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【社説】

状況証拠有罪 裁判員への重い課題

2009年9月8日

 「犯行の可能性だけで有罪にしてはならない」というのは刑事裁判の大原則である。名古屋地裁で無期懲役の判決が出た殺人事件は裁判員にそれを徹底する重要性をあらためて浮き彫りにした。

 裁判員裁判は今週、本格化し、各地の裁判所で次々開かれる。過去三件の裁判では、事実関係に争いがなかったため、裁判官だけの裁判より量刑が重めになる点だけが注目されたが、その是非を単純に論じてもあまり意味はない。

 裁判員が日常生活を通じ生身で感じている犯罪の怖さが量刑に響いているのだとすれば、重い量刑は市民感覚の反映といえる。

 しかし、だからといって重罰化を安易に容認はできない。裁判員が矯正の現場の実態をどれだけ知っているか疑問だからである。

 刑務所に送りさえすればよいわけではない。再犯受刑者が多い、十分な矯正教育をできていない、などの指摘がある。

 再発防止、被告人の矯正を目指す裁判ではさまざまな要素を考慮すべきだ。そのために刑事政策の現状、今後のあり方などについて国民が議論し、成果を裁判に反映させることで、司法に対する国民参加が本当に生きてくる。

 量刑に劣らず重要なのは、「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則を裁判員に浸透させることだ。

 七日に名古屋地裁で無期懲役が言い渡された被告人は、民生委員として接触していた被害者を殺害し、キャッシュカードなどを奪ったとして起訴されていたが、犯行をほぼ全面的に否認していた。

 被告の犯行を推認させる状況証拠、あるいは被告が罪を犯した可能性を示す間接事実はいくつかあるものの、凶器や指紋などの直接証拠はなかった。

 それでも裁判官は間接証拠を積み重ね「被告人が被害者を殺害した犯人であると優に認められる」と判断した。

 この判断手法は最高裁でも認められているが、「可能性があれば有罪」と解することを容認するものではない。いかに間接証拠が積み上げられても「犯人間違いなし」という確信に至らなければ無罪としなければならない。

 かつて「疑わしきは被告人の利益に」を裁判員に説くべきか否かで議論があった。裁判官の間には「裁判員に予断を与える」と消極論もあったが、裁判官も、検察官、弁護士も裁判員に裁判のつど分かりやすく説明すべきなのは言うまでもない。

 

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