそられる絶品料理の数々は、『かもめ食堂』『めがね』などで印象深い料理を手掛けてきたフードスタイリスト飯島奈美と、フードプランナーとして活躍している榑谷孝子によるもの。南極観測隊が実際に持っていった食材リストなどと照らし合わせ、彼女たちが入念に練り上げた“南極の料理”の基本コンセプトは、ズバリ「男が食べたくなる料理」だ。
中でも目に鮮やかなのは、隊員の誕生日など、時々のイベント毎にふるまわれる豪華食材を使用した料理。たとえば、頭を食卓に飾り付けた特大えびフライで使用した伊勢えびは、なんと1尾あたり数万円もする国産の高級品。また、ついよだれが出るローストビーフの肉塊は、牛肉の格付けランクでA4に位置する、これまたひとつ店頭価格20万を超える和牛だ。高級食材を使うということは、撮影現場に「失敗したら取り返しがつかない」という緊張感を生むと同時に、芝居とはいえそれを口にするキャストに驚きや感動をもたらす効果がある。「カット!」の声がかかった後も、まだ口をもぐもぐさせ続ける者。あるいは、「もっと食べたい」と思いながら、人目を気にしてとりあえず席を立つ者。本編さながら、個性豊かなキャスト陣だけに、反応も人それぞれだ。
数ある料理の中で、もっとも苦労を強いられたのは、意外にも手打ちのラーメン。さすがの飯島と榑谷も、ラーメンを手掛ける機会はこれまでさほどあるわけではない。そこで、麺の打ち方からスープの取り方まで、研究に研究を重ねた上でできあがったのが、周囲から「いまどき珍しいクセになる美味しさ」と絶賛された、鶏のスープで割ったしょうゆ味のラーメンだ。一方、ラーメンはキャストにも今作品最大級の試練を用意することになった。きたろう扮するタイチョーが久しぶりのラーメンを夢中ですする場面は、沖田監督の「アクション・シーンとして撮りたい」というこだわりから、およそ13回(全員で食べるシーンも入れると18回!)近くもテイクが重ねられた。お腹をスープでたぷたぷにしながら、おいしそうな表情を崩さないきたろう。裏では、予想外のテイク数に麺を切らし、あわてて材料の買い出しに出かける飯島らフード・スタッフの姿があった。
彼女たちがもっとも大事にする、おいしそうな料理を作る秘訣とは、「本当においしい料理をできたてで提供する」こと。視覚だけでなく、味覚にも残る料理を用意するため、本番ぎりぎりまで伊勢エビをしめ、麺を打つ現場には、飲食店同様の活気がいつも満ちあふれていた。