いい加減? な 蘊蓄 ( 私的 雑談 )

       スペイン料理と私  

                 以下すべての文書の無断転載を禁じます。


  ☆  いい加減なその前に・・・

最近は、いい加減ことを勝手に書くのはやめた方がいいかなと思ったりもしますが
                  まっ いいかぁ。

※ 作ること

スペインでは料理ことを COCINA ( コシナ )と言い、料理人のことをCOCINERO

(コシネーロ)と言います。長年そのコシネーロをしていて、お客様によく聞かれる事

は 『 何故、スペイン料理なのですか ? 』 と言うこと。

私にとってはなぜそう聞かれるのか、かえって不思議に思えることなのですが、零

細農家の【 小せがれ 】が転職に転職を重ね、年齢的にも、《 もうこれが最後で後

がないよ 》と言う転職最後のチヤスがスペイン料理店だったという事でもある様な

のです。

が、しかし、なによりも 《 何かを作ることが大好きだったから 》なのでしょう。

小さい時からノコギリとか金槌が身近ありました。大人が何か作っていればその

そばでそれを飽かず眺め次にはそれをまねて作ってみる。

毎年クリスマスも終わり12月25日頃をすぎると貧しかった幼い頃 《 私の子供

の頃はクリスマスなんてものは無かったの年末から新年にかけての事を思い出

します。新年を迎えると言えば、当時の川越のこのあたりの農家になると『 お飾り 』

といって、門松などの注連飾りにも伝統の形とその作り方、そして、それらを飾る為

の方法とがありました。

毎年、師走も押し詰まり28日になりますと、父が、前もってたたいて湿らせて柔らか

くしておいた藁で、その 注連飾り を作たものなのです。

その場所もかならず決まっていました。

当時の私たちの住まいは小さく、茅葺の農家の建物だったのですが、そのあ

ばら家は向って右手が玄関になっており、玄関を入ると土そのままの土間で、土間

の右手はを掘り下げコンクリートを流し込んで作られた、浅い升を埋め込ん

だ様な造りの 『 囲炉裏 』 となっておりました。

その土間の左側には、一応『 座敷 』と呼ばれる八畳間なのですが、その『 座敷 』

に接した、上がり端 ( アガリハナ ) と呼ばれる板敷の上なのです。

我が家は、毎年12月28日は、きまって朝から餅つきが行われましたが、いわゆる

それらの事は総じて、毎年決まっいてることとして行われる年中行事でもあったので

す。

前の晩から餅米を研ぎ、その餅米をうるかした ( 浸した ) 研ぎ汁を取っておき、餅

つきの終わったその日、その研ぎ汁を入れてその晩はお風呂を沸かしたのです。

そして年にたった一度だけ、そのお風呂にまず一番に入れるのが、婿養子の父でし

た。まさに、餅米をうるかした ( 浸した ) 研ぎ汁は、身を清めるため> に、とって

おいたものであり、これから『 お飾り 』造りをはじめるにあたり、その身を清めるた

めに一番風呂に婿養子の父が入れたのです。そしてそれから 『 お飾り 』 作りに

取り掛かるのです。

大正11年生まれは、兵役では近衛山砲の部隊だったそうですが、第二次世

界大戦と呼ばれる太平洋戦争では、兵役が終わたあともいずれは、徴兵されるの

だからと言って志願兵となり、連隊に加わり参戦して行ったそうです。

その結果サイパンへ抑留され、4万4千人の戦友と共に一方的なといえる米兵との

戦の末、ついに、2300人程の生き残った人達と共に捕虜となりハワイへ連れて行

かれ、そして終戦を迎え、日本へ帰ってきた人物です。

そうして戦後10年ほどして私が生まれたわけですが、土間を挟んだ向こう側に囲

炉裏があるとはいえ、12月も押し詰ったこの頃は当然、上がり端( アガリハナ )と

呼ばれる板敷きの上はとても寒いのです。そんな 厳寒期の、現在と違って空調の

行き届かない中にもかかわらず、何故か、板敷きの上に粗莚を敷いただけでその

上に素足で座り 『 お飾り 』 を作っていました。

私は、小学校へ上がる前の5・6才の頃から、そんな父のそばに寒さも忘れじっと

