講師は、晒されることを楽しむ
ここ何日か、私はいろいろ考えに考えていました。
「講師とは何か」
「講義とは何か」
「講師のブログとは何か」
ずっと考えていたのです。
実を言うと、ずっと寝込んでいたい気分でした。
でも、そういうわけにはいきません。
私には毎日ありがたく与えられた
「講義」
という仕事があります。
寝込んでいる場合ではありません。
傍目からみると私は、いつも
「明るく、楽しく」
過ごしているように見えるそうです。
でも、私だって人間です。
悩むことも考えることもあります。
講師は、一人の人間です。
「ほんの少し試験についての知識がある」
ということのほかは、特にこれといって偉いわけではありません。
このことは、何度もこのブログでも強調しています。
当然のことですが、私は人格者ではありません。
だから
「人の道」
とか道徳は説きません。
正確に言うと、説けないのです。
それはある意味、当然のことです。
しかし、講師は
「先生」
と呼ばれて過ごします。
当然、受講生のみなさんは単に勉強や面接対策の
「師」
というだけでなく、一人の人間として
「生き方」
を手本にされる方もあるでしょう。
ですから、時々
「重い気分」
になります。
私の生き方を手本にしてくださるのは本当に光栄です。
ただそれは、本当に重いことなのです。
一人の人間として、私のものの考え方、生き方、過ごしかたは決して
「万人の手本」
となるべき立派なものではありません。
あくまで私の
「個人的な思い」
を、ブログでは述べています。
そして当然、私だって山のように欠点はあります。
言うまでもないことですが、私は過去に多くの人に迷惑をかけ、傷つけてきました。
そして今でもきっと、たくさんの方々に不快な思いを与えているでしょう。
大事なことは、講師は
「晒される存在」
であるということです。
立派な行動をして当たり前、一つでも二つでも
「失言」
があれば、叩かれます。
ただ、それはありがたいことです。
それだけ、注目してくださっているということです。
これを
「苦しい」
とか
「辛い」
なんて思うくらいなら、講師なんてやらないほうがいいのです。
「そういうことも含めての楽しい修行をする」
それが講師の課題であり、徳積みでもあるのです。
私はずっと、そんなことを考えていました。
「講師とは何か」
「講義とは何か」
「講師のブログとは何か」
いくら考えても、答えなんて出ません。
でも、それでいいのです。
人の一生なんて、きっと答えの出ないことだらけです。
そして、寝込みたいことも頻繁にあるのが日常です。
そういう日常の中での
「プラス思考」
だからこそ、楽しい修行になるのでしょう。
悩み、考えて、私自身も成長させていただいています。
本当に、ありがたいことです。