I Won't Last a Day Without You
10月・・・・・・・・・・・・・ぼくがあの女の子に遇ったのは今日と同じような肌寒い日の夕暮れ時だった。
東京から箱根を超えてドライブをしていたぼくは、青木が原樹海付近に差し掛かった時、うっかり脇見運転をしていたため目の前に女の子がいるのに気が付かず、
急ブレーキを踏みハンドルを切ったので車は道路を大きく逸れて林の中に突っ込んでしまった。
突然の出来事に驚いて暫くの間放心状態だったぼくは、すぐに気を取り直し車を飛び出して女の子のいた場所まで急いで駆けて行った。
女の子はその場所に座り込んだまま、びっくりしたような顔でぼくの方を見つめている。
ぼくは女の子の腕を抱え道路の真ん中から脇の道に出して、怪我はなかったかと聞くと目を瞬きさせながら何度も頷いた。
それまで無事故だったぼくは多少興奮しておしゃべりになっていたようで、聞かなくても良い事まで色々と尋ねていたみたいだ。
何分か経った後やっと口を開いてくれたその女の子は、東京から富士山周辺にハイキングをするため来たのだという。
車が無事かどうかも心配だったので、女の子を連れて車のある方へと急いで向かい、
エンジンを掛けて少し動かしてみると大丈夫らしいので、取り敢えず女の子を乗せてドライブを続ける事にした。
近くにレストランでもあればと探すつもりだったのだが、女の子は突然お家に帰りたいと言い出したので今日のドライブはお仕舞にし、
スピードを出し過ぎないよう気を付けながら東京方面に車を走らせた。
帰る途中、それまでずっと黙り込んでいた女の子はカーオーディオで鳴らしていたCDが気になったらしく、始めて彼女からぼくに話し掛けてきてくれた。
どこかで聴いた事のあるこの素敵な歌の曲名が知りたいと言うので、これは『Carpenters』の『For All We Know』だと教えてあげるとこの曲がきっかけになり、
ぼくが聞きたくても口に出せなかった事を彼女の方から話し始めた。
彼女は今月16歳の誕生日を迎えたばかりで、都内の女子高に通っているのだという。
そして、部活でソフトボールをやっているとか、勉強は余り好きではないとか、音楽は殆ど知らないけど映画を見るのが好きだとか楽しそうに話してくれるのだった。
彼女との波長がぴったり合ったからだろうか、食べ物の好みと占いや血液型の話などがとても弾んで、ぼくにとっては久し振りの充実した楽しい時を過ごす事ができた。
彼女の家の近くまで送りお別れを言ったところ、意外な事に彼女の方からまたドライブに連れて行って欲しいと言うのだった。
年齢がふた回り以上離れているので少々戸惑ったが、ぼくには家族がある訳ではないから断る理由も見当たらない。
何よりも彼女の清楚な美しさと、幼女のようなあどけなさでぼくの心を虜にしてしまった事が、再び逢う約束をする大きな拠り所になった。
そして今日、約束通り午前10時に彼女の住む街にある駅まで迎えに行き、彼女を乗せて2度目のドライブにいざ出発だ。
ぼくは何となく気恥ずかしい思いがあったので黙ったまま運転していると、彼女の方からちょっと上擦った可愛いらしい声でおしゃべりを始めてくれた。
「あのね、この間ちょっと焦ってたから、おじさまのお名前聞くの忘れちゃったの。私は奈々子です、お友達は奈々って呼ぶの。」
「ああそうだったね、ぼくは神前っていうんだ。よろしくね。」
おじさまか・・・・・・・そう言われてみれば何時の間にかおじさんと呼ばれる年齢になっていたのか。
「神前さんって、奈々子はなんか舌噛みそうだから、おじさまでいいよね。」
「何でもいいよ。おっさんでもとっつぁんで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ねえねえ、おじさま。この車ってポルシェでしょ。」
「え〜、こんな古い車よく知ってるね。奈々ちゃんが生まれるずっと前からあったんだけど。」
「何年か前に映画で見たの。頭の上が外れるんだよね。」
「うん、タルガトップだからね。これさ、ポルシェ916って40年も前の車なんだけど、エンジンが空冷のミッドシップでやかましいから話するのも大変でしょ。」
「大丈夫なの、奈々子は体育会系だから声が大きいの、ウフッ。でもこの車ってとってもカワイイよね。」
「車は誉めてやると長持ちするらしいからもっと誉めてやってね。」
とは言ったものの、ぼくはこの車を常日頃から悪し様にけなしていた為か、故障が頻発して維持費も大変なので頭痛の種でしかなかった。
ポルシェの新車を買える身分ではないから我慢しているだけで、誉められて嬉しいのはやはり車の方かも知れない。
「あっ、そうだ。この間聴いたあの曲、また聴きたいな〜。」
「あ〜、ごめんな、今日はそのCD持って来てないんだ。今度は必ず用意しとくからさ。」
そうだった。あの曲がこの娘とお話を始めるきっかけを作ってくれたのに何て間抜けなのだろうか。
「他のCDも持って来てないんだ、ラジオは壊れてるし・・・・・・・・ごめんな。」
「ううん、いいの。奈々子はあんまり音楽って聴かないから。」
「そうかあ〜、でも音楽がないと何となく寂しいよね。」
「♪赤い花〜摘んで〜あの人にあげよ〜♪♪あの人の髪に〜この花さしてあげよ〜♪♪♪・・・・・・・」
「それなんて曲?」
「奈々子が小さい時にお母さんがよく歌ってくれたの。でも何だか分からないの。」
「ふ〜ん、かわいい歌だね〜。」
「♪わたしは〜誰のために〜生まれてきたのか〜♪♪あなたに〜巡り会って〜答えを知ったわ〜♪♪♪・・・・・・・」
「それもお母さんの好きな歌なんだ。」
「そうだよ。でも何だか分からないの。」
「歌詞書いてくれれば調べとくよ。」
「♪守りもいやがる〜盆から先にゃ〜♪♪雪もちらつくし〜子も泣くし〜♪♪♪・・・・・・・」
「子守唄みたいだね。」
「おじさま、寝ちゃったら駄目よ。ウフッ。」
「ボーカリストの奈々ちゃん、次の曲どうぞ〜。」
「これしか知らないの。奈々子のベストヒットスリーでした〜。」
「それ気に入ったからまた歌ってね。」
「うん。」
奈々子が早起きしてお弁当を作ってきたと言うので、公園を探して二人で芝生の上に腰掛けお弁当箱を広げた。
自分で料理を作ったのは今日が初めてらしい。
ぼくも女の子の手作り料理を食べるのは何年振りになるのだろうか。
「美味しくなかったらゴメン。鳩にあげちゃうから、ウフッ。」
「あ〜、サンドイッチとフライドチキンだ〜。ぼくの大好物なんだよね。」
「え〜、よかった〜。でも不味かったら・・・・・・・鳩はチキン食べないかな、ウフッ。」
「じゃあ、フライドチキンからね。」
「たっくさん召し上がれ〜。」
「あっ、すっごい美味しいじゃん。」
「よかった〜、セーフ、セーフ。」
「カラッと揚がってて、塩加減が丁度いいね。」
「お客様ありがとうございます、ウフッ。」
「じゃ、ミックスサンドいっただき〜。」
「いかがですか、お客様。」
「うん、抜群に美味いよ、料理長殿。」
「はい、以上お母さん直伝のお弁当でした〜。でも全部奈々子が作ったんだから、嘘じゃないよ。」
「奈々ちゃんもお母さんに似てセンスがあるんじゃない。」
「まあね〜、とか言っちゃって。」
「これなら次も期待できそうだな。」
「う〜ん、次は何にしようかな〜。おじさまは嫌いなものとかあるの。」
「ヒカリモノくらいかな。あと小魚とか。」
「ヒカリモノってなあに。」
「鯖とか鰺の刺身とか寿司とか、皮の付いたやつってあるじゃん。」
「ふ〜ん、そうなんだ〜。奈々子は何でも食べちゃうから・・・・・・・そうなんだ〜。」
「好き嫌いが激しいと嫌われちゃうよね。」
「あっ、思い出した、シャコって虫みたいで気持ち悪い。あとイカの塩辛がクニャッとしてて気持ち悪い。」
「あれは海に棲んでる虫なんでしょ。足がいっぱい生えてるしさ。」
「やっぱ虫だったんだ。」
「いや、ん〜、多分そう、虫じゃないの。ゲテモノに近いよね。」
「なにそれ。」
「ヘビとか害虫の料理出してる店がゲテモノ屋っていうんだけど。」
「うわ〜、そんなの食べる人って人間じゃないよ〜。」
「ヘビは美味しいんだってさ。」
「うわ〜〜〜。」
「戦争中にネズミ食べたっていう人から聞いたんだけど、すごい美味しかったんだって。」
「うえ〜〜〜。」
「犬や猫を食べる国もあるしね。」
「え〜〜〜、信じらんない。野蛮だ〜。」
「奈々ちゃんはドジョウ鍋食べた事ある。」
「あっ、一回だけあるけどすごい美味しかったよ。」
「ぼくはああゆうのダメだなあ〜、ウナギも好きじゃないし。」
「うな重美味しいよ。」
「ウナギってヘビに似てない。」
「そう言われてみればそうかも。」
「鳥って爬虫類が進化したんだよね。もしかするとウナギもヘビの仲間だったかも知れないし。」
「じゃあフライドチキンはゲテモノだったんだ。」
「フライドチキンはいいんだけどスズメの焼き鳥とかさ。」
「え〜、スズメ可愛いのに〜でも美味しいの。」
「フランス料理のエスカルゴってデンデン虫だしね。」
「い〜〜〜。」
「あと、カエルの唐揚げとかハチの佃煮とかザリガニのピラフとか。」
「ひえ〜〜〜。」
こうしてグルメ論争は延々と続き、薄暗くなって来たので今日の楽しいひと時を終える事にした。
帰りのドライブは別のルートを通って行ったのだが、比較的交通量の少ない場所で検問をやっていた。
「はい、免許証出して〜。」
「ぼく、お酒は飲めませんから。」
「トランク開けてくれるかな〜。」
「トランクは前ですけど、殆どスペースはないですよ。」
「後ろも開けてね〜。」
「後ろにも少し荷物は入りますけどね。蒸し風呂になってると思うけど。」
警察官は懐中電灯を照らして入念にトランクを調べているらしい。
「何かあったんですか。」
「隣の女性は・・・・・・。」
「友達ですけど。」
「まだ若そうだね。」
「未成年者じゃありませんので・・・・・・・・。」
「はい〜、じゃ通ってね〜。」
「だから、何があったんですか。」
「近くで要人テロ事件が起こったんだよ。」
「え〜、要人て誰が。」
「後ろが詰まってるから早く出してよ〜、早く帰んなよ〜。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
楽しい一日の終りに何となく不愉快な気分にさせられた思いがある。
奈々子が18歳に満たない高校生なので余計な事を考えた為なのだろうか。
6時半頃、次のデートの約束をして奈々子と駅前で別れたが、今度はあのCDを絶対忘れずに持って来るのが二人の誓いだった。
11月・・・・・・・・・・・・・奈々子と3回目のドライブに出掛ける日曜日の朝、今日は爽やかな小春日和のとても気持ち良い天気になった。
あのCDは何日も前から車の中に用意して置き、さらに万が一の事も考え同じ物を買ってバッグの中に入れ奈々子の住む街に向かった。
日差しが強くなった午前10時頃、約束した駅前にブルー系の短いスカートと半袖のTシャツという軽装で、セーターと赤いポーチを手にした奈々子があくびをしながら待っている。
「元気〜〜奈々ちゃん、なんか眠たそうだね。」
「うん、昨日の試合がすごい延長戦になっちゃって、奈々子は先発ピッチャーだったからもうクタクタなの。」
「車の中で寝てればいいよ。」