座って眺めていたのですが、最初の年と次の年こそは、『 寒いから向こうへ行って

ろ 』 と怒鳴っていた父も、飽かずに眺めている私に、何を思ったのか、何も言わな

くなり、時には、わらに手を出して叱られながらも、私は自分だけ靴下を履き、更に

は、座布団を持ち出して来てはその上に座り、素足での『 お飾り 作り』 をな

がめていたのです。その様な注連飾りも、近所の農家から姿を消して行きつつある

のですが、  なぜか        

スペイン料理店 魯仔喃亭の注連飾り

もご覧のごとく、その形をのこす造作り

としています。

父からそして祖父から伝えられたもの、

(父は早く他界す)特にそれが新年を迎

えるための行事であるように思って居る

ものですから、21世紀となった今も続け

ていてその作りが、

    魯仔喃亭 の注連飾り  にもなっているのです。

和洋折衷とか言うのでなく、それが新年を迎え、またお客様をお迎えする心構えだ

と思っているからなのです。

恐れながら不思議な事に、年一回しか作らないものであるにもかかわらず毎年、作

るごとに上達していると思うのは自画自賛というものでしょうか。

お話を戻しますがそんなまねごとの〔 物を作る 〕と言うことに、その物が、出来上

がっていく事の課程に興味があり、真剣にそのことを眺めたものです。

そして、それを次には自身から実践してみないと興味(き)がすまない、今で言えば

単なる〈 いたづら〉にすぎない事だったと思うことなのですが、兎に角《 何かを夢中

になって作っている。 》 そういう時が一番楽しいという・・・小学生の頃は、算数や

国語等、その他の成績は2か3ばかりでしたのに、図工だけは何故か4か5という、

物を作る、あるいは造っている時間が一番好きだったという《 はな垂れ小僧 》だっ

たのです。


料理に思う事

  フレンチの簡単な歴史

フランス料理は、1533年、イタリア フィレンツェのメジチ家からカトリーヌ・ド・メジチが、

後のアンリ2世となるフランス王太子のもとに嫁ぐとき、ともにイタリアの料理人達をつれて

きました。

カトリーヌと一緒にきた料理人達の新しい料理と料理法はたちまちフランスの料理人達に吸

収され、新しい野菜や、改良された野菜類などと共にそれまでの中世的な 権力や財力を

誇示する食事 から 味わうための食事へ と変化し、王侯貴族たちの為の宮廷料理として

発展する事となります。

フランソワ・ピエール・ド・ラ・バレンヌ による料理書 『 フランスの料理人 』 が刊行されたり、

王侯貴族たちの料理場でその腕を発揮した バンサン・ラ・シャぺル は、料理の給仕の方法

などについても、その著書の中に詳しく記している。

と言いますが、これは料理を、ただ単に 調理 するという事に留まらず、料理人達が、《 単

に料理を作る事だけでなく、いかにしたら それが王侯貴族たちの満足のいくものとなるか》

と言う事を考え、その事にいかに心砕いていたかと言う事の証です。

この時代の人々が料理する事を職業としたとき、それらの料理人達に求められるものは如

何に大きく、限りないものであったかと言う事であり、この為に料理が文化として発展・発達

を遂げたわけで、これらのことを中世からのことがらを含めればその歴史は600年以上の

ものであると言っても良いでしょう。

14世紀から17世紀にかけての大航海時代は、香辛料を求めての航海であったことを後世の

歴史家は等しく認めていることですが、香辛料を使い、料理を美味しくする作業はこの頃か

ら発達したということは、人類の発展とヨーロッパ人が古くから肉食をしていたことまた、クロ

ーブや胡椒には強い殺菌効果があり 冷凍冷蔵庫 のない時代の腐敗防止のために欠かせ

ないものとなり、水が日本のように豊富でない地域では、体の洗浄不足のため体臭の問題

から香としての需要も多かったことなど、様々な事があげられます。

オーストリアの マリア・アントニア が14才で、のちのルイ16世嫁いだのは1770年です。

