2009-10-08 02:04:24
役者と声優と俳優。
テーマ:ブログ
あ、トップ画が激しく視界の暴力でごめんなさい。苦笑
あれでもプリで詐欺ってます宜しければ良い眼科をお勧めしますので許して下さいorz
そういえば口調が大分フランクになってきました。
アメブロさんにも慣れてきたようです。笑
これがあと半年もすると「ぐふふふw」とか言ってるんですよきっと。笑
ところでタイトル。
役者と声優、それから俳優(ここで言う役者は舞台役者で俳優はメディアを通す役者です)。
根本は「演技する」てとこで同じなんですけれどね、当たり前ですけど何処で何を使って表現するかによって随分違うんですよね。
それぞれに魅力があって、美月は単純な好みで言えば役者が一番好きです。
だって舞台は生きているから。
テイク2なんて有り得ない、同じ台本でも公演の度に台詞の間の取り方や声の調子、お客さんの反応も全て違うなんて、生きているとしか表現しようがないよね。
美月は割りと淋しがり屋のようで(笑う所ですw)、お客さんからのレスポンスをすごく待ち望んでいるんです。
だから3枚目な笑いをとる役の方が好きなのですよ。
お客さんからのレスポンスで笑いが一番わかりやすいですからね。
けれど声優も俳優もメディアを通しちゃっているから、生のお客さんのレスポンスは感じ取れない。
お手紙とか視聴率とか、そういった間接的なものはたくさんあるけれど、公開録音や公開撮影(そんなものあるの?笑)でもしない限り生のレスポンスは届かないのです。
だからといって役者が一番素晴らしい、なんてことは思いませんよ。
声優って、演技がすごく難しいですよね。
棒立ちのまま台詞に感情を込めるなんて、口先だけの演技になり兼ねない。
それにただ役に入り込めばいいだけじゃないと思うんだ。
映像に合わせて口を動かさなきゃならないんですから、すごく冷静に演技する自分を見つめるもう一人の自分がいなくてはならないんじゃないかと。
素の自分がいなきゃならないのは役者にも俳優にも言えるんですけれどね、声優はそれ以上に神経使いますよね。
よく「役に成りきる」とかって言いますけど、あれってちょっと違うかなって美月は思います。
ほんのちょっと、僅かでも「自分」を残しておかないと、それはたちまち演技ではなくなるんじゃないかと。
じゃあ何になるの?って聞かれると答えられないんですが。苦笑
美月のイメージでは、自分が黒い色だとしたら美月という人間の一番底に靴の下敷きみたいに黒があって、そこから上は全部演じる役の色って感じです。
けれどもし成りきるって言うのが、美月という人間に黒い液体が満たされていて、その中に演じる役の絵の具を入れるイメージなのだとしたら、それも素の自分がいるってことですよね。
合体型か融合型かってことなのかな?笑
それがどう演じ分けられるのかはわかりませんが。←
さて、ここまできたら俳優についても語るべきですね。笑
残念ながら美月はカメラに向かって演じた経験はないのでなんとも言えませんが…、自分の目の前にカメラがある状態での演技って、どんな感じなんでしょうね。
役者は劇場というある種の閉鎖された空間の中で演じますよね。
声優も目の前にマイクはあるものの、ブースという閉鎖された空間があります。
けれど俳優はすぐ隣にカメラ、セットの向こう側は普通のスタジオだったり、演劇空間とそうでない空間のハッキリした境目がありません。
役に入り込めばそんなこと関係ないんですかね?
でもCG合成の場面だったりしたら何もない緑(?)のシートの前で演じるんですよね。
一度入り込めたらそうでもないかもしれませんけれど、でもやっぱり役者や声優に比べるとそこが難しいのかもなって思います。
こんなわけのわからない自己満すぎる日記もそうないと思います。笑
でもいいの、所詮ブログなんて自己満だかry
そういえば予備校の日芸模試、自己採点は英語52点、国語64点でした。
これは国語が落ちたのか英語が伸びたのか…。
けれど英語は毎日やってる筈の会話と文法がめためたで、長文は正答率8割以上でした。
やっぱりもっとしてからじゃないと文法とかの結果は出てこないのかな。
国語は古典がやっぱり良い感じ^^
この調子で古語と助動詞をしっかり固めるぞ!