「あっ、そうだ。今日、朝寝坊してお弁当が作れなかったの。」
「そんな、いつも作って来なくていいからさ。」
「お料理研究して腕を磨いてたのに〜、残念なのだ〜。」
「今日はレストランに行こうよ。奈々ちゃんは何が食べたい。」
「ラーメンか〜、カレーか〜、ハンバーグ。」
「すごい質素なんだね。」
「うん、奈々子はエコな子なんだよ。てか全部食べたいの、ウフッ。」
「デパートでそんな感じのお子様ランチ見たよ。エビフライとナポリタンも付いてるやつ。」
「お子様ランチ大好き〜〜〜。」
「じゃあ、今日はそれでいこうか。」
「あっ、でも注文するの無理っぽいかも。」
「別にいいじゃん。」
「奈々子はレディーですから、ウフッ。」
「じゃ、ドライブしながら美味しそうな店を探そうよ。」
「うん、カレーと〜、ナポリタンと〜、ハンバーグ。」
あれやこれやお喋りをしながらドライブを続けていると、正午を回る少し前、右手にカレー専門店を発見したので車を停めてメニューを見ると、
ぼくと奈々子の大好物が沢山揃っていそうなので今日はここをランチタイムの場所に決めた。
ぼくはチキンカレー辛口を、ハンバーグ・チキンカツカレー盛り合わせ・ミニナポリタン付きを注文した奈々子は、子供みたいにはしゃぎながら嬉しそうに食べていた。
食事を終えてお腹一杯になったぼくと奈々子は、近くにある大きな公園の芝生の上に寝そべり、暖かい秋の日差しを浴びながらウトウトしていた。
ぼくも奈々子もお腹が一杯になると無口になるらしい。
手を伸ばせば届く、ぼくのすぐ隣には奈々子が瞳を閉じて気持ち良さそうに寝ている。
奈々子は今どんな夢を見ているのだろうか。
揺りかごの中で安らいでいるのか、それともぼくの腕の中で眠っているのか、きっとそうだと思う、そうであって欲しい。
ずっとこのままでいい、このまま世界が終わってしまっても構わない、奈々子と二人きり夢の中で永遠に過ごしていたい。
この世界にはぼくと奈々子だけが生きていれば良い。奈々子の他は何も要らない。
1時間くらい眠っていたのだろうか。
ぼくの隣には奈々子がまだ幸せそうな顔でぐっすりと寝ている。
この大きな公園には犬を連れた沢山の人が来ていて、犬を走らせたり一緒に戯れたりしている。
ふと気がつくと、斜め後ろに子犬を連れたおじいさんが腰掛けていた。
可愛くて毛並みの良い豆柴のようだった。
ぼくが子犬を珍しそうに眺めていると、そのおじいさんがニコニコしながら話し掛けてきた。
「うちの孫娘なんだよ、可愛いでしょ。」
「はい、とても毛並みが良くって・・・・・豆柴ですか。」
「うん、孫娘のナナ子。」
「あはっ、この子と同じ名前だ。」
「娘さんかね。」
「いえ、そうじゃないんですけど。豆柴みたいに可愛いですよ。」
「そうかね、娘さんを大切にしてやりなさいよ。」
「はあ・・・・・・・」
「あなたたちは近くに住んでるの。」
「いえ、都内なんですけど。」
「ほ〜、都内は空気が汚れてて大変でしょ。」
「そうですよね、まだスモッグの雲が出る所もあるし。」
「この辺りは空気は美味しいし、水は美味しいし、ナナ子も良い土地だって満足してるんだよ。」
「はあ。」
「私はね、この可愛いナナ子さえいれば幸せなんだよ。後は何にも必要ないんだ。」
「うん、よく分かりますよ。」
「私とナナ子はね、夢の中で一緒に生きているんだ。」
「まあ、こうして公園にいますけど・・・・・・・まあ、そうですよね。」
「ナナ子さえ生きていれば、この世界はなくても良いと思ってる。」
「ほんと、その通りだと思いますよ。」
「あなたも娘さんを幸せにしてあげなさいよ。それからね暗くならない内に帰るんだよ。」
「はい・・・・・・・」
ぼくの背中に何かが触れた。隣を見ると奈々子が目を覚まして背伸びをしている。
「こんにちは、奈々ちゃん。」
「また寝過ぎちゃった〜、今何時〜。」
「3時くらい。」
「夢の中でおじさまと誰かがお話ししてた。」
「ああ、それは多分この・・・・・・・・・・・・」
後ろを振り向くと、おじいさんと子犬の姿はもう見当たらなかった。
「ついさっきまで子犬とおじいさんがいて話をしてたんだ。」
「ふ〜ん。」
「可愛い豆柴なんだけど、名前がナナ子なんだって。」
「その子犬は、実を言うと奈々子だったの。」
「まだ寝惚けてるんじゃない。」
「うん、眠い。」
「もう直に寒くなって来るからセーター着た方が良いよ。」
「うん。」
ぼくの言う通りにセーターを着た奈々子はまた横になってしまった。
今度はぼくの方に顔を向けて少し口を開いたままぐっすりと眠っている。
まるで無邪気な子犬の赤ちゃんみたいな格好をして。
どこから見ても可愛い妖精みたいだ。
でもあのおじいさんの言っていた事は、人間と子犬の違いはあっても気持ちは同じだ。
もう何も要らない、こうして奈々子と一緒にいられるのが至上の幸福なのだ。
奈々子が寝返りを打った。
少しスカートがめくれてしまったので直してあげた。しかしどこにも触れてはならない。
大きく括れた腰から真直ぐに伸びた背中まで総てが、手を触れる事の許されない妖精なのだから。
風が冷たくなって来たので奈々子を起こし、帰りのドライブに出るためエンジンをスタートさせた。
午前中のドライブはお喋りに夢中になっていて、あのCDを掛けるのをすっかり忘れていたのに気が付いた。
このCDを掛けなければ、二度と再び奈々子に逢えなくなるような気がする。
「ほら奈々ちゃん、お約束の曲これから聴けるよ。」
「あっ、持って来てくれたんだ〜。」
「今日はちょっと違うCDね、曲順が違うだけで中身は余り変わらないけど。」
「あ〜〜、この曲は〜〜〜。」
「ああ、これは、『We've Only Just Begun』。」
「素敵〜〜〜。」
「だよね。」
「また眠くなってきちゃった。」
「うん、寝ちゃいなよ。」
「じゃ、この曲が終わってから。」
「はあ・・・・・・・」
妖精を乗せていつもの駅前まで到着し、次の約束をしてから別れた。
ぼくは今、奈々子と共に夢の中にいる。
12月・・・・・・・・・・・・・今日はクリスマスイブ・・・・・・・奈々子と4回目のドライブの日。
奈々子の通う学校は午前中で終わるそうなので、午後1時前にいつもの駅前で待っていると20分ほど経ってから、
紺色のブレザーにタータンチェックのミニスカート、白いブラウスに赤い棒タイの制服が良く似合う女子高生奈々子が、ぼくが乗った車の方に白い息を吐きながら駆け足でやってきた。
「ごめんなさ〜い、前の電車滑り込みでアウトになっちゃった〜〜。」
「そんなに急がないで良いんだからさ、今度からは遅れても構わないからゆっくり来なよ。」
「でも奈々子は足の速いランナーだから盗塁しちゃうの、ウフッ。」
「急がば回れ、だよ。」
「えっ、ワンコが?」
「慌てる蟹は穴へ入れぬ、ってこと。」
「わかった〜、ランナーに出ると蟹みたいにして動くからだよね。」
「蟹の奈々ちゃんが慌てるから牽制球でタッチアウトになっちゃうんだよ。」
「やっぱ奈々子の祖先は足の遅い蟹さんだったんですね〜。」
「うん、蟹さんは栗と蜂と臼に助太刀を頼んで悪いお猿さんをやっつけないとね。」
「エ゛ッ?・・・・・・・」
今日はクリスマスなので、帰りが夜遅くになっても構わないと奈々子は言うので、予めお洒落なレストランを下調べしておいた。
でも予約は取っていないので、入れないレストランが多いかもしれない。
そこで、夕方の早い時間に滑り込みで入店してしまおうという作戦を立てた。
それまでは都内をのろのろとドライブしていれば良い。
「あのさ、明るい内は都内をグルグル回って時間潰しするんだけど、運が悪いとお洒落なレストランには入れなくなるかも知れないよ。」
「慌てる蟹は・・・・・・・・・・なんだっけ。」
「その通りです、蟹さん。」
「蟹の茹でたのって美味しいよね。」
「あ〜、その手もありだな。まず先に、お昼ご飯はハンバーガーにしようか。」
「大賛成〜〜〜。あっ・・・・・・・この曲なに。」
「『Christmas Portrait』に入ってる『Have Yourself a Merry Little Christmas』だよ。古〜い映画のクリスマスソングらしいよ。」
「ふ〜ん、すごい素敵な曲〜、英語解らないけど、ウフッ。」
ハンバーガーを食べながら渋滞した道をのろのろ運転していると、奈々子が何かを見つけたらしく車を止めるように言った。
他の車も違法駐車しているので空いている場所に車を停めると、奈々子の指差す先には占いの館と看板に書いてあった。
奈々子に手を引っ張られて早足でその建物に向かい、狭いエレベーターに乗って5階で降りると、その階全体が占い専門の店舗になっているようだった。
ナントカ占いと書いてある部屋が多数あるのだが、奈々子はその中に3つほどある西洋占星術の部屋へ入りたかったらしい。
奈々子はどの部屋にするか迷っているみたいなので、ぼくはカバラ占星術を奨めてみた。
ドアを開くと照明を落とした薄暗い部屋の中に太い蝋燭が何十本も立てられ、左側には尖がり帽子に黒いマント姿の、
如何にもという出で立ちのおばあさんが、小さいテーブルを前にして厳かな雰囲気の中に一人座っていた。
その占い師はぼく達には一瞥もくれないので、テーブルの前に二つある椅子に構わず腰掛ける事にした。
それでもその占い師はタロットカードの様なものを並べながら、こちらには無関心を装っているみたいだったので、ぼくが少し苛立っていたら奈々子の方から先に声をかけてくれた。
「あのう、すみません、占って欲しいんですけど。」
しかし占い師のおばあさんは耳が遠いのかと疑いたくなるほど、冷ややかな目でカードを見つめながらぼく達には無視を極め込んでいた。
再び奈々子が話し掛けると・・・・・・・。
「あの、二人の事を占って貰いたいんですけど。」
少し間を置いて占い師のおばあさんはやっと重い口を開いた。
「私は真実しか言わないよ。それでもいいのかい。」
「はい、お願いします。」
「何が知りたい。」
「え〜と、二人の相性とか未来とか・・・・・・・」
「うん・・・・・・・・・・・・・」
占い師はカードを切り何枚かテーブルに並べ始めた。そして・・・・・・・・・・・・・
「貴方たちは星の動きに導かれている。貴方たち二人は生まれた時から運命によって出会う事が決められていた。生涯の伴侶となるのは貴方たち自身以外には存在しない。」
「えっ、つまり・・・・・・・相性抜群て意味なんですか。」
「そうだ。その他には如何なる者も存在し得ない。」
「え〜、善かった〜。あと未来とかは・・・・・・・。」
「他に聞きたい事はないか。」
「え〜と、別に〜、やっぱ二人の未来。」
「聞きたい事がなければ帰りなさい。」
「えっ、二人の未来は・・・・・・・・・・・・・」
「今日はお帰りなさい。」
「はあ・・・・・・・・・・」
仕方なく、ぼくと奈々子は重苦しい気分のままビルの外に出た。
そして車に乗り込んだあと、ぼくは待ち構えていた様に文句を言い始めた。
「あんなの、インチキ、インチキ。ほんと不愉快だよ。」
「ん〜、でも相性は抜群なんだって言ってたから。」
「あっちも商売だから良い事しか言わないのは当たり前だけどね。」
「え〜、じゃあ相性良くないの。」