そのマリー・アントワネットがフランス大革命によって 1793年に、哀れな運命というべきな

のでしょうか悲劇的な王妃としてそ一生を終わる事になります。

この王妃のフランス王侯貴族の悲劇を象徴するようなフランス大革命は、それまで貴族や

豪族のもとで働いていた理人たちが職を失う事となり転職を余儀なくされるという事にる訳で

すが、これによってフランス料理が レストラン と言う形大衆化 ? されるに至るのです。


そのレストランの起源は、1765年ころから始まるとされるようで。ですがそれは、フランス

大革命前後という、時代のうねりの中大衆化されたと言っても、 スペインででTaberna )居

酒屋とばれるタヘ゛ルヌ ( Taverne ) とかカハ゛レ ( Cabaret )とは、より画すものとなるに至

ります。

このように、当初は高貴な人々のために進展、完成され、研究さたのが、日本で一般的に

言われる フランス料理 な訳ですが、勿論その日本に伝わった頃の現形を元に言われてい

るわけですら誰のための料理なのか、何のための料理なのか?、と言う基本的部分が違う

と思うのです。

これに対しスペインのバル( Bar )やタベルナ( Taberna )等の気安い家庭料理的なところか

ら日本へ入ってきたスペイン料理ではその根本的なところが違い、複雑な歴史的事情を含

みながら家族、友人等、・・・親しい人たちと一緒にワインを飲みながら食べことや、音楽そし

てフラメンコ、人生やそれらについての会話や議論を楽しむ、その為には出来るだけ簡単に

手間をかけずに美しく料理するのが、スペイン料理。そういう気楽なところが私の好みに合

っているところなのです。


※ ミシュランのランク付け

フランス本国の RESTAURANTE (レストラン)のランク付けで名な、彼のミシュラン。

そのスタッフのネゴシエーターが、フランス料理店を審査するとの判断基準を特集したTV番

組がありました。

興味津々で拝見しましたが、それを見ますと、自分たちネゴシターがその店で如何に《 王侯

貴族 》の気分を、亦、その雰囲を味わうことが出来るかどうか、またレストラン側が、どこま

でその為の体制造りをしているかどうかが、判断基準になってる様に見受けられました。

そして、このネゴシエーターと呼ばれる人々の料理店を審査するときの判断基というものは、

かなり厳しいもののようです。

しかし、これが為、これはこれでお客様がとてもリツチな気分になれるわけですから、とても

素晴らしいこと様に思ます。

  たまにはやはり、リツチな気分を味わいたいですよね。

また、単なる料理や料理人の技量だけでなく、外からのお店へのアプローチや店全体の雰

囲気、ソムリエからギヤルソンと呼ばれるウエイター達までが評価されるのですから大変なこ

とです。

そのネゴシエーターと呼ばれる人達は、全く予告なしに来店し、く一般のお客様として食事を

して、それぞれのネゴシエーター、対象となるお店を独自に評価し、判断して帰るそうですか

らお店側としてはたまりませんね。

しかし、これは RESTAURANTE (レストラン ) −−−−という理店についてのこと。 魯仔

喃亭は、看板 ( 最近は大分みすぼらしい ) にも スペイン料理 魯仔喃亭 としているだけな

のはレストランとしての機能を持ち合わせていないからなのです。れどもフランスだけでなく、

この日本にも正式な席では、食事のマナーは必要なことですから、キツチとした形で食事を

するいう心がけは、重要で大切なことでもあります。

画く、申し上げる私も、一昨年 ( 2,005年 2月 ) 魯仔喃亭の大切なお客様の結婚披露宴

にお招きいただき、広尾にあるフレチの素敵なお店にて、美味しい料理を堪能させていただ

きました。

しかし、私流儀の楽しみ方で( マナーを知らない田舎ものデス )周囲のご来賓の方、お店の

スタッフの方に、ご迷惑をおかけしました ( BORACHON)この場を借りて深くお詫び申し上

げます。ご免なさい・・・。


