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=May.5の「コト」

folklore+vitalsign

今日 12:34


10月ですが ”台風”と、
”あと少しで” が 昨日今日あたりの気分、そっくりです。





すっかり空回って、遠回りしてやっと着地した。
つとめて話題にしなかった本当の事を、少し書きたいと思います。

身近で病人が出たことで生活が急変し
そのことに心身が参って、zozoを辞めていました。
うわごとで名前を呼ばれ続けるうち、自分の名前が心底嫌になって 正気を保てなくなりかけた。
やっとの思いで成り立たせていた生活の、ほぼすべてを奪ったその病人が
繰り返し呼ぶ憎らしい名前、それがどうしたって
自分の名前と生まれ持った輪郭なのだということを、再確認した日があって
もう病んだその人を憎むのをやめようと決めた。
22年生きてみて、やっとここまで来れた。長かった。そしてまだ続いて行く。

憎しみは、執着しても虚しい。
望まない出来事がどんなに多くあっても、それを背景にして「現在」に立っているのが自身で
何度絶望して立ち竦むのも、立ち直って先へ進むのも自分なんだと確信した。

必要最小限の何かをここに提示して、この場所にしかない距離や物事を見聞きすることを続け
あつかましくも、動力の糧にしたいと思っています。
また自分も誰かにとってのそんな要素に、一瞬でもなれればいいのにとも思います。
不快感に荷担するような態度を、ときに取ってしまうことは恐い。
けれども安全な出来事のため「だけ」にここで言葉をやり取りするつもりもない。

美しいことやきらびやかなことのみを切り取って、ここを楽しむ形もあるだろうし
ものすごい数の読者とコミュニケーションをとる喜びもあると思う。
私に関しては、 ここにいるからこそ知り合える
両手の指で数えられるくらいの縁深い誰かと話が出来れば、申し訳ないほど充分だ、と
今あらためて思っています。


連休のはじまりに、ぐだぐだと失礼しました。
私も所詮うわごとばかりです。


ではまた。


gothenburg

09 10/1 22:51


マヤ・ヒラサワ






ビデオも歌詞もいい。



...体が痛い。

sept →

09 9/29 14:13


今日は
16に生まれハコ直行だった私を母がtakeoutした、
ある意味ふたつめの誕生日なんだそうです。

それにあやかってか、私にも新たな事柄が訪れました。

9月の終わりに動き出した時間をそっと抱えて、
また一歩一歩進んで行こうと思います。




昨夜から一転。今日はいろんなものを取り戻す一日になった。

ある場所へ出向き 懐かしい部屋で呼吸をした。
帰り道、ずっと連絡をとらずにいた人にメールを送った。
すると ちょうど今日、kikiはどうしているだろうかと
みんなでお昼の時に話していたんだ、と言われた。

間に合うことも、まだ残ってるんだと思えた。
自分から沈黙を濃くしてしまったことを責めた。
離れてずいぶん経つのに
脳裏というか、記憶から消えてないことが、無性に嬉しかった。
自分一人動いたところで どうにもらならないことは多々あるけど
そうじゃないことも そこらじゅうにある。
必然に捕らわれすぎると遠回りが憎らしくなって
卑屈になって
あるべきものを余計にどんどん見失うのだと思った。
意思を持って見れば、途絶えて宙を舞っているようでも物事は繋がってる。
あるいは、繋げることが出来る。
そんな確信を取り戻す日でした。

即効に活かせるかどうかは別問題なのですが。
それでも取り戻せてよかったと思う。



photo:NOGUCHI Rika

my life is s**t!

09 9/27 03:41


今日、日付に関するすさまじい後悔に飲み込まれる出来事がありました。

自分何なの?と思いました。どこに目と耳つけてんだろう。
間に合わなかった。ほんの一度でも連絡を取れば良かったんだ。

悪循環って。恐ろしい。よくないものばかり呼び寄せる。

この喪失感は 処理方法をまだ知らないタイプのものです。とどめ。

最悪の先に、まだまだ最悪ってあるんですね。
時期も時期で、進路とか必死で考えてたけど それどころじゃない。課題も白紙。
でも今絶望にかまけて、すべてを放り出したら 本当に何も無くなってしまうに違いない。
それだけは、ダメだ。

ディック・ノースの死について後悔するユキを「僕」は叱る。
今私はユキと同じ愚かなことをしている。しそうになった。
ある種のことは簡単に後悔してはいけない。
その意味を痛感した。
書いてしまったけど。

絶望が何かの糧になることなど、結局はないんじゃないかと思うのですが
ここに来られている方はどう思われますか。
後悔や絶望について。間に合わなかったことと、どう向き合いますか?

仕方のないことだと受け入れる度量と
仕方のないことだと諦めない姿勢と
どちらも必要なのだろうと思います。そして、自分にはそれが欠けています。

私が今日それらと向き合ってみてひとつだけ再確認したのは
前を向こうが後ろを向こうが
どれだけかなしくても無意味になってはいけない、ということでした。
意味を持たないことに、加担しない。加速させない。

そう思うことさえ本当は無意味なのかも知れない、
それでもあらゆる意味を見失わずにいたいと思いました。


平凡。日常。健常。異常。病。紙一重の絶望。


眠っているあいだに、また同じようにいろんな物事が終わり、消えて行くのかと思ったら
焦りのような怯えのようなものにとらわれて、眠れません。

食事や眠りを疎かにして 疲れて、必要な時に動けなかったら
それこそ生きてる意味もないのに

排泄物。