「そんなの占い師が決めるんじゃなくて、ぼく達が決める事だと思うよ。」
「そっかあ〜。」
しかし一つだけ気懸りだったのは、あの占い師のおばあさんは何故、見料を払おうとしたのに全く受け取る素振りもみせなかったのか。
ただひたすら帰れ帰れの一点張りで・・・・・・・・・・・・・。
5時頃、前々から狙いを付けていた高層ビル25階にある展望レストランに電話を掛けた所、運良く窓際の席が空いていると聞いたので早速予約を入れて席を確保した。
ぼくと奈々子は外の景色の見える高速エレベーターに乗って25階のレストランに入り、予約済みの窓際の席へ案内された。
そして二人とも同じ特上のクリスマス限定フレンチフルコースを注文した。
奈々子はこの様な高級レストランは初めてらしく、不安そうな顔付きをして押黙ったままだった。
フレンチのフルコースも初めての経験だと言うので、簡単なテーブルマナーを教えてあげた。
でも奈々子はさっきからずっと外を見ながらだんまりを続けている。
「奈々ちゃん、元気かな〜、大丈夫かな〜。」
「うん・・・・・・・」
「どこか具合でも悪いんだったら言ってね。」
「うん、別に・・・・・・・」
「ナイフとフォーク使うのって面倒だよね、やっぱお箸の方が食べ易いし。」
「うん・・・・・・・」
暫くするとフルコース料理が次々と運ばれて来た。
しかし奈々子は依然として無口のまま、余り美味しそうな表情も見せずに黙々と料理を食べているだけだった。
ちょっと心配になったぼくは何か落ち着かず、本当は飲めないグラスワインを注文すると、奈々子もワインを飲んでみたいと言うのだった。
未成年者なので余計に心配の種が増えてしまったが、断る訳にもいかず作り笑顔で乾杯する事にした。
コース料理が全て終わり、デザートのケーキとコーヒーが出てくる頃には、二人とも既にグラスワインを2杯ずつ飲み干していた。
お腹もいっぱいになりアルコールで少し頬を赤らめた奈々子は、目の前には大好きな特大ケーキもあり、やっと緊張の解けた何時もの明るい表情を取り戻したようだ。
そしてケーキを頬張りながら、普段通りのお喋りな奈々子になってぼくに話し掛けてきた。
「あのね、占い師のおばあさんの言ってたことがすごい気になってたの。」
「何だよ、そんなんで憂鬱そうな顔してたんだ。あんなのいい加減なんだから関係ないって。」
「うん、でもまだ気になってる。」
「奈々ちゃんらしくないなあ〜、もう忘れて元気出しなよ。」
「うん、大丈夫だよ。」
「元気があれば何でも出来る、って言ってた人みたいにさ。」
「うん、元気出す。」
「奈々ちゃんはエースなんだからさ。」
「うん、そうだよ。」
余り会話が弾まないまま8時前にレストランを出て、30分ほどで奈々子を駅前まで送り届けてあげた。
でも一番気にしていたのはぼくの方だったのかも知れない。
1月・・・・・・・・・・・・・元旦・・・・・・・今日は朝早くから奈々子と明治神宮へ初詣に行く約束をしている。
8時、5回目のドライブをするために、いつもの駅まで奈々子を迎えに行った。
「おじさま〜、明けましておめでとうございま〜〜す。晴れ着持ってないからお洋服で来ちゃった。」
「奈々ちゃんはスカートの方が可愛いんだから、着物は要らないよ。」
「そっかな〜。」
「正月は車には余り乗らないから、空いてればいいけどなあ。」
「のんびり行こうぜ〜〜。」
「奈々ちゃん今日は元気そうだから安心したよ。」
「奈々子は毎日元気だよ。」
「そうだよね。」
「あっ、この曲何ていうの。」
「『Close To You』だよん。」
予想通り渋滞が激しい様なので、駐車できそうな場所に車を停め、後はブラブラと歩いて行く事にした。
奈々子は晴れ着を着た女性を見る度に振り返ってみたり頻りに辺りをキョロキョロとしている。
30分以上掛かってやっと明治神宮の入り口まで辿り着いた。
中は相当な混雑振りだったので、訳も分からずお賽銭だけ投げ入れて、早々に退散する事とした。
明治神宮の怒涛の如き人波から押し出される様に外へと出て来た時には、既に11時を回っていた。
「凄かったね。」
「あぜ〜ん、ぼ〜ぜ〜ん。」
「何かお願い事したの。」
「ヒ・ミ・ツ〜〜〜。」
「八百万の神々は奈々ちゃんを何時も護ってくれてるんだよ。」
「ふ〜ん、やっぱ白馬に乗った王子様はいるんだ〜。」
「ぼくが白い跳ね馬に乗ればそうなるんだけど。」
「おじさまが護ってくれるんだ〜。」
「あのポンコツ捨てて白い跳ね馬に乗ったら、白馬に乗ったおじさんに変身出来るんじゃない。」
「いっ・・・・・・・」
都内は何処も彼処もギューギューの鮨詰め状態みたいなので、今日は郊外のドライブに切り替える事にした。
九十九里海岸の近くへ行けば多分この辺よりも暖かいかもしれない。
アクアラインは相変わらずガラガラだった。
徹夜でおせち料理を作っていたという奈々子はもちろん寝てしまっている。
あっという間に千葉に入ったので、海岸を目指してヨタヨタの駄馬に鞭打って走り続けた。
間もなく広大に拡がる海岸と水平線が見えてきた。
誰もいない砂浜を探して更に車を走らせると、海岸沿い一面に畑が続く場所があったのでその近くで一服することにした。
砂浜から少し離れた所に腰を下ろして、奈々子特製お節弁当を広げた。
太陽が眩しいポカポカとした天気で、暖かな潮風も吹いている気持ちのいい午後の海岸だ。
「おっ、すごい豪華なお節だなあ。食べきれるかな。」
「もうお腹ペコペコだ〜〜。」
「ウインナーの蛸がいっぱいいるね〜。」
「酢蛸とかクニャクニャしてて嫌いだからタコさんウインナーにしたの。」
「後ろの方に畑があるでしょ。」
「うん。」
「夜中になると蛸が上陸して来て、大根とかの野菜を盗んで行くんだってさ。」
「タコさんウインナーは悪い奴なんだ〜。」
「最近ね蛸の乱獲で世界中が不漁らしいよね。」
「じゃあ、やっぱ酢蛸はやめてタコさんウインナーにしないといけないよね。」
「ロブスターは鋏だけ取って放せばまた生えてくるらしいよ。」
「へ〜、トカゲの尻尾みたい。」
「蛸も足だけ切って放してやれば生えてくると思うんだけど。」
「でも8本足全部取っちゃったら生きて行けないと思うよ。」
「どして。」
「正解はお野菜を盗めなくなるからでした〜。」
「なるほどね〜。それ当たってるわ。」
ぼんやりと海を見ながらずっとここにいたかったけど、今日は初詣に時間を食い過ぎてしまったので、もうそろそろ東京に帰らなければならない。
奈々子はまた幸せそうな顔をして寝てしまっている。
蛸の夢でも見ているのだろうか。
だんだん日が翳って来たので奈々子を起こして東京方面に戻ることにした。
車を出すとまた直ぐに寝てしまった奈々子は今日、一体何をお願いしたのだろうか。
でも奈々子はいつ見ても幸せそうな顔をしている。
それはきっと神々がこの子を唯一無二の存在として認め、この愛くるしいお友達を蔭ながら見守っているからに違いない。
わざわざ願い事などするまでもなく、奈々子の言霊は天を超え宇宙の遥か彼方まで届けられている。
そしてこのぼくは神々の意思によって律せられている。
もしそうでなければ、神々の善き友人である奈々子の傍にいられる筈がない。
奈々子の意思とは即ち神々の意思でもあるのだ。
ぼくはその意思に対して従順且つ盲目的に従わなければならない。
都内に入ったところで、眠れる森の美女奈々子が背伸びしながら欠伸をしている。
「お目覚めですか、オーロラ姫。」
「うん、眠たい。」
「また寝惚け眼だねえ。」
「うん・・・・・・・」
「忘れてた事があるんだ。」
「なあに。」
「どーでもいいんだけど、ぼくの下の名前、言い忘れてたんだ。」
「あっ、そうだった。もしかしてタコウインナーさんとか、ウフッ。」
「あ〜、惜しいな。ぼくの名前は尊、日本武尊の尊と書いてタケルって読むんだ。」
「え〜、すごい〜、漫画みたい〜。」
「奈々ちゃんの苗字もまだ訊いてなかったよね。」
「奈々子の苗字はね〜〜〜・・・・・・・神前なの、神前奈々子です。素敵な名前でしょ、ウフッ。」
「はあ・・・・・・・」
奈々子の投じた魔球に空振りを喫してしまったが、なんとなく嬉しい様な気持ちになった。
2月・・・・・・・・・・・・・昨晩から降り始めた粉雪が積もり、朝方には30cm以上になっていた。
ここ何年か東京には殆ど雪が降らなかったのでまさかこんなに積もるとは考えもせず、朝慌ててチェーンを巻く作業を始めたのだが、
最近全然やってなくて何度も失敗したため時間を無駄にし、6回目のドライブは約束の時間より30分以上も遅れてしまった。
奈々子は駅前でひとりポツンと寒そうにして待っていた。
「奈々ちゃん、ごめんな〜、寒かっただろ。」
「神前君、廊下にバケツ持って立ってなさい。」
「先生、水道管が凍っててバケツに水が汲めません。」
「じゃ、校庭一周しなさい。」
「あっ、そうだ。今日は環7を一周しようか。」
「カンナナっつ〜と〜、神前奈々子の略かな。」
「ま、そんなもん。環状七号線な。」
「ふ〜ん。」
「この車は寒さに強いだけが取柄なんだよね。だからエンコはしないと思うけど。」
「あっ、これ何〜。」
「『I Believe You』・・・」
「雪にぴったり〜。」
「はあ・・・・・・・」
そういえば映画大好き少女の奈々子とまだ一度も映画館に行ってなかった。
今日は環七をグルグル回りながら映画館でも探してみようか。
「奈々ちゃんは映画どんなのが好きなの。」
「う〜ん、よく観るのはカンフーアクションとか〜スパイが出てくるのとか〜アニメとか〜、そんな感じ。」
「じゃあ、あんまりおセンチなのは好きじゃないんだ。」
「えっ、何センチメートル?」
「泣き出しちゃうような映画。」
「奈々子は血も涙もないソフトボールの鬼だから何観ても泣かないよ。」
「へ〜〜、それじゃ、そういう映画探しに行こうか。」
「でも、カーアクションとかないと詰まんなそう。」
「うん、右に同じく、だな〜。」
しかしぼくはテレビで映画を観るくらいのもので詳しくないし、特に最近の映画とか俳優はほとんど知らない。
封切りの映画でも全然面白くないものを見せてしまったら白けてしまいそうだ。
それにしてもさっきから前の方が詰っていて中々進まない。事故でもあったのだろうか。
まるで動きそうな気配がないので、環七廻りは止めにして脇道に入った。
巡り巡って20分ほどで繁華街に辿り着いたので、車から降りて歩きで映画館を探してみる事にした。
看板などを見ながらあちこちを適当に見て歩いているのだが、先程からキャーキャー言いながら必死になって雪団子を何個も投げ付けて来るピッチャーがいる。
追い掛けると逃げてしまい、後ろからそっと近づいてはぼくの背中の中に雪を入れてケラケラと笑っている、赤いマフラーの可愛い雪女がいる。
一刻も早くこの雪女を暖房の効いた映画館に連れ込んで融かさなければ、ぼくは雪男にされてしまう。
運良く左側の路地に眼を遣ると、フランス名画館と書かれた看板を発見した。
この際だからどこでも良いと思いその劇場の前に行ってみると、小さな雑居ビルの中にある小規模の映画館だと分かった。
客の出入りもなく、ビル内もかなり古くてお世辞にも清潔とはいえない映画館だったので、雪女奈々子に御伺いを立てた所、
中でお弁当のおにぎりが食べられそうなのでここで良いと決定した。