※ スペイン料理のコツ

料理と言えば、日本の家庭でも( 日本料理でも )、新鮮な素材は、簡単に塩焼きしたりする

だけで美味しかったりします。 

フレンチでもそうですが、スペインにも一般的に郷土料理と言われるような海・山の家庭料

理があるわけですが、日本の今日までのスペイン料理は、この郷土料理に基本があると思

いまいす。

そしてこの、一般家庭にある料理が日本の人にも、受けいれられ安く、スペイン料理として

定着してきた由縁と言えると思います。

そのスペイン料理を私的に考えると、何となく良い加減( イイカゲン なところ ? )で あばうと

なところがあり、それでいて料理の基本の肝心なところは、手を抜いたり、気を抜いたりタ

イミングを逃してしまうと美味しく出来上がらない。( 当店のタコのガリシア風などはその最

たるもの )素材そのものを大切にし、材料を細かく刻んだり、あれもこれもと、色々入れたり

とか、何枚もの鍋を使いこなし材料を炒めたりいたりして、仕事してる 《 振り 》 等しないで、

良い新鮮な素を出来るだけそのまま生かすと言うのが料理の基本。

料理は良い素材、・・・・・ 素材が良ければそれほど手を加えなくても美味しく出来上がるか

も知れないのです。

スペイン料理はそれぞれの料理、一品ごとの料理の基礎というか基本は大切にしていて、

こんな私でもその大切な瞬間は、非常に、集中しております。

緊張感と言いますか、集中するときは一気に集中する。そんな感じ、キチッとしている様でイ

イカゲンな、私の性分とが逢っているかも知れないのです。

料理というものは、手間かけると得てして美味しくならない事があります。

その辺の勘所が《 あばうと 》なところと言えるのかと思います。

キチッとしている様で、イイカゲンなというと、スペイン国に対して大変失礼な言い方と思いま

すし、スペインがそういう国というのでもありません。

新鮮な素材を、新鮮なうちに出来るだけ簡単に、単純に調理し、手間暇かけずに食べるこ

とを楽しむ。

時には、その食べることを楽しむためなら、そのために費やす時間は惜しまない。

長い時間をかけて造る Jamon serrano の伝統は、こう言った事からも生まれたものである

かの様にも思います。


※ 料理への考え方

ある時、 《 シェフのパエリア 》 と言う番組があり、何処のスペイン料理店の料理長さんが

でてくるのだろうと拝見致しました。 

興味津々で見ておりましたところ、なんと、フレンチのシェフさんのご登場となり、その材料

の豪華は素晴らしく、これぞまさしくマスコミを代表するテレビ局 だなあぁ。

伊勢エビを入れたり、蛤を入れたりするのはまだしもと思うのですが、鶏肉やその他の食材

をそれぞれ別の鍋やソテーパンなどで、別に炒めたり煮込んだりして、最後に( 下ごしらえ

をした ? )それらをパエリャパンに ( パエリャ鍋 ) 一つに入れ、米を入れて仕上げるという

素晴らしさ。

手間を掛かけたその調理も見事で、普段手抜き料理をしている私としては、大変驚いたも

のです。

料理の発祥とか起源と言うものは、時に色々と言われる事もあるのですが。確かにフランス

でも作られる事があるパエリアはその発祥の地であるスペインのバレンシア地方では、パ

エリャそのものが野外料理であり、それほど気取って高価な食材を使って作るものでもあり

ません。高価なサフランも時には入りません。

ただし、作る時は最初から最後までたった一枚のパエリャ鍋で作られる。

これが基本。

スペインバレンシアの米の生産地、ここで農家の小父さんたちが農作業の合間に納屋の片

隅のようなところで手軽く簡単に作ったのが始まりで、基本的に、バレンシア風というのは、

鶏肉、ウサギ肉、エスカルゴ、野菜が入るのが基本です。

何よりも、手軽く美味しく作るのが基本。

日本で言えば、春から夏にかけてよく行われるバーベキュー的感覚の料理と思って頂けれ

ばよいかとも思います。

基本的に野外で行うバーベキュー感覚の料理にそんなに多くの種類の鍋類をもって行けま

すか ?