物語は凡ミス1つだけだったし文学史はこれから手をつけるとして、随筆はどうも美月との相性の良し悪しで正答率が変わるなぁ。
雰囲気で読み取っちゃダメだよってことですね(´-ω-)
雨の音がちょっと心地好いような、煩いような。笑
もう寝ますね、お休みなさい(ρд-)zZZ
あれでもプリで詐欺ってます宜しければ良い眼科をお勧めしますので許して下さいorz
そういえば口調が大分フランクになってきました。
アメブロさんにも慣れてきたようです。笑
これがあと半年もすると「ぐふふふw」とか言ってるんですよきっと。笑
ところでタイトル。
役者と声優、それから俳優(ここで言う役者は舞台役者で俳優はメディアを通す役者です)。
根本は「演技する」てとこで同じなんですけれどね、当たり前ですけど何処で何を使って表現するかによって随分違うんですよね。
それぞれに魅力があって、美月は単純な好みで言えば役者が一番好きです。
だって舞台は生きているから。
テイク2なんて有り得ない、同じ台本でも公演の度に台詞の間の取り方や声の調子、お客さんの反応も全て違うなんて、生きているとしか表現しようがないよね。
美月は割りと淋しがり屋のようで(笑う所ですw)、お客さんからのレスポンスをすごく待ち望んでいるんです。
だから3枚目な笑いをとる役の方が好きなのですよ。
お客さんからのレスポンスで笑いが一番わかりやすいですからね。
けれど声優も俳優もメディアを通しちゃっているから、生のお客さんのレスポンスは感じ取れない。
お手紙とか視聴率とか、そういった間接的なものはたくさんあるけれど、公開録音や公開撮影(そんなものあるの?笑)でもしない限り生のレスポンスは届かないのです。
だからといって役者が一番素晴らしい、なんてことは思いませんよ。
声優って、演技がすごく難しいですよね。
棒立ちのまま台詞に感情を込めるなんて、口先だけの演技になり兼ねない。
それにただ役に入り込めばいいだけじゃないと思うんだ。
映像に合わせて口を動かさなきゃならないんですから、すごく冷静に演技する自分を見つめるもう一人の自分がいなくてはならないんじゃないかと。
素の自分がいなきゃならないのは役者にも俳優にも言えるんですけれどね、声優はそれ以上に神経使いますよね。
よく「役に成りきる」とかって言いますけど、あれってちょっと違うかなって美月は思います。
ほんのちょっと、僅かでも「自分」を残しておかないと、それはたちまち演技ではなくなるんじゃないかと。
じゃあ何になるの?って聞かれると答えられないんですが。苦笑
美月のイメージでは、自分が黒い色だとしたら美月という人間の一番底に靴の下敷きみたいに黒があって、そこから上は全部演じる役の色って感じです。
けれどもし成りきるって言うのが、美月という人間に黒い液体が満たされていて、その中に演じる役の絵の具を入れるイメージなのだとしたら、それも素の自分がいるってことですよね。
合体型か融合型かってことなのかな?笑
それがどう演じ分けられるのかはわかりませんが。←
さて、ここまできたら俳優についても語るべきですね。笑
残念ながら美月はカメラに向かって演じた経験はないのでなんとも言えませんが…、自分の目の前にカメラがある状態での演技って、どんな感じなんでしょうね。
役者は劇場というある種の閉鎖された空間の中で演じますよね。
声優も目の前にマイクはあるものの、ブースという閉鎖された空間があります。
けれど俳優はすぐ隣にカメラ、セットの向こう側は普通のスタジオだったり、演劇空間とそうでない空間のハッキリした境目がありません。
役に入り込めばそんなこと関係ないんですかね?
でもCG合成の場面だったりしたら何もない緑(?)のシートの前で演じるんですよね。
一度入り込めたらそうでもないかもしれませんけれど、でもやっぱり役者や声優に比べるとそこが難しいのかもなって思います。
こんなわけのわからない自己満すぎる日記もそうないと思います。笑
でもいいの、所詮ブログなんて自己満だかry
そういえば予備校の日芸模試、自己採点は英語52点、国語64点でした。
これは国語が落ちたのか英語が伸びたのか…。
けれど英語は毎日やってる筈の会話と文法がめためたで、長文は正答率8割以上でした。
やっぱりもっとしてからじゃないと文法とかの結果は出てこないのかな。
国語は古典がやっぱり良い感じ^^
この調子で古語と助動詞をしっかり固めるぞ!
物語は凡ミス1つだけだったし文学史はこれから手をつけるとして、随筆はどうも美月との相性の良し悪しで正答率が変わるなぁ。
雰囲気で読み取っちゃダメだよってことですね(´-ω-)
雨の音がちょっと心地好いような、煩いような。笑
もう寝ますね、お休みなさい(ρд-)zZZ