内容は『冒険者たち』『シベールの日曜日』『禁じられた遊び』の三本立てだった。
ぼくはどれも観た記憶がないし、当然奈々子も知らないと言った。
中に入るとやはり100人も入れないような所で、客も数えるほどしかいなかった。
ぼく達は左側の最後部席に陣取り、雪女奈々子は早速お弁当のおにぎりを出し始めた。
3本の内どの映画かは分からないが、タイトルが流れているので終りか始まりなのだろう。
1本目の映画は男女3人の冒険ものらしいので順番通りに始まったみたいだ。
奈々子は最初のうちだけおにぎりをぱくつきながら、海が綺麗だとか主役の女性が可愛いとか盛んに喋っていたが、
そのヒロインが死を遂げると急におとなしくなってしまい、ラストシーンの主役男性が銃で撃たれて死んで行くシーンになると明らかに鼻をすすり涙をポロポロ流していたみたいだ。
1本目が終りトイレから戻って来た奈々子は、何で主人公が二人とも死んでしまうのだとか噛み付いて来たが、ぼくにそんな事言われても困る。
2本目が始まるとやっと気持ちが落ち着いたようで、何も喋らずに食い入る様にスクリーンを見詰めている。
しかしラストシーンから終りにかけてはボロ泣きの上に鼻を頻りにかんでいた。
トイレから戻って来ると目を真っ赤に腫らして、なぜあの主人公の男性は警官に射殺されなければならないのかとか、
再びぼくに噛み付いて来たがそんな事言われても困る。
そして3本目はファーストシーンからチンチン鼻をかんで、手持ちのティッシュがなくなったのでぼくに売店まで買いに行かせ、
映画が終わるまでに計3回も売店にティッシュを買いに行かされた。
ラストシーン辺りからわんわん声を上げて泣き出した奈々子は、FINになってからもわんわん泣いて収拾がつかない状態だった。
30分位すると落ち着いたようなので、その映画館をやっと出られることになったのだが、自称ソフトボールの鬼は実をいうと涙脆い雪女だったみたいだ。
車で帰る途中もまだ興奮状態が続いている模様で・・・・・・・・・・
「だからヒロインが死んじゃって、主人公が悪い奴に撃たれて死んじゃって、すごく可哀想でしょ。
それから記憶喪失になって可哀想な主人公を警官が鉄砲で撃っちゃって、残された女の子がすごく可哀想でしょ。
十字架を抜いたくらいで小さい子供を叱るなんて、大人のする事じゃないでしょ。あの女の子がすごく可哀想でしょ。
どうしてそんなラストシーンにしなくちゃいけないの。」
「そんな事ぼくに言われてもなあ・・・・・・・・・・」
「もういい・・・・・・・もう口きいてあげないんだから。」
「あれれ・・・・・・・・・・・」
でもぼくはそんな純粋な奈々子の姿を見て、ますます離れられなくなってしまった。
3月・・・・・・・・・・・・・7回目のドライブはどこかで桜の木のある公園を探してお花見だ。
幸いな事に今日は4月中旬のような眩しい陽が降り注ぎ、南からの暖かな風が吹いている。
駅前にはバッグを肩に掛け、大きな袋を両手に抱えた奈々子が首を長くして待っている。
まだ都内では桜が満開になっていないので、温暖な南西方面の桜を目指して出発した。
「いいとこが見つかりゃあ良いけどなあ。」
「上野とかはまだ満開じゃないもんね。」
「あそこは徹夜して場所取りしないとダメなんじゃないの。」
「え〜、そうなの。」
「若い頃いた会社でやらされた事あるよ。」
「へ〜〜・・・・・・・あっ、これ何。」
「『Yesterday Once More』だよ。」
「♪イエスタディ〜♪♪・・・」
「あれ、続きは・・・・・」
「知らないの。」
「そりゃ残念。」
2時間ほど行った所に、綺麗で大きな公園を見つけた。花見客は20組位いるみたいだけど、公園が大きいのでガランとした感じがする。
ここならのんびりと落ち着いて過ごせそうなので、奈々子と話し合って今日のお花見はここに決めた。
誰も場所を取っていない桜の木があったので、その下にビニールシートを敷いて楽しいお花見だ。
奈々子は座ると直ぐに、特製お花見弁当をシートの上に並べ始めている。
「今日のご馳走はまたすげえなあ〜〜。」
「うん、5人分くらい作っちゃった。」
「最近、料理の腕が上がったんじゃない。」
「まあね朝飯前だよ・・・なんちゃって、ウフッ。」
「おっ、奈々ちゃんお得意のタコウインナー君もいるじゃん。」
「今日のタコさんウインナーはコンソメで茹蛸にしてみたの。」
「うん、さっぱりしてて美味いわ。」
「はい、あ〜んして。」
「ん、わさびの風味・・・・・蒲鉾だ。」
「足が10本のイカさん焼きかまぼこでした〜〜、はい、あ〜んして。」
「あっ、ハンペンにころも付けて揚げたんだ。中にチーズが入ってるね。」
「ヒトデ君ハンペン揚げでした〜、はい、あ〜ん。」
「えっ、何だろう、わかんないから降参。」
「残念でした〜、ジョーズ君さつま揚げ奈々子風でした〜、はい、あ〜ん。」
「もしかすると天ぷらだよね。」
「正解です、グミ入りクラゲ君野菜天ぷら奈々子風味でした〜、はい、あ〜ん。」
「あ〜、これも降参だな。」
「残念ですね〜、海ヘビ君パスタ納豆ケチャップ風味でした〜、はい、あ〜んして。」
美味しいのやら、ワケワカメやら、もう何十回も奈々子にあ〜んさせられているのだが、ふと気がつくと
奈々子の後方から一升瓶を手にした初老の男性がフラフラしながら近寄って来るのが見えた。
そして・・・・・・・・・・
「すみません、お邪魔して良いですかな〜。」
「ええ、構いませんよ。」
「いやあ、うちの家族は全員下戸でね、一滴も飲めないんですよ。お近付きの印によろしければ一杯。」
「あ〜、ぼく達も全然アルコールは駄目なんですよ。」
「そうですか、それは残念ですなあ。」
「いえ、お付き合いできなくて申し訳ないです。」
「いやいやぁ〜、飲まないのが一番良いってのは自分自身でも分かってるんですよ。でも何かあるとそれに託けてついついねえ。
意志が弱いって云うんだか中毒って云うんだか、もうねえ酒の匂い嗅いだだけで人間性を捨てても良いと思っちゃうんだよなぁこれが。」
「体を壊さない程度だったら良いんじゃないですか。」
「それがねえ、もうね飲み始めたらザル、もうねウワバミになって最後は大トラだからね。もうねヤマタノオロチ状態、もうね手に負えない付ける薬がない状態。」
「はあ、それは大変ですね。」
「実を言うとね自分はね、若い頃は深酒をした事なんて全くないんだよ。もうね30年以上も前の話なんだけどね・・・・・・・・・・・」
「えっ、何があったんですか。」
「うん、他人様にお話しする筋合ではないんだけどね、うちの一番下の娘がね・・・・・・・・」
初老の男性は突然絶句してしまい、ぼくもどうして良いのか分からなかった。
「自分がね、迎えに行って上げさえすればあんな事にならずに済んだものを・・・・・・・だから早く帰って来いとあれほど言ったのに・・・・・・」
「はあ・・・・・」
「でも全部自分の責任なんだ、それで酒を飲んでる訳じゃないんだ・・・・・・」
「はい・・・・・・」
「全部お父さんが悪いんだよ、堪忍してくれ・・・・・なな子・・・・・・・・ウッウ〜〜〜・・・・・・」
何なんだこの男は、いきなり泣き出したりして。それよりも奈々子がびっくりしてるじゃないか、こっちこそ勘弁して欲しい。
「いや、すみませんでした、取り乱してしまって。今日はちょっと飲み過ぎたみたいでね、お邪魔でしょうから引き上げますので。
ああ、そうだ、貴方達も早く帰った方が良いよ。じゃ、失礼。」
初老の男性はそう言って、勝手に来て勝手に引き上げて行った。本当に失礼だと思う。
「奈々ちゃん、びっくりしたでしょ。」
「びっくりぃぃぃ〜・・・・・・・」
「とんでもないオヤジだよな。」
「でも何だか可哀想な気がする。」
「じゃなくて、可哀想な奴なんだよ。」
「う〜ん・・・・・・・」
それは束の間の休息に過ぎなかった。今度は中年の太ったおばさんが、のそりのそりと近付いて来る。
まさか清姫大蛇ではあるまいな。一難去ってまた一難か・・・・・・どこかに釣り鐘はないのか。
「こんにちは、とても良いお花見日和ですわね。」
「ええ、今日はいい天気になって良かったですよね。」
その中年の太った女性は、どっこいしょっと、とか言って勝手にビニールシートの上に座り込むのだった。
「まあ、可愛い娘さんね、高校に行ってらっしゃるのかしら。」
「はい、そうです。」
「こちらはお父様ですのね。お母様はご一緒じゃないのかしら。」
「おじさまなんです。お母さんは今お家にいます。」
「ああ、姪御さんなのね。」
「いえ、姪ではないんですけど。」
「えっ、どう云う事なの、貴方達どう云う関係なの。」
「あの、おじさまはお友達なんですけど。」
「友達ってあなたね、あなたのお父さんと同じ位年齢が離れてるでしょ。」
「父はいないんです。」
「あ〜、ピンと来ましたよ。そ〜だったのね。」
「えっ、そうだったって何がそうだったんですか。」
「貴方達の関係はどこまで進んでるの・・・・・・そっちの中年男、あんたはいたいけな少女の弱みに付け込んで未成年者の心と身体を玩んで何が楽しいのよ。」
「玩ぶって、何を自分勝手な想像してるんですか。」
「おじさまはそんな人じゃないんです。」
「貴女は黙ってなさい。こら中年男、どこで知り合った、出会い系か、金で釣ったのか。」
「中年のオバサンねえ・・・・・言うに事欠いて、何が金で釣るだ。いい加減にしてくれ。」
「何言ってんのよ、援交なら援交ってはっきり言いなさいよ。あんたどうせ変態なんでしょ。」
「知りもしないのに一体何のつもりなんだ、このババア。ぼくは兎も角、奈々子が可哀想だ。こんなに純真無垢な女の子は世界中探しても二人といないんだ、分かったかクソババア。」
「あんたねえ、警察に通報してやろうか。県条例を知らないのかい、少女を連れて歩くだけで犯罪なんだよ、この変態男。」
「やめて!!!〜〜〜〜〜・・・・・・・もうやめて下さい。酷い・・・・・・・・酷過ぎます・・・・・・・・・・・・・おじさまの事を・・・・・・・・・・・・何にも知らないくせに・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ごめんなさいね、貴女を責めてるんじゃないのよ。この変・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あっち行け!!!〜〜〜クソババア!!!!!〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・ごめんね、そんなに怒らないでね、私は悪気があって言ってるんじゃないから、貴女の事が心配なだけなのよ。」
「あっち行け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ごめんなさいね、貴女の涙を見てオバサン良く分かったわ。それからね、遅くならない内に帰ろうね。」
大蛇に変身する前の太った清姫オバサンは勝手に来て勝手に去って行った。
奈々子は帰りの車の中で一言も口を利いてくれなかった。今日は厄日だったのか。
4月・・・・・・・・・・・・・春らしいポカポカ陽気に加え生暖かい風がピューピュー吹いていて、時折その風はハリケーンの様な突風になって木々を大きく揺らす。