確かに、家の中でパエリャを作る事もあり、こういった場合では鍋類はすぐ手近にある事で

しょうし、何枚もの鍋類を気軽に使かうことも出来るかもしれません。

ただ肝心なのは、パエリャは、始めから最後までを、たった一枚の鍋で作る事のできる、あ

る意味で画期的な料理であり、または、横着 ? な料理でもあり、最も合理的な料理であると

も思いす。

ここら辺の 画期的で横着で、最も合理的な所が、とても素晴らしく スペイン的 と言えると

ころではないでしょうか。

しかし、美味しく作ろうとすればするほど、最短でも、1時間30分 という貴重な 時間 がかか

るのです。

我が家も子供達の小さい頃は、ドライブがてら かなり凝り性的な野外バーべーキューをしま

したが、子供達が大きくなった今では、庭でのバーベキューに成ってしまいました。

その理由の一つに荷物を車に積んだり、帰ってきてからそれらを降ろしたりする、後かたづ

けが 大変 と言うことがあるようです。

そしてお店の前なら後かたづけも簡単で、使った食器類は業務用の洗浄機が洗ってくれる

から、と言う (かみさんの都合) こともあるようです。
                         (なんと、横着な家族でしょう。)

まっ・・・ねぇ。。最近は子供たちも大きくなり そういった行事はなくなりましたかね・・・・。?

フレンチを否定し、スペイン料理が最高というのではありません。そして又、《 各国の 宮廷

料理 としての料理との違いをお話しし、日本では一般的に 《 西洋料理 》 と言われている

料理のそれぞれ国名で示される中のそのものへの、根本が違うと言うことをお話ししたいの

です。

言い換えれば、それが在るからこそ 存在価値 があると言う事なのです。

西暦2,000年前後の現在では、料理の考え方の基本的部分が違うと思っておりますが、

フランス料理は、スペイン料理とイタリア料理を基礎とした料理の集大成であるともいわれて

おります。

とすると、基礎は同じと言うことになりますが、フランス料理はその発展の過程に、皇族や爵

位をもった人々のため、高貴な人々のために発展を見、完成されていったものであ.というこ

と、スペイン料理は家庭をその基調として、それぞれが独自に日本に伝わり現在に至ってい

ると言って良いでしょう。

何度申し上げております通り、パエリャは家庭料理ですからどの様な作り方をしても良いわ

けですが、基本はあくまで最初から最後まで、

     《 たった一枚の鍋で作る 》  なのです。

あとで鍋を洗うのも一枚で済み、余分な水は使わないし、洗剤にしても少なくすむこと等、と

色々な意味で良いことです。

仕事上、無駄を省くと言うことは非常に重要です。

仔羊肉を焼く場合、片面に塩するだけで充分なのです。手を抜くのではありません、無駄を

省くのです。無駄を省くのは、省エネとなり、スイッチを切る為に体を動かすのはエネルギー

を使う事で面倒な事でも、 お店や会社、社会 に対しても限りなく貢献する事ではないです

か?。

イタリアン18年選手のU君 今ナに遣ってる 頑張ってますか ?

日給いくらのアルバイト社員で、暇だからといって、日に何回も、店の裏口でタバコをすって

いるようでは、店に貢献するどころか、煙を吐き出し大気汚染をしてますよ。(大げさ)

掃除するとか、床磨くとか・やることイッパイあるのです。

そういう事はコックの仕事ではありませんか?????。

やる事やってから給料アップの要求をしましょうネ。スペイン料理は初めてなのだし。

社員を上手く機能させることを上手に出来ない私は何時までも、仕事する料理人で終わるよ

うです。≪ 生涯現役 ≫

無駄を省くという事は、時間と経費の節約となり、お客様へ少しでも早く料理を出せると言う

ことになり、お客様へもお店側にも貢献すると言うことになるのです。

それでなくても、混み合うときはお客様を待たせる事、しばし。

誠に申し訳ありません。


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