30年前の記憶が鮮明に甦る
今日は福島の実家に戻って、もう20年以上も開けていない木の机の引き出しを開けて見ました。この木の机は私が30年以上前に利用していたもので、埃を被って暗い石蔵の二階に今でも置かれています。
さて、この机の引き出しを開けて探し出したのは、下記の記事に関する資料です。30年以上も前のことですが、この机の中にしまい込んでいた記憶は忘れてはいませんでした。
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こちらでもご覧になれます。
http://izukohe.jugem.jp/?eid=35
今から30年以上も前に、私が初めて書店で売られていた雑誌に書いた在日朝鮮人の冤罪事件をレポートしたものです。短期集中連載として3回に別けて掲載されました。
ところで、この私のノンフィクション記事を、匿名ブロガーが「架空の人物らいし」などと決め付け、私と同じ名字の当時の元県会議員の選挙違反事件と関連付けて妄想記事を書いています。
その元県会議員なども私とは何の関係もない人であり、この記事は私の名誉を著しく貶すものであり、とても許せるものではありません。相手に対しても失礼でしょう。
引き出しを開けると、無造作に仕舞われた生原稿が先ず目に入りました。当時はまだパソコンやワープロもない時代なので、400字詰めの原稿用紙に、万年筆で書かれた原稿の束が現れました。
冤罪・徐才喜事件の真実
このような題名がつけられ、「昭和51年3月2日・福島地方裁判所において、徐才喜の詐欺事件の第一回公判が開かれた。・・・・」との書き出しで始まっていました。
勿論原稿だけではありません。たくさんの裁判関係の資料もありました。
昭和52年6月7日宣告 裁判所書記官 國分正明
昭和52年(わ)第32号
判決文 被告人を懲役8月に処する
裁判官 小林隆夫
昭和52年(う)第163号 控訴趣意書
昭和52年第228号 起訴状 移監通知書、公判期日通知書など3枚 残りは保釈却下決定書を始め裁判記録は多数にのぼる。
さて、全ての文書に徐才喜氏の生年月日・国籍、韓国の本籍、当時の住所なども書いてあります。○○こと徐才喜とありました。当時の私は余り通名などというものには関心がなかったのかも知れません。
本文ではこの通名を書いていないようです。当時本人からの申し入れなのか、私が配慮して書かなかったのか、この点は記憶にありません。
彼には奥さんも子供もいました。今もこの通名を使用している可能性もあるので、この通名部分は今回も伏せておくことにします。
懐かしさの余り原稿を手に取って見ていると、一枚の写真が床に落ちました。徐才喜氏の上半身の写真でした。冒頭で紹介した第一回の連載のときに掲載した写真です。
ご本人から頂いたものでした。原稿の中に仕舞いこんでいたのまでは忘れていました。今日は本当に30年前にタイムスリップしたようでした。
今回の件に関して、如何に創価系のブロガーは非常識な人間であるかが、良く分かりました。自分で探せなかっただけなのに、私の記事の登場人物を架空の人物で、私がでっち上げて記事にしたなどと書きました。
常識を兼ね備えた人物ならば、書店で売られている雑誌に、デッチ上げの記事を掲載するなど、あるはずがないと考えます。しかし、彼らはそのようには考えない。
デッチ上げた本人だけでなく、彼の仲間と見られるブロガーは、私が「架空の人物」でないという証拠を出せと皆書いていました。「架空の人物」であると言うなら、その証明は相手方がもっと詳細な事実を基に挙げるべきでしょう。
匿名ブログでどうせ正体がばれないのだから、何を書いても良いんだ。誹謗中傷はやり放題とでも思っているのでしょう。本当にとんでもない輩です。
もう、デタラメな記事は撤回してください。裁判所の事件番号まで教えた訳ですから、もう一度福島においでになって、裁判所で確認されたら如何でしょう。
裁判所は「架空の人物」に対して有罪とか無罪とかの判決を下さないことは、あなたもご存知でしょう。
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