今迄で最高に良い天気の中、8回目のドライブが出来そうだ。
駅前では奈々子がまた大きな袋を抱えて待っている。
あっ・・・・・・・突風で奈々子のミニスカートが・・・・・・・・・・。
すぐ近くまで来るとまた奈々子がマリリンモンロー状態に・・・・・・・・・・・。
「奈々ちゃん、元気〜〜〜。」
「見たでしょ。」
「えっ、何が。」
「絶対に見たと思う。」
「だから何を見たの。」
「おじさまってすごいエッチなんだ。」
「へ・・・・・・何言ってんだかな〜。」
「あっ、この曲は〜。」
「『Sing』だけど、それが何か。」
「春だあ〜〜〜。」
「だね。」
特に行くあてもないので、今日は山の手から都下方面をドライブしてみよう。
1時間ほどすると奈々子が、眠たいので公園でゴロ寝しようと、ぼくの腕を引っ張って言うのだった。
坂道を登り切った所に、ブランコも何もない小さい洗面所らしき建物だけ付いている、一面芝生に覆われた公園があったので車を停めた。
奈々子はすぐさまゴロッと寝てしまうのかと思いきや、大きな袋の中からお弁当箱を取り出して並べている。
お腹をいっぱいにしてからゴロゴロ寝るつもりらしい。
「おじさま・・・・・・・」
「はあ・・・・・・」
「奈々子の夢は何だか知ってる。」
「さあ・・・・・何なの。」
「奈々子の夢はね・・・・・・・お嫁さんになる事なの。」
「はあ・・・・・・」
「昔ね、奈々子はお姫様だったの。」
「うんうん。」
「昔々ある所に、奈々子姫という可愛い可愛いお姫様が住んでいました。
その国のお姫様は代々、必ず御見合いをして結婚するのがしきたりだったのです。
そしてその国には、奈々子姫に政略結婚をさせて私腹を肥そうとする、マカザー大臣という悪い悪い大臣がいたのです。
その悪い悪いマカザー大臣は、お隣の国に住むそれはそれは傍若無人にして極悪非道と噂の高い、醜い醜い老王との婚姻を姫には内緒で話を進めていたのです。
その事実を侍女から聞かされた奈々子姫の心は傷つき、困り果ててしまいました。
そこで奈々子姫は神様に御縋りするしかないと考え、近くの稲荷神社へ行き御狐様にお尋ねしたのです。
・・・御キツネ様、御キツネ様、奈々子は決してお隣の国の王が年老いているから結婚したくないと思っているのではなく、
何よりもそのお隣の国の老王は心が醜い上、無作法な乱暴者だから嫌なのです。・・・すると御狐様が・・・・・
・・・奈々子よ、我輩はここの主のキツネ君である。我輩が営む売店で油揚げと米一俵を購入し、稲荷寿司を作るのじゃ。
それを一日で平らげた者がそなたを救い、真の王者となるであろう。・・・と、御狐様は奈々子姫に託宣を授けられたのです。
奈々子姫は早速キツネマートで10トントラック2台分の油揚げと、コシヒカリ・ササニシキのブレンド米を買い込み、夜を徹して大きな大きなお稲荷さんを作り始めたのです。
そして出来上がったお稲荷さんをこの国の豪傑といわれる男達に食べさせた所、男達は次々と救急車で病院へ運ばれてしまったのです。
しかしお隣の国の醜い醜い老王も来訪し、マカザー大臣が勝手に決めた結婚式は明日に迫っていたのでした。
そこへ突如現れたのが遠い国から旅をしている途中、偶然この国を通り掛った空腹で今にも倒れそうなタケルナミコトという青年だったのです。
奈々子姫特製の美味しそうなお稲荷さんは次から次へとタケルナミコトのお腹の中に収まって行きました。
不幸な婚礼の日がやってきました。奈々子姫は無理矢理ウエディングドレスを着せられ、結婚式場へ連れて行かれたのです。
そして奈々子姫と醜い醜い老王との指輪の交換が、今まさに為されようとしていたその時でした。
白馬に跨った騎士タケルナミコトが結婚式場に乗り込んで来たのです。そして・・・・・
・・・ぼくはお稲荷さん一俵分を一日で完食した、エウロペ王国の皇太子タケルナミコトである。ぼくの花嫁となる奈々子姫を頂戴するため参上した。・・・
タケルナミコト王子は、醜い醜い老王と悪い悪いマカザー大臣をドロップキックで粉砕し、奈々子姫を抱きかかえて白馬に乗せ、風のように去って行ったのです。
奈々子姫とタケルナミコト王子は、遠い海の向こうにあるエウロペ王国へとエアバスA380チャーター機で帰りました。
そしてエウロペ王国建国以来の最も盛大な結婚式が催され、二人は永久の夢の中へ旅立ちましたとさ。・・・・・めでたし、めでたし。」
「このお稲荷さんは紅ショウガのトッピングが味の決め手だよね。あんまり甘すぎず適度な辛さがあって、甘味はグミがまったりとした味わいを醸し出してるっていうか。」
「お稲荷さん美味ちいでちゅか〜〜。」
「うん、世界一のお稲荷さんだ。」
「昔々ある所に、奈々子姫という可愛い可愛いお姫様が住んでいました。
奈々子姫の住むこの国は、300年以上に亙って争いのない天下太平の世を築き上げて来ました。
しかしこの国の新たな宰相に選ばれた、悪い悪いオポッポ首相がクーデターを惹き起こし、王様を牢屋に閉じ込めてしまったのです。
そして最高権力者の座に就いたオポッポ首相は、王位を継承するためと自らの下劣な欲望を我がものにせんが為、奈々子姫に結婚を迫って来たのでした。
奈々子姫は、父である王様を牢屋に閉じ込め結婚まで強要するオポッポ首相に対し、怒りの念を禁じ得ませんでした。
でも心優しい奈々子姫はどうして良いのか分からず、ただただ涙に暮れるばかりだったのです。
傷心の奈々子姫は最早これまでと悟り、不忍池のほとりに一人佇み、身を投げる覚悟を決めたのでした。
今まさに奈々子姫が池に身を投じようとしたその刹那、池の中からゴボゴボと泡を立てて不忍池の主の河童さんが現れたのでした。
すると河童さんは奈々子姫にこの様な予言を告げるのでした。
・・・オイラはこの池の主の河童君なんだけどよ、オイラが栽培したキュウリでカッパ巻を米一俵分作ってよう、食べ切れた奴がオポッポを必ず倒す救世主になるでよ。・・・
この予言をしかと受け止めた奈々子姫は、早速カッパマートで一年分のキュウリとカリフォルニア米を買い込みカッパ巻の製作に取り掛かりました。
しかし奈々子姫特製のカッパ巻を食べた最強の格闘家たちは皆、救急車で病院送りになってしまったのです。
恐怖の結婚式は今日の午後に迫っていました。
そこへ忽然と現れたのがヒクソン道場からやって来た、リングネームがタケルモミコトという青年格闘家だったのです。
道場の教えにより糖分と油分を摂る事を禁じられていた空腹のタケルモミコトは、ヘルシーなカッパ巻を目にすると瞬く間に一俵分を食べ尽くしてしまったのです。
そして結婚式場へ乱入したタケルモミコトはマイクを手に取り、高らかにオポッポに対し宣戦布告の通知を果たしたのです。
タケルモミコトは悪い悪いオポッポ首相を延髄斬りで一撃の下に倒し、奈々子姫を肩に乗せ悠然と式場を後にするのでした。
奈々子姫とタケルモミコトは二人だけの質素な神式の結婚式を挙げ、永久の夢の中で幸せに暮らしましたとさ。・・・・・めでたし、めでたし。」
「このカッパ巻にはカンピョウとタクアンとタマゴも入ってるけど、これも河童君が作ったんだよね。」
「カッパ巻、美味ちいでちゅか〜。」
「うん、世界一のカッパ巻だ。」
「昔々ある所に、奈々子姫という可愛い可愛いお姫様が住んでいました。
しかし奈々子姫の美しさを妬む、悪い悪い魔女のズポミン婆さんがある恐ろしい呪いを掛けたのです。
その呪いとは、奈々子姫が18歳の誕生日を迎えるまでに結婚式を挙げないと、100歳の老婆に変身してしまうという世にも恐ろしい呪詛でした。
しかもこの悪い悪い魔女ズポミン婆さんは、奈々子姫のフィアンセが現れる度に、次々と魔法で動物に変えてしまうのでした。
ある夜、悲しみの淵に沈んだ奈々子姫の枕下に青林檎の妖精が現れて、こう告げるのでした。
・・・ミーは青林檎の妖精リンゴちゃんです。700グラムのアップルパイ1000枚を一日で食べ切った男性がユーを必ず救って幸せにしてくれます。・・・
青林檎の妖精が言った通りにすれば幸せになれると分かった奈々子姫は、青森県にある全てのリンゴ畑を買収しました。
そして奈々子姫特製のアップルパイを東京ドーム一杯分作ったのです。
しかしこのアップルパイを食べた男性は次々と東大病院へ入院してしまったのです。
奈々子姫の18歳の誕生日は明日に迫っていました。
そこへ現れたのが世界中を回って武者修業を積んでいた、ガンマンのリンゴキッドことタケルニャミコトだったのです。
貧乏で空腹だった一匹狼のタケルニャミコトは奈々子姫特製のアップルパイをどんどん食べて行き、あっという間に1000枚を平らげてしまったのです。
リンゴキッドことタケルニャミコトは悪い悪い魔女ズポミン婆さんに、青森県のO.K林檎牧場を舞台に決闘を挑みました。
アップルパイをチェーンガンの様に連射して投げつけるタケルニャミコトの攻撃によって、悪い悪い魔女ズポミン婆さんはアップルパイに埋もれて芋虫になってしまいました。
奈々子姫とタケルニャミコトはO.K林檎牧場内の教会で結婚式を挙げ、永久の夢の中に二人して生きて行きましたとさ。・・・・・めでたし、めでたし。」
「やっぱこの紅玉と富士と青林檎のミックスアップルパイは、アップルパイの歴史を変えるだろうな。」
「アップルパイ、美味ちいでちゅか〜。」
「うん、世界一のアップルパイだ。」
グルメ童話の語り部に変身してしまった奈々子はゴロ寝するのも忘れ、帰りの車の中でもグルメ童話の創作と朗読に励んでいたのだった。
5月・・・・・・・・・・・・・子供の日・・・・・9回目のドライブの日。
昔ほどではないが、まだまだ鯉のぼりの存在感は高い様で、駅へ着くまでに何十匹も泳いでいた。
駅前には緋鯉みたいな赤とピンクの水玉模様のワンピースで着飾った金魚の奈々子が待っている。
「ジャーン、鯉のぼりの奈々子ちゃん登場だよ〜ん。」
「やっぱりそうか。」
「これは何。」
「『Bless The Beasts And Children』だよ〜ん。」
「あのね、奈々子が緋鯉でおじさまは真鯉なんだよ。」
「じゃあ、もう一匹いるあのピラピラしたイカみたいな奴は何。」
「あれはね、子供たちなの。」
「ふ〜ん。」
「はいっ、柏餅、奈々子が作ったんだよ。」
早速来たか、グミ入り柏餅攻撃。おまけにブラックコーヒーや紅茶じゃなくて甘いオレンジジュース付きサービス。
「あっ、イチゴが入ってる。イチゴ大福みたいで美味しいね。」
「はいっ、ちまき食べ食べ、ちまきも奈々子が作ったんだよ。」
しまった、グミはこっちに入っていたのか。油断している隙を衝いて来たな。
「うんうん、ちまきなんて久し振りだから味も忘れてたよ。」
「はいっ、後で本日のメインディッシュのグミ入り大福ちゃんが出ますよ〜。」
「まさか冗談だろっ。」
「嘘でした〜、グミ入りサンドイッチでした〜。」
「はあ・・・・・・」
「あのね、奈々子の旦那様になる人は本当に幸せだと思うの。」
「何で、仕合わせ。」
「毎朝ね、奈々子特製のお味噌汁が飲めるからなの。」
「何のお味噌汁。」
「キウイ入りお味噌汁でした〜。」
「知ってるよ、くちばしが長くて飛べない鳥ね。」
「はあ〜〜。」
「朝食はやっぱトーストにコーヒーとベーコンエッグとかだなあ。」
「奈々子は毎朝トーストにイチゴジャムとブルーベリージャムにイチゴジュースとかだよ。」
「あのさ、ぼく達って食べ物の話ばっかしてる気がするけど。」
「そういえばそうだよね〜。それでは奈々子が御伽噺をして差し上げます。」
「その前に車をどこかに停めてとか言うんでしょ。」
「このお話はブランコに乗って聞かないと駄目なの。」
「そうですか〜、ひょっとするとグルメ童話か何かでしょ。」
「残念でした〜、悲しい悲しい御伽噺です〜。」
「えっ、悲しい御伽噺ってのも珍しいな。」
「奈々子特製の恋愛悲話なのです〜。」
まずい。こっちから誘い水を向けてしまった。悪い事にすぐ近くに公園が・・・・・・・・・・。
「奈々子物語の始まり始まり〜〜。」
「はいはい・・・・・・」
「昔々ある所に、奈々子と云う貧しい家庭に生まれ育った可愛い可愛い少女が住んでいました。
家には病弱の母が寝たきりで外へ出る事も出来ず、更に育ち盛りの3人の妹たちがお腹を空かせていつも泣いていました。
奈々子は自家製のお新香入り3色オニギリを渋谷センター街の露店で売って生計を立てていました。
でも道行く人々は皆フライドチキンやハンバーガーが好きで、奈々子の握った美味しいオニギリには目を向けてくれなかったのです。
そして一家5人は、売れ残ったオニギリを食べて飢えを凌いでいる毎日だったのです。
3人の妹は学校に行く事も出来ず、母の薬代にも事欠く辛い日々を送っていたのです。
そんなある夜の事、奈々子の露店の前に足を止めて興味深そうにオニギリを熱い眼差しで見詰めている紳士が現れたのです。
その紳士は奈々子にオニギリの中にフライドチキンを入れてみてはどうかとか、オニギリをパンで挟んでみたらどうかとかアドバイスしてくれたのです。
翌日、奈々子はその紳士のアドバイス通りにオニギリを作って露店に並べた所、たった1時間足らずで完売になってしまいました。
奈々子は来る日も来る日もフライドチキン入りオニギリと、オニギリバーガーを作って露天で売り、遂には毎日1000個以上の売上を誇る有名店になったのです。
奈々子の特製オニギリは数々の女性誌にも取り上げられて、奈々子オニギリの名は全国中に広まったのでした。
そして再びあの紳士が奈々子の露店に立ち寄ったのです。そしてご自分を、国際的投資家で兜町の鬼といわれる大和タケルであると自己紹介なさったのです。
大和タケルさんは是が非でも奈々子オニギリチェーン店を全国に出店したいとおっしゃられたのです。
タケルさんの積極果敢な投資によって、奈々子オニギリチェーン店はその3年後には2000店以上の一大フランチャイズチェーンにまで成長したのです。
そして貧しかった奈々子は今、大和奈々子という名で毎朝タケルさんに3色オニギリとお味噌汁を作ってあげる幸せな日々を送っているのでした。・・・・・めでたし、めでたし。」
「ピーッピーッピーッ、教育的指導、またオニギリとか食べ物の話じゃん。」
「う〜ん、他に考え付く事もないし〜。」
「食べ物の恋愛悲話だけは禁止な。」
「後一つ、大いなる胃酸、ていう素敵なお話もあるんだけどな〜。」
「それって絶対にグルメ童話だよな。」
「うん、そうだよ。」
「反則技ダメ〜〜〜〜〜〜。」
「二兎物語っていう、悲しい運命を背負ったウサギさんのお話とか・・・・・・。」
「それってフランス料理の話でしょ。」
「えっ、どうして分かっちゃうの。」
「ぼくの目は誤魔化せても、背中の桜吹雪が総てお見通しなんだよ。」
「ヒエ〜〜〜〜〜〜〜。」
「誰でも思いつくパロディーは全面的に禁止な。」
「では、取っておきの奈々子物語をば・・・・・・・。」
「勝手にドゾ・・・・・・」
「昔々ある所に、奈々子とタケルと云う、美しく心清らかな母と生まれつき病弱な幼稚園児の一人息子が住んでいました。
貧しい母一人子一人の三畳一間のアパート住まいで、母奈々子はバイト先への交通費を節約するため、毎日歩きで職場に通っていたのです。
行きも帰りも1時間以上掛けて歩いていたため、母奈々子の足は筋肉痛になったり外反母趾による激痛に襲われたり、大変な思いをしながら仕事を続けていたのでした。
しかし経済不況の中、母奈々子の職場にもリストラの嵐が吹き荒れ、奈々子は突然契約を打ち切られてしまいました。
奈々子は必死になって求人誌を立ち読みしたり、市役所に相談したりして毎日職探しに追われていました。
でも1ヶ月経っても2ヶ月経っても、一向に雇ってくれる会社は見つからなかったのです。
そんなある日、奈々子が市役所へ相談に行こうと思い歩いていた時、アルバイト募集の張り紙を目にしたのでした。
その会社に面接を受けに行ってみると、以前の会社よりとても条件が良くアパートから歩いて30分も掛からない場所にあったのです。
化粧品卸を営んでいるその会社の社長さんは人柄が良く、奈々子が病弱な一人息子を抱えて困っている事を知ると、即決で採用してくれたのでした。
但し、この会社は勤怠だけは厳しいので、絶対に遅刻や無断欠勤をしてはならないと念を押して言われたのです。
母奈々子は一人息子のタケルと共に涙して喜びを分ち合い、明日の初出勤のため何時もより早い時間に就寝して準備を怠りませんでした。
しかし朝早く起きた母奈々子は、外反母趾による痛みが限界に達した事を知るのでした。
でも今日会社に行かなければ解雇されてしまい、一人息子のタケルに薬を買って上げる事も出来ないのです。
母奈々子は痛む足を引きずりながら会社へと歩いて向かったのですが、もう後20分で出勤時間を過ぎてしまい遅刻になると知ったのです。
そんな緊急時でも貧しさ故にタクシーに乗っていく事もままならなかったのです。残り時間はもう15分を切っていました。
ふと右手に眼を遣ると自転車置き場がありました。もし自転車さえあれば5分も掛からないで会社に行けるのです。
そこには鍵の掛かっていない自転車が何台もありました。そして一人息子のタケルを思いやるあまり、母奈々子は遂に魔が差してしまったのです。
奈々子は1台の自転車に乗り会社に向かおうとしました。しかし運悪くその自転車の持ち主がたまたま駐輪場の近くにいて、自転車泥棒だと叫びながら追いかけて来るのでした。
そして周りにいた人々によって、清貧に生きて来た母奈々子は泥棒として取り押さえられてしまったのです。
更に通報を受けたパトカーもやって来て大騒ぎになってしまったのです。
母奈々子は言い訳もせず、涙を流してただひたすら平謝りに詫びる事しか出来ませんでした。
でもその自転車の持ち主が心の広い人だったので、悪意がないのであれば大ごとにはしたくないと警察官に言ったので大事には至りませんでした。
そこには如何なる謗りを受け世間に甚振られても、一人息子タケルために生き抜こうとする母奈々子の健気でそしてどこか寂しげな後ろ姿だけが残されたのでした。・・・・・・・・・・・・・・完」
「でもさ、生活保護受ければ良い訳だし、それって昔のイタリア映画パロッてるみたいな気がするんだけどな〜。」
「ナイナイナイナイナイ〜〜〜。」
「あれ何て映画だったけな〜。」
「ナイナイナイナイナイナイナイナイ〜〜〜〜〜。」
作り話は幾らでも聞いて上げるけど、グミ入りランチだけはご勘弁願いたいと思う今日この頃だった。
6月・・・・・・・・・・・・・もう、かれこれ一週間以上も鬱陶しい雨が降り続いている。
冷たい雨の中で奈々子を待たせないように、10回目のドライブの今日は何時もより早めに家を出て駅前近くで彼女が来るのを待っていた。
雨の日の過ごし方を考えていた訳でもなく、奈々子を乗せてからも目的のないドライブのために車を走らせているだけだった。
ぼくが憂鬱そうな表情でいるのを敏感に感じ取ったのか、奈々子も今日は普段より口数が少ない。
「雨って嫌だよね、何となく気分がさ。」
「うん・・・・・・・。」
「で、こんな時にこんな曲が・・・・・」
「なに・・・・・・・」
「『Rainy Days and Mondays 』だけど。」
「余計に鬱な雰囲気になりそう。」
「じゃ、止めようか。」
「ん〜、別にいいんだけど。」
「今日は失敗したな、ディスコかなんか持ってくれば良かった。」
「別に、何でもいいよ。」
車の中には明らかに鬱病患者が約2名いる。しかもそれは不治の病で治る見込みがない。
あれやこれやと考えを巡らせても、気だるさからか全く行動に移す気が起こらない本格的な鬱病らしい。
まだ午前11時前だというのに、奈々子はお弁当箱を開け始めた。やはりぼく達に残された道は他にないのか。
「はい、あ〜んして。」
「あれっ、お寿司も握れるようになったの。」
「違うの、朝寝坊したからスーパーで買ってきちゃったの。」
「あ、道理で・・・・・・」
「はい、あ〜んして。」
「〆鯖は奈々ちゃんにあげるから。」
「はい、あ〜ん。」
「あと、玉子もあげる。」
「はい、あ〜ん。」
「うっ・・・・・・お茶、お茶。」
「はい、あ〜んして。」
「スーパーのカッパ巻は駄目だねえ。」
「はい、あ〜ん。」
「朗読はまだ始まんないのかな。」
「ちょっと最近ネタ切れで、快心作に恵まれないの。」
「そうだね〜、音楽聴いてるのが一番いいよ。」
「しょーがないから、イマイチなやつだけどイッチョ行ってみようかな。」
「あ・・・・・無理しなくてもいいんだけど。」
「昔々、西部のある町にクリント一家とフランコ一家という悪い悪い街のダニが互いに勢力争いをしていました。
町の人々は彼ら無法者の怒声と、抗争の度に響き渡る銃声に恐れ戦く毎日でした。
そこへ敢然と起ち上がった正義の使者こそ、我らがワイアットアープ奈々子保安官だったのです。
保安官奈々子はフランコにそっと耳打ちしたのです。・・・クリント一家を町から追い出したら貴方のお嫁さんになってもいいわ。・・・・・と。そしてクリントに対しても・・・フランコ一家を全員刑務所送りにしたら貴方のお嫁さんになってあげるわ。・・・・・と。
単細胞で荒くれ者のクリントとフランコは、奈々子の取り合いで毎日銃撃戦を繰り返し両方とも滅びてしまいました。
ワイアットアープ奈々子の活躍によって町は再び平和を取り戻したのです。・・・・・めでたし、めでたし。」
「今回はすごく短い話だね。で、ぼくの出番はなかったんだ。」
「最新作は主演女優奈々子って設定なの。」
「ぼくを登場させないから短編映画になっちゃうんじゃないの。」
「映画っちゅうか小説だし。」
「小説っつうか西部劇とマカロニウエスタンのパクリだし。」
「じゃあ、3本立て映画の2本目。」
「えっ、また3本もあるの〜。」
「昔々、西部のある町にタケルという老保安官が住んでいました。
でもこの町の人々は無法者達によって隷属状態に置かれていたのです。
保安官タケルは町の人たちと話し合って、平和を取り戻すため町からダニを一掃しようと約束したのです。
保安官は無法者達に最後の決闘状を送り、町へ誘き寄せたのですが、約束した筈の人々は怖気付いて皆どこかへ隠れてしまいました。
タケル保安官ひとりと荒くれ者100人以上とでは勝ち目はありません。危うし、タケル保安官。
そこへ颯爽と登場したのが、荒野の一匹狼ジャンゴ奈々子だったのです。
ジャンゴ奈々子愛用のかぼちゃの馬車には何故か棺桶が積んでありました。
そして酒場に入った奈々子に荒くれ者達は・・・よう、ねえちゃん、この辺じゃあ見かけねえツラだな、どっから来たんでい。・・・
するとジャンゴ奈々子は・・・あたしゃあねえ、風の吹くまま気の向くまま、ただの渡世人さ。・・・
廃油を顔に塗ったような無法者のサンチョが・・・おめえさんのくわえてる長え楊枝が気にくわねえなあ。・・・
そしてジャンゴ奈々子は・・・あたしにゃあ関係ねえこって、ごめんなすって。・・・
しかし酒場の外ではタケル保安官ひとりと、荒くれ者達との銃撃戦の火蓋が切られていたのでした。
タケル保安官の持っている銃弾は底を尽き、老保安官はもはやこれまでと観念したのです。
そこへ一匹狼ジャンゴ奈々子がかぼちゃの馬車で乗り込み、積んでいた棺桶を下ろしたのです。
その棺桶の中には、M61バルカン20mmガトリング砲が隠されていたのでした。
ジャンゴ奈々子はM61ガトリング砲で悪者たちを次々と薙ぎ倒して行きました。
町には再び平和が訪れ、奈々子とタケルは教会で結婚式を挙げ、永久の夢の中で誓い合いましたとさ。・・・・・めでたし、めでたし。」
「てか、マカロニウエスタンと西部劇と時代劇ゴチャ混ぜのパクリ大作。」
「だから最近佳い作品に恵まれないんだって。はい、あ〜んして。」
「いや、もうお腹いっぱいだから。」
「昔々、ある西部の町に奈々子お嬢様というそれはそれは美しい少女が住んでいました。
しかし、どこからともなく悪い悪い魔法使いのサドマジョ婆さんが現れて、ある呪いを掛けたのです。
その呪いとは、20世紀末までに奈々子お嬢様の願いがたった一つでも叶えられない場合、世界は滅亡してしまうという恐ろしいものでした。
困り果てた世界中の人々は国連で会議を開き、奈々子お嬢様の願いを総て叶えてあげるように決議を採択したのでした。
奈々子お嬢様は、西部の砂漠の中に住んでいて不便を感じていたので、大財閥のカーモネギさんに頼んで世界中に鉄道を作らせました。
奈々子お嬢様は、これからの世界は馬車に代わる移動手段が必要だと予見して、天才のオーヘンリーさんに廉価な4輪自動車を作らせました。
自動車を買って走らせるためには、石油と金融が必要だと考えた奈々子お嬢様は大財閥のイシフェラさんとモスチルドレンさんに頼んで、世界中にガソリンスタンドと銀行ATMを作らせました。
未来社会ではコンピューターが必要だと考えた奈々子お嬢様は、天才のピザノイマン博士に頼んでコンピューターの原型を作らせました。
時代は21世紀を迎えサドマジョ婆さんの呪いは解かれ、人々は奈々子お嬢様のお蔭で数々の文明の利器を手にする事により幸せになりましたとさ。・・・・・・めでたし、めでたし。」
「滅茶苦茶な自己中史観、てか非道すぎる妄想。」
「やっぱイマイチかな。」
「もしかすると国際問題にまで発展するかも。」
「ゲッ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
奈々子は活劇映画や寓話が好きなだけじゃなくて、妄想にまで手を染めてしまったらしい。
7月・・・・・・・・・・・・・七夕の日・・・・・・・奈々子の日。
11回目のドライブは七夕祭りを見に行く予定だったが、平塚へ向かう途中いつもと違い無口だった奈々子は、突然海が見たいと言い出すのだった。
今日は天気も悪くないし、人ごみの中で疲れるよりも海を見ながらのんびりしたいのだろうか。
昼過ぎに湘南海岸へ到着し、奈々子特製ミックスフライ弁当で恒例の昼食会。
「あれ〜、このミックスフライ弁当、すごいまともだね。」
「うん、真面目に作ってみたの。」
「じゃ、今までは真面目じゃなかったんだ。」
「そうじゃなくて・・・・・・」
「さっきから変におとなしいね。」
「ううん、別に・・・・・・・」
「鬱病がまだ続いてるのかな。」
「かも・・・・・・・」
「慢性の鬱か。」
「あっ、さっき聞くの忘れてた・・・・・グッバイなんとかって・・・」
「ああ、それで鬱になったんだ。『Goodbye To Love』だけど。」
「ふ〜ん・・・・・・・」
「やっぱ何か変だな。」
「変じゃないよ・・・・・」
「変だよ。」
「・・・・・・・」
奈々子は横を向いて口を噤んでしまい、ぼんやりと海を眺めている。
「何かあったんならぼくに言ってくれないとな。」
「・・・・・・・」
「悩みとか心配事でもあるんだったらさ・・・・・」
「・・・・・・・」
「こっちが心配になっちゃうんだけど。」
「・・・・・・・」
「そうか、ぼくは奈々ちゃんに信用されてない訳なんだ。」
「そんなんじゃない・・・・・」
「だから何でも言ってくれないと。」
「・・・・・・・」
「お母さんに言えても、ぼくには言えない事があるのは分かるけどさ。」
「・・・・・・・・・・」
奈々子は急に後ろを向いて泣き崩れてしまった。
その様子が手の施しようのないくらい尋常ではなかったので、もしかしたら奈々子はこのまま何処かへ行ってしまうのではないかという考えが頭の中を過った。
ぼくが余計な事を口にして傷付けでもしたら、それこそ取り返しがつかなくなるかも知れない。
涙が涸れるまで車の中に座らせておいた方が良さそうなので、立とうとしない奈々子を引きずる様にして車に戻った。
更に、このまま停車しているより動かしていた方が二人にとって良いだろうと思い、最悪の事態も想定して海の近くから離れて北へ向かう事にした。
そして依然泣き止む気配のない奈々子が外に出られない様にするため高速へ入った。
1時間ほど経った頃、やっと落ち着いたみたいなのでSAの駐車場に車を停め、ぼくは奈々子の実の兄か父親になったつもりで慎重に訊ねてみると・・・・・・・
「ねえ奈々ちゃん、ぼくに何でも相談してね。」
「・・・・・・・」
「どうしても話せないんなら無理には訊かないけど。」
「迷惑掛けたくない・・・・・」
「ぼくだけは信じて欲しい。奈々ちゃんに頼って貰いたいんだよ。」
「でも迷惑だと思う。」
「ぼくが迷惑じゃないと言ったら、迷惑じゃないんだ。」
「でも・・・・・・・」
「お母さんには話したの。」
「・・・・・お母さん・・・・・・・・・・・もういない・・・・・」
「えっ、何かあったのか。」
「もういないの・・・・・・・・・・」
「だから何があったんだ。」
奈々子は俯いてまた泣き出してしまった。少し時間を置いた方が良いだろう。
そして母親の話は暫くの間しない方が良さそうだ。
奈々子の家庭については殆ど話をしなかったので、遠回しに訊いてみなければならない。
「奈々ちゃんにはぼくがついてるからね。」
「うん・・・・・・・」
「一軒家に住んでるんだっけ。」
「マンション・・・・・」
「それって分譲?」
「賃貸・・・・・」
「契約期間とかは知ってる。」
「10月に出なくちゃいけないらしい・・・・・」
「親戚とか行く当てはあるの。」
「ない・・・・・・・」
「ぼくの家は3LDKの分譲マンションなんだけどさ、1部屋空いてて使い道がないから今すぐにでも引っ越せるからね。」
「うん・・・・・・・」
「もう奈々ちゃんも18歳になるし、来年は卒業だよね。」
「学校行ってない・・・・・・・」
「勉強が嫌だから?」
「そうじゃない・・・・・・・」
「ソフトボールは大好きなんでしょ。」
「うん・・・・・・・」
「じゃ、どうしてなの。」
「・・・・・・・・・・・」
「嫌な事があったのか。」
そう言うと奈々子は大声をあげて泣き出してしまった。
「苛めでもあったのか。」
「違う・・・・・・・・・・・」
「じゃあ、何があったんだ。」
「・・・・・・・・・・」
ぼくは少し苛立って、思わず声を荒らげてしまった。
「何がどうしたのか、はっきりしろ。」
「先生が・・・・・・」
「先生がどうしたんだ。そいつは誰なんだ。」
「担任の先生とソフトボール部の先生が・・・・・・・奈々子・・・・・・・」
「いや、それ以上言わなくてもいい。そいつらは男の教師だな。」
「うん・・・・・・」
「何も話したくないんだろ。」
「うん・・・・・・・」
「よく解かった、もう何も訊かない。ぼくに総て任せるんだ、いいな。」
「うん・・・・・・・」
この世には二つの異なる生命体が存在する。
ひとつは大自然を敬い、大自然と共に生き、大自然の摂理に従って行動する有用な者たち。
もうひとつは大自然を忌み嫌い、大自然を蔑ろにし、大自然の摂理に叛逆しようとする有害にして無用な者たち。
前者は法と秩序を重んじ、人間社会を形成し文明の発展に寄与してきた者たちで、一方後者は法と秩序を紊乱し、下等動物との境界線を踏み越え文明を否定しようとする者たちだ。
下等動物の社会に於いても最低限の秩序は存在するが、人間社会では法と秩序を遵守しないこと即ち自由意思だとの履き違えた考えが罷り通っている。
人間が下等動物と一線を画し、ヒトをヒトたらしめている本質こそ法と秩序なのだ。
しかし悪法もまた法なりと言い放ち、私利私欲の為に他人を犠牲にし自らの欲望を満たそうと企てる者たちがいる。
または自らが惹き起した悪事が発覚し世間から後ろ指を差されない限り、自分は品行方正な生き方をしているのだと思い込んでいる者たちがいる。
これら両者は総て同根であり、程度の差こそあれその罪深さにおいて何等の相違点も見出せない。
私たちはみな子供の頃から絶対他人に迷惑を掛けるなと、口を酸っぱくして教えられながら文明社会の一員として生きて来た。
制約なき自由こそが最も尊い事だと自由主義を金科玉条の如く信奉し、他人の迷惑など一顧だにしない者たちは既にヒトとしての地位を放棄している。
法と秩序、或いは公序良俗を乱す者たちに対しては、正規の手続きを踏まずとも自力救済などの手段に訴える事も不可能ではない。
害虫の駆除に異を唱える者があるとすれば、それはヒトではなく害虫なのだ。
8月・・・・・・・・・・・・・晴れ着も浴衣も着たことがないという奈々子に可愛い浴衣を買ってあげた。
12回目のドライブの今日、奈々子は浴衣姿で来てくれるのだろうか。
駅前に差し掛かった時すぐ目に入った、ブルー系の帯に淡い赤とピンクの浴衣姿の奈々子がとても可愛い。
「よかった〜、浴衣着てくれたんだ。」
「うん、でも時間かかっちゃった。」
「とっても可愛い。」
「・・・・・・・」
「あのさ、引越しの準備そろそろ始めといてね。」
「荷物あんまりないから、すぐ出来ると思う。」
珍しく奈々子がカーオーディオのボリュームを自分で上げた。
「これは、『This Masquerade』だね。」
「ふ〜ん。」
「どこ行きたい。」
「お弁当がお新香のオニギリだから〜やっぱ公園。」
「涼しそうな河原とかは。」
「ヘビが出そうだから、やっぱ公園。」
「なるほどね〜。」
郊外に出た所で後ろから来たパトカーが横についた。停止命令だ。
運転している制服警官と後一人は私服らしい。
車を止めるとその私服がドアの近くに寄ってきた。
「免許証出して〜。」
「スピードは制限速度内ですよ。」
「神前尊本人だな。」
「そうですけど。」
「ちょっとな、話があるんだよ。」
「はあ、何の話ですか。」
「お前、15日の夜どこにいた。」
「夜は殆ど出歩かないんで家にいたと思いますけど。」
「嘘吐いても無駄だぞ。お前はあの夜遅く赤坂にいたんだよ。」
「何言ってるんですか、赤坂なんて最近行ってないですよ。何が言いたいんですか。」
「足が付きそうになったから終結宣言をしたんだろ。」
「いや、だから何の事だって聞いてるんですよ。」
「おいっ、惚けんのもいい加減にしろよ。お前の事は調べが付いてるんだよ。」
「だから何の事かって聞いてるんですよ。」
「お前は人殺しが趣味なんだろ。2人の他に何人殺してんだ。」
「ふざけるな、人違いだろ。」
「いや、お前がテロリストだって証拠は上がってんだよ。」
「あんた頭がおかしいんじゃないか。」
「神前〜〜、いい加減に観念しろよ。」
「ちょっと待て、外に出るから。」
「お前の情婦に聞かれちゃあまずい事でもあるのかよ。」
「ふざけるな、何が情婦だ。他人様をからかってるのか。」
「この女も一枚噛んでそうだな。」
「いいから其処をどけ。」
突然の出来事に奈々子が唖然としている。なるべく遠くへ行かなければならない。
「こらっ、どこ行くんだ神前。」
「あんたなあ、さっきから黙って聞いてりゃあ、他人様の名前を呼び捨てにしたり、犯人扱いしたりだの何のつもりだ。」
「お前の事はな、以前から目を付けてたんだよ。身に覚えがないとは言わせねえからな。」
「逮捕状でもあるのか。」
「直に出るから楽しみに待ってろ。」
「何の証拠があって犯人呼ばわりするんだ。」
「お前はそこいら中のサイトに過激なコメントを書いてる事は判ってるんだ。」
「それが証拠ならば何十万人も逮捕するようだぞ。」
「その何十万人の中からお前の犯人像が浮かび上がったんだよ。」
「物証があれば今ごろ取調べを受けている筈だけどな。心証しかないのでお前みたいな頭の悪い奴を使って脅そうって魂胆か。」
「減らず口叩けるのも今の内だけだからな。必ずしょっ引かれると覚悟しとけよ。」
「警察も零落れ果てたものだな。今度はなもう少し知能の高い刑事が来てくれる事を願ってるよ。」
「お前は余罪も有りそうだから、極刑はほぼ確定的だな。」
「お前の面を見ているだけで吐き気がする。さっさと逮捕状持って来い。勿論お前以外の刑事がな。」
「逃げようなんて考えは起こすなよ。」
「あ〜、それが狙いだったのか。わざわざご苦労さん。」
「俺が地の果てまで追って行くからな。」
「無能なお前さんは手柄が立てたくて、得意のでっち上げを思い付いただけだろ。」
「警察を舐めるなよ、神前。」
「ま、精々頑張ればいい。生まれ変わったらお勉強して検察官になんなさいよ。」
「この野郎、いい気になりやがって。」
「署に帰って便所掃除でもしてろ。」
「お前こそとっとと帰れ。」
車の中から奈々子が心配そうな顔をしてこっちを見ている。
「全く馬鹿馬鹿しいったらありゃしない、安っぽいテレビドラマみたいだよ。」
「あの人すっごい目付き悪い。夢に出て来そう。」
「気にしなくて良いからね。道歩いてるだけでも職務質問されるんだから。」
「なんか怖いよ〜。」
「うん、怖い人なんだよ。拳銃持ってるしね。」
「保安官はみんな良い人なのに〜。」
「またワイアットアープ保安官か〜。」
「あの映画すごい素敵だった。」
「『荒野の決闘』じゃなかったかな。ヘンリー・フォンダ主演だよね。」
「でもどっちかっちゃうと奈々子はマカロニウエスタン派なんだ。」
「ぼくが一番好きなのは『駅馬車』だな。ジョン・ウェインが登場するシーンなんかもうシビレまくり。」
「その人って保安官なの。」
「じゃなくて、保安官に捕まっちゃう人。」
「じゃあ、悪い悪い無法者なんだ。」
「てか、ダーティーヒーローみたいな。いい奴だから保安官が見逃してくれるんだ。」
「さっきの人は昔々、悪い悪い保安官だったと思うの。」
「あいつの話はやめようよ。」
「はい、あ〜んして。」
「オニギリはあ〜んしなくても・・・・・・」
「はい、あ〜ん。」
「この魚沼産コシヒカリが最高だよね。」
「バーゲンで買ったから違うと思うの。」
「いや、お米は研ぎ方と水で決まるんだよね。」
「あっ、浄水器壊れてるから水道水なの。」
「だから早くぼくの家に来ればいいのに。」
「はい、あ〜ん。」
「料理は真心だね、うん。」
もうすぐ奈々子がぼくのマンションにやって来る。
9月・・・・・・・・・・・・・奈々子を駅前で待たせるのも今日の13回目のドライブで最後になりそうだ。
いよいよ来週、奈々子が我が家に引っ越して来る。
部屋は全部リフォームしたので新築マンションみたいにどこもピカピカだし、車も国産の新車を買ったので来月になればこの御老体ともお別れだ。
特徴のあるエンジン音に気付いたのだろうか、奈々子が駅前で大きく手を振っている。
「奈々ちゃん元気かな〜。」
「すっごい元気〜。」
「今日はアルプス越えと行こうか。」
「えっ、遠いの。」
「いや、箱根だけど。」
「箱根ってアルプスだったんだ〜。」
「ちょっと違うけど、そんなもん。」
二人とも少々浮かれ気味みたいなので、こんな時は気を引き締めなければと思い、いつもよりスピードを落として箱根に向かった。
「奈々ちゃんさあ、この曲どう。」
「これってよく掛かってるよね。これな〜に。」
「ぼくの一番好きな、『I Won't Last a Day Without You』だよ〜ん。」
「ふ〜ん。」
「奈々ちゃんのテーマ曲だな。」
「えっ、どうして。」
「なんとなくそんな感じだから。」
「ふ〜ん。」
「本日のお弁当、何だか当ててみようか。」
「な〜〜〜ん・・・・・だっ。多分外れると思うよ。」
「そんなにすごいやつなの。」
「ヒントはね〜〜〜。」
「えっ、なになに何なの。」
「昔々ある所に、奈々子とタケルというとてもとても仲の良い夫婦が住んでいました。
二人は互いに助け合いながら、病める時も、健やかなるときも、富める時も、貧しい時も、死が二人を別つまで永遠に愛し合う事を誓って生きて来ました。
二人は偶然にもお誕生日が、同じ年同じ月同じ日の、12月25日でした。
そして毎年お誕生日になると、お互いにバースデープレゼントを交換していたのです。
ところが今年は作物が不作でエンゲル係数が急上昇したため、二人とも年末には貯めていたヘソクリがなくなってしまいました。
二人の記念すべきお誕生日は明日に迫っていました。
そこで二人は一計を案じ、ある重大な決心をして大切なお誕生日のプレゼントを互いに贈ろうとしたのです。
タケルは愛車1957年型フェラーリ250テスタロッサをオークションで売って、最高級フレンチレストランに予約を取り、
奈々子は母の形見のダイヤモンド、ナイルの涙を質屋に売って、最高級イタリアンレストランに予約をしたのです。
お誕生日当日になって二人は予約券を交換しあいました。しかし不幸な事にどちらも同じ時間に予約したため、一緒に食事をする事が出来なかったのです。
そして二人は互いに大切にしていた物を売り払った事を知るのです。
二人はフレンチレストランとイタリアンレストランに頼んで、オーダーした料理をお弁当にしてもらい家でお誕生日を祝いました。
そしてナイルの涙とフェラーリ250テスタロッサが、とてもとても高値で売れたので二人は大金持ちになりましたとさ。・・・・・・・めでたし、めでたし。」
「タイトルは賢者の贈り物Part2とかでしょ。」
「ちゃうちゃうちゃうちゃう。」
「なんか嫌な予感がする。」
「はい、あ〜んして。」
「ケチャップナポリタン・・・・・・・」
「はい、あ〜ん。」
「フランスパン・・・・・・・」
ぼくと奈々子がどんな関係であろうと、他人が嘴を挟む問題ではない。
ぼくがテロリストであろうがなかろうが、他人にとやかく言われる筋合はない。
奈々子とぼくが、如何なる生き方を演じて如何なる死に様を晒すのかは、予め運命によって定められている。
ひとつだけはっきりしているのは、ぼくと奈々子は永久の夢の中に生きているらしい。
「はい、あ〜ん。」
「あっ、グミだ。」
「はい、あ〜んして・・・・・・・ウフッ。」
10月・・・・・・・・・・・・・ぼくがあの女の子に遇ったのは今日と同じような肌寒い日の夕暮れ時だった。
東京から箱根を超えてドライブをしていたぼくは、青木が原樹海付近に差し掛かった時、うっかり脇見運転をしていたため目の前に女の子がいるのに気が付かず、
急ブレーキを踏みハンドルを切ったので車は道路を大きく逸れて林の中に突っ込んでしまった。
突然の出来事に驚いて暫くの間放心状態だったぼくは、すぐに気を取り直し車を飛び出して女の子のいた場所まで急いで駆けて行った。
女の子はその場所に座り込んだまま、びっくりしたような顔でぼくの方を見つめている。
ぼくは女の子の腕を抱え道路の真ん中から脇の道に出して、怪我はなかったかと聞くと目を瞬きさせながら何度も頷いた。
それまで無事故だったぼくは多少興奮しておしゃべりになっていたようで、聞かなくても良い事まで色々と尋ねていたみたいだ。
何分か経った後やっと口を開いてくれたその女の子は、東京から富士山周辺にハイキングをするため来たのだという。
車が無事かどうかも心配だったので、女の子を連れて車のある方へと急いで向かい、
エンジンを掛けて少し動かしてみると大丈夫らしいので、取り敢えず女の子を乗せてドライブを続ける事にした。
近くにレストランでもあればと探すつもりだったのだが、女の子は突然お家に帰りたいと言い出したので今日のドライブはお仕舞にし、
スピードを出し過ぎないよう気を付けながら東京方面に車を走らせた。
帰る途中、それまでずっと黙り込んでいた女の子はカーオーディオで鳴らしていたCDが気になったらしく、始めて彼女からぼくに話し掛けてきてくれた。
どこかで聴いた事のあるこの素敵な歌の曲名が知りたいと言うので、これは『Carpenters』の『For All We Know』だと教えてあげるとこの曲がきっかけになり、
ぼくが聞きたくても口に出せなかった事を彼女の方から話し始めた。
彼女は今月16歳の誕生日を迎えたばかりで、都内の女子高に通っているのだという。
そして、部活でソフトボールをやっているとか、勉強は余り好きではないとか、音楽は殆ど知らないけど映画を見るのが好きだとか楽しそうに話してくれるのだった。
彼女との波長がぴったり合ったからだろうか、食べ物の好みと占いや血液型の話などがとても弾んで、ぼくにとっては久し振りの充実した楽しい時を過ごす事ができた。
彼女の家の近くまで送りお別れを言ったところ、意外な事に彼女の方からまたドライブに連れて行って欲しいと言うのだった。
年齢がふた回り以上離れているので少々戸惑ったが、ぼくには家族がある訳ではないから断る理由も見当たらない。
何よりも彼女の清楚な美しさと、幼女のようなあどけなさでぼくの心を虜にしてしまった事が、再び逢う約束をする大きな拠り所になった。
そして今日、約束通り午前10時に彼女の住む街にある駅まで迎えに行き、彼女を乗せて2度目のドライブにいざ出発だ。
ぼくは何となく気恥ずかしい思いがあったので黙ったまま運転していると、彼女の方からちょっと上擦った可愛いらしい声でおしゃべりを始めてくれた。
「あのね、この間ちょっと焦ってたから、おじさまのお名前聞くの忘れちゃったの。私は奈々子です、お友達は奈々って呼ぶの。